また、面は上下の角度などで表情が変わります。面をやや下に向けることをクモラス(曇ラス)、やや上に向けることをテラス(照ラス)といい、クモラスは、悲しみなどの心情を抑えるとき、テラスは、喜びなど心が晴れやかなときに用いられます。また、面を付けない素顔のことを「直面」(ひためん)と称し、面を付けているときと同じように扱います。顔はそのまま横を向く程度のことはしますが、たけしさんがおどけて「アレー!?」というように首を傾げていましたが、それはギャグになってしまうので絶対にしません。
◆能は歩行の芸術 構えと運び
能は歩行の芸術ともいわれるほど、独特の歩き方をします。能では履物は一切使いません。必ず白足袋です。これは歩行の効果を高めるためといわれています。
たけしさんは、土踏まずに力を入れて摺り足で歩き、つま先を上げて足を着地するよう指導されたものの、装束で体の自由が利かない上に、面を被って前が見えないことでうまくいきませんでした。大変な力仕事であると感想を述べています。
歩行は運びとも称されますが、身体全体を腰でまとめ、一枚の重い板を押してゆくように移動します。滑らかで重厚な運びこそ能の演技の核心なのです。ですから、上手の役者が演じれば、顔や手などをまったく動かさずに、能一曲を舞い通すことも可能になるというのです。
◆離見の見
このように自分の姿が一切見えないのですから、もう一人の自分が外側から客観的に凝視していなければいけないといいます。役者はつねに見られているという意識から離れられないものですが、その見られるという意識、さらにそこに必然的に出てくる見せるという意識、それをいかになくすか。これは能役者の大命題であり続けています。舞台という虚構をいかにして実存の空間に作り変えるか、それにはまず、役者が自身のうちの見せる意識を取り除かねばなりません。
これを世阿弥は「離見の見」と称しました。これは舞台などで表現する芸術に共通するテーマではないかと思います。
客が乗っているなと感じてつい高揚し、八足(八歩)歩くべきところを十足も歩いてしまい失敗することもあるといいます。どんなに熱が入っても一歩手前で「引く」ことも重要なのです。役に嵌まり込むことも大切でしょうが、どこかに冷静な目を持っていなければいけないのです。そのためには、面を付けない「素」の状態での稽古がたいへん重要であると宗家は力説していました。
◆華麗な能装束
徳川家康に幕府公認の芸術との恩寵を受けた能は、様式美の追求とともに装束にも贅を尽くしていきました。
観世流には、今から580年ほど前、三世音阿弥がときの将軍足利義正より拝領した装束が遺されています。現存する最古の能装束といわれ、トンボの模様があしらわれています。トンボは決して後に下がることがないところから「勝ち虫」と呼ばれ、武士が好んで用いた柄でした。
◆風姿花伝「第六花修」直筆本
観世流には、世阿弥が秘伝として残した直筆の傳書も遺されています。そこには観世座の頭領としての有るべき姿、理想像について書かれています。
風姿花伝では、「頭領は技芸の錬磨を極めるのが大事か、あるいは芸は未熟であっても能を知る見識を高めることが大事か」と二つの重要なことが提示されていますが、そのいずれも能にとって欠かすことはできないということを禅的思考で強調しているといいます。そして、終わりに「この条々 志の芸人より他に一目たりとも見せてはならない」門外不出であると締め括っています。
中身はそれほど秘密にするようなものではないと思いますが、他の流派に負けずに能を深めたいという願望、さらに自分たちに与えられたある種の利権を守ろうとする意識などが働いていたのではないかと、私は推測しますが如何でしょうか。
関連資料
(E-52)能と歌舞伎
(E-56)幽玄なる空間 ─ 動かぬ故に能という
加 藤 良 一 2012年2月21日