E-83

BOTANICAL ART

太田洋愛 原画展

加 藤 良 一

2011.6.17




 上野の国立科学博物館で開催されている企画展「日本のボタニカルアート-太田洋愛画伯の原画を中心として-」を観てきた。ボタニカルアートは植物学と絵画という二つの要素を併せ持ち、美術としても愛好されている。
ボタニカルアートは植物学と絵画という二つの要素を併せ持ち、美術としても愛好されている。

 そもそも植物画のはじまりは、古代エジプトや中国などで薬草を見分けるために作られた図譜だという。まだ写真が発明される前の時代、植物学者と画家が一緒になって描いた植物画が素晴らしいということから、19世紀のイギリス、フランスで大流行した。日本においては、明治に入り東京大学の植物画教室において植物画が描かれるようになった。それはほとんど植物分類などの研究目的で描いたもので、美術品として位置づけられるようなものではなかったであろう。そんな植物画がボタニカルアートとして確立してきたのは、ほんの20年ほど前だという。日本では分野としてはあまり認知されているとはいえないが、イラストなどの形でけっこう身近なところでお目に掛っているものでもある。


 植物画家太田洋愛〔19101988〕は、日本中を旅して桜などの研究を続け、植物学と絵画を融合させ、ボタニカルアートの世界を確立、ボタニカルアート協会創立委員の一人ともなった。また、 『牧野 新日本植物図鑑』で有名な牧野富太郎博士の指導も受け、筆などの画材をたくさん譲り受けている。
 世界遺産に指定されている、岐阜県大野郡白川郷の本覚寺の境内に咲く、樹齢約200年の八重桜の一種「おおたザクラ」は、太田洋愛が発見したことから命名された。地元では塩釜桜と呼んでいる。


 会場は、日本館2階で、かなりの点数が展示されていた。大半の原画が、横100mm、縦265mmの縦長の枠の中に複数の植物を並べる形のもので統一されていた。写真のカタログに見られるように、ふつうの植物画とはちがって、何枚かの絵を切り貼りしていて、随所に「ここは削除しない」とか「切り貼りの影を消され度」などと鉛筆で注意書きされていた。妙な感じだが、どうやら展示品は平凡社の植物図鑑用に作成した原稿そのものらしい。とくに説明はなかったが、図鑑はページの左右どちらかに植物画を置き、もう半分に説明を書くという構成になっているのではないかと思う。図鑑は限られたスペースにより多くの植物を掲載したいはずだから、このような画面構成になるのだろう。これはこれで観て楽しいものである。ちなみに、今回の展示品に桜は一点も含まれていなかった。







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