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(12)「歌劇」の脱力コラム
(98/04/08)
今年1月の「歌劇」のリニューアルで、植田理事長のコラム、「菫花一片」が連載されるようになった。
「虹のナターシャ」、「ザッツ・レビュー」と不評の作品を連発している植田理事長だけに、あまり期待はしていなかったものの、第1回で「僕なりの宝塚論」などと格好いいこと書くから、ちょっと注意して読んでみることにした。しかし、ふたを開けてみれば、何のことはない、「歌劇」を使って、生徒やスタッフと音楽学校生を叱りとばしているだけだった。
よく言えば「叱咤激励」かもしれないが、あまり感心できることではない。時には生徒を叱ることが理事長として必要であるかもしれないが、それは目立たぬところでやるべきで、「歌劇」のような出版物でやるのはいかがなものか。
今月号の「菫花一片」には、さらに脱力感を感じさせられた。努力の必要性を説き、生徒、あるいは脚本家たちの努力を促している。その中で植田理事長は「努力ということは、時間を有効に使うことではなかろうか」と述べている。
この言葉を植田理事長にそっくり返したいと思った読者は結構いるのではなかろうか。あまりに中途半端な終わり方の「虹のナターシャ」(雪組)、自画自賛に溢れ、支離滅裂で、物語の焦点がはっきりしない「ザッツ・レビュー」(花組)など、最近の不評作の大半は植田理事長のペンによるものである。僕自身、宝塚にのめり込み始めてから何本も見ているが、植田理事長の脚本にはいつも不満を感じさせられる。
「ベルばら」の脚本で、傾きかけていた宝塚を立て直した植田理事長の功績は認めている。しかし、植田理事長はその成功に、慢心しすぎてはいなかったであろうか。最近の植田理事長の作品には、とてもながら「菫花一片」に書いてあるようなことを実践した形跡が見られない。
自分の作品に対するファンの評価を考えてからものを言ってもらいたいものだ。僕が植田理事長の立場なら、おそれ多くて「歌劇」にこんなことは書けない。
(13)ファンにはこたえられない1冊
(98/04/27)
今年に入ってから、「ザ・タカラヅカ○組特集」と題された本が毎月1冊ずつ発売されている。すでに、星、月、花、雪の順で発売されていて、残るは来月の宙組のみ。
1冊1800円もするため、贔屓の組以外には手を出しづらいのが難点であるが、この特集本、最近の劇団出版物の中ではかなりのヒット作に入るのではなかろうか。
少し前の話であるが、僕も日比谷のキャトル・レーヴで花組特集を購入した。真矢みき、千ほさち、愛華みれの表紙ですでに震えるものを感じさせられる。
内容も1800円が安いと思えるくらい充実していた。
花組の場合、舞台写真、スター紹介、スター座談会、生徒企画、扮装コーナー、生徒のプロフィールで構成されている。
舞台写真では見開きで入っている「ザッツ・レビュー」のすみれのボレロが圧巻。公演時にも評価の高かったシーンであるが、あの迫力が見事に写し出されている。
スター紹介ではトップスター真矢みき以下、男役の有力どころとトップ娘役の千ほさちが登場。ここの千ほさちの写真がたまらなく美しい。見ているだけで、気を失ってしまうのではと思ったくらいである。千ほさち、最高である。
スター座談会は生徒同士が表裏なしにお互いを批評しあっている。かなり本音も出ているが、決して悪く言っているとは思えない表現である。お互いに伸びてほしい。そんな思いが伝わってくる言葉ばかりである。特に千ほさちに対しては、期待度の高さが伺えて、ほさちファンとしても花組の皆さんに感謝したくなる思いである。
生徒企画のページは「宝塚のエンターテイナー」真矢みき率いる花組ならではの楽しさに溢れたページ。ページをめくる度に、クスッと笑わされる。
扮装コーナーは里見八犬伝。ここで思ったのは、「エリザベート」でなくてよかったと思うこと。真矢みきのトート閣下とか、千ほさちのシシィを見せられたら、気を失うでは済まないかもしれない。ここは真矢みきがとにかく格好いい。
贔屓であり、手元にこれしかないというわけで、花組特集の話ばかりになってしまったが、他組ファンのホームページに書かれたそれぞれの組の特集本の話題を読む限り、それぞれの組や生徒の持ち味と美しさが存分に描かれているようである。
自分の贔屓の組の特集に関しては、こたえられないものを感じさせられる一冊である。
このホームページをお読みいただいている皆さんにも、贔屓の組の特集本を買ってみることをおすすめしたい。
(14)1000days劇場
(98/05/10)
東京の宝塚専用仮設劇場「TAKARAZUKA 1000days劇場」の完成が近づいてきた。すでに工事もほぼ終わり、後は月組公演を待つだけといった状況であろうか。
すでに外観は見ているが、宝塚をビジネスとしてとらえ、東京でも積極的に売り込んでいこうとする阪急電鉄の意欲が伺えてくる。外壁に大きく「宝塚歌劇 1000days劇場」と書かれ、すぐそばを走っている新幹線の乗客や東海道線の通勤客に「ここで宝塚をやるんだ」と訴えかけている。
その意欲は買えるのだが、ピンクに塗られているのはあまりいただけるものではない。ピンクほど使い方の難しい色はなく、うまく使えば可愛らしい色使いになるが、失敗すれば単なる悪趣味になってしまう。1000daysのピンクの使い方は、どちらかというと後者の方だ。プレハブ建てと相まって、あまりいい印象を与えるものではない。しかも、背後にあるのは丸の内のオフィス街だけに、よけいに周囲から浮いてしまっている。
場末の怪しい劇場じゃあるまいし、阪急電鉄も何を考えているのだか。仮設のものとはいえ、もう少し考えてほしかったものだ。浮いた色にするなら、せめてすみれ色程度にとどめてほしかったものである。
とはいえ、1000days劇場によって、新東京宝塚劇場完成までのつなぎの宝塚専用劇場ができたのはありがたい。帝国劇場での苦しい演出を見た身としては、どんな形であれ、宝塚専用劇場での公演になることに安堵感を覚えている。後はオーケストラボックスさえあれば言うことなしなのだが、あの劇場にそこまで望むのは無理であろうか。
(15)花組公演始まる
(98/05/18)
宙組のお披露目公演も大好評のうちに終わり、宝塚大劇場では花組の「SPEAKEASY」/「スナイパー」が始まった。
今回に関して言えば、「始まってしまったのか……」という思いが強い。今回は「宝塚のエンターテイナー」とまで言われたトップスター、真矢みきのサヨナラ公演。
できることなら、始まってほしくなかったものだ。真矢みきのファンはこの思いを強く感じたであろう。千ほさちファンであると同時に、「真矢・千コンビ」のファンでもある僕でさえ、かなり今回の公演には感傷的になりそうなものを感じているのだから。
「SPEAKEASY」の脚本は、最近では植田理事長の次に評判の悪い谷正純氏であるが、今回の脚本は結構出来がいいらしい。NIFTY
Serveの「シアターフォーラム宝塚館」に寄せられた声を読む限りでは、「SPEAKEASY」の評価は谷芝居にしては高かった。嬉しい期待外れだ。
宝塚の脚本は当たり外れが大きいが、トップ級の退団公演なら、やはりそれなりの脚本は用意してもらいたいもの。トップスターの思い出とともに記憶に残る作品なのだから(その点で次の星組は心配である。サヨナラ公演の脚本が植田理事長とは、麻路さきも間が悪い……)。
観劇はまだ先ではあるが、真矢みきの最後の公演が「典型的谷作品」でないとわかり、一安心である。
もっとも、脚本がどうであれ、確実に期待できるものがある。真矢・千コンビの美しさ。植田理事長の手法が炸裂し、評判が悪かった「ザッツ・レビュー」においてでさえも、それぞれのファンを泣かせた名コンビである。脚本の善し悪しとは無関係に、最高の美しさを見せてくれるはずである。しかし、この名コンビも、今回が最後であることを思うと、「楽しみ」などという言葉は出てこないものがある。
宝塚にのめり込んで初めて贔屓の組のトップスターの退団公演を迎えたが、こんなにも複雑な思いのするものだとは思ってもいなかった。
(16)ムラ行きの準備
(98/05/25)
僕は関東在住なので、普段は東京公演を中心に観劇しているが、花組だけは必ず大劇場公演も見るようにしている。
そんなわけで今回の「SPEAKEASY」でもムラ行きの計画を立てた。日程は6月6日(注:掲示板の方で5月30日と書いていたが、その後別の予定の関連で1週間ずらすことになった)。
今回はチケットの入手に難儀した。前回、結構簡単にチケットを入手できたので、たかをくくっていたら、1か月前の電話予約が午前中で売り切れるというの早さ。考えてみれば、それも当然だ。前回は大不評どころか公演前から全く期待されていなかった植田理事長の作品である。しかし今回は、現役生徒中最も人気の高い、トップスター真矢みきの大劇場サヨナラ公演。植田作品と同様にチケットが買えるわけない。僕は見込みの甘さを猛省した。
まずはチケットを現地調達する場合に備えた準備を始めた。まずは新横浜を6時16分に出るのぞみ1号の予約。次のひかり187号にしてしまうと、大劇場のチケットカウンターが開く9時半前に宝塚に着くことはできない。乗車券も、普段は大阪までしか買わないところを、福知山線の宝塚まで通しで買った。阪急宝塚線の急行では、乗り換えに時間を食う上に、電車自体が遅いので、9時半に着くことはできなくなってしまう。できれば福知山線は使いたくないが、やむを得ない。
そうしているうちに、観劇日の2週間前となった。ここでもう一度、予約の電話を入れてみる。
最近では劇団のホームページにも書かれるようになったが、公演日の2週間くらい前になると、団体のキャンセルの戻りが一般発売用に回ってくる。千秋楽や新人公演をのぞけば、ここでチケットが入手できる可能性は結構高い。僕が初めて宝塚を見たときも、この方法で手に入れた。
電話してみると、団体キャンセルの戻りらしきチケットがあった。S、A、Bの3ランクともそろっているという。S席をにしようと思ったら、2階4列L2番と言われた。値段は確かにS席だが、立地はA席のようなものだ。念のため、1階A席はあるかと聞いてみた。2階でS席料金はたとえ最前列中央でも払いたくないし、今回は真矢みきが客席から登場したり、客席に生徒がおりたりするというので、たとえA席の28列L1番やR1番(最後列の両端)でもいいから、1階で見たかった。聞いてみると、1階の空席が出てきたので、迷わずこちらを予約した。
念願の1階席の入手に機嫌よくなり、表情をゆるませながら予約番号を控えた。
すでに大阪のビジネスホテルの予約も済んでいるので、とりあえず6日のムラ行きの準備はできた。ちなみに7日は別件で京都へ移動するので、観劇は6日だけになる。あとは、友の会貸し切りの3時の部を、さばき待ちで現地調達するのみ。
(17)最近の日比谷、有楽町界隈
(98/07/04)
「レ・ミゼラブル」を見に帝国劇場へ行った折に、時間があったので日比谷、有楽町界隈を歩いてみた。
まずは1000days劇場。中には入らなかったが、仮設劇場であるにもかかわらず、結構ゆとりが感じられる。正面入り口の前が少し広く取られているのはいい配慮。これなら通行人に邪魔されずにさばき待ちなどができる。キャトル・レーヴ1000days劇場店ができたのも嬉しい。
チケットカウンターへ行ってみると、7月20日(海の日)の宙組の空席を見つけたので購入した。新組のお披露目公演は見てみたいと思いながらも、チケット入手に動けなかったのでちょうどよかった。最も、19日が花組の並びなので、抽選の結果次第では、さばきに出さなければなくなってしまうが。
それから日比谷シャンテのキャトル・レーヴへ行ってみる。1000days劇場店ができたおかげでさすがに静かである。駅から少し離れた場所にあるだけに、2001年の新東京宝塚劇場竣工まで持つのかどうか気になってくる。1000daysの方もある程度の広さが確保されているだけに、何か両者の差別化をしなければ苦しかろう。
日比谷シャンテを出て東京宝塚劇場改築現場を見てみる。
すでに旧東京宝塚劇場の建物は消え、囲いの中は更地となっていた。
1000daysで観劇の折にキャトル・レーヴへ行くのなら、あえて日比谷シャンテ内にある東京店へ行くといいかもしれない。店がすいているし、すぐそばが東京宝塚劇場改築現場なので、宝塚が新しい時代に向かって進んでいるのを実感することができる。
(18)「歌劇」7月号は脱力の連続
(98/07/11)
「歌劇」7月号がひどい。読んでいて脱力させられた箇所がいつもよりも多かった。
まず最初の脱力ポイントは当然ながら植田理事長の「菫花一片」であるが、これはとりあえず後に回すとして別の場所を挙げてみたい。
まずは小林会長のコラム「花の道より」。TCAスペシャルの話の中で、「……新しくファンになられた方々のために、”愛読者大会”とは何かということをご説明すべきであるが、平成五・六・七年と三年続いたTCAスペシャルで、少しはその雰囲気を感じていただいたことと思うので、ここでは省略させていただく」と述べている。
小林会長はファンを大事にしていないと判断せざるを得ない。わずか2日間3回のみで、チケット入手にはよほどの強運が必要なTCAを誰もが見ていることを前提に話を進めるとは。
TCAのようなイベントは、見られないのが当たり前ということくらい、劇団は理解して当然ではなかろうか。そして、このようなイベントについて「歌劇」などで書く場合は、見ていない人のことを念頭に置いて書くべきであることは、ファンに対する礼儀ではなかろうか。一応、TCAの話題の最後の方で、「僅かに七千五百余の皆様にしかご覧いただけないのは……」と詫びの言葉は入れてある。しかし、取って付けたような感じが非常に漂う一節であり、お詫びの気持ちは伝わってこない。
余談であるが、TCA等のイベントに関して一言。著作権の問題でビデオに収録できない曲を使うのはやめてもらいたい。あのプラチナチケットの入手に成功したファン以外は、ビデオで雰囲気の何分の一かを感じること以外はできないのだから。
読者投稿の「高声低声」は「スナイパー」に関するファンの声の扱いに疑問を持たされた。「スナイパー」に関しては、好意的な投書が1通採用されただけ。そしてこの唯一の「スナイパー」について書かれた投書では、劇団ホームページで最も問題視された「アウシュビッツの空」を非常に高く評価している。
これがファンの声でないことは、劇団のホームページの掲示板や、宝塚ファンによるホームページを見ればすぐにわかる。実際には他のショーと差し替えにしてほしいという投稿が劇団ホームページになされるほどの悪評。「アウシュビッツの空」は賛否両論も、「重すぎる」という否定的声の方が多い。
もともとファンの声の取り上げ方に偏りのある「高声低声」ではあるが、「スナイパー」の公演評の取り上げ方は、意図的な情報操作に近いものを感じさせられた。「スナイパー」に関しては、批判の投書がかなり多かったはずである。1通くらいは「スナイパー」に好意的な意見が載るのは悪くないが、実際のファンの声を考えれば、否定的意見も載せてしかるべきはずである。
「高声低声」はファンの声を読者に紹介するページなのだから、自分たちに都合のいい意見だけでなく、批判的な声も紹介してしかるべきはずである。
そして話は「菫花一片」に戻る。これに関しては劇団ホームページの掲示板(「ファン」のコーナー)で叩かれているが、もっともな意見が大半である。(筆者注:一連の植田理事長批判投稿は、7月13日に全て劇団スタッフにより削除されました)
これに関しては、連載中止を編集部に要求したい。
あれが宝塚歌劇団理事長の書くコラムか。連載開始当初から、毎号呆れていたが、今回ほど呆れたものはない。
まずは自分たちの仕事はお客様あっての仕事であり、劇場にできるだけ来てもらうようにしなければならないと書いている。そして「「この芸術を理解出来る人にだけ見て貰えばいい」なんてことは通用しない」と述べている。植田大先生(笑)、「虹のナターシャ」(雪組)をお忘れではないでしょうね(最近宝塚ファンとなられた方のために、「虹のナターシャ」について説明させていたくことにする。この作品は林真理子氏、大和和紀氏による漫画を植田理事長の脚本によって宝塚用にリメイクしたものである。当時、原作の連載が終わっていないために非常に中途半端な終わり方となってしまい、大不評だった)。「虹のナターシャ」を書いておいてよく言えるものだ。佳境で話がブツリと切れるあの作品こそ、「理解できる人に見て貰えばいい」といった姿勢がうかがえてくるものだが。もし忘れているのなら、「虹のナターシャ」のビデオを見ていただきたいものである。
そして劇団ホームページで植田批判が展開される原因となった部分へ続く。
5組中、雪組公演だけは観客の入りが、予想を下回ったと嘆き、それに関して年末から始まったのが大きな要因だと分析している。無責任きわまりない。「エリザベート」以降の雪組をもう一度考えてほしい。まず「虹のナターシャ」が中途半端で、「仮面のロマネスク」が難解で、「春櫻賦」はストーリーが飛んでいる。「芝居の雪組」で売りながら、その実は5組中最も脚本に恵まれず、なかなか本領が発揮できない。まずはいい脚本を提供できないスタッフ側の責任がまず大きいのではなかろうか。自分たちのことを棚に上げて、日程配列が悪いとか呑気なことが言えるとは、劇団スタッフの仕事はずいぶん恵まれている。
年末から始まる正月公演が悪いわけではない。確かに、理事長の考え通り、元旦初日の方がいいとは思うが、すばらしい作品なら年末から翌年2月頭まで、何度でも通いたくなるものである。それだけの魅力を、雪組公演で提供できなかったのが、不振の原因ではなかろうか。
植田理事長のこの無責任な発言にほとほと呆れさせられた状態でさらに読み進む。
3段組の最後の段は、植田理事長お得意の自画自賛が炸裂。呆れた状態にさらに拍車をかける。もはや「脱力」などという言葉では片づけられない。
本当に反省すべき点を明確にできず、呑気な分析をしたあげく、自画自賛まで展開する。こんなコラム、もはやいらない。開かなければいいのかも知れないが、見開きの反対側の月影瞳が登場する池田銀行の広告が楽しみで、つい開いてしまうのでいやでも目に飛び込む。何とかしてほしいものだ。
とにかく脱力ものが多かった「歌劇」7月号。そろそろ編集方針を考えた方がいいのではなかろうか。こんな内容では、宝塚ファンにすらそっぽを向かれてしまう。
ページをめくっていると、中の方にアンケートはがきが入っていた。とりあえず、「菫花一片だけはやめてほしい」と書いて送ろうかと思っている。
(19)並び3連敗の怒り
(98/07/19)
くじ運が悪い。「SPEAKEASY」東京公演の並びに行ってきたが、はずれを引いてしまった。これで花組の並びは3連敗。プレイガイドで何とか一回分は確保できたが、D席が精一杯だった。
仕方ないといえば仕方ない。前回は旧東京宝塚劇場の最後の舞台で、今回はトップスターのサヨナラ公演。並びの人数が増える要素を持った公演が続いている。今回などは、真矢みきのサヨナラだけに、いつもの並び、さらには旧東京宝塚劇場最後の前回をもはるかに越える人数が日比谷三井ビル周辺に行列を作った。これだけ並んだのは、一路真輝や天海祐希の退団の時以来ではなかろうか。これでは、3連敗の結果も無理はないとは思う。しかし、3連敗ともなるとおとなしく諦めるわけにはいかなくなってくる。
まず疑問に思うのが、一人当たりの割り当て枚数の問題。現在は1000daysの場合、一人3公演6枚まで(ただし、千秋楽と新人公演の予約可能枚数は2枚まで)となっている。これは硬直的ではなかろうか。普段の公演なら、この枚数でもいいかもしれないが、今回のようなトップスターのサヨナラ公演でも同じ枚数というのはいかがなものか。今回のような、普段よりも並びの参加者が多くなると事前に予測可能な公演だったら、一人当たりの割り当て枚数を減らして、もっと多くのファンにチケットが行き渡るようにする配慮はあってもいいのではと思う。1回くらい観劇回数が減っても、より多くのファンが見られるようになれば、それだけ多くの人がいい夢を見られることになるのだから。
それから、はずれ券を引いてしまった人の救済措置も考えてほしいものである。日曜日に抽選があり、木曜日からは整理券なしの先着順での販売に切り替わる。これを考え直せないものか。当選者への発売が終わったら、週末まで発売を中止する。そして、週末にまずはずれ券を持った人への優先発売を実施する。これくらいやってもいいのではなかろうか。
わざわざ日曜の7時などという早朝に並んでくれた客に「ごめんなさい、ハズレです」の紙切れ一枚で済ますというのは、無礼にも程がある。今の宝塚人気を考えれば、はずれが入るのも仕方がないものはあるけれども、はずれ券を減らす努力は見せてほしいものである。いくら好きでやっているとはいえ、早朝から並んで毎度はずれでは、劇団不信に陥ってしまう。
「巨人戦、大相撲、宝塚」。これが世間で言われるチケット入手難の御三家である。人気の証拠であるけれど、こう言われることは決して名誉ではない。ファンの需要に応えられないということの証拠でもあるのだから。
もっと多くのファンにチケットを配布できる方法を劇団は考えてほしいものである。
(20)悪夢のような公演予定
(98/09/15)
星組と花組の来年前半の公演予定を聞いてめまいを覚えた。大劇場、1000days公演は、星組が「West
Side Story」、そして花組が植田理事長の"一本立て大作"(題名不明)になるとか。まだ公式発表ではないが、劇団ホームページの掲示板でこのあたりの情報が削除されないのだから、99パーセントガセネタではなかろう。
恐ろしいまでファンが見たいものとはかけ離れている。
それでなくても最近の本公演の上演作品の偏りにはひどいものがある。ファンの人気の高い正塚晴彦氏が「West
Side Story」の演出補しかしていない一方で、植田理事長の愛弟子の谷正純氏の作品がこの1年で3作も上演されている。植田作品の演出を手伝っている石田昌也氏の作品の回数も多い。露骨な情実人事である(全く、夢を売る劇団のフロントがこれでいいのか……)。植田理事長も折あるごとに脚本を書いてはファンから「もうやめてくれ」と影で叩かれている。
そんな状況の中で11月以降の予定が宙組「エリザベート」→花組植田作品→星組「West
Side Story」と決まったのだ。めまいを覚えずにはいられない。
海外ミュージカルの再演が悪いとは一概には言えぬが、「エリザベート」のあと一組おいて「West
Side Story」なんて、宝塚でなくてもできることだ。両作品のバカ高い上演権料をペイしなければ阪急電鉄に怒られるという劇団の苦しいお家事情はわかるけれども、そのために宝塚らしさの少ない海外ミュージカルばかり見せられるのはたまらない。
そしてその海外ミュージカルの間に植田作品とは。それも新トップスターお披露目の正月公演で……。全くファンの声に耳を傾けていない。多くのファンはもう植田作品には辟易しているのだ。宝塚ファンですら赤面するほどの自画自賛、支離滅裂な展開、クサい台詞……、いつもそんな要素に満ち溢れている植田作品など、もう見たくないのだ。
さらに、植田作品がまたもや花組公演で上演されるというのも問題だ。昨年、「ザッツ・レビュー」で大顰蹙を買ったばかりだというのに、一公演おいてまたもや植田作品。花組を殺す気なのか。植田→谷・石田→植田という師弟あるいは側近による作品ばかりでは、ファンは花組から離れるだけだ。次回の花組公演が「ザッツ・レビュー」並のしょうもない作品なら、一気に花組は不人気の組になってしまうであろう。いくら役者がそろっていても、ロクな作品が見られないのだから。
折しも、真矢みき、麻路さきなどトップ級の退団が相次いでいる時期である。これにより贔屓の現役生徒がいない宝塚ファンが一気に増える。僕も、10月5日に千ほさちが退団すれば、贔屓の現役生徒はいなくなる。
僕を含め、多くの贔屓の現役生徒がいないファンをつなぎ止めていく自信が劇団にはあるのだろうか。
今まではたとえ作品が悪くても、贔屓の生徒がいればそれが劇場に足を運ぶ原動力になっていた。「スナイパー」を酷評しながらも4回も1000daysに通う(9月15日現在)など、僕の場合は千ほさちがいるからこそできるのである。贔屓の生徒がいなければあんな悪趣味コスプレショーを4回も見るなどという苦行はできない。贔屓の生徒が宝塚を去ってしまえば、作品そのものが劇場へ足を運ぶきっかけになるのだ。だから、再演に再演を重ねられている海外ミュージカルや、植田理事長とその側近の脚本によるつまらない作品ばかり見させられたら、自然と劇場から足が遠のいていくことになる。
上演作品に何を選ぶか、これも宝塚の運命を左右することを劇団は忘れてはならない。