心からの感謝を。 愛し子 −いとしこ− 肌が焼けるように熱く。 つんと鼻を刺す鈍い空気。 鉄の、溶ける匂い。 最後の最後で。 その眼は何を仰ぎ見たか。 「…夜明けが近いな」 瞬いていた星が明かりを鈍らせる頃。 澄んだ東の空は鮮やかな朱に染まり始めて。 まるで裾濃のような。 美しい帯を天一面に架けている。 光が雪を射し。 眩く煌めいて。 その満ち足りた白の光景は。 太陽を迎えるに欠けのないもの。 ひんやりと冷たく。 静かで。 何所となく恐いような。 寂しいような。 「私は先に戻るが、ヘリを一機待機させておこう」 草臥れたように微笑んで。 官房長官の声にはいつもの張りがなく。 ただ空を仰ぎ。 事の終わった今も尚。 戸惑いを打ち消せずにいるようだった。 「…気の済むまで、いさせてあげなさい」 でも。 必ず帰ってくるように。 そう言い添えて。 深々と頭を下げる姿は。 もしかしたら、初めて目にする光景かもしれない。 国を背負うこの男の自尊心は。 甘いものではなく。 それが長所ともなるのだが。 確かに、一礼するその矛先は。 一人離れた場所で佇む少年へと向けられていた。 傍らに立つもう一人と。 こちらを交互に見つめ。 苦く笑いながら。 溜め息混じりに言葉をかける。 「本当にご苦労だった」 覗く、無念さ。 雪に足を取られながらも。 その場を後にする官房長官を目で追い。 大塚は隣で肩を竦めた。 「…見ていられないな」 その危なっかしい後ろ姿に近付いていき。 振り返り、声を張り上げる。 「手を貸してくるよ」 影を潜める紺碧の夜は。 小さい砂糖菓子のような星々を残して。 少しづつ、少しづつ。 黒部の峡谷を去り。 陽射しが優しく照らし出していく。 経済発展の要ともなるはずの。 その風景さえ。 太陽は哀しみまでも浮彫りにしていくかのようだ。 溶け落ちたロボットらの残骸は原型を留めておらず。 もはや道具とも兵器とも、呼べるものではなくなっていた。 あの日と同じだ。 夏の、嵐の夜が明けて。 初めて幼い手が操縦器に触れた。 あの夜明けと同じ陽射し。 全ての発端であり、時の始まった瞬間。 自分は。 このような結果を望んではいなかった。 幼い小さな背中に期待すら感じていた。 如何して。 そんなことを思い出してしまったのだろう。 言い訳にすらならないというのに。 「寒くはないかい?」 緊張しているのが分かる。 己の発した堅い声音は。 躊躇な様を隠し切れていなかった。 こんな時、どのような言の葉を。 どのように想いを、形に載せればよいのか。 慰めや弱音が。 何もかもが。 彼を壊す、鋭い針となってしまいそうで。 堪らなく恐ろしいのだ。 「もし疲れてるのなら…」 「平気です」 凛とした声には、怒りも。 悲しみも見えず。 感情が読み取れない。 まるでその後ろ姿が。 ただの小さな入れ物のような。 儚いような。 彼は。 心を押し込めて、我慢をしている。 あらゆる感情から耐えて。 本当の想いを読まれないようにしている。 そうでないと。 逆に潰されてしまいそうなのだろう。 あまりにも多くのものを見て。 多くのことを経験し。 そして。 欠け換えのないものを失った。 闇を知った。 普通の子供なら、耐えられない。 「いつもの悪い癖だ」 咎めるように低い声で。 傍へ歩み寄って。 「その遠慮癖は直した方がいい」 敢えて表情は窺わず。 隣に立ち視線を反らす。 今、彼の顔色を探るのは。 あまりにも不謹慎だ。 躊躇いと利他が入り交じる。 お互いが黙り込んで、暫くの後。 小さく苦笑いを零して。 か細い声は言った。 「…約束に答えられませんでした」 堅く堅く、握り締める手には。 役目を失った操縦器。 「守るって、そう言ったのに」 握り慣れたそれを。 もう二度と持つことはないだろうと。 ただ。 無くすことだけが、恐ろしくて。 「僕は、この操縦器ですら守ることが出来なかったんです」 最後に受けた銃弾は。 鉄人を操る操縦者ではなく。 最も大切で。 最も守らなければならないもの。 繋がりを傷つけた。 痛々しく破損した部分を指でなぞり。 俯く少年の肩は震え。 溜め息が耳に届く。 気持ちだけが先を急ぎ。 偏に願うばかりの自分には。 彼のその身を、心を。 救える勇気が無かった。 望むだけでは力になれない。 所詮はそう、無力だと。 苛立ちが起こる。 「…父さんが、そこにいて」 顔を上げ、景色のある一点だけを見つめる彼は。 まるで夢見るように。 自信がないように。 力のない声音を発する。 「これでいい…と」 途端、強くこちらの腕を掴み。 微かに爪を立てられて。 痺れるような痛みが走った。 「ならどうして、こんなに苦しいんでしょうか?」 突発的な行為に理解が遅れながらも。 よろめく己の身体を支え、相手を見やる。 今や幼い重心は掴んだ腕を通して。 大人へと預けていた。 乱れた熱っぽい吐息で気が付く。 彼は今、生まれて初めて。 この自分を責めているのだ。 弱く腕を揺さぶり。 言葉を投げ付け。 駄々を捏ねる子供みたいに。 不本意に、無意識に。 苦い、姿。 「先生に…お会いしたんだね」 溢れ零れる感情は。 止めどなく幼子を落とす。 「…いいえ、あれは僕の甘えです」 微笑む父の表情。 物腰、声。 優しさ。 「行いを正当化しようとする、僕の我が儘です」 足掻き続ける手を宥めるように撫で。 包み、握る。 雪のように冷えて悴んだ指先は赤く。 その頬も同様に。 寒さに腫れて。 「…いっそのこと」 対照的に。 彼は人を焦がすような。 熱い涙を落とした。 「僕が、操縦器を握らなければ良かったのかもしれません」 一瞬。 全てが壊れるように。 酷く重い熱が身体の底から湧き上がる。 聞きたくなかったことだ。 言わせてはいけない言葉だった。 その歳で。 己を否定するなど。 「君は」 この手を。 離してはいけない。 「本当にそう思うかい?」 無器用な瞬きを繰り返し。 逃れられない視線に戸惑いの色を浮かべながらも。 黒の瞳には紛れもない自分の姿が揺らいでいた。 「僕でなければ…」 何の反応も返さなかった指先が。 微かに、確かに。 握り返す。 しっかりとしていて。 あどけない。 感じるのは、幼い温もり。 「正太郎は、貴方が守ってくれたでしょう?」 吐き出される言葉一つ一つが。 こんなにも胸を突き刺すものなのか。 正直で、澄んで真っ直ぐで。 これが。 目の前の少年の、偽りのない心だ。 「…こんな最期にはならなかったはずです」 彼は言う。 嬉しくて、悲しくて。 目を背けて。 途中から後戻りが出来なくなっていた。 使命感というのか。 父親に、戦後に生きる鉄人の姿を見せたかった。 それで少しでも報われるのならと。 鉄人がこのままの姿で在ることを許されるなら。 罪に荷担することに迷いなど無かった。 望んで。 傍にいたかった。 小さな唇から洩れる。 熱い、熱い吐息。 「…確かに」 幼い手が震えていた。 涙が頬を濡らして。 やっと姿を現した眩い太陽が。 その雫に光を射す。 「簡単に事を考えるなら、操縦者は誰だっていい」 子をあやすように。 握った手を優しく揺すって。 視線を操縦器へと落とす。 彼の片手に、ひしと抱かれた繋がりは。 満面の光を受けて。 悲しい程に。 輝き、映えていた。 力を扱うことの出来る小さなそれを。 これまで何人もの人間が欲してきたことだろう。 何人もの大人から。 この子は守ってきたことだろう。 危険を冒してまで。 傷ついてまで。 「そう…私でも、大塚署長でも良かった」 要は。 鉄人が悪に利用されることがなければ。 操縦者は誰にでも務まる。 選択肢はいくらでもあったけれど。 「でもね…私は君に、操縦器を握って貰いたかったんだよ」 ずっと以前から勘付いていて。 気付かない振りをしてきた。 最初に目の前の子へと操縦器を預けた時。 まるで厄介なものを押し付けられたかのような。 不満の篭った眼差し。 不本意だったろう。 拒否することも出来ただろうに。 彼は、父親に対する責任感からか。 断るという行為をしなかった。 そして自分は。 その甘さに付け込んだ。 彼の気持ちを察するよりも。 鉄人を残したいと思う身勝手な発想の方が。 当時の自分にとって、大事だった。 あの子なら大丈夫だろうと。 愚劣な態度を取ってしまったのだ。 徐に指先で頬を撫でて。 名前を呼んで。 互いに絡み合う視線の中。 一途に相手を見据え、微笑んでみせた。 「操縦器を受け取ってくれて有難う」 熱く、熱く。 触れた手先の湿る感覚。 こちらが発した言の葉に。 驚いたような、そんな彼の表情。 「鉄人の傍にいてくれて有難う…」 そして。 「君たち二人を、守れなくてすまなかったね」 抱き寄せる。 ゆっくりと脈打つ彼の音に。 耳を傾けながら。 頬が擦れ合って。 握った手を離さないで。 「正太郎君」 もう一度。 名を呼ばれた少年は。 静かに目を閉じ。 その瞼から、止めどなく想いが溢れ。 無音の声を上げた。 もしも。 もしかしたら。 あの子がもう一人の君で。 意思があったなら。 守られるだけの存在など。 望まなかったかもしれない。 「…時間が掛かると思います」 眉根をひそめて。 遠くを見つめながら。 「時間が、欲しいんです」 光に溶け入りそうな明け空の元で。 正太郎は不安げに振り返り。 もどかしく言葉を発する。 下方からはこちらに向かってくる影が一つ。 見覚えのある小柄な姿が目に止まった。 そうだ。 いつもこの三人だった。 自分がいて。 友人がいて。 この子がいて。 それが当たり前で。 それが嬉しかった。 これからの自分たちも同じであることを願うように。 今、またここで。 小さな心が前へ踏み出そうとしている。 この緊張感は悲しみではなく。 喜び。 「…大切に使いなさい」 きっともう一人。 無二の友人も同じことを言うだろう。 「君は鉄人が守ってくれた未来を、生きる子供なんだよ」 いつしか大人になる。 そのことをちゃんと理解してほしい。 だから。 辛くても生きてほしい。 どれほど君は愛したのか。 逆に求められたのか。 この先できっと、意味を知る。 幼い子供に時間をくれた。 愛おしい子へ。 心からの感謝を。 終 2006/08/10 最後でもう一度、大塚署長と会話する場面を考えていたんですが長くなるのでカットしました。 やはり自分は敷島さんと正太郎さんが絡むの好きみたいです…ムフリ。 村雨が正太郎に操縦器を手渡す時の台詞で「お前にはその権利と義務がある」と言ってましたが あれはやっぱり「戦後に生まれたからこその権利」と「金田の息子としての義務」って 意味になるのかな、なんて。 あのような結果になってしまったけど決して正太郎君には操縦器を握ったことを 後悔して欲しくないですね 確か5話の冒頭ですでに正太郎が敷島を責める場面がありましたが どちらかというと金田博士に対して、と思ったので…んぐふッ。 あと、後々思うとちょっと内容違うかなぁと思ったりみたいな…まぁ、これはこれで(笑) TOPに戻る |