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ノーベル賞受賞者 大村智先生 と ホスピタルアート




加 藤 良 一

2016年3月7日




 東京理科大学・生化学研究室の宮澤雄二教授が亡くなられたのは、昭和60年(1985224でした。宮澤教授は入学試験の監督をしていた最中に脳卒中で倒れ、ついに還らぬ人となりました。まさに殉職でした。

 教授ご存命のときは、毎年成人の日に研究室の新年会を開くのが習わしとなっていました。そこには教授はじめ研究室スタッフ、院生・学生、
OBなどたくさんの同窓生が集まり、旧交を温めながら情報交換を行ってきました。しかし、主である教授が亡くなられたあと、ふつうならば新年会などなくなってしまうか、あるいは自然に途絶えてゆくのではないかと思いますが、われわれは、それを途絶えさせることなく、連綿と現在に至るまで30年以上にわたって続けているのです。これは稀有のことかも知れません。

 当然、研究室自体はなくなっていますので新たなメンバーが増えることはなく、まちがいなく減少の一途を辿っていますが、それでも同窓会の名のもと、気心の知れたメンバーが集まってくるのです。参加者は年々減少していますが、毎年何らかのテーマを掲げて有意義な情報交換の場とすることにも心を配り、そのときどきの話題を提供しあうようにしています。同窓生は卒業後、企業や大学などで研究を続ける人、他大学の教授になった人、医学部に入り直して医師になった人、まったく無関係の分野に働く人など、様々な分野の人がいて話題には事欠きません。

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 今年(2016年)の新年会では、研究室同窓の小宮山寛機さんから、2015ノーベル賞生理学・医学賞を受賞された大村智先生(北里大学特別栄誉教授)の人となりについてお話を聞く機会がありました。
 小宮山さんは理科大卒業後、北里研究所の大村研究室に入りました。以来、35年間白金の研究所に勤められました。現在は研究職ではなく、財団法人北里環境科学センターの理事をやられています。

 大村先生は19357月生まれ、現在80歳。1968年東京大学で薬学博士、ついで1970年東京理科大学で理学博士を取得しています。微生物による天然有機化合物の研究を45年以上行い、480種を超える新規化合物を発見、それらにより感染症などの予防・撲滅、創薬、生命現象の解明に貢献しました。

 昨年のノーベル賞受賞理由は、オンコセルカ症の治療薬アベルメクチンの発見、それを基にイベルメクチンの創薬開発に取り組み、治療法確立に貢献したことが評価されました。また、研究以外では、北里研究所の経営再建、女子美術大学理事長や自身のコレクションを基に設立した韮崎大村美術館館長、学校法人開智学園の運営なども手掛けています。

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 小宮山さんによれば、大村先生について印象に残っている点が三つあるといいます。

 常に高い目標を掲げ、それに合わせた適材適所の人事をし、一度決めたらその人に任せるという方針を貫いたといいます。いっぽうで、仕事を任せはしても日常の「報連相」は絶対に欠かさないことを義務付けて部下の研究結果を把握しつつ、ご自分はさらにその上の仕事に注力していたそうです。

 また、金(資金)がないから仕事(研究)が出来ないなどとよくいうが、そんなことはウソだ、金がなければ知恵を出せ、知恵が出なければ汗をかけといつも指導していました。もちろんご自身でもそれを実践しました。
 平成20年、埼玉県北本市に北里大学の病院を建てる際、美術に造詣が深い先生は、「絵のある病院」にしたいとの思いを抱いていましたが、それに充てられる予算はたったの600万円しかなく、良い絵をたくさん買うことなど叶いませんでした。そこで、一計を案じ絵のコンペティションをやることにしました。病院長賞や北本市長賞などいくつも賞を用意し、優秀な若手画家の応募意欲を刺激したわけです。やはり、〇〇賞受賞という栄誉は魅力的なものですので、多くの作品の応募がありました。
 絵の専門家でない病院関係者が審査したのでは、もちろん箔がつきませんし、良い絵は集まりません。そこで、美術評論家などの一流の専門家に審査を依頼しました。ただし、そこから先がいかにも大村先生です。受賞作品は「病院へ寄付してもらう」のが条件だったのです。それでも賞を目指して多くの画家が集まってきたことで、優秀な作品を飾ることができました。

 大村先生はさらに「継続は力なり」を実践した方でもありました。文献を読み合わせるような小さなセミナーからスタートして、次第に範囲を広げ、学外の研究者を招聘するなどで内容の充実を図り、位置付けを確かなものにして行きました。さらにノーベル賞受賞者を呼んで講義をしてもらうこともありました。そして、まだ英語が十分に理解できない学生に対しても、外国の研究者の講演に触れさせることでレベルアップを計るなど、教育にも力を入れました。

 そして、意外にお茶目な面もお持ちだそうです。若いころ、徳島で阿波踊りを踊ることがあり、そこで習った男踊りを皆の前で披露するなど飾らない庶民的な面も持ち合わせておられます。

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 このような大村先生の活動を裏付けるような記事が、201626日付の日本経済新聞・埼玉首都圏経済面に掲載されていました。

 簡単に紹介しますと、埼玉県内の病院では、患者を癒やす病院アートとして「ホスピタルアート」導入が広がっている。今年は春日部市やさいたま市などで新設される病院に彫刻、絵画などの作品を設置する計画がある。

 芸術作品に触れることで患者や家族が少しでも不安や緊張をほぐしてもらいたい、小児医療センターでは子どもが手術室や診察室に入るのを怖がって泣き出さないようキャラクターシールなども使い、単に装飾にとどまらずインテリアとしてアートを採り入れる工夫が計画されている。
 ノーベル賞を受賞した大村先生が開設に尽力した、北里大学メディカルセンターがホスピタルアートの先駆けといわれており、数百点が展示されている。この病院以外にも北里研究所全体では
1900点もが収蔵されているというのですから驚かされます。





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