ただ一言。

「好き」








キミが好き −きみがすき−




















「ねぇ、こうして二人っきりでお茶を飲んでると…」

人の少ない、正午過ぎの喫茶店。
傍らに置かれたティーカップに手を伸ばす小さな探偵を、頬杖を付きつつ眺めながら。
その礼儀正しい仕草に高見沢はゆったりと甘い溜め息を洩らした。

「なんだか逢瀬みたいで、ロマンチックよね?」

「さぁ…僕には大人の感覚なんて分かりませんから」

小さな唇が音もなく紅茶に触れて、瞼がいじらしく黒の瞳を隠してしまう。
あぁ、もうちょっと傍へ寄られたらな。
四人掛けのテーブルだけあって向かいに座ればお互いの距離も空き。
最初は隣に座っていいかと問かけはしたが。
絶対駄目、と少年に厳しく突っ撥ねられてしまった。
そもそも何故こんな組み合わせでお茶を嗜んでいるかといえば。
他愛もない、村雨健次からの誘いを逃れた高見沢が街で偶然にも。
窓の外から、一人休息をとっている正太郎を発見したのだ。
哀愁漂う、古めかしい喫茶店の扉を開けて。
何処からか流れてくるラジオでは、シャンソンの歌声が掛り。
普段華やかな通りを好む高見沢は、こんな店があったのかと少々驚きの息を漏らす。
そしてまた、こちらの姿を見つけた正太郎自身も。
落胆するように溜め息を零したのだった。

「それ飲んだら大人しく帰って下さいね」

お愛想はこちらでしますから、と。
テーブル上に広げた本のページを捲り、正太郎は素っ気無く言った。
目の前に置かれたミルクティーは先ほど彼が注文してくれたもの。
清楚な小瓶に注がれたミルクが小さく端で控えていて。
混じりない茶葉の香りは辺りの空気と交じり合い、鼻を擽られる度その鮮やかさに口元が突付かれる。
英国から伝わった紅いお茶は順序や湯の温度によって味が変わるという。
まさに紳士の国由来の飲み物、淹れる立場の品格も問われるのだ。

「うーん、私が淹れた方が味は良いかも」

まだ熱い、淹れたての紅茶を一口だけ含んで。
高見沢が不満げに呟く様を目の前の相手は驚いたように見つめ返した。

「味、分かるの?」

「当たり前よ、私だってお茶の楽しみくらいあるもの」

竜作の兄貴に誉められてるくらいなんだから。
自慢げに誇る高見沢はスプーンに角砂糖を載せると紅茶に浸し。
そんな様子を眺めながら正太郎がそっと声音を低くする。

「確かに味はいまひとつなんですけど」

耳元に流れてくるラジオのおかげで正太郎の声は思いのほか小さく。
着飾った曲と比べてしまえば微かな雑音にしかならない。

「それだけ人も少ないし、ここの主人も良い人だから」

見やれば、店の奥で呑気にグラスを磨く店主の顔は穏やかそのもので。
生活というより趣味で店を経営しているようにさえ見える。
客入りの心配など何所へやら、思わず高見沢もくすりと笑みを零し。
小さな角砂糖から紡ぎ出される甘い帯を見つめた。
身を崩して紅茶と混じり合う姿はまるで絹の糸のよう。
心惹く光景を一通り眺めるとミルクを注いで、少々窮屈そうに再び溜め息をつく。
相変わらず女性を放っては手持ちの本に没頭する子供に対して、だ。
そういえばこうして読書に励む彼を見るのは珍しい。
常に街中を動き回っている印象があるのはやはり少年探偵である故か。
どちらにしろ、その表情は真剣だった。

「…結構厚いよね、何読んでるの?」

身を乗り出して本の中身を確認しようとする。
少なくとも絵や写真といったものは入ってなさそうだ。

「六法全書ですよ、こっちの判例と照らし合わせているんです」

もう一冊、テーブル上に広がった本には数年前に行われた裁判の判決が載っているらしい。
どうやら彼はその歳で法律の勉強をしているようだ。
こんなものを読んでるなんて、と自分ならば数分もしない内に欠伸が出て。
きっと床に眠り込んでしまうだろうに。
視線を反らすことなく集中する姿はまさに大人顔負け、否きっとそれ以上。
いつでも彼はそのような期待を裏切ることがない。

「…偉いね、努力家なんだ」

こちらが発した言葉に違和感を感じたのか。
正太郎はやっと本から目を引き離す。

「そう頑張って、気を張ったりして…」

自分なら滅入ってしまいそう。
それまで相手をすることにも嫌々していた彼が、はたと表紙を閉じて。
そんなことない、と謙虚に声を洩らしては本をテーブルに据える。
まじまじと見つめ返される瞳に、今更ながら淡く胸がどくんと鳴った。

「…これは、約束事なんですよ」

正太郎が苦く笑って、本を指先で突付く。
まるで勉強を嫌って教科書を投げ出す子供のような。
そんな表情を浮かべながら。

「僕が探偵になる際、周りが快く頷いたと思いますか?」

そう問われて、ふと気が付く。
彼は最初から探偵だったわけじゃない。
そうだ、ごく普通の子供の時が以前に在ったのだと。
高見沢は目を見開いて相手を見つめた。
今では少年探偵として信頼している警察署長も、後見人の博士も。
初めは眉根を寄せたのだろうか。

「でも、今だって十分立派じゃない」

不満があるとすれば何だろう。
弱冠十歳で警察から一目置かれ、何よりあの鉄人の操縦者だ。
今更学ぶことなど果たして必要かと言われれば、自分は答えに迷ってしまう。
模索しながら何とか言葉をまとめようと黙り込む高見沢に対して。
正太郎はだらりと背もたれに寄り掛ると窓の外、賑やかな繁華街を眺めた。
大通りから外れたとはいえ歩いているのは綺麗に着飾った大人たちばかりだ。
徐に静かな深呼吸をして肩の力を抜く。
少しだけ目が疲れたかもしれない、少年は瞬きを繰り返した。

「僕だって、やはり子供です」

確かに他の同い年の子に比べれば大人びていると思うものの。
それは礼儀作法や知識が少々長けているだけ。

「勉強が必要なんですよ」

探偵としての素質がどんなに備わっていても、知識が優っていても。
幼い内は勉学こそがけじめである。
認めてほしかったら誠意を見せなさい。
それが後見人の一人、敷島の出した条件だった。

「まだまだ知らないことは沢山あるからね」

すでに目の前の紅茶は冷め切っていたが構わず一口含んで。
眠るように瞼を閉じた子供を、惚けるような眼差しで眺めた。
なんだか今日は素敵な、良い一日になるんじゃないか。
だって憧れの探偵さんにこうして出会えて。
ほんの、ほんの少しだけでも彼を知ることが出来たから。

「うーん!やっぱりかっちょいい!」

突然の歓声に慌てて正太郎が瞼をこじ開けた時には遅く。
すでに隣の席へと移動していた高見沢は勢いのままに抱きついて。
その拍子にテーブル上のティーカップが音を立ててぐらつく。
腕を首元に絡ませ、べったりと引き寄せては黒の髪に指先を通す。
ほのかなミルクの香りが少年の耳を悪戯に擽った。

「あ、ちょ…!離して下さいってば!」

「駄目駄目、離したら逃げちゃうでしょ?」

「だからって、それ飲んだら帰れって言ったじゃないか!」

「…あら、まだ一口分残ってるもの」

今や正太郎の頬は一目で分かるほど朱に染まっていたが。
それは単に照れているのでなく、身体を引き剥がそうと躍起になったせいであるものの。
そんなことに気付けるほど高見沢は甘い女性じゃない。

「だって、正太郎君を見ていると…」

守ってあげたくなっちゃうのよ。

唇だけをそっと動かし。
小さく柔らかな頬に音もなく囁いた。











終 2007/11/03




あきゃーーー!

何だよコレ、うは!恥ずかしい…!でも書き上がるのは早かった(笑)
完成してからずっとサイトに載せようか迷ってた話です。もう映画の話じゃないよー
とにかく正太郎ラヴなお高ちゃんを書いてみたかった。
映画で正太郎邸を後にした時、ジープから放り投げるシーンでちゃんとお高ちゃんが
村雨の判断を真剣な目で聞いていたのが印象的でした。何だかんだで良いコンビだなぁって。
宴会シーンで木の上から村雨を蹴る時の効果音とか、マジで痛そうな音でウケた。

正太郎は探偵になっても、その立場でいるために勉強してたらたまらんね。萌え。


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