E-102

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激痛が1日で消えた!
私の右人工股関節手術
   
  か と う き ょ う こ
2015年8月15日


はじめに

 私は、もうすぐ術後1カ月を迎える。私にとって劇的な変化の連続だった。関わってくださった皆様に、お礼の意味を込めて筆をとりたいと思った。そして私のように苦しんでいる人が、1人でもこれを読んで少しでも参考になれば、こんなに嬉しいことはない。

手術を決意するまで
 1カ月前の私の右股関節痛は限界だった。
 寝ていても激痛で目が覚めてしまう。玄関のチャイムが鳴っても居留守を使い、歩くときは常にどちらの足で踏み出すか考えた。途中で動けなくなるから、外出も避けるようになっていた。

 2014年3月、就寝中急に右股関節が痛み、目が覚めた。
 激痛で寝返りをうつこともできず、私の頭は真っ白に・・・そうか、腰ではなかった・・・あの痛みは股関節だったのだ。
 16年前に腰部脊柱管狭窄症と診断され、治療をうけた。当時の私の職場は立ち仕事が多く、書類の出し入れにかがんだり、足腰を常に使って動き回っていた。しかし、退職後は、そんな腰痛も消え忘れてしまっていた。最近たまに痛みがあっても、腰痛と思っていた。

 ところで、私の身近に股関節手術を3回も受け、今は元気にしている人がいる。
 40歳代で骨切り術(関節を温存し、骨盤側の骨を切る人工関節を入れない手術)、50歳代で人工股関節置換術、60歳代で反対側の人工股関節置換術をうけていた。私は常にその人と比較をしていた。身体の柔軟性にも自信があり、そんなことから勝手に股関節は大丈夫だと思い込んでしまった。

 何とか自分で治す方法はないものか、ネットで調べたり本を読んだりしているうちに、知人から近隣の整形外科医院を紹介された。車の運転できない私は、出掛けるのも苦痛だった。痛くても対策はとらず一日延ばしにそのままにしていた。

 2015年3月、新聞のチラシ広告で、市民公開講座があるのを知った。私は、わらにもすがる思いだった。痛みは酷くなる一方で、手術しか方法はないと覚悟していた。
 主人に会場まで送ってもらった。思った以上に聴衆が多くて驚いた。皆、痛みがある人ばかりだろうか・・・家族の代わりに聞きに来ているのか・・・それにしても私が一番酷い歩き方をしているように思え悲しかった。



市民公開講座
「ひざ・股関節の痛みとその治療方法」

講師は、関節治療の専門医
(いずみ)亮良(あきら)先生(さいたま赤十字病院整形外科副部長)


1998年、東京大学医学部卒業。JR東京総合病院、東京大学医学部付属病院などで人工関節を中心とする手術を多数執刀。2014年4月からさいたま赤十字病院整形外科副部長に。毎週火曜日に中田病院での変形性膝関節症・股関節症の専門外来も担当。人工股関節、人工膝関節を中心に年間600例以上の手術を行っている。

【講演メモ】
変形性股関節症は・・・
・臼蓋形成不全(骨盤の被りが浅く体重をうける面積が狭い)が原因のことが多く、老化や体重で軟骨がすり減り、炎症が起きる
・歩行時の足のつけ根の痛み、腰痛。左右で足の長さが異なり、傾いて歩く。安静にしても痛む
・今は人工関節置換術が最も効果的
・改善するには、股関節周囲の筋力アップ、股関節に負担がかかるので体重を減らす

人工股関節置換術は・・・
・保存的治療(手術を行わない治療)の効果が少ない時
・関節専門家が行ない日本では現在年間4万件
・最小侵襲手術MIS(切開する皮膚の長さを小さくする)・筋肉・神経を温存する
・前方進入法(手術時仰向け、股関節の前方を切り筋肉を切らない)・脱臼の心配がない
・素材の進歩で20年以上の耐用年数
・両側同時手術が可能に
・入院期間・3週間程度、リハビリの程度で違う、両側の人は1週間長く
・元気であれば85歳すぎても大丈夫
・筋力ある人は早く治せる
・杖の使い方・良い方の手で持ち、体重(重心)をかける
・リハビリが重要
・手術前検査
・高額療養費制度・入院前に申請しておくとよい
・合併症の予防・血栓、感染症、脱臼。血栓予防に足首の運動、マッサージ
・介護の原因・関節が原因20%位それを減らしたい
・・・・・・


 とても分かりやすく説明をしてくださり、ユーモアにあふれ、そして熱く、先生の人柄と熱意を感じた。O脚の手術をした高齢の女性が、姿勢よく真っ直ぐな足で歩いているリハビリの様子が画像で流れ、素晴らしくまた羨ましいと思った。

さいたま赤十字病院で診察
 私は講演を聞き手術を決意。近所のかかりつけの医院(その医師は、泉先生は有名な先生だよ、とおっしゃった)で紹介状をいただき、泉先生の診察の予約がとれた。5月に診察をうけ7月中旬手術と決まった。それから入院前検査、手術時に輸血が必要になった時のための自己血を採血し保存、レントゲン検査、さらに麻酔科医からの手術時の説明を聞くなどして手術日を待った。
 主治医の泉先生はとても気さくな先生で、元気になりますよ!頑張りましょう!といつも励ましてくださって嬉しかった。

                         
 〔入 院 日 記〕
さいたま赤十字病院に入院(木曜・手術前日)
 手術前日、台風の影響で大雨の降るなか入院した。私は朝起きてすぐシャワーを浴び、病院に向かった。直前にならないと入れるかどうかわからないと言われていた個室に、運よく入ることが出来た。建物は古いが、掃除は行き届いていて気持ち良かった。現在新しい病院をすぐ近くに建設中のようだ。
 整形外科病棟では、聞きなれたバッハの曲が頻繁に流れてきた。ナースステーションへの連絡だと後でわかった。看護師の皆さんがテキパキと仕事をこなしていた。
 CT検査と採血を済ませた。食事は夕食までで、あとは経口補水液のみ。夕方泉先生が来室。明日頑張りましょう!と励ましてくださった。

手術日(金曜)
 朝起きてからは、経口補水液のみ。入院診療計画書では、手術時間は14時頃。私は3番目なので遅れるでしょうとのこと。(先生に、かとうさんは一番若いから3番目にしたと言われた。・・・66歳で。笑)
 与えられた経口補水液を全部飲めたので、点滴はしないで済んだ。正午頃、主人が到着した。私は何度もトイレに行ったりして落ち着かなかった。手術時間30分前にナースステーションに連絡が入るとのこと。
 私は手術着に着替え、下はショーツのみになると、俎板の鯉だな・・・と思った。予定より遅れて16時頃看護師さんがようやく車椅子を押して迎えにきた。私は車椅子に座り、バスタオル1枚を肩にかけ手術室に向かった。主人も一緒について来てくれた。途中で看護師さんが、タオルは膝にかけた方がいいねと言った。セクシーだから・・・。私は笑いながら膝にかけなおした。

 手術室に入る直前、彼女が耳元で「素敵なご主人ね!」と言ってくれた。私は笑いながら「ありがとう!」と答え、主人と握手を交わして手術室に入った。笑っていたので、特に緊張することもなく手術台にのった。麻酔科の女医さんが全身麻酔の用意をしていた。泉先生が声をかけてくれた。私はここで眠っていればいいんだと思うことにした。酸素マスクをして点滴が始まった。麻酔科の先生が話かけてきた。

「身体が温かく感じますか・・・」
「まだです。でも少し温かいかな・・・」
・・・
「かとうさん、終わりましたよ!足を動かしてください。」
 泉先生の声が聞こえた。私は思いっ切り右足先を動かした。終わった・・・良かった!でも私が発した言葉は、
「覚えてないんです・・・」
女性の声が聞こえた。
「覚えていたら困るよね」
 ・・・病室に戻ってから、
「私は肝心な時に、なんでお礼の言葉も言えないんだろう・・・」
と暫く自己嫌悪に陥った。
 2度と会えないかもしれないのに・・・

 主人が病室で待っているあいだに、泉先生が手術の報告をしてくれたようだ。予定通り順調に進んだとのこと。手術時間は正味1時間、前後の処置を含めて2時間20分で病室に戻ってきた。すでに夜だった。安心した様子の主人の顔が見えた。主人が手を握ってくれた。良かった!
 病室に戻ってから、時間がたつと吐き気が出てきた。空腹感が強くでたような感じだが、酷くはなかった。主人は夜9時半頃帰った。車の運転気をつけて・・・1人になるとなんとなく不安だった。夜眠れるか心配だったので、眠剤1錠を生まれて初めて服用した。

術後1日目(土曜)
 朝は普通に目が覚めた。良かった。熟睡できた。朝から食欲があった。食後に鎮痛剤、胃薬、ふだんから飲んでいる降圧剤を服用した。抗生剤と自己血の点滴も始まった。手術時に自己血を使用しないで済んだのだ。血栓予防薬も2週間服用することになった。血栓予防のため、足首の運動とふくらはぎをマッサージした。保冷剤で手術した所を冷やした。37度台の微熱が出た。導尿カテーテルを外し、杖でトイレに行けた。
 看護師さんと主人が手をとってくれたが、大丈夫ですと言って断った。トイレが病室に付いているので楽だった。右足は腫れてはいるがあの長いあいだ苦しんだ激痛はなくなっていた。激痛は消えていた!夢のようだ。

術後2日目(日曜)
 朝4時起床、寝汗でびっしょりのパジャマを着替え、熱いタオルで身体を拭いた。今日は息子と娘も見舞いに来てくれた。私の様子を見て、手術が無事終わり安心したようだ。私は手術の経過を話した。今の医学の進歩に驚いた様子だ。みんな仕事があるから、なかなか時間が取れないのに・・・久しぶりで顔が揃った。近況報告しあい、あっという間に時間が過ぎた。
 キズ痕に貼ってあるテープの中に水疱ができていた。テープで被れたのか、皮膚が弱いのか。細菌感染が心配だ。杖をついてナースステーション脇に置いてある蒸しタオルを取りに行ったり、テレビカードを買いに行ったりした。リハビリはいつ始まるのだろうか。リハビリは早い方が良いと思ったが、土日祝日は休みだ。仕方ないので自分で杖をついて歩こうと思った。夕方、抗生剤の点滴も終了し、針を抜いた。

術後3日目(月曜・祝日)
 朝、熱い蒸しタオルで身体を拭いた後、一人で杖をついて洗い場に行き洗髪をした。貯まった衣類の洗濯もした。主人が10時頃面会に来てくれ一緒に昼食をとったあと、乾燥室に行き洗濯物の取り入れをしてくれた。この3日間の連休を含め、入院から5日間毎日看病に来てくれた。自宅からは車で片道1〜2時間かかる。仕事を休み、家の猫2匹の世話もしてくれている。本当にありがたい。私の方は落ち着いたので、明日からは仕事と猫の事を中心に考えてと話した。

術後4日目(火曜)
 今日は連休明けだ。看護師さんの動きが慌ただしく、外来も始まっているようだ。
 朝、初シャワーを浴びた。私の番は、火曜と土曜の週2回の予定とのこと。私の担当看護師畠○さんが、挨拶にきてくれた。勤務の都合で会うのが遅れたというので、私は経過を話した。
 15時から初リハビリだ。担当の鎌○理学療法士さんが迎えに来てくれた。リハビリがないあいだ、自分勝手に杖で歩き回っていたが、理学療法士さんから、歩き方のクセを治し、筋力アップ、柔軟度測定などを受けた。杖の使い方は翌日習うことになった。主人から、杖の使い方がめちゃくちゃだからしっかり習って、とメールが届いていた。あっという間にリハビリの時間が過ぎた。結構楽しい。汗びっしょりだ。

 病棟の吉田先生がキズ痕と水疱を診てくれた。これなら大丈夫と言ってくれた。前に廊下でお会いした時も、早いね、転ばないように、焦らないで、と励ましてくれた。

術後5日目(水曜)
<リハビリ>
杖の使い方・・・まず杖の長さ。これまでの長さは骨盤の位置に比べて短すぎた。2段階長めにして丁度良い長さに。以前は短すぎたので左肘は伸びたままとなり、力を入れるとたまにガクンと肘が折れ危なかった。それ以来、力が入る右手で持ったりして歩き方も怪しかった。そうか最初から肘を折ったまま持てば良かったのだ。
歩き方・・・杖は左手で持ち、杖(杖に重心をかける)と右足を同時に1歩前に、次に左足をその前に。それを繰り返すとスムーズに進む。(左足が悪い時は逆にする) 転ぶと危ないので病棟内は歩行器で、病室は杖で歩いて下さいとのこと。

 主治医の泉先生が術後始めて診てくれた。連休があったりしたが、これまでの経過はご存知のようだった。
「元気だね。良くなっているね!」
「夢のようです・・・。先生のお陰です。」
と感謝の言葉を言って握手していただいた。声は震え涙ぐんでしまった。お礼を言って安心した。
 他の先生方には言えるだろうか・・・

術後6日目(木曜)
 術後1週目の採血とレントゲン撮影をした。リハビリは杖のみになった。主人が会社帰りに面会にきてくれた。泉先生がレントゲン写真のプリントを渡してくれた。異常なしとのこと。ほっとした。

術後7日目(金曜)
 リハビリは階段の昇り降りとなった。うつぶせで足あげを強化する。おしりの筋力が弱い。明日から院内を、1人で杖をついて歩いても良いとのこと。(今までは、見守りが必要だった)但し階段を使わず、エレベーター使用とのこと。泉先生の診察。足あげ、キズ痕良くなっているとのこと。

術後9日目(日曜)
 主人と娘達が面会に来てくれた。良くなってきて驚いていた。でもリハビリの筋肉痛で歩きにくかった。

術後10日目(月曜)
 リハビリは杖をついて、病院の外回り1周。久し振りに外に出た。朝から凄い日差しだ。この暑さの中、主人は仕事が終わったあと面会に来てくれたり・・・申し訳なく思った。杖なしで歩く練習もした。
 夕方泉先生が、今週金曜日には退院できるでしょうとのこと。皆さんにメールで知らせた。2週間目で退院とは素晴らしいと言われた。

術後11日目(火曜)
 朝、リハビリ。鎌○理学療法士さんに退院が決まったことを話した。とても熱心で、時にハードに私の弱い所を重点的にみてくれた。若いけれどとてもしっかりしている好青年だ。教わったことは、これからもずっと続けて行きます。
 鎌○理学療法士さんの上司の先生、私の歩き方のアドバイスをありがとうございました。

術後12日目(水曜)
 朝、リハビリのパンフレットをいただく。退院後続けるようにとのこと。ありがたい。出掛ける時は、杖も持参してくださいとのこと。
 泉先生がキズ痕のテープを剥がしてくれた。ドキドキした。今は、抜糸とかはないのか。糸ではなく、テープで皮膚の表面がくっつくのを待つのだ。キズ痕は真っ直ぐ綺麗な線(10cm弱位)だった。水疱は下の皮膚が出来ていて、破けても大丈夫だった。でも擦れないように小さなテープを貼ってくれた。皮膚の表面はテープだが、内部は自然に溶ける吸収糸を使用しているのだろうか?

術後13日目(木曜・退院前日)
 ついに院内のリハビリ卒業だ。担当の鎌○理学療法士さんからは、これからもリハビリは続ける、歩く姿勢、生活習慣の見直し、筋力強化してとのこと。私は握手をして感謝の気持ちを伝えた。
 担当の畠○看護師さんが、明日の私の退院日は休みとのこと。ローテーションで会える日は少なかったけど、担当として細々したことまで聞いてくれ、いつも明るく接して励ましてくれてありがとう。握手して別れた。
 手術前に車椅子を押しながら、私が緊張しないように明るく話しかけてくれた看護師さん、私もそういう気遣える人になりたいと思った。

 これからも皆さんお元気で・・・お世話になりました。どうもありがとうございます。

・ 体重測定 入院日からプラス 0.5 kg
・ 身長    入院日からプラス 3.5 cm 足が真っ直ぐ伸びた
・ 退院前日シャワー
・ 退院の説明、医療費、保険会社への書類提出

 泉先生が退院後のリハビリは、どうしますか? 必要なら紹介状書きますとのこと。様子をみることになった。明日は気をつけて帰ってくださいとのこと。私は、先生からいつも元気をいただいている。

 私は、泉先生の講演会で手術を決意し、診察、手術を希望し、今あの激痛から解放され、夢のような日々です。本当にありがとうございます。

 院内の先生方、看護師さん、職員の方々、皆さん忙しい中いつも笑顔で、テキパキと心配りをありがとうございます。
 とても楽しい入院生活でした。

術後14日目(金曜退院
 朝食後、荷造りを終えたところへ主人が来てくれた。医療費の支払いを済ませ、荷物を車へ運んだ。
 次は、術後1カ月の外来定期検診だ。これからの検診もよろしくお願いします。
 これまで、皆様本当にどうもありがとうございました。

 家族の協力や支えもあった。主人は常に私を励ましてくれた。息子・娘たちは、入院中のパジャマや松岡修造の日めくりカレンダーを買ってきて、前向きに頑張ろうと言い、お守りも渡してくれた。

そして今、思うこと
 手術をしない保存療法で、日常生活が送れたらもちろんそのままで良いが、効果がなくもし痛みが続くのであれば、手術を決意することをお勧めしたい。
 今、整形外科人工股関節手術の技術は、素晴らしく進歩しているのだ。

 人工関節の素材と手術技術の進化で、耐用年数が20年以上になり、対象の年齢層が広くなった。
 人工関節の同時両側手術も可能になった。
 手術技術の進歩で脱臼の心配が少ない。
 手術のキズ痕は、10cm位。神経・筋肉温存しているので、痛みが少ない。


 講演会の泉先生のお話で、介護の20%は関節疾患(動けない)が原因。筋力がないと手術は出来ない。この20%を減らしたい。・・・この熱い言葉が強く胸をうった。








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