2001年10月11日。宝塚ファンとして、至上の喜びを感じた日だった。
「紺野まひる 雪組トップ娘役に内定」の情報に、狂喜乱舞したくなる思いでいた。「まひるちゃん大好き!」の方でも書いたが、誰よりも応援していた生徒の、トップ娘役決定は、この上なく嬉しいものだった。
その時、半年後に起こる出来事を予想できただろうか。
あれから半年の日が流れた、2002年4月18日朝。
いつものように出勤するために部屋を出て、駅へ向かう途中に、思ってもいなかったメールが届いた。
「報知新聞で、ぶんちゃんの退団が報道されたようだ。
まひるちゃん同時退団説もあり」
駅に着くと、都心方面の電車の発車するところだったが、1本見送って売店で報知新聞を買った。
芸能面を開くと……、確かに書いてあった。「絵麻緒ゆう退団」の大見出し。そして、「相手役の紺野も意思固める」の文字。
覚悟はできていた。
1作退団のトップスターが出るこのご時世、トップ娘役も長期にわたる在任は望めないだろうと思っていた。ともすれば、1作トップもあり得るとも考えていた。
時の流れに翻弄されるのが娘役の宿命。男役でさえ不安定なのに、娘役に安定など求められるわけがない……。
この覚悟が、自分へのダメージを少なくしてくれた。
報道のあった4月18日、そして正式発表のあった19日、気がつくといつも通りに仕事をしていた。そして、ネットで知り合った宝塚仲間からのメールにも、かなり落ち着いて対応することができた。
むしろ、落ち着きすぎている自分に、驚いたほど。あれほどにまで好きな人だったのだから、もっと落ち込むかと思っていたものだが。
もっとも、完全に平穏だったかというと、そうでもない。
時折、ふと溜息が出てきそうになる。
冷静に受け止めながらも、まひるちゃんが突然宝塚を去ることになってしまったことが、無念でならない自分がいる。
だが、それでも予想外のダメージの少なさだった。
4月20日、雪組大劇場公演「追憶のバルセロナ」/「On The 5th」チケット発売日。
僕は迷わず初日を選んだ。1作退団になってしまったが、せめて最初の観劇の時だけは、ようやくトップ娘役になれたということへの喜びをかみしめながら観劇したいから。だから、サヨナラの空気がもっとも薄い、初日を選んだ。
大劇場の大楽は絶対に見ないと決めた。東京の大楽は見たいけれども、大劇場の大楽は避けようと決めた。
おそらく、大劇場の段階では、袴姿で挨拶するまひるちゃんを見たら、精神的に崩れてしまいそうだから。
まひるちゃんを応援してきて、ミーハーの楽しさを今までになく味わってきた。ミーハーの心地よさを、心ゆくまで感じることができた。だから、最後までまひるちゃんに対してはミーハーでいたい。
今回の退団劇で、言いたいことがないわけではない。
だが、言ったところでまひるちゃんの退団が覆るわけがないし、言いたいことなら9月23日を過ぎてからでも言うことはできる。
そして、残された時間はすでに半年を切っている。後ろを向いている暇などない。
まひるちゃんが大好きだから、今は「大好き!」という気持ちを大切にしたい。
「大好き!」という気持ちを大切にしながら、まひるちゃんを応援していたい。
最後まで、ミーハーになって叫んでいたい。「まひるちゃん、大好き!」という言葉を。
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