それは、彼の拒絶。 優しさの価値 −やさしさのかち− 「なぁ、ちょっと聞いてもいいか?」 唐突に言葉を発したこちらに対して。 傍らの彼女は不思議そうに顔を上げると。 普段とは違う、もの静かな仕草で首を傾げた。 木枯らしの並木が風に揺らぎ動く様を見つめながら。 寒さに身震いをして。 その耳を乾いた葉の擦れ合う音が撫でつけていく。 人も少ない大きな通りは冬特徴の感覚と。 何所なく寂しげな雰囲気に包み込まれていて。 周りの空気さえも鋭く刺してくるように感じるのは。 単にそれが冷たいからでなく。 まるでこの後の事を案じてのようで。 村雨はふと躊躇い気味に目を伏せると唇を開いた。 「正太郎と初めて逢った時って、どうだった?」 「どうって…如何したのよ、いきなり」 眉根をひそめる。 意外にも状況と場所を気にする質なのか言葉には敏感で。 暫くの沈黙があった後。 高見沢は表情を濁らせたままこちらの脇腹へ小突きを入れた。 「何も今聞かなくたっていいじゃない」 不謹慎だと言いたげな口調が返ってくる。 いままでにもこれと似たような事は度々あったが。 さすがに今回は場が悪い。 自分でも重々感じてはいた。 時刻は12時35分。 あと30分足らずで始まる催しものへと。 自分らはまさに向かっている途中で。 今はそれどころではないのだと。 「とにかくさ、どんな感じだっただけでも」 「…しっかりしてる子だなって思ったわよ、挨拶もちゃんとして」 横目でちらりとこちらを窺う。 「誰かさんとは大違い」 その強みのない声音は。 彼女もまた想いを隠し切れないのだろう。 生まれてまもない頃に両親を亡くして。 敷島と大塚の手により愛情深く育てられてきた子。 幼ながらに大人と対等に渡り合う少年探偵の存在。 壊れてしまう危機。 「…そうか」 永遠のように感じていたけれど。 それは一体。 いつからの話なのだろうか。 「…あんなにも想われているのにな」 ふと高見沢は先程までの厳しい視線を緩ませて。 それ以上咎めようとせず顔を俯かせる。 いつしか足取りの重くなった歩みは時間の流れをも鈍くさせていき。 この先に待ち構える大きな課題を殊更険しいものに思わせた。 最善の行為は何か。 もどかしい使命感が湧く。 直接助けることは出来ないのに。 何かをしなければという。 焦りにも似た感情。 思えば自分は黒部でロボットレースが開かれたあの日から。 知らずと焦りを感じていたのかもしれない。 頼りにされなければされない程どうにかして守ってやりたいと。 これ以上、強く在る必要はなく。 彼は決して大人ではないのだから。 要求してはいけない。 あまりにも辛い真実とそれを避けることが出来なかった現実。 まだ幼い子供が平気でいられる訳がなかった。 「正太郎君だって頑張ってるんだもん」 決意を表すかのように手の平を握りしめて張り切る彼女は。 普段の調子を取り戻そうとしているようで。 「だから、私も頑張らなくちゃ」 微笑んでみせる。 柔らかな、大人の女性が零すふとした表情。 間近で眺めるその瞳は黒く澄み切り。 何所か尊いもののように思えた。 色彩を失った鏡のように映る自分の顔が見え。 手先の痺れるような感覚を覚える。 理由は定かじゃないが。 そこには確かに微かな戸惑いがあった。 「…村雨さん?」 真実を追い求めた彼に届くことはなく。 「黒部へ行く前にこんなこと言われたっけな」 皮肉っぽく笑う。 黙ったままの彼女を見つめて。 その瞳の中の自分を見据えて。 「…優しくなんかするなって」 肩を竦め冗談を言うかのように。 茶化してみせて。 無力な自分が客観的に見えてくる程。 そんな惨めなことはない。 あぁそうだ。 これは悪い冗談だ。 あの時、突き付けられた感情に戸惑い。 期待をされなかった脱力感と。 逆に気遣わせてしまったという盲点に溺れ。 問い返しもせず鉄人の操縦を禁じてしまった。 彼は分かっていたのだ。 他人がどうこうしても心が満たされることは無いこと。 そんな言葉を投げかけることでしか。 自分が自分でいられないこと。 勇敢な少年探偵は見せかけだけの存在では無いのだと。 彼なりに考えた。 他人に迷惑をかけないための答えだったか。 「子供のくせに余計な心配しやがって…」 「そんなこと言っても貴方だって心配で仕方がないくせに」 いつしか並木はその閉塞感を途切らせ。 寒空の下、拓けた広場へと繋がっていた。 人の数も多くなり、あちらこちらから声が洩れ出す。 誰かの名前を呼ぶ人、神妙な面持ちで耳打ちする記者。 中には早くもカメラのレンズを磨く者もいた。 感覚は鈍ろうとも決して時間までも狂いはしない。 高見沢は広場を跨いで建つ建物に目をやると。 少し大袈裟に鼻を鳴らせてみせた。 「さ、行きましょ」 腕を掴まれ、遠慮なしにと引っ張られる。 人間の不安や好奇心とが交錯する視線の中。 その矛先を向けられるであろう渦中の人を。 想えば想う程に。 この空間は彼女にとって耐えがたいものでしかなく。 怪訝の念さえも込み上げてくるようで。 無意識の中、掴んだ腕に爪を立てられる。 やはり恐いのだろうか。 そう思った瞬間、こちらの思考を察してか。 俯き加減で大丈夫だと、彼女は呟いた。 「すみませんでした」 小さな頭を深々と下げて、礼儀正しく。 改めて畏まる彼を見やりながら。 一言だけ、ぶっきらぼうに返事を返す。 「…それだけか?」 溜め息混じりな、呆れたというような。 こちらの態度に真意を読み取れず呆然と立ち尽くしたままで。 正太郎は無気力に顔を上げると眉をひそめた。 身長差がこんなにも恨めしく思うのも珍しい。 ただ一心に下から見つめられるのはやはり慣れなくて。 仕方なしにその身を屈めると幼い肩へ両手を伸ばす。 「…俺は別に謝罪の言葉が欲しいわけじゃない」 視線を捉えて、強く。 「…分かるだろ?」 脈打つ身体と触れた箇所から伝わる体温。 発せられた声。 それらだけでは足りないものを。 直接、本人の口から聞きたくて。 正太郎はやっと言葉を理解すると照れた様子で頬を染めた。 「…もう、大丈夫です」 ぎこちなく苦笑いに近いものだったが。 確かに微笑む彼の姿は他人の心配などもう不必要な様子で。 柔らかな黒い髪を優しく撫でつけ。 視線が合えば、笑いかけてやって。 目の前にいる人が何所となく普段より。 子供っぽく思えてしまい。 調子がどうも狂う。 これが本来の、彼の在るべき形であり。 一番似つかわしくない姿。 矛盾の上で成り立った子供は。 優しさを恐れている。 「そいつは良かった」 彼は幼い。 幼い大人。 求めないのであれば。 必要でないのであれば。 それでいいのかもしれない。 彼が優しさを求めることがないように。 守ることが、己の為さなければいけないことではないか。 思えば自分は頼られることを。 無意識の内に要求していたのかもしれない。 優しさの価値を見い出せないままに。 終 2005/05 実際、正太郎は「優しくするな」なんて言ってないんですが。 22話での彼の言動を見ていると自分でなんとかしようと躍起になっているのが分かるから、 焦りや不安が色濃く出てて、見ていてハラハラしました 優しさってとても温かいものだけど、時と場合によっては恐いものになるんじゃないでしょうか 本当に優しさが必要な時って、人が我慢できなくなった時なのかもしれないですね。 TOPに戻る |