観劇記録のページ

月影 瞳 サヨナラショー



 あちこちから聞こえてくるすすり泣きの声に混じって、僕も泣いてしまっていた。
 緞帳が上がって、大階段の中央に白いドレスを着て立っているのを見た瞬間にこらえられなくなり、ほとんど泣きながらの観劇になっていた。
 我ながら、驚いたものだ。月影瞳で、これだけ泣いてしまうとは。本命は、同じ組の中の、他の生徒、しかも次のトップ娘役だというのに。
 だが、泣いてしまうだけの思い入れは、確かにあった。

 月影瞳に初めて出会ったのは、星組の「エリザベート」だった。少年時代のルドルフの演技に、引きつけられて、興味を持ち始めた。
 「誠の群像」/「魅惑2」でトップ娘役になったが、1公演で雪組に組替え。当時は、宝塚ファン歴が浅かったこともあり、せっかくトップになったのに、なぜ組替え?と疑問に感じたものだった。
 しかし、実際に雪組入りした月影瞳を見て、その疑問は氷解。自身の持ち味が、雪組の雰囲気に溶け込んでいて、より輝いて見えていた。そして、それが自分の中の月影瞳への興味を、増幅させていた。
 舞台以外に、もう一つ、月影瞳に興味を持たせる出来事があった。非宝塚ファンのネット仲間が、「宝塚なら、月影瞳が出ている舞台を見てみたい」と言ったこと。当時、何度も放映されていた「やっててよかった公文式」のテレビコマーシャルの影響だった。だが、非宝塚ファンに「月影瞳を見たい」と言わしめたことに、月影瞳のすごさを感じさせられた。そして、これが月影瞳への興味を増幅させていた。

 今でこそ、雪組に贔屓がいて、どの組よりも雪組を見るようになったが、その原点は何かと考えると、月影瞳になる。月影瞳に興味を持ち、何となく、月影瞳が見たくて、雪組の舞台を見たから。
 そういえば、青年館の初観劇は、雪組の「凍てついた明日」だった。「チケットがあまっているから」というのがきっかけだったが、今考えてみると、月影瞳が出ているということも、当時は未知の世界だった青年館へ足を運ばせた大きな理由になっていた。
 「凍てついた明日」。月影瞳の当たり役を聞かれて、ボニーを挙げる人は多かろう。僕も、月影瞳といえば、ボニーだと今でも思っている。ボニーのキャラクターと月影瞳の演技の絶妙なマッチには、息を飲むものがあった。
 ボニーがあまりによかったので、「凍てついた明日」のビデオを購入した。
 そして、このビデオで、僕は「運命の出会い」をすることになる。

 そのときは自覚がなかったが、実は今の宝塚ファンとしての僕があるのは、月影瞳によるところが大きい。
 月影瞳がいなければ、雪組にそれほどの興味がなかったかもしれない。そして、「凍てついた明日」を見なかったかもしれない。そして……。
 そう考えると、月影瞳への思い入れも深くなってくるものがある。
 だから、自分の贔屓のトップ娘役就任にこの上ない嬉しさを感じる一方で、月影瞳が宝塚を去ることへの淋しさも感じずにいることはできなかった。

 思い出話が長くなってしまったが……、これが、僕の月影瞳への思い入れ。
 こんな思い入れがある生徒のサヨナラショーであるだけに、涙をこらえられなかった。
 「ぐんちゃん、ありがとう」と心の中で言いながら、涙で霞む舞台を見ていた。

 サヨナラショーは、15分から20分くらいのものだった。
 月影瞳が、今までにヒロインとして歌ってきた歌のメドレーが中心。途中、「硝子の空の記憶」(パッサージュ)が、同時退団の愛田芽久、舞坂ゆき子、白樺湖夕も登場してのもの。また「雨の凱旋門」(凱旋門)は、専科入りする轟悠がメインだった。
 僕が宝塚ファンになる以前から、新人公演やバウホールでヒロインをしていたから、知らない歌もいくつかあった。最初の歌も、僕の知らないものだった。
 全体的には、単純な作りだが、これでよかった。月影瞳の思い出に浸るには、必要にして十分なものだったから。
 嬉しかったのが、「凍てついた明日」で出てきた歌を歌ってくれたこと。月影瞳の最大の当たり役だと思っているボニーのことを、もう一度思い出させてくれたことが嬉しい。
 最後に、雪組生全員が登場して、「Let's JAZZ」。サヨナラショーに華やかな思い出を加えてくれた。

 宝塚大劇場での最後の挨拶が、また月影瞳らしかった。
 組長の「ぐんちゃん」の呼びかけに「は〜〜い!」と明るい声での返事で、場内を沸かせた。こうして笑いを取れるのも、月影瞳の魅力の一つ。そんな場面に出会えたことがまた嬉しかった。
 そして挨拶では、満面の笑みで「私は12年間、パワフルに歩んでまいりました」。最後まで「月影瞳」を貫いていた挨拶は、とても好感を持たせてくれた。


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