観劇記録のページ

雪組 宝塚大劇場公演

追憶のバルセロナ / ON THE 5th
「ON THE 5th」編

観劇日 2002年5月24日 2002年5月25日
観劇時刻 午後3時の部 午後3時の部
観劇場所 1階24列上手
(A席)
1階27列上手
(A席)

「観劇記録のページ」目次へ戻る



ON THE 5th
−ヴィレッジからハーレムまで−

小林 公平 原案
草野 旦 作・演出


 ニューヨークを舞台としたこの作品の上演が発表されたのが、昨年の9月12日だった。
 その前日、9月11日、ニューヨークであの同時多発テロ事件が起こり、世間が騒然としている最中だった。
 何というタイミング!とファンの側も思ったが、制作側もタイミングの悪さに頭を抱えたのではなかろうか。
 そして、この事件を受けて、どうやってこのショーを作っていけばいいのか、かなり悩まされるものがあったのではなかろうか。

 ショーの中に、テロ事件が出てきたことに、賛否両論の声が上がっているが、僕はやむを得なかったと思う。ニューヨークを舞台にしながら、あの事件を避けたら、間違いなく過度の現実逃避との批判になっていたと思う。確かに、テロ事件がでなければ、より心地よい夢の時間が過ごせるとは思うが、それと同時に、必要以上に現実から目を背ける姿勢どこか漂ってくる作品に仕上がっていたのではないかと思う。
 だから、僕は「いかに見る者に重さを感じさせずに、テロ事件を取り扱うか」がこの作品のポイントだと思っていた。いくらテロ事件は避けられないといっても、本当に「その場面」を出してしまえば作品が重くなるだろう。



 このあたりが、観劇の時の注目ポイントの一つだった。
 結論を先に書けば、草野氏のショー作りの手腕を、改めて高く評価したいと思った。
 テロ事件を扱うことで観客に重さを感じさせないようにという心配りが感じられて、好感が持てた。書きたいものを書きながら、観客への配慮がかなり伺えた。
 日付が9月11日に変わる直前にシャインが消える。だが、シャインが本当に「あの飛行機」に乗ったかどうかは、実は観客の想像に委ねられている。Mr.フィフスは、空港からシャインの電話があったこと、飛行機がビルに突っ込んだことは歌っているが、シャインが「あの飛行機」に乗ったとは歌っていない。
 祈りの場面の途中で、崩壊したワールドトレーディングセンタービルが蘇るとともに、シャインが登場する。このシャインは……? あくまでもMr.フィフスの空想世界の中にいるシャインなのかもしれないし、実は何らかの理由で「あの飛行機」にには乗らず、テロ事件には巻き込まれていなかったシャインかもしれない。
 そしてMr.フィフスとシャインの感動的な再会。シャインの嬉しそうな表情に、思わず涙腺が緩んでいた。
 テロ事件を正面から扱っているようでいながら、考える余裕を残したり、最後に泣かせの演出が入っていたことで、僕はあまりテロ事件を扱っていることへの重さを感じなかった。

 僕自身、都合よく頭の中で話を作ってしまっているかもしれない。
 絵麻緒・紺野コンビのお披露目・サヨナラ公演だから、きれいな思い出にしたいという気持ちが強い。そんな思いがあるから、自分の中で多少話をねじ曲げてしまっているかもしれない。
 だが、都合よく頭の中で話を作れること自体、草野氏の配慮ゆえではなかろうか。配慮なしにテロ事件を扱ってしまわれていたら、おそらく凄惨な光景を目の前に、頭の中で話を作る余裕などなかったと思う。



 観劇前に気になっていたことがもう一つあった。
 フィナーレにきちんと大階段降りがあるかどうか。
 草野作品で、舞台がニューヨークということで、大階段なしの変則フィナーレになる可能性が高いと指摘した人がいた。たまにはそういうフィナーレも悪くはないかも知れない。だが、今回だけは、大階段なしの変則フィナーレは歓迎できなかった。
 もし、大階段降りなしになったら、絵麻緒ゆうと紺野まひるは、1回も大きい羽根を背負って大階段を降りることなく、宝塚を去ることになってしまうのだから。
 大きい羽根を背負って、大階段を降りてくる姿を見ること。これは多くのファンの夢である。この1作トップコンビのファンの多くも、そんな夢を見ながら応援してきたであろう。僕自身、そんな夢を見ながら、紺野まひるを追いかけてきた。
 1作しかないからこそ、こだわりたい気持ちがあった。宝塚らしいフィナーレを見せてくれることに。
 どんな形でもいいから、大階段降りを見せてほしい。そう思って迎えた初日だった。

 嬉しいことに、草野氏はそんなファンの思いにこたえてくれた。
 最後は全員揃ってのタップでのフィナーレだが、その前にオーソドックスな大階段フィナーレを用意してくれた。紺野まひるが、絵麻緒ゆうが、大きな羽根を背負って大階段を降りてきて、そして手拍子の中銀橋に並んで挨拶して……。
 トップコンビの、それぞれのファンが夢見てきた光景を見せてくれた。
 草野氏の作風を考えれば、実は大階段フィナーレがない方が、この作品はすっきりした出来になったと思う。おそらく、当初の構想でも、大階段降りはしない方針だったのではないかと感じさせるものがある。
 それでも、大階段フィナーレを用意してくれたことに、草野氏の大きな配慮を感じた。ちょっと作風を曲げることになっても、ファンの夢を叶えてあげようという、宝塚関係者としての大きな配慮を。

 初日の舞台、紙吹雪の中タップを踏む絵麻緒・紺野コンビを見ながら感じていた。贔屓の生徒がトップ娘役になれた喜びと、ファンへの配慮に溢れた脚本を書いてくれた草野氏への感謝の思いを。


メールはこちらからどうぞ
公演感想(バックナンバー)の目次へ戻る
「隠れ宝塚のひとりごと」目次へ戻る (画像なしの目次)