私の自己紹介


私の自己紹介を書きます・・。私は宮城県大崎市古川に住む、一障害者です・・。きちんと、市役所で認定されていて、一生治ることなく、一生、行政のお世話を受けなければ生活ができない、そんな一障害者です・・。このことは、決して変わることなく、毎日、目が覚めて、朝が来ても変わることない現実で、厳しいそして、受け入れざるを得ない事実です・・。悲しい・・。そう私は泣きました・・。両親も、認定の時、京子は、これ以上良くならず、一生障害者なんだなっって随分と悩んだそうです・・。医者からも、リハビリしかないといわれ、私の将来を考えた末の結論だったそうです・・。この子が、この先治らないのなら、どうやって生きていくことか・・。一生障害者であり続けることに、本人はどう受け止めるか。。悩んで悩んだ結果だったそうです・・。そのころは、私には伝えられずにいたので、私はいつか、普通の人のように、歩いて走ることを夢見て、リハビリをがんばった・・。他の患者さん達が帰った後も、最後の時間まで残って、頑張った・・。冬でも半そでで汗びっしょりになって動かない足を必死に動かすのです・・。つらいなんて思わなかった・・。いつかいつか普通の人になるんだ・・。それが私の心の支えでしたから・・。けど、遅々として、リハビリは効果が上がらず、決してこれ以上治ることができない事実を母から告げられました・・。あの日、私は、病院の屋上から飛び降りようとして、看護婦さんからとめられたのを覚えています・・。主治医の先生からも。「死んではいけない・・生きることを考えるんだ」って夕日を見ながら言われた・・。悲しかった・・。悔しかった・・。私の人生は終わったと思った・・。母も一緒に泣いた・・。何で、京子だけがこんな目に会わなければいけないんだ・・。私たちが、何をしたというんでしょう・・。「小さな病室の窓から「翼をください」を口づさんだ・・。そんな、悲しそうな私を母は、影で泣いたそうです・・。私だけが悲しかったわけでない・・。母はもっともっと悲しかったに違いない・・。
給食の時間、そのころ私は手にも障害があっておはしがもてなかった、フォークで食べていた。。、私は、感じない足にフォークを突き刺した・・。当然血が流れた・・。けど全然痛くない・・。看護婦さんが飛んできた・・。なぜこんなことをしたの?って言ってた・・。私は言った「フォークで刺しても、何も痛くなんかないんだものいいじゃない」って・・。看護婦さんはそれでも言った「京子ちゃん、こんなこと決してやらないって誓ってちょうだい・・。もっともっとたくさんの障害を持っていても、必死に生きていこうとして頑張ってる人たっくさんいるんだよ・・。ちょっと足が不自由だからってそんなことしちゃだめ・・。手だってギブスが取れて、リハビリすれば、おはしも使えて、手で何でもできるようになるんだから・・」私はその夜、眠れず、その看護婦さんが言ったことを考えていた・・。この先どうなるんだろう・・。そう。。私は手で何かやってやろう・・。そんな結論に達しました・・。手のリハビリが始まりました・・。足と違って見る見るよくなって、折り紙を折れるまでなって来ました・・。看護婦さんが折り紙の本をプレゼントしてくれました・・。毎日折ってました・・・。どんどん難しいのが折れるようになって母も医者も看護婦さんも一緒に喜んでくれました・・。うれしかった・・。私は手で何かできるかも・・。ってそのころから思うようになっていた・・。いつか、健常者に負けない、決して負けない何かをしてやろう・・。そのとき私は、思った・・。
そのうち、彼氏のできた・・。隣のベットにいたおばーちゃんの息子さんです・・。お見舞いに来るようになって、話ししているうちにどんどん距離がちぎまってきた・・。旅行にいった時のお土産とかももってきてくれたり、車椅子でスキー場にもつれっていってくれた・・。スポーツマンでかっこよかった・・。ひとつの青春です・・。けど、私から交際をお断りしました・・。私は自分の障害にコンプレックスを感じて、健常者とはつりあわないと思ったからです・・。そのころから、私は誰とも結婚はしないと決めていました・・。一人で生きていこうと・・。そう思っていました・・。私のたった一つの青春は、はかなくも悲しい2年で終わった・・。その方は、今、他の人と結婚して息子さんもいます・・。病に倒れたことを今年の年賀状で知りました・・。電話をしたら、口がもつれていたようでした・・。仕事はどうしているのでしょう・・。奥様は・・。それ以上は立ち入ってはいけないと思い、電話をきりました・・。抱きしめてあげたい・・。あんなに元気だったのに・・。なぜ?って悲しかった・・。今、どうしていることか・・。せめて、幸せに暮らしていることを祈るしかありません・・。私にできるたった一つの方法・・。













私も普通のお嫁さんになりたかった・・。あの事故さえなかったら・・。今はどうにもならない願い・・。今を今のこの生活を大事にして、今、こうしてパソコンができることに感謝しつつ日々を送っている・・。こんな姿になってしまって本当にごめんなさい・・。お母さん・・。せめて、これからのあなたの人生が幸せであることを祈る・・。私にできること・・。
本当にごめんなさい・・。そして、ここまで回復させてくれてありがとう・・。私は私のやり方生き方で生きていきます・・。でも、いつもいつも、見守っていてくださいね・・。普通になれなくてごめんなさい・・。友達たちと私は比べない・・。なので、お母さん・・。あなたも比べないでください・・。私は私の人生で、それなりに楽しく暮らします・・。この先どうなるかわかりませんが、いつかいい日が来ることでしょう・・。だって、私たち何も悪いことしてないし言ってない・・。神様はきっと見ていてくれる・・。人は、平等に幸せになれると思うから・・。もう、酔いつぶれて泣くのはよしてね・・。体に悪いから・・。私さえこんなにならなければ、お酒に走るお母さんではないはず・・。ごめんね・・。そして、今まで有難う・・。昨日、歌番組で聞いた、島津亜矢のお母さん感謝状この
歌のとおり・・。感謝状をあげます・・。