観劇記録のページ
星組東京宝塚劇場公演
ベルサイユのばら2001
−オスカルとアンドレ編−
観劇日時 | 2001年4月1日 午前11時の部 |
2001年4月1日 午後3時30分の部 |
観劇場所 | 1階21列中央 (A席) |
1階22列中央 (A席) |
ベルサイユのばら2001
−オスカルとアンドレ編−
池田 理代子 原作
植田 紳爾 脚本・演出
谷 正純 演出
初めて「ベルサイユのばら」を生で観劇した。
何しろ平成ベルばら以降のファンなので、「ベルサイユのばら」を生で見たことはない。一度平成ベルばらの「フェルゼン編」(1990年花組)をビデオで見たことがあるのみ。
この時は、作品のあまりのクサさと寒さに引きそうになった。しかし、これもビデオで見るからそう感じるのであって、生で観劇すればかわるのではないか。そう思いながら東宝に行ってみたものだが……。
生で観劇しても、感じたものは、ビデオ観劇の時と同様のクサさと寒さだった。どう見ようとベルばらはベルばらなのか……。
とりわけオスカルとアンドレの絡み。ただでさえ、男役同士の絡みということで、かなり違和感を感じさせるのに、その上に大袈裟な台詞が入るのだから、かなり引きそうになった。
そのいい例が、オスカルとアンドレが出動する前夜の、オスカルの部屋の場面。あの有名な「今宵一夜……」を初めとする大袈裟な台詞の数々。それから、この場面の最後の、オスカルとアンドレの妙な振付。いくら定番とはいえども、今回も残っていたことに溜息をつきたくなった。
それから、銀河の馬車……。これはまた趣味の悪さに寒気が走りまくった。いきなり馬車がオスカルを迎えに来るアニメが流れて……。スクリーンが上がると、趣味の悪いデザインの馬車が待っていて、それが盆とともにゆっくり回転して……。そしてトップスターと新専科生のラブシーン……。
クサくて寒くて、正直、耐えられなくなるものがあった。
そもそも、こんな場面残したままで、どこが「ベルサイユのばら2001」なのか……。初演や平成ベルばらを思いっきり引きずっているではないか。
言いたいのはそれだけではない。
トップスター稔幸のサヨナラ公演であるとともに、トップ娘役星奈優里のサヨナラ公演でもある今回の公演。それにもかかわらず、星奈優里の扱い方といったら……。
多少、星奈優里のためにマリー・アントワネットの出番を増やしたようだし、フィナーレでは1場面持たせてもらっている。しかし、芝居全体の流れを見れば、やはり添え物である感は否めなかった。76期の実力派娘役のサヨナラがこれでは、淋しいことこの上ない。
サヨナラ公演なのだから、見せ場を作れなかったものか。せめて芝居の最後に、「さようなら、フランス」の台詞くらいは言わせて欲しかった。
まだ言いたいことはある。
植田作品を谷氏に演出させるのも、そろそろ考えた方がいいのではないか。
例えば、アンドレが撃たれて死ぬ場面。息絶え絶えになりながら「心のひとオスカル」を歌うアンドレだけでも、植田歌舞伎独特のオーバーな泣かせに、目が回りそうになってくる。しかも、その上に「登場人物を殺すことで観客を泣かせよう」が基本姿勢の谷氏の演出が加わるのだから……。見ていて本当につらかった。いまわの際のアンドレなど、もはや見るに忍びない。「頼むから、早くアンドレを死なせてやってくれ、植田!!、谷!!」と本気で思った。
ただし、フィナーレだけは出来がよかった。
特に、白ばらの場面。
大階段に並んだ星組生が、銀橋の稔幸に歌いかける演出。明らかにサヨナラを意識した場面だが、星組生の稔幸への思いや、稔幸の星組への思いまで伝わってくるようで非常によかった。
そして、最後の稔幸と星奈優里のデュエットダンス。時間は短いが、中身は濃い。稔・星奈コンビの魅力が強く伝わってくる。
最後に救われるものを感じた観劇だった。
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