隠れ宝塚のひとりごと

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花組東京宝塚劇場公演「ザッツ・レビュー」

植田 神爾 脚本・演出
石田 昌也 演出


観劇日  12月6日
観劇時間 午後5時30分の部
観劇場所 1階ネ列7番(B席)


−これが宝塚?−


 まずこの公演で初めて宝塚を見たという方に一言。
 あれは宝塚ではありません。本当の宝塚はもっといいものを見せてくれます。

 最も贔屓とする花組の公演でこんなことは言いたくないのだが、東京へ来て「ザッツ・レビュー」の芝居部分は、最悪の域に達したと言っても過言ではない。
 今回は、千秋楽でもないというのに、やけにアドリブが目立った。第5場「聖天座の舞台裏」など、ムラでは見られなかったアドリブの連続で少しついていけなかった。真矢みきお得意のユーモアが聞けるのは嬉しいのだが、どことなくいつもの真矢ユーモアとは違ったものを感じさせられた。ここは愛華みれ演ずる大河原亮が、延々とレビューの定義を説くところで、説明が冗長すぎるとムラで不評だったシーンの一つだ。おそらく、不評だったシーンを盛り上げようとする花組生徒の努力の結果なのであろうか。しかし、これが逆効果で、植田芝居をさらに収拾つかないものにしていた。
 一応言っておくが、花組生徒は悪くない。この植田芝居を少しでも盛り上げようと、みんな頑張っているのだ。
 非難されるべきは、このような何が言いたいのかよくわからない芝居を用意した劇団の方である。あまりに脚本が悪すぎることが今回収拾がつかないほどひどい作品になってしまった原因なのだ。脚本を書いた植田理事長以下、劇団スタッフの猛省を求めたい。特に植田理事長に対しては、金輪際脚本を書いてもらいたくないものである。


−千ほさち、不調−


 何だかんだ言いつつ、今回ももっぱら千ほさちばかり見ていた (^^;
 今回は千ほさちのために観劇前に小ぶりの双眼鏡(8倍)を購入し、劇場に持参していった。さすがに貸し出されるオペラグラスとは威力が違い、表情から瞳の色までよく見える。
 ありとあらゆる場面でこれで千ほさちを見つめていたが、エトワールの場面では手が震えてしまい、それどころではなかった。千ほさちのエトワールは不評のようであるが、「男性ファン一のほさちフリーク」を自称する(^^;僕としては、これのためにあの植田芝居を見ていると言っても過言ではないほどに嬉しい場面で、ここへ来ると陶酔の世界に入ってしまう (^^;
 さて、その千ほさちであるが、明らかに不調であった。特に歌の場面では、声が細く、艶がなかった。エトワールの時も、一瞬、声が裏返りそうになり、ひやっとさせられた。疲れているのであろうか。ファンとしては心配である。早いところ、調子が回復してくれるようにと願わずにはいられない。


−ショー部分で救われている−


 ショー部分の出来の良さは大劇場と変わらない。オープニングの「モン・パリ」のリピートだけは例外であるが、あとはほとんどが非常によくできている。第2部頭の「ブーケ・ダムール」では、もう芝居はいらないから、ショーだけ見せてほしいと思ったものである。
 最大の見所といわれる「すみれの花咲く頃」のボレロは、大劇場よりもさらに出来がよくなっていて、きれいに揃ったダンスで男役の魅力をこれでもかと言わんばかりに見せてくれた。観客全体の受けも非常によく、拍手の音量が他の場面以上に大きかった。この場面だけは、大成功だと言ってよかろう。
 芝居とショーの2つにわけて考え、なおかつ芝居部分は話半分で見ることにして、あくまでもショー部分を中心に見ていくことが、最も「ザッツ・レビュー」を楽しめる見かたであろう。
 ショーだけで構成すれば、結構いい作品に仕上がるのではと僕は思っている。


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