E-84
共倒れを防ぐ<津波てんでんこ
加 藤 良 一
2011年6月22日



 大津波が襲った直後の5月、読売新聞〈人生案内〉欄にやりきれない投書がありました。投書の主は大学生の女性。

 あの日、私は祖母と一緒に逃げました。でも祖母は坂道の途中で、「これ以上走れない」と言って座り込みました。私は祖母を背負おうとしましたが、祖母は頑として私の背中に乗ろうとせず、怒りながら私に「行け、行け」と言いました。私は祖母に謝りながら一人で逃げました。

 祖母は3日後、別れた場所からずっと離れたところで、遺体で発見されました。気品があって優しい祖母は私の憧れでした。でもその最期は、体育館で魚市場の魚のように転がされ、人間としての尊厳などどこにもない姿だったのです。 助けられたはずの祖母を見殺しにし、自分だけ逃げてしまった。そんな自分を一生呪って生きていくかしなのでしょうか。どうすれば償えますか。毎日とても苦しくて涙がでます。助けて下さい。


 この投書に対し、心療内科医の海原純子さんはつぎのように回答しています。

… おばあさまはご自分の意思であなたを一人で行かせたのです。一緒に逃げたら2人とも助からないかもしれない、でもあなた一人なら絶対に助かる。そう判断したからこそ、あなたの背中に乗ることを頑として拒否したのでしょう。… 人はどんな姿になろうとも外見で尊厳が損なわれることは決してありません。たとえ体育館で転がされるように横たわっていても、おばあさまは凛とした誇りを持って生を全うされたと思います。おばあさまの素晴らしさはあなたの中に受け継がれていることを忘れないで下さい。


 祖母を置いて一人逃げた孫娘は、究極の選択を迫られたわけですが、これはまさに「津波てんでんこ」の伝承に照らし合わせて許容されるものにちがいないと思います。
 「
津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、肉親に構わず各自てんでんばらばらに一人で逃げろ」という意味です。津波のときに肉親などに構っていると逃げ遅れて共倒れになってしまいます。「一族存続のためにも、自分一人だけでもとにかく早く逃げよ」ということと合わせて「自分の命は、自分の責任で守れ」ということでもあるのです。そんな理由から、自分は助かり人を助けられなかったとしても、それを誰も咎めることはしないという不文律でもあるのです。津波頻発地における哀しい知恵です。

 山下文男さんの著署に『津波てんでんこ 近代日本の津波史』というものがあります。三陸海岸に生まれ育ち、津波で親族の多くを亡くした経験をもつ山下さんの言葉ひとつひとつがじつに重い。「人のことなど構わずに、てんでんばらばらに」逃げろとは、聞き方によっては非情にも思えますが、それほどに津波は恐ろしいものだということなのです。もちろん、人を押し退けてまで我先に逃げろということではありません。
 親が子を助けようとして、あるいは子が親を助けようとして、けっきょく共に命を失ってしまう。津波から逃げるときは、体の自由が利かない年寄りや病人、障害者、そして乳飲み子などは別として、人に構わずとにかく素早く逃げなければなりません。子供といえども人に頼ってはいけない、自分の命は自分で守らねばならないのです。ようするに津波のときは各自「てんでに」逃げねばならぬという戒めなのです。
 「てんでん」とは、「手に手に」あるいは「手手」の音変化ともいわれています。各自、めいめいという意味なのです。「こ」は岩手方言の「べごっこ」(牛)、「まっこ」(馬)、「あねっこ」(姉ちゃん)の「こ」を付けただけのものらしい。

 山下さんが「津波てんでんこ」という言葉を覚えたのは、津波のときに末っ子である文男さんの手も引かずに逃げた父親の非情さを、のちに母が話題にするたびに、父は「なに! 津波てんでんこだ」と弁解していたことによります。厳しい話ではありますが、共倒れを防ごうという願いが込められています。ただし、さきほど書いたように、あくまで「体の自由が利かない年寄りや病人、障害者、そして乳飲み子など」の災害弱者は別です。

 冒頭に紹介した祖母を置いて逃げた孫娘は、災害弱者であった祖母自身が共倒れの危険を察知し、孫娘を逃したのですから、「津波てんでんこ」の精神に反するものではないと、私も信じます。被害を最小限に抑えるには、災害の経験を風化させることなく伝え続けることでもあります。






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