観劇記録のページ
花組 宝塚大劇場公演
ミケランジェロ / VIVA!
「ミケランジェロ」編
観劇日時 | 2001年8月4日 午後3時の部 |
2001年8月5日 午前11時の部 |
観劇場所 | 1階25列上手端 (A席) |
2階7列下手 (S席) |
ミケランジェロ
−神になろうとした男−
谷 正純 脚本・演出
観劇後に残ったものは、何とも言えぬ脱力感と溜息だった。
いったい何を考えてこの作品を作ったのか。
まず目に付いたのが、「バッカスと呼ばれた男」からの使い回し。「バッカス」で見た覚えのある設定や人物が、何度出てきたであろうか。
たとえば、ピオチーニ三姉妹の居酒屋。これは「バッカス」に出てきたポン・ヌフ橋の下の劇場と全く変わらない。そこへ集まる人たちの人柄といい、庶民が政府への不満をぶちまける場であるという設定といい……。そしてそこへ、義賊が登場すること、そしてその義賊の信条やら人柄は、「バッカス」の義賊と全くかわりがない。
衣装も「バッカスと呼ばれた男」からの使い回しが多かった。しかも、同じキャラクターに同じような衣装を使うから始末が悪い。橋の下の劇場に集まる女性が着ていた衣装を、居酒屋の女性たちが着ている。マンドランたちが着ていたの衣装を、メンドリーニの手下たちが着ている。同じ「枢機卿」というだけでジョバンニとマザランが全く同じ衣装だし……。
あまりに安易な使い回しが目に付き、正直言って、手抜きにしか見えなかった。
しかも、手抜きだけではない。相変わらずの勘違いした脚本作りをしている。
人を殺すことで、美談に仕立て上げるという手法は相変わらず。あれだけ、多くのファンに批判されているというのに。
ニッコルの死や、メンドリーニの処刑がミケランジェロの創作の原動力になっているというが……、谷作品では人が死ぬのはいつものことだから、全く説得力が感じられない。見ている方としては、谷作品のお約束として殺されたとしか見えない。
コンテッシーナなどもはや論外。ミケランジェロへの愛だけで、一睡もせず食事もとらず……、谷氏にとっては美談かもしれないが、見ていて正気の沙汰には見えなかった。コンテッシーナの論拠も、訳の分からないものだったし。こんなの美談ではない。単なる谷氏の倒錯した理想像であるにすぎない。
コンテッシーナの死で呆れたところで、ミケランジェロの台詞に目を剥いた。
「なぜ人は死ぬのか!!」
まさか谷作品で、こんな台詞を聞かされるとは思わなかった。「何言ってるんだ?谷は」と思わざるを得なかった。人が死ぬ脚本ばかり書いて、「なぜ人は死ぬのか」とは……。人が死ぬのが嫌なら、人が死なない脚本を書けばいいだけではないか。
そもそも、自分のために病気になって死んでいったコンテッシーナを前に、「なぜ人は死ぬのか!!」と叫ぶとは……。この作品でのミケランジェロは、本当に人間なのか? 自分のために、一睡もせず、食事もとらなかったコンテッシーナを放置して、死んだら「なぜ人は死ぬのか」とは……。そして、こんな人格破綻者を平気で描いてしまうとは……。
こんな作品でも、谷氏は重用されている。
使い回しで手を抜いたり、ファンが見たくないと言っている脚本を書き続けたりしていても、理事長の側近という理由で何度も登場する。そして、毎度のごとくファンを呆れさせている。
そんな現状を考え直す気は、劇団にはないのだろうか。
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