「すみません、ちょっと待って下さい」 その場を立ち去ろうとした時、彼が口を開いた。 利他 −りた− 先程までの騒がしい雰囲気が薄れていき。 人の気が徐々に少なくなりつつある中。 知り合いの一団から少し離れた場所へこちらを誘うと。 彼は突然、礼儀正しく頭を下げた。 「今日は…有難う御座いました」 表情は窺えなかったが澄んだ声音が耳に届く。 落ち着き払った穏やかなそれに先程の殺伐とした緊張が解れ。 堅く強張っていた表情から笑みが零れ始める。 会館前の大きな階段には西日が眩く陰り。 心地よい温度を帯びて差し込まれ。 顔を上げた彼の瞳を。 光で淡く染め上げていく。 空気が甘い。 蜂蜜色に包まれたかのような。 満面の光の差す矛先。 「いいや…だが良かった」 目の前に在る、活きた目。 鉄人の存在意義を問う今回の査問会も。 大塚所長の所為によって結論は延期となり。 現状は何も変わらぬとも、少なからず進歩はあった。 繊細なものでも扱うかような、緊迫感。 未だ不安な想いをその表情に浮かばせながら尚。 安堵するように笑う彼を見て。 後ろの視線も気になったが構わず小さな肩に手を添える。 同じ高さの目線にまで己の身体を屈めると。 途端、こちらを見つめていた彼の目が避けるように宙へ逸れた。 声が戻ったとはいえ失語症の名残だろう。 元々、色白いからといって間近で眺めるその頬は少し青く。 隠し通せない疲労感が一目で窺えた。 何もしようとせず、眠ることもままならない。 あの時に失ったものは計り知れないほど重いのだと。 かつてまで持っていた強さ。 父親への自信、憧れ。 「正太郎君?」 添えた手に微かな重心を掛けられて。 戸惑うも、何が出来るというわけでもなく。 俯くその表情に彼の視線を捉えることすら叶わない。 「…甘えてはいけないと、分かっているんです」 沈黙を突いた一言は。 意外にもしっかりとした声音で発せられた。 「本来なら…僕が鉄人を守ってやらなきゃいけないのに」 震えを押し隠すように堅く握り締める手を。 目で追い、眉根をひそめる。 いままでに何度となく操縦器を握ってきたそれは。 こんなにも幼かっただろうか。 「…君はよくやったよ、精一杯にね」 鉄人の代理人である彼が発したものとし。 査問会の審議上、兵器だと認めた発言は不利に等しくなる。 否、本当にそう呼べるものだろうか。 証言や証拠の品の意味など無益だと。 何が重要か。 人は知らなくてはならないのに。 皮肉の念が交じる。 結論づけようとする人間に。 そして、己に対しても。 「…僕自身の気持ちなんです」 ふと。 微かに顔を上げた彼の瞼はまだ腫れが残っていて。 思わず前髪に触れるとそのままかき上げ。 指先でそっとなぞる。 「そう、教えてもらいましたから…」 静かに目を閉じ、こちらの行為を受け入れる彼は。 かつてに見せていた姿と同じもので。 触れる度に感じる温もりは自分のよく知るもの。 脈打つ小さなその身を支えることしか出来ない存在と。 決して傍にはいられない立場が。 己の想いを空虚なものにさせる。 これが形だ。 虚ろな目、無気力な身体。 あの時、腕を伸ばして触れたそれは。 紛れもない己の罪。 彼の強さに甘えていたのは自分の方だったのだ。 「君はまだ子供だ」 思い上がりとずるさ。 「だから、甘えたっていい」 子供扱いをされたことに不服を感じたか。 不満そうな視線でこちらを見上げる彼にふと笑みが零れる。 十二歳という幼い子供。 「愛されて当然の存在なんだよ」 ただ自分はそのことに気付くのが遅かっただけ。 口を開きかけるものの何も言わず、押し黙った彼の頬は。 夕日に照らされてか、微かな朱に染まっていた。 火照ったように淡い熱が撫でた指先に伝わり。 目を合わせるとその真っ直ぐとした黒の瞳に。 自分の姿が映って見える。 「…教えて下さい」 揺らぐことなく、こちらを捉え決して離そうとしない。 彼は以前にも同じ目をしたことがある。 初めて鉄人と出逢い、その存在を知り。 自分に真実を問い詰めてきた、あの時と同じ目だ。 「敷島博士が南方での経緯を書き残したという…あれを貴方はどうして」 「聞いてどうするんだね?」 相手を見据える。 瞳に残す新月のようなその黒は。 他人の心を惑わしかねない。 「これ以上、人を待たせるのはあまり関心出来ないな。正太郎君」 強い口調で言い残すと屈めていた姿勢を立ち上がらせ。 幼い背中に手を添えて戻るよう促す。 自分はすでに一線を引いた立場の人間。 査問会での補佐の役目も終わり、これ以上一緒にはいられないと。 分かり切っていたことなのに。 衝動が疼く。 微動だもせずただこちらを見つめ続ける彼に。 今にでも姿を明かし話してしまいたいという許されない感情。 そんなものは以前に捨て去ったはずで。 「さぁ、早く行きなさい」 笑いかける。 望みが叶わなくともせめて、彼に接することが出来るならば。 無償の優しさを与える。 辛い想いをしているのは目の前にいる子だと知っているから。 軽い会釈をし離れていくその後ろ姿を見やる内に。 再び表情が強張り、手先が痺れるのを感じる。 査問会での彼の言葉。 それはかつて何処かで見た光景と重なって見え。 過ぎ去ったはずのものが蘇り。 不本意にも、身体が震えてしまう。 忘れるはずもない。 十歳の人工知能が導き出した、たった一つの。 守りたいと想う気持ち。 そして。 気付けなかった自分。 冬の京都で、ロビーから教えられたはずだ。 戦争の罪を残すという行為と。 その見返し。 我が儘に、何も知らせず操縦を預ければ。 それが壊れた時どうなってしまうか。 自分は何を与えてしまったか。 操縦器を握る彼を想うのなら気付くべきだった。 躊躇い、嫌気。 一片の迷いも無いわけじゃなく。 これは。 己への罰であり。 罪を償うために弾き出した手段。 例え目を背けたとして拒み続けたとしても。 双方在るままに全てを終わらせることは出来ないのだから。 その過ちは誰かが報いることになる。 形は違うが幼い二人の想ったものは。 同じではないだろうか。 「あの…失礼します」 遠くから聞こえる控えめな声。 こちらが示した考えにその声音がどんな返答を投げ掛けてくるにせよ。 気付かせたのは何者でもない彼であり。 鉄人をこのまま預けてほしいと訴えたその痛みは。 戦争の遺物を守ろうとする限り消え失せることはない。 兵器なのか道具なのか。 第三者には存在を認めるのに、そのどちらかの選択肢しかないのだから。 京都での過ちを繰り返した挙げ句。 彼に全てを押し付け。 取り上げようとしている。 なんて。 身勝手な大人だ。 そんな大人でも。 人を守ろうとすることだけは咎めない欲しいと。 誰に頼むでもなく。 ただ願う。 たった一人の。 幼い子を守るために。 戦争の名の元に生まれた正太郎をこの世から葬ると。 もう一人の彼に告げる。 再び自分は、彼に痛みを与えようとしているのだ。 終 2005/03 TVシリーズの中でも23話は特に好きな話です。 一番手に汗握って見た記憶があります…本当にドキドキした。 本放送の後にすぐビデオに撮ったヤツで見返して(笑)翌日は普通に平日だったんだけどね 京都で敷島博士は、最後までロビーの「母親を守る気持ち」に気付けなかった。 ならそれは正太郎の場合でも当てはまるんじゃないかと。 罪を持つ母親を守ろうとしたロビーと同じように、例え太陽爆弾を持っていたとしても 正太郎は鉄人のことを守ろうとすると…気持ちの重さに敷島は気付くべきだったんじゃないかな そして敷島が受けた罰は、自分自身の力で事を片付けることが出来なくなり 鉄人の最後を正太郎に告げ、その行為を預けること。正太郎に痛みを与えること。 …じゃないかなぁ、と自分なりに思ってみましたが。ワカンネ! TOPに戻る |