観劇記録のページ

月組東京宝塚劇場公演

エリザベート

観劇日時 2005年5月7日
15時30分の部


エリザベート
−愛と死の舞曲−


ミヒャエル・クンツェ 脚本
小池 修一郎 潤色・演出


 雪→星→宙→花→月の順で、10年近くかけて5組一巡となったこの作品。今回の公演が最も異色の公演であろう。

 最大の異色は、やはりタイトルロールのエリザベート。過去4組、全てトップ娘役が演じてきたこの役を、今回は男役2番手が演じた。
 オスカルやスカーレットじゃあるまいし、なぜ男役が?と、かなり疑問を感じたものだ。さらに、エリザベートくらい娘役の「聖域」にしてほしい役という思いが、娘役ファンとしての自分の中にあっただけに、なおのこと疑問を感じたものだ。
 確かにエリザベートは、繊細なようで芯が強い一面もある。その芯の強い部分を見せるというあたりが、あえて男役を起用した狙いの一つかもしれないと、実際に観劇して感じた。だが、そのためにエリザベートの繊細な部分の表現が犠牲になっていたような気がする。
 とはいえ、瀬名じゅんは、よくこの難役を演じたと思う。エリザベートの芯の強い部分は十分に表現できていた。また、歌も結構歌えていて、男役が「私だけに」を歌えるかという心配を拭ってくれた。娘役に見せる化粧もかなりできていた。演技に少々男役臭さが残っていると感じることもあったが、瀬名じゅんの持ち味を考えれば、仕方のないことかもしれない。

 次の異色が、トップ娘役不在。トップスター交代の絡みもあってのことだから、まあ仕方ないかと観劇前は思っていた。だが、やっぱり娘役ファンとしては、観劇していて一抹の寂しさを禁じ得なかった。
 フィナーレのパレードで、大きな羽根を背負っているのが、退団していくトップスターだけというのは何か物足りない気持ちを感じた。せっかくだから、次期月組トップスターで、エリザベートを演じた瀬名じゅんに、少し大きめの、娘役の羽根を背負わせた方が、華やかさがあってよかったのではないか。

 今回の公演で面白いと思ったのが、「ミルク」の場面の演出だ。トートに煽られた市民が、銀橋に出てくるのは今回の月組版が初めて。
 市民が銀橋に出てくると、ものすごい迫力だった。今まで以上に、ミルク不足に怒る市民の気持ちが伝わってくる。「銀橋」という宝塚独自の舞台装置を生かした見事な演出だった。
 それにしても、この作品も上演を重ねるごとに宝塚ならではの進化を続けている。「愛と死の舞曲(ロンド)」(全組)、「私が踊る時」(花組以降)といった、新しい曲の追加。そして、宝塚独自の舞台装置を使った演出。今回の公演の、「ミルク」の場面は、その進化の象徴の一つであろう。

 彩輝直を見るのは星組以来のことだ。せっかくトップスターになったのに、トップスターになってからは「エリザベート」しか見れなかったのが残念なところ。
 上演前は、トートを演ずることに対する不安の声が結構聞かれた。だが、実際に観劇してみたら、悪くない印象のトートだった。ビジュアル的な魅力があるから、トートの格好をすると、「妖しい死」の雰囲気が出ていて、過去のトートとはまた違う魅力が感じられた。課題といわれた歌も、あまり気にならない。
 個人的に、今回のトートで気に入ったのが、「死は逃げ場ではない」とエリザベートを突き放したときの表情。受け入れたい、でも愛がなければ受け入れたくない。そんなトートの、ジレンマに悩む思いが痛く伝わってきた。

 霧矢大夢のルキーニが、最高の出来だ。元々実力派だが、今回はさらに、ルキーニという役へのはまり具合がとてもよかった。ルキーニのような、ワイルドな役がよく似合う「役者」だ。


メールはこちらへどうぞ
「観劇記録のページ」目次へ戻る
「隠れ宝塚のひとりごと」目次へ戻る (画像なしのページへ)