(45)2003年という年
(2003/12/29)
今まで、ほぼ毎年のように回顧エッセイなど書いてきているが、今年はどうもうまく書けない。
原因は、僕の宝塚に対する感情が大きい。結局今年1年、宝塚歌劇団に対しては、絶望感を感じたままで過ごしてしまった。贔屓の退団から1年以上たっても、それをずっと引きずり続けてきた。
しかも、その絶望感に追い打ちをかけるような出来事もあった。せっかくの宝塚ファン仲間との人間関係の崩壊があって、僕の宝塚への絶望感はますます深まった。
そんな状態だから、宝塚の観劇回数は激減した。「見た公演」は数えるほどしかなく、「見ていない公演」の方が多い。観劇回数の最も多かった公演は、宝塚ではなく、外部の舞台だ(「天国の本屋」が4回)。
紺野まひるのファンとしては、嬉しい年であった。
今年が女優としての本格始動の年だが、ファンですら驚くほどに順調なスタートだった。まずWOWOWのドラマ「俺は鰯」でのヒロインがあった。その次にNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」でのレギュラー出演。そして、ドラマと平行して、舞台「天国の本屋」への出演。
オフィシャルファンクラブも発足した。そして、宝塚のお茶会形式での発足式はとても楽しかった。
結局、僕はいつの間にか、宝塚ファンから、紺野まひるのファンになっていたのだと痛感させられた1年だった。
紺野まひるの1作トップが残念だったから、宝塚に対して絶望した。そして、その絶望のあまり、ある現役生徒のファンと喧嘩したこともあった。
そして一方で、紺野まひるの女優としての順調な船出が嬉しくてたまらない自分がいた。
(44)花火
(2003/08/03)
毎年8月第一土曜日は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の花火大会の日である。
この花火大会の特色は、荒川を挟んだ二つの自治体が同時に開催するところにある。戸田と板橋の競演は、とても見事なものがある。
だが、去年を境に、この花火大会を見ながら、心のどこかに、寂しさのようなものを感じるようになっていた。
花火は美しい。だが、その美しさを見られるのは、ほんの一瞬でしかない。咲いた次の瞬間には、もう消えている。そう、絵麻緒ゆうと、紺野まひるの1作トップコンビのように。
特にこの、戸田と板橋の花火は、川の両岸を挟んだ自治体の同時開催という演出だから、余計にあのトップコンビを思い出させるのだ。板橋区側は絵麻緒ゆう、そして戸田市側が紺野まひる……。
あの夏から、1年がたった。宝塚ファンとして、忘れがたいあの夏から……。
あの時の僕は、他の絵麻緒/紺野ファンと同様に、大劇場・東宝公演は1作限りとなった、トップコンビを盛り上げることに必死になっていた。その頃、仲のよかった絵麻緒ゆうファンの友人たちに混じって、赤坂BLITZのライブに行き、最後の東京公演の入り待ちや、観劇に精を出した。
あの時は、その瞬間を楽しむことしか考えていなかった。だからこそ、毎日が楽しかった。
戸田市と板橋区の花火大会のフィナーレは、二つの自治体同時でのスターマインの連発。
荒川の両岸から何発も打ち上げられるスターマインは、確かに美しい。だが、その美しさが見られるのは本当に短い時間だ。スターマインが終われば、両岸の観客は帰路につき、荒川河川敷には静寂が訪れる。
「追憶のバルセロナ」/「ON THE 5th」は、まさにこのスターマインの連発のような公演だった。
短い夏の間、絵麻緒ゆうと紺野まひるのトップコンビは華やかに輝いていた。だが、終わったあとに訪れるのは、言葉にしようのない寂しさだった。「もっと、宝塚の世界でこの二人を見ていたかったのに」という……。
僕にとって、花火は夏の華やかさの象徴ではない。儚い夢の象徴だ。
今でも思う。なぜ、「せめてあと1作」ができなかったのかと。
そして、その余裕を用意できなかった宝塚歌劇団への恨み言を心の中で呟きながら生きている。
あの日以来、僕は立ち止まってしまった。
大劇場に東宝と、何度も通った雪組だが、「春麗の淡き光に」/「Joyful!!!」は、東京公演1回しか見ていない。
紺野まひるのファンの僕は、儚い夢の残像に縛られて、心が雪組を受け入れられなくなっていた。
今年の春、「春麗の淡き光に」/「Joyful!!!」の東京公演が始まった頃、ある雪組の生徒のファンの友人と大喧嘩した。友人は、僕が現トップコンビの雪組をかたくなに受け入れようとしないことを非難した。しかし、非難されればされるほど、僕の中の花火の残像は、より大きなものになり、雪組を受け入れる態度を見せることができなかった。
最終的に、この友人とは絶交になった。そして、それにつられる形で、様々な人間関係が崩壊してしまった。
我ながら不器用である。表面的にでも、受け入れたふりをすれば、様々な人間関係の崩壊まで招かずにすんだ。だが、去年の花火の残像を抱き続けることと、雪組を受け入れたふりの両立ができず、人間関係を壊してしまった。
時々、そんな自分の馬鹿さ加減を嘲笑したくなる時がある。だが、その嘲笑も、あの花火の残像を思い出すと消えてしまう。
(43)観劇旅行でどこに泊まろう
(2003/07/08)
先日、「雑感ノート」の方で、ホテルの話を出したばかりだが、これはどちらかというと仕事で出張する際の泊まる場所の問題がメインだった。
泊まるといえばもう一つ。宝塚大劇場への観劇旅行に際しても、宿泊という問題がつきまとう。飛行機や新幹線といった、高速交通機関が発達しているから、日帰り2回観劇も不可能ではないが、これは大阪市内への日帰り出張よりも格段にハードだ(^-^;)。
大劇場への観劇旅行での宿泊場所の問題とは何かというと、宝塚市内に関していえば、適当な宿泊施設がなかなか見あたらないこと。
宝塚市内の宿泊施設は両極端だ。温泉街の高級ホテルか、格安だが男子禁制のレディースホテル(つまり男である僕は泊まれない(^-^;))か……。その中間にある宿泊施設といえば、ワシントンホテルだけである。だが、週末の宝塚ワシントンは、いつも混んでいて、予約は取りづらい。
だから僕はいつも、大阪のビジネスホテルに泊まることになる。宿泊費を安く抑えたい場合も、やはり大阪市内まで出て、カプセルホテルに泊まるしかない。
以前、宝塚大劇場でアンケートを求められたことがあった。
そこで望ましい宝塚市内の宿泊施設として、ユースホステルを挙げておいた。ユースホステルなら、男も泊まれるし、男女別部屋が原則だから、男女問わず安心して安く泊まることができる。現在の宝塚ファン層を考えれば、女性ルーム3に対して、男性ルーム1くらいの割合になるが、それでもよかろう。集会室と食堂以外は、完全に男女分離すれば、女性もレディースホテル同様に安心して泊まれるし、男性も梅田まで往復する手間が省ける。
現在宝塚市内にはユースホステルはない。阪急宝塚線・今津線、JRの尼崎〜宝塚〜新三田の沿線にもない。大劇場から最も近いユースホステルは、川西能勢口から能勢電車に乗らなければならないような場所にある。さすがに能勢電車にまでなると、関西にある程度通じている僕でさえ、不案内になる。
そんなわけで、宝塚市内にユースホステルがほしいと答えた。
今のユースホステルの相場はどれくらいかわからないが、1泊2食と、集会室のスカイステージ放送付きで、5000円前後というのは無謀な話だろうか(^-^;)。
(42)2002年の宝塚
(2002/12/30)
夢とは、こんなにも儚いものだったのか……。
希望を胸に抱きながら、正月を迎えたはずだった。目前に迫ったトップ娘役就任に、大きな夢を見ながら、2002年という年を迎えたはずだった。
しかし、この1年が終わろうとしている時、感じているのは言いようのない空虚感、閉塞感、悔しさ、怒り……。
嫌な予感を全く感じないわけではなかった。昨年暮れの段階で、匠ひびきの1作退団が決まっていた。そして、絵麻緒ゆうも……という噂がまことしやかに流れていた。その噂の中で、同時退団説も挙がっていた。
今年の、個人的な宝塚の出来事のトップは、言うまでもなくこれである。
紺野まひる 退団
ファンの夢が叶い、トップ娘役になった。だが、お披露目公演の「追憶のバルセロナ」/「ON
THE 5th」が、同時にサヨナラ公演になってしまった。
改革・若返り路線のために1作退団させられた絵麻緒ゆうに、ついて行くかのような、退団のしかただった。
このエッセイでも、ファンとしての無念な思いを書いた。だが、それでもまだ語り足りないほどの無念な思いが、自分の中に残っている。この無念な思いは、宝塚ファンであるかぎり、忘れることはないだろう。
大劇場お披露目の初日がサヨナラ公演の初日。これがファンにとってどれだけこたえたことか。贔屓の大劇場お披露目の初日なのに、寂しさも感じなければいけなかったことが、どれだけ無念だったことか。
激動の年だった。
1月に最後の新人公演。3月から4月にトップとして始めての公演、そしてその公演の興奮もさめやらぬ時の、退団発表……。5月、1回限りのトップ娘役公演が始まる。7月に、同時退団の絵麻緒ゆうのライブに出演。そして9月……。
9月23日のことは忘れられない。今までになく好きになった生徒の、宝塚最後の日を見届けようと、日比谷を駆け回ったこと。最後の舞台を見ながら、ボロボロに泣いていたこと……。
僕はどの組のファンでもなくなった。特定の生徒のファンでもなくなった。単なる宝塚ファンでしかなくなった。
自分が好きだった生徒が、今までにはなかった退団劇でやめていった。それを目の前にして、もはや特定の組や生徒のファンになろうという気力が萎えてしまった。ただ単に、宝塚歌劇の世界が好きだから、宝塚ファンを続けているに過ぎない。
そして、今でも立ち止まってしまっている。
何で、紺野まひるがトップ娘役一作でやめなければいけなかったのか? もっと見ていたかったのに。トップ娘役としての、紺野まひるの活躍をもっと見ていきたかったのに。
退団しても、紺野まひるに夢を追い続けることはできる。実際、僕は今でも「女優 紺野まひる」のファンである。だが、宝塚でしか見られない夢がある。その夢を、もうしばらく見ていたかったのだ。
こんな年だから、観劇回数も物凄く偏った。
最高観劇回数は言うまでもなく、雪組「追憶のバルセロナ」/「ON THE 5th」。観劇回数が2桁に達したのは始めてのことだ。一度限りのトップ娘役公演だから、宝塚ファンとしての全精力を注いだ。大劇場は初日とその翌日を観劇し、さらに大阪出張にぶつけることで、もう2回観劇した。そして東京公演は、毎週東京宝塚劇場に通った。
1〜2月に、「愛燃える」/「Rose Garden」の東京公演もあったから、雪組ばかりかなり観劇した年になった。
そんな今年の、よかった作品をあげてみても、かなり偏っている。
1.雪組「Yu Emao Live In BLITZ」
宝塚では始めてのスタンディング・ライブ。絵麻緒ゆう・紺野まひるのファンにとっては忘れられないステージだ。
ステージと客席の一体感がとても心地よかった。嫌なことを全て忘れて、好きな生徒の名前を叫ぶことができたのが嬉しかった。昭和から平成までの歌謡曲・J-POPが中心という、親しみやすい選曲もよかった。そして、MCでの、絵麻緒ゆう・紺野まひるのトークがとても面白かった。
終わった時、結構疲れを感じた。だが、思いっきり手を叩き、叫び、笑った後の疲れは、とても爽快なものだった。
2.雪組「殉情」
これもまた思い出深い。
まだ退団が発表される前のこと。絵麻緒ゆう・紺野まひるのトップ就任を心の底から祝いながら観劇できたという大きな思い出が残っている。
ファンとして手前味噌な書き方になるが、絵麻緒・紺野コンビの出来がとてもよくて、これからの舞台に大きな希望を感じたものだった。実際には、その希望は、かなり淡い希望だったのだが……。
そして、作品自体もとてもよかった。初演時には宝塚ファンではなかったので、この作品は初めてだが、この作品ほど泣けた作品はなかった。前半の、春琴がかごの鶯を持って歌うところでまず泣いた。そして後半の、佐助が目を潰したところはもう、嗚咽なしに見られるものではなかった。
3.月組「長い春の果てに」
雪組以外の公演で、1作あげるなら、この作品である。ストーリーがとてもよかった。
宝塚的な、夢のあるラブストーリー。疲れている時に、この作品を見ると、心の底から癒されているような気持ちになれる。そんな暖かみがあった。仕事やらプライベートやらで、色々と感じていた疲れを、しばし忘れさせてくれるものがあった。
そして、「やっぱり自分は宝塚の世界が好きなんだ」と改めて、実感させてくれたものだった。
こんな、暖かさと夢のある物語を、これからも見たいものだ。
さて、ここでお気づきの方も多いと思うが、上に挙げた3つの作品、全て石田氏の演出による舞台である。これは偏りでなく偶然なのだが……(^-^;)。
しかし、今年はずいぶんと石田氏を見直した年である。今までは、「悪趣味なコスプレばかり」と言ってしまうことが多かったが、今年の一連の公演を見て、結構いい舞台を見せてくれるじゃないかと認識が変わった。
あと1つ、石田氏の舞台以外から挙げよう。だが、雪組である(^-^;)。
4.雪組「Rose Garden」
東京で上演されたのは今年だから、今年の作品に入れた。
通って何度も見ているうちに、潜在意識下に刷り込まれて好きになった。そんな作品である。特に強烈な理由があるわけではないが、結構個人的に好みの場面が多かったし、主題歌も気に入った。毎回かなり楽しんだ覚えがある。
岡田氏はやはり、「ロマンチック・レビュー」だと思う。
激動の2002年が、終わろうとしている。
希望に燃えていた昨年末と違い、今年は何とも言えぬ閉塞感を感じている。僕の贔屓の退団が最大の理由ではあるが、宝塚歌劇団を取り巻く環境と、それに対する劇団の対応を見ると、さらなる閉塞感を感じずにはいられなくなってくる。
底なし不況にあえぐ時代だからこそ、ファンに暖かい夢を見させてくれる宝塚であってほしい。だが、今の状況を見ると、来年に対して、明るい希望が見えてこない。
2003年。宝塚と、宝塚ファンにに待ち受けているものは何だろうか。
今まで以上の閉塞感を感じるような年にはならないでほしいと、ただ願うのみである。
(41)1作トップファンの無念
(2002/11/14)
今更こんなことを書いても、「成仏できないまひるファン」などと言われるだけであろうか……。
だが、やっぱり無念さがどうしてもぬぐいきれない。
何とか前向きに宝塚ファン生活を続けようと頑張っているが、ふと立ち止まってしまいそうになる。
紺野まひるの1作退団に。
なぜ、紺野まひるが1作退団を選んだのだろうか。
「宝塚GRAPH」の9月号では、自らの退団理由をこう語っている。
決め手となっったのはたぶん、絵麻緒さんの「まひるちゃんが(相手役に)なってくれたら…」という一言ですね。それを聞いたときに私は、「これでいい」と思ったんです。その絵麻緒さんが退団することになり、私もご一緒したいと考えました。
この記事を読んだとき、やっぱり絵麻緒ゆうの退団が引き金か……と、切なくなる思いを感じた。ポートレートの写真の可愛らしさに陶酔したい気持ちも一気に吹き飛んだ。
本人自身、色々考えた上での決断であろう。だが、この記事を読むと、どうしてもファンとして考えてしまう。「絵麻緒ゆうの1作退団がなければどうなっていたか」と……。
紺野まひるも、「娘役」だった。
時代の流れに翻弄されてしまう、その時々の劇団の政策に翻弄されてしまうのが、娘役の宿命である。そんな娘役の宿命に、紺野まひるも従わざるを得なかった。
もし、絵麻緒ゆうがせめてもう1作、トップとして大劇場に立てたのなら、紺野まひるも、トップ娘役として、もう1作大劇場の舞台の上に立っていたのではなかろうか。
匠ひびきと絵麻緒ゆうの退団劇。これには、ファンとしてあまりに受け入れがたいものがあった。
匠ひびきは、退団会見で「トップになったことで、退団を決めた」と語った。この言葉に、あまりにも不自然な響きがあった。実際、会見での匠ひびきの表情は決して明るくなく、一般マスコミまでが、退団劇に疑問を感じたほどだ。
絵麻緒ゆうに至っては、退団会見ではっきりと言った。「1作だけというのは残念だが、劇団の方針に従った」と。
両者は、自分の意志でなく、劇団の意向で、トップ1作で宝塚を退団せざるを得なかった。改革・若返りという劇団の路線変更のもと……。
紺野まひるに最も合う男役が、絵麻緒ゆうだった。「パッサージュ」での初コンビから、絵麻緒・紺野コンビは本当に輝いていた。絵麻緒ゆうは、紺野まひるの娘役としての持ち味を存分に引き出してくれた。そして、紺野まひるは、絵麻緒ゆうをより輝かせるものを持っていた。
トップコンビが決まったとき、すでに絵麻緒・紺野は切り離せないコンビになっていた。その絵麻緒ゆうが、退団せざるを得なくなったのなら、紺野まひるも退団せざるを得ない。そんな雰囲気があった。
確かに、最終的に退団を決めたのは、本人の意志かもしれない。だが、宝塚全体の流れの中で見てみると、紺野まひるは、改革・若返りの路線に巻き込まれて退団に追い込まれたようなものだ。
これほどまでに、劇団がファン心理を理解していないとは思わなかった。
多くのファンにとって、生徒を応援しているときに見ている夢は、トップスター、トップ娘役である。しかし、トップ就任=宝塚生活のゴールではない。トップとして、活躍している姿を見ていきたい。それもまた多くのファンにとっての夢なのだ。
- 「追憶のバルセロナ」は、比較的いい作品だったが、濃厚なラブシーンのある作品も見てみたかった。
- 「ON THE 5th」はそれなりに面白いかもしれないけど、テロなどという血生臭いものの出ないショーも見てみたかった。
- 「歌劇」の表紙や、スターカレンダーを飾ってほしかった。
(紺野まひるはトップ在任期間が短くて、どちらも実現できなかった)
9月23日になっても、僕はこんなことを考え、サヨナラショーで涙した。
「いまだにこんなことを書く国やんは、成仏できないまひるファンだ」と笑う方もいるかもしれない。だが、僕はそれを覚悟で書いている。
トップになったことで、ファンの夢が完結するわけではない。夢の続きがまだ待っているのだ。
劇団は温情のつもりで1作トップというやり方を選択したしたらしいが、こんなの温情ではない。一般企業のリストラにも匹敵する冷酷人事と、陰湿すぎるファンいじめである。
追いかけてきた生徒のトップが決まり、もうすぐお披露目公演。これから、どんなトップになっていくのだろうと期待しながら、お披露目の大劇場公演の初日を楽しみにしている。そんな、ファンとして幸せな時間を送っているときに、「お披露目公演で退団」という劇団発表。あまりに残酷過ぎはしないか?
忘れもしない4月18日。退団の第一報に冷静に対処しつつも、心の底では、劇団への怒りを感じていた。お披露目公演の初日を前に、退団の寂しさを味わされたことに。
そして5月23日。お披露目・サヨナラ公演の初日を絵麻緒ゆうファンの友人と観劇した。このとき、友人と一緒についた溜息は、「せめてあと1作させてくれたら」だった。
初めから、長期になるとは思っていなかった。短命の覚悟はしていた。だが、せめて3作との思いは持っていた。たとえ3作が無理でも、大劇場お披露目とサヨナラは切り離してほしかった。
お披露目の初日は、何もかも忘れて、純粋に喜びたかったのだ。好きな生徒がトップになったことに。
いくらここに書こうとも、劇団は無視するかもしれない。現在のファンを全て捨ててでも、新しいファンを獲得しようと必死になっている現状では。
だが、劇団の人たちに、人の心があるのなら、もう少し考えてほしい。匠ひびき、絵麻緒ゆう、紺野まひるのファンがどれだけ無念な思いをしたか。
最後に、1作トップファンの一人として、絵麻緒ゆうには感謝の言葉を贈りたい。
「残念だけど、劇団の方針に従った」
あまりに正直すぎるこの言葉を一般マスコミ相手に言ったことが、1作トップファンのせめてもの救いだった。
(40)2001年の宝塚
(2001/12/29)
今年は何ともアンバランスな観劇回数になってしまった。花組と雪組はかなり見ているのだが、その他の組はさっぱり。1回も見ていない組もあるほどだ。
大きな原因は今年の東京宝塚劇場のチケット事情。毎公演、即日完売というすさまじさ。とてもながら、全ての組のチケットを手にするのは困難なものがあった。おかげで、少々の財政的余裕ができたが、宝塚ファン生活は少々枯れたものとなってしまった。
ただし、紺野まひるにだけは、しっかり入れ込んでいたが (^-^;) 。自分で言うのも何だが、今まで以上に激しく、紺野まひるに入れ込んだ年だと思う
(^-^;)
そんな2001年を、振り返ってみた。
まずは個人的に大きかった宝塚の出来事。
1.紺野まひる 次期雪組トップ娘役に内定
やっぱり、ファンとしてはこの出来事は非常に大きい。好きな生徒が、娘役の頂点まで登りつめることになったのだから。
正式発表のあった、10月11日は、僕にとって忘れがたい日だ。第一報が入ったときのことは今でもよく覚えている。第一報が飛び込んだ瞬間の、あの震えるような感覚。公式ページのヘッドラインを見たときに、涙腺が緩みそうになったこと。嬉しさに崩れてしまっていた。
そして、発表後の掲示板。いくつものお祝いメッセージが嬉しかった。常連の方だけでなく、普段は読んでいるだけの方からもメッセージを書き込んでもらえた嬉しさ。これも忘れることができない。
2.チケット不足
チケットには今までになく振り回された年だった。
冒頭にも書いたが、東京公演のチケットがとにかく手に入らなくなった。特に、今年後半の凄まじさ。宝塚友の会の抽選では当たらないし、一版発売はどれもすぐに完売してしまう。今までのように、各組最低1回は見るということが、難しくなってしまった。実際、宙組の「ベルサイユのばら2001」と、月組の「大海賊」/「ジャズマニア」は観劇できなかった。星組の「花の業平」/「サザンクロス・レビュー2」も、後からチケットを譲ってもらえて、やっと観劇できたものだし。
関西ではバウホールのチケット事情も気になった。若手の人気の高い生徒ばかり主演にするから、チケット不足は今まで以上の激しさを感じた。どうしてもバウホールで見たかったのに、チケットが入手できず、青年館が精一杯という残念な経験もさせられた。
この異常なチケット不足、今年だけで終わりそうにない。東京宝塚劇場は、来年1〜2月の雪組も、チケット不足になっている。そして、その次の宙組も、宝塚友の会の抽選の倍率は高かった。
いったい、いつまでこの状況を我慢しなければならないのだろうか。
今年の、よかった作品は次のようなもの。
この通りのチケット事情だから、本公演さえ全てのものを見れず、作品は限定されているが、僕が何とか見ることのできたものから挙げてみた。
1.雪組バウ・青年館「アンナ・カレーニナ」
かなり私情も混ざってしまっているが…… (^-^;)
娘役ファンにとって、贔屓の、タイトルロールでのヒロインは嬉しいものがあった。
だが、観劇直前になると、ファンであるが故の不安もかなり感じた。何しろ、新人公演以外では初のタイトルロールである。それだけに、観劇前は落ち着かないものがあった。
しかし、実際に見てみたら、不安を吹き飛ばされたどころの騒ぎではない。
観劇後、冷静に感想を書けないほどに打ちのめされてしまっていた。息を飲むほどのアンナの美しさに、今までの「アイドル系娘役」とは違う、紺野まひるの魅力を感じさせてくれた。そして、主人公アンナの生き様を見せてくれた演技力に圧倒され……。観劇後は何も考えられなくなっていたほどだ
。
植田景子氏の脚本もよかった。
後日、ビデオを買ってもう一度見たら、涙なしで見ることはできなかった。
一人一人の人物像が丁寧に描かれている。
特に、アンナの夫、カレーニンの、アンナへの愛情の深さと苦悩の描写は見事だった。貴族としての体面と、アンナへの愛との狭間で揺れ動く姿が、痛いくらいに伝わってくる。競馬場の場面は特に泣けるものだった。
2.花組全国ツアー「あさきゆめみし」
愛華みれの退団前に、もう一度見てみたい。そんな願いが叶ったことが嬉しかった。
気がつくと、雪組の東京公演中なのに、市川のチケットを2回も押さえていたほど。
もう一度見ることのできた愛華みれの光源氏。やはり、当たり役だと思った。儚げな美しさが、目を引きつける。
もう一つ、見たかった、春野寿美礼の刻の霊。こちらもやはり強烈なインパクトで見せてくれた。
そして、舞台そのものの美しさ。日本物の美しさも魅力だった作品だが、それは今回のツアーでも同様だった。舞台装置や、生徒の数など、地方公演独特の制限の多さを乗り越えて、よく見せてくれたものだと思っている。
「あさきゆめみし」は、大劇場で2回、1000daysで2回観劇だったが、それだけでは見足りないものがあった。そして、「もう少し見ておけばよかった」と後悔していた。その不足感を満たしてくれたのが、市川での2回観劇だった。
番外 TCAスペシャル2001「タカラヅカ夢世紀」
生ではなく、実況中継映像の観劇だったので、番外にしておく。
空想版配役の実現が面白かった。実際には実現しないであろう配役だが、演じる者の持ち味と、それぞれが演じた役の役柄がマッチしていて、見応えのあるものだった。中継画像ながら、かなり楽しませてくれた。
しかし、相変わらず「何考えているんだ」と思わせる作品もった。相変わらず、作品の当たりはずれの大きい劇団だ。
今年のワースト作品は……。
1.花組「ミケランジェロ」
典型的な谷作品。相変わらず、「人を殺せば泣いてもらえる」の勘違いしで脚本作を作っている。今回も、何かにつけて人を殺した。
散々人を殺し、ついにヒロインまで殺した果てに、「なぜ人は死んでいくのか!」という台詞。自分で殺しておいて、何を言っているのかと、目を剥いたものだ。
さらに、登場人物の設定や、衣装など、過去の谷作品からの安易な使い回しの連続がまた凄まじかった。
観劇後に、何とも言えぬ脱力感を覚え、溜息をついたものだった。
2.雪組「猛き黄金の国」
宝塚は三菱系列になったのか?と思いたくなるほどの三菱ヨイショの連続に、めまいを覚えた。
特に凄まじかったのが、大劇場の「三菱ダンス」。巨大な三菱マークの吊り物の前で、三菱マークの作業着を着た生徒たちが踊る。目の前でスリーダイヤの乱舞には、現実の世界に引き戻されるものを感じずにはいられないものがあった。東京では作業着が消えて、スーツに替わったが、巨大な三菱マークは健在で、やはり興ざめなものを感じずにはいられなかった。
真面目な場面でいきなりハリセンが登場するなど、ギャグの入れ方も無茶苦茶さにも、呆れるものがあった。
もうすぐ、2002年。
紺野まひるファンの願いが実現する年だ。新専科から雪組入りした絵麻緒ゆうの相手役として、トップ娘役に就任する。就任はまだ先のことだが、ファンとしてはやはり楽しみなものがある。
だが、一方で、現実を見ると、浮かれていられない厳しい空気が漂ってくる。花組新トップ匠ひびきの1作退団など、残念な話が待っている。東京のチケット事情は、いっこうに改善の兆しが見えない。そして、この現実に、拍車をかけるような噂がいくつも乱れ飛んでいる。
現実から漂う厳しさを乗り越えて、宝塚でいくつの夢を見つけることができるだろうか。
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