もう一度望めば。
君は誰よりも。








鉛の手 −なまりのて−




















「とにかく君に渡すべきだと思ってね」

若い警察官が差し出したそれを、まるで子猫を抱き上げるかのように受け取りながら。
目の前の弟は頭を下げて、か細く礼の言葉を述べた。
痛々しいものでも見るかのような眼差し。
少しでも迂濶に扱えば破損した部品が零れ落ちてしまいそうな。
無惨な姿へと為り果てた操縦器を大事そうに強く抱きとめる。

「…下敷きになってしまっていたから心配はしたけど」

見つけられて良かったよ、と。
語りかける相手の声音は優しい。
少し離れた人混みから走って、その警察官が持ってきた操縦器は。
先程まで倒れた鉄人の下に埋もれていたもので。
きっと取り出すことさえ困難だったはず。
同日に起こった山岸弁護士の殺害とも重なり人手が足りないせいか。
忙しそうに話しながらも最後に警官はにっこり笑って。

「鉄人は敷島重工の人が来てくれるそうだから大丈夫だよ」

軽く手を上げ、足早に現場へと戻っていった。
廃墟弾の処理を行った際、この度犠牲となった人間は一人もいないという。
一刻も争う瀬戸際での判断、そして行動力。
子供ながらに良くやったものだと大人の一人が誉めていたのを小耳に挟んだ。
一般の人集りからは決して目の届かない、立入禁止のテープが引かれた内側で。
当の子供はぺたりと瓦礫に座り込み、操縦器を胸元へと寄せた。
正太郎君の傍にいてやってほしい、大塚署長に言われた言葉が木霊する。
役職柄、傍にはいられない彼に代わって元気づける役を任されたのは分かるものの。
今の状態ではそれも逆効果のように思え。
幼い肩を手で払ってやれば正太郎は驚いたように身を強張らせた。

「ほら、動かないで」

こびり付いた砂が音も無く零れ落ちていく。
衣服のあちらこちらから出てくる様に少年は瞬きを繰り返した。

「爆風が凄かったからね…全身砂だらけじゃないか」

笑ってみせて目を合わせようとすれば、気まずそうに身を竦める子供を。
その頬を捉えて指先で前髪を掻き上げる。
交じり合う視線の中、黒の瞳が戸惑いに揺れた。
やはり子供の扱いには慣れないものだな、と心で苦笑する。
それが義理の弟なら尚更だった。

「…恐いかい?」

問えば、強く首を振り相手は俯く。
操縦器を抱く両手は震え、それを隠す様に握り締めて。
正太郎は溜め息をついた。

「ごめんなさい」

一言、詰まるように発せられた言葉は酷く草臥れていて。
その声音から過度な疲労感が窺えた。

「いくら人を守ろうとしたって、これじゃあ…」

胸が焼けるような、溶けた鉄の匂い。
熱い風、肌を焦がす空気。
倒れて動かなくなった鉄の巨人を目の前にして。
少年は呆然とその光景を見つめることしか出来なかった。
操縦者になるという意味。
生半可な覚悟ではいずれ身を滅ぼすであろうその立場を。
望んで受け入れた彼の今の姿は自分が願ったものと同じで。
全ては思惑のままに、事は進んでいった。
目の前の弟に何も知られないまま。

「鉄人は大丈夫だから…今は大塚署長に任せて」

念を押し言い聞かせれば小さな頭はこくりと頷く。
その様子に微笑んで、優しく黒い髪を撫でてやった。
思えば随分と時間が掛ったものだ。
相手の発した、その呼称。
それまではお互い他人行儀なところが拭えずにいて。
このまま一線を引いた関係を築いていくものだと、そう思っていた。
兄と呼ばれ、そこでやっと気が付く。
目の前の子供は本意で弟になろうとしている。
自分はこの子に、好かれてしまったのだと。

「口とか、平気?何かゆすぐものでも」

乱れた髪を撫で付けながら、そう言いかけた時。
正太郎はゆっくりと顔を上げ、こちらを見つめた。
遠慮がちに動く唇。
その声音を聞き洩らさないよう口元近くに顔を寄せる。

「すみません…あの、暫く一人にして貰えますか?」

「でも…」

「大丈夫です、ちゃんとここにいますから」

だから、と苦く笑う少年の目は寂しげに、再び操縦器へと眼差しを戻した。
細やかに睫毛が動き、瞼が瞳を隠してしまう。
ひそめた眉、固く一文字に結ばれた口。
責任という痛みに耐えるその姿。

「今…自分を責めたって何も変わらない」

片腕を伸ばし半ば強引に抱え込めば、小さく戸惑いの声を上げて。
確かな拒絶を洩らした相手に構うことなく、手を取り隣へと腰掛ける。
幼い片手はぎこちなくもがいていたが、やがて段々と大人しくなり。
黙ってこちらの手の内に収まった。
こんな手で、あの重い操縦器を握っていたのか。
そもそもあれは未熟な子供が扱うように造られていない。
一見華奢で頼りなく思える手のひらには。
その白さに不釣り合いだと思える程の固いマメが出来ていた。
感触に思わず眉根を寄せる。

「…僕からは何も言わないよ」

鉄人と共に身を置いた責任。
操縦者としての誠意。
本当に重いのは操縦器だけではないということ。
君の、そして僕自身の。
自らの手であるということ。

「ただ、聞かせてくれないか」

握り締める手に強く力が篭る。
次に僕が操縦器を握れば、目の前の弟は全てを知るだろう。
とても賢い子供だから、父の子だから。
最後はきっと自分で決める。
兄と慕う男にたとえ逆らい、その闇を知っても。

「…如何して鉄人と一緒にいたい?」

近く近く、相手の吐息が聞こえて。
握った手のひらをなぞり、大人のそれよりも細い指先を眺め。
そのまま操縦器へと視線を移した。
そう、今度こそ。
もう一度、彼が鉄人と在ることを望んだ時。
君は僕を超える。

「今の言葉、心に留めておいて…」

見つめ返す小さな視線を感じながらも、目は合わせなかった。
偏に手のひらを伝わる体温に肌が過敏に反応する。
熱く熱く、込み上げてゆく。
悔しさと嫉妬、そして叶わぬ歯痒さ。
腕の中で疼く幼い身体に光を見たその瞬間。
自分は、己の手の重みを知った。

操縦者として相応しくない。
熱を失った手。











終 2007/11/02




大鉄人の封印が解けた、その直後のお話。
あの騒ぎで被害者とか絶対いそうですが…!いたらいたで駄目ですよねアレ!

操縦なしで勝手に動き出す鉄人に対して、それまで操縦することが当たり前だった正太郎は
恐怖を抱いたんじゃないかな。鉄人の持つ強大な力を制御できない現状と、
廃墟弾と関係しているという自分の知らない一面。
そんな中で鉄人に怯むことなく「残月に操縦する資格があると見せつければ良い」と言った
兄さんの姿に彼は操縦者が持つべきである強さを見つけたのかもしれない。

兄さんが本当に欲しかったのは鉄人でも存在意義でもなく
ただ受け入れてくれる、自分が自分として帰れる場所だったから。
最後は自分の操縦器を自らの手で壊せる強さと、祖国を守る強さを持つことが出来た。
そんな兄の姿は本来の鉄人の操縦者として、正太郎の胸にも強く残っていくものだと思う。


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