兵器に名を与えた男。 愛別離苦 −あいべつりく− 花が舞う。 淡い温かな色をした一片の。 薄い花びらが無邪気に踊り。 視界を瞬く間に彩る。 「全く金田には困ったものだよ」 立ち止まり、背後に建つ邸宅を眺めながら。 不乱拳は溜め息混じりに笑みを零して。 楽しそうな、表情を浮かべた。 「会えばあの話ばかりだからな」 「…だが、まだ男か女かも分からないのに」 満開の、桜。 麗らかな日和に恵まれた昨今。 樹木の葉の隙間から眩く洩れる日差しを受け。 斑模様を描く影は密やかに揺れる。 まさに、この桜を敷地に構えた邸宅の主人と。 話を終えたばかりで。 幸福さ溢れるその様子はこちらにしてみれば。 正直、退屈なものである。 口を開けば理由なしに話を続けて。 最終的には不乱拳が宥める始末に。 残りの双方も苦笑うばかりだった。 「気持ちが分からなくもないんだが」 ドラグネットはこちらを見やり。 同意を求めるように唸ってみせた。 「要は限界があるってことだ」 待望の子供だと。 高名な科学者も研究の場を離れれば。 一人の父親であることに変わりはないのだと。 そう感じずにいられなかったのは。 人を愛しむ彼の姿を目にしてしまったからか。 「この様子だといずれ敷島君の耳にも胼胝が出来るぞ」 散る散る、桜樹の。 落ちた花は二度と元に戻らないように。 枯れていくのを止められないように。 尊いものは。 全て思い通りにならない。 手に入らないからこそ。 魅せられ、その一瞬を欲する。 後ろを振り返らず。 前へ、前へ。 愚かなことだとしても。 「名は…名前は何と言ったかな?」 もう決まっているのだろう、と。 一人が問いかければ。 記憶の中の彼が重なり。 口を開いて、名を発する。 戻ることのない時間。 進むことしか出来ない現状。 あの時、確かにあった彼の幸は。 すでに存在しない。 「…待望の子か」 夕日が眩しかった。 久々に肌で感じる外の空気は。 夏の、あの生暖かさで。 じんわりと額に汗が滲む。 牢の中でちらりと噂には聞いていたが。 正直、驚いた。 大きく立派な工場。 今や日本の発展を支える柱だ。 「ビッグファイア博士」 十年という年月を跨いで。 再会を果たしたかつての若者は。 以前と変わりなく微笑みかけて。 その姿も。 昔のままの面影を残している。 敢えて違うものといえば。 声音、雰囲気。 眼差しから受ける印象の明るさ。 戦後に生きているという現実そのものだろう。 人当たりの良い柄は相変わらずで。 こんな厄介者の世話を買って出たとか。 どちらにしろ、その方が。 周りの人間にとっても都合の良いこと。 「さっきのが…金田の息子か」 油断ない物腰。 強く緊張感のある視線。 落ち着く様。 有名になったものだ。 鉄人を操縦する少年探偵。 行動力、瞬発力どれをとっても。 大人顔負けに優れていると聞く。 「思っていた通り、賢そうじゃないか」 親が親なら、子も子だと。 そう言えば。 敷島はまた笑みを零して。 目の前に置かれた鉄人を仰ぎ見る。 「えぇ…強い子ですよ、とても」 「大塚君も嘸かし自慢に思うでしょうな」 例の夏以来。 話を聞けば日本の警察は何度も鉄人に助けられたという。 それを恥とも思わず。 寧ろ頼り切っている現状は腹立たしいもの。 もはや戦後ではないなんて。 笑わせるじゃないか。 目の前に在る鉄の巨人が。 本来は何であるのかなど。 弱い人間は見向きさえしない。 「まだ小さいのに、頼もしいこと此の上ない…」 己の父親が何を想って。 どんな心境であれを造ったかなど。 実際には図れないだろうに。 解り切った顔で操縦器を握って。 あの子供は戦争の。 何を知っているというのか。 所詮は玩具感覚の程度で。 子供が扱うには過ぎたもの。 徐に胸ポケットへ手を伸ばし。 煙草を取り出して口に銜えれば。 敷島が眉をひそめ、声を尖らせる。 「ここでは煙草を控えて下さい」 事故に繋がります、と。 注意を促す彼に肩を竦めて。 いかにも申し訳ないという素振りを見せては。 役目の失った煙草を胸元へしまう。 「あぁ、君の工場だものね」 「…博士、それを何処で?」 眉をひそめたまま、疑わしげにこちらを見つめ。 たった今、煙草をしまい込んだ胸元へと。 視線は流れる。 出所したばかりの男が煙草一本でも持っているのが。 そんなに不可思議なことか。 豊かになった日本ではあらゆる物など。 すぐにでも手に入るというのに。 「…平和呆けでもしてるんじゃないかな?」 黙ったままの相手に向けて。 口角を上げては、笑みを浮かべる。 この十年という歳月を平穏に暮らし。 裕福なその姿を晒す以前は。 南方で過酷とも言える生活をしてきたはずだ。 それがどうだろう。 あの鉄人計画に色を染めた手も。 今は小綺麗に、無気力に提げられている。 この時が幸せだと。 彼は思うだろうけど。 幸せになれなかった人間だっているのだ。 御子の存在を知りながらも。 南方へ赴かなければならなかった一人の父親を。 自分はよく知っている。 兵器に名を与え、それを愛した男。 哀れな男。 所詮は人を危め国を滅ぼす機械であり。 自らの手は罪に染まる。 分かっていたはず。 何を造ろうとしているか。 息子などという甘えた考えは戯言であると。 兵器を造っているという事実を。 気付かせることが必要だった。 そうでなければ。 力が生まれなければ。 日本は負ける。 「…是非、私も肖りたいね」 自由を唱うこの国に。 独自の意思など残っていない。 他国に認めて貰おうとして。 追い付こうとして、周りしか見ようとしない。 己を忘れる国など。 情けないとは思わないか。 「なぁ敷島君、幸せ程不確かなものはないよ」 少なくとも彼は。 子の誕生を望んだあの時、幸せを信じたはずだ。 「今なんと言った?」 眉根を寄せ、不乱拳が問う。 少しの驚きと戸惑いを帯びた視線は。 互いの間を交じり合い緊張の糸を走らせる。 「金田は危機感が足りない…そう言ったんだ」 散り落ちる桜が鬱陶しく感じられて。 目の前に舞うそれを手で払い。 相手をただ見据える。 鉄人第二計画を担うこの科学者は。 毅然とした態度を崩さず。 その姿を木洩れ日が照らす。 「不乱拳…君の息子さんも、今は戦地にいるらしいじゃないか」 状況は芳しくないのだろう、と。 問いかけたこちらに鼻を鳴らせて。 睨みつけながら。 冷静を装う不乱拳の手の平は知らずと拳を握る。 事が起こる前にと腕を掴み。 ドラグネットは交互に二人を見つめ、眉をひそめた。 「…ビッグファイア、お前もやめるんだ」 厳しい視線が刺す。 緊迫した空気の漂う中。 沈黙に舞うは淡く綺麗な花だけで。 それも何故か。 すでに美しいと思えなくなっていた。 そんなものに心を満たされている場合じゃないと。 何所かで囁き声がする。 「…いいか、よく聞け」 こんなにも桜は綺麗なのに。 如何してすぐに忘れてしまう。 熱の篭った不乱拳の声は。 思惑と反対にか細いものだった。 「わしは反対だ…爆弾など、例え不利でも」 眼差しが発する静かな声音を。 冷ややかに。 偏に見つめ返す。 想いが罪になるのなら心を偽れというのか。 何が情義かなんてどうでもいい。 唯一、自分が望むものは。 「この国の未来が懸かっていること、お分かりかな?」 同調する高鳴りは共に在ることを願い。 己の意志を守るべき国へと。 ここが生きる場所ならば。 自分は揺るぎなき導となろう。 「…君とわしとでは、その未来が根本的に違うようだ」 声を張り上げる不乱拳の姿が花びらに霞んでいく。 桜が散れば。 あの悪夢がやって来る。 終 2006/01 自分なりにビッグファイアの心境を考えてみました。 最終話での彼の台詞を聞いてから、ビッグファイアが悪者には見えなくなってしまって。 彼も真剣に日本の未来を守ろうとした一人だったんだと。 戦争に勝つことが彼にとっての正しい道だったのかなぁなんて。 うーん、難しいね TOPに戻る |