観劇記録のページ
雪組 TAKARAZAKA 1000days劇場公演
バッカスと呼ばれた男
華麗なる千拍子
「バッカスと呼ばれた男」編
観劇日 | 2000年2月12日 |
観劇時刻 | 午前11時の部 |
観劇場所 | 19列上手(B席) |
大劇場公演の感想へ(バッカス/千拍子/バッカス新公)
紺野まひるミーハー観劇記 (^^; へ
バッカスと呼ばれた男
谷 正純 作・演出
−かなり目につく追加場面−
「バッカスと呼ばれた男」は、大劇場で新人公演も入れて3回観劇したにもかかわらず、1000daysの初見は戸惑った。場面の追加変更が激しく、雰囲気が変わっていたからだ。
まず最初の場面追加が、「ポン・ヌフ劇場」。大劇場の「老三銃士」の場面に追加が入って新しい場面になった。
大劇場版ではいきなりジュリアンが登場して、三銃士を呼んでいたが、1000days版ではまずミッシェルが登場。風刺劇が始まる。この風刺劇、ものすごくバカバカしさを感じるのだが、このバカバカしさがかえって面白さを出している。「谷、何考えてる……」と思いつつも結構楽しさが感じられるのが面白い。劇中でマザランを批判したところで、マザランの衛兵が踏み込み、ミッシェルが逮捕されるのだ。そしてミッシェルが連行されていったところに、ジュリアン登場。
単にミッシェルの捕まった経緯を描いているだけではない。ミッシェルとポーレットの関係をはっきりと描いている。マザランの衛兵が踏み込んだときに、ポーレットを守ろうとしているミッシェルがいたり、ミッシェルが捕まった後「振り向いてもらえなくても あなたのそばで暮らしたい」と歌い出すポーレットがいたり。この場面の追加で、ミッシェルとポーレットに関しては話がわかりやすくなり、結構好感が持てた。
ただし、この場面で矛盾点も発生している。あちこちで指摘されていることだが、ミッシェルの「牢獄暮らしが長かったんだ。思いっきり暴れさせてくれよ」の台詞。確かに大劇場版では長かったのかもしれないが、1000days版ではミッシェルが捕まった直後にジュリアンが来て(ミッシェルが捕まったことでポーレットが泣き出したときにジュリアンが出てくるので、捕まった直後に来たのだということがわかる)、即座に脱獄作戦が展開された。つまり、ミッシェルの牢獄暮らしは全然長くないのだ。にもかかわらず、あの台詞。このあたりは気をつけてもらいたいところ。「谷作品には論理的整合性がない」と言われないようにするためにも、こういった基本的なことに目を配ってもらいたいものだ。
もう一つの場面の追加が、「ひとりぼっちの王妃」から「心に秘めた想い」。月影瞳の銀橋ソロに始まる、アンヌの回想シーンである。アンヌがジュリアンへの想いを歌いながら、ジュリアンが去った日のことを思い出している。
ジュリアンがルイ14世の教育をしているところに、国王崩御の知らせが入る。突然の摂政就任で取り乱したアンヌがジュリアンに泣きつく。そこへマザランが来て、促されて摂政就任の儀式へと向かっている間にジュリアンは去っていく。
こちらは正直言って冗長さに拍車をかけているようにしか思えない。ジュリアンがルイ14世に道徳の授業を始めて、「幸せになるのは私でなくてもいい」と歌い出すのは屋上屋を重ねるようなもの。すでに大劇場版でもこの道徳授業的な主張がされる場面がかなりあったのに、さらに1000daysで増えたのには正直ウンザリさせられた。
さらに、ジュリアンが去っていくときの心理が今ひとつわかりづらかった。アンヌのためらしいのだが、直前に「王家をお守りするのが私の宿命」とかルイ14世に説いていたのに突然出ていってしまうのだから、単なる気まぐれに見えたりしてしまう。
ただし、こちらの方でもジュリアンとアンヌの恋愛関係だけはわかりやすくなった。
この場面追加で上演時間が1時間45分に拡大。2本立てにしては異例のボリュームになった。しかし、1000daysのあの椅子でのこの上演時間はつらいものがある。通常の芝居とたかが15分しか違わないが、この差は意外と大きい。実際、この日は「華麗なる千拍子」まで観劇した後、青年館の花組も観劇したのだが、青年館で観劇中に腰の痛みに悩まされたものだ。腰痛持ちでもないのに。話をわかりやすくするという谷氏の姿勢は評価したいが、もう少し、上演時間の圧縮はできなかったもであろうか。
メールはこちらからどうぞ
公演感想(バックナンバー)の目次へ戻る
「隠れ宝塚のひとりごと」目次へ戻る (画像なしの目次)