隠れ宝塚のひとりごと(10)
−宙組(そらぐみ)お披露目は2本立て−
(1998/1/16)
このところの1本立てラッシュはいかがなものか。月組の「EL DORADE」に始まり、花組「ザッツ・レビュー」、星組「ダル・レークの恋」と、東京では1本立てが3作続く。ムラでは花組と星組の間に、雪組の「真夜中のゴースト」/「レ・シェルバン」が入っているが、これは東京に来ないため、東京公演は3作連続1本立てという事態になってしまった。3作連続1本立てのあと、雪組「春桜賦(しゅんおうふ)」/「Let's
JAZZ」が入るが、その次は月組「West Side Story」で、またもや1本立てだ。
そんな中、ちょっと安心できる情報が入った。宙組のお披露目公演はオリジナルの2本立て「エクスカリバー」/「シトラスの風」に決まったとのこと。
よかった。最近の宝塚のことだからと、本命「エリザベート」、対抗「ベルサイユのばら」、大穴「ザッツ・レビュー」(笑)という予想をしていただけに、よかったという印象を受ける。
やはり、宝塚は芝居とショーの2本立てが基本である。この基本に忠実でありすぎるのも困るが、1本立ては各組3作に1作の割合であれば十分。まして月組のように2作連続1本立ては、行きすぎである(企画段階で考えなかったのであろうか……)。
宙組の「エリザベート」も見てみたいものではあるが、新組の最初はやはりオリジナルの2本立てで宝塚らしいところを見せてもらいたいと思っていただけに、安心させられた。
隠れ宝塚のひとりごと(9)
−東宝不信−
(1998/1/16)
今年から宝塚の東京公演に変化がある。東京宝塚劇場から仮設のTakarazuka
1000days劇場に移るとこと以外の点においても。
何が変わるかというと、運営主体。今までは東宝が主催で、宝塚を借りるという形で行っていたが、今年からは阪急電鉄の直轄となり、阪急電鉄が主体で宝塚の東京公演が行われるようになる。現在有楽町の交通会館の隣に建設中の1000days劇場も、建築主は阪急電鉄ということになっている。
本筋とは関係ないが、東京宝塚劇場の移転先が舞浜(千葉県浦安市)でなくなったというのはありがたい。都心にあればどこからでも行きやすいが、舞浜では遠くて贔屓の組以外では足が遠のいてしまいそうになるし、贔屓の組でも東京都西部や神奈川、埼玉からでは「並び」に間に合わなくなる事態も起こりかねない。
さて、この阪急直轄であるが、在京宝塚ファンの一人として大歓迎である。というのも、僕としては、東宝に対する大いなる不信感があるからだ。
今年は元旦早々激怒させられた。
旧東京宝塚劇場で行われたジャニーズの年越しコンサートで、宝塚の象徴とも言うべき大階段が使われていたことが判明した。
ジャニーズへの劇場貸し出しが決まった時点で、東宝の姿勢への疑問は感じていたが、これで完全に東宝を信用できなくなった。それでなくとも、以前から東宝は阪急と比べるとお高く止まった態度があり、あまりよく思っていなかった。
宝塚のために作られた劇場のトリをジャニーズにつとめさせ、さらにはこれに対して宝塚独特の舞台装置まで貸してしまう。いかに東宝が宝塚を軽く見ているかがわかることだ。
確かに宝塚の東京公演による収入など、「もののけ姫」に比べれば大したことなかろう。公演のための人件費はかさむし、銀座に近い一等地の劇場であっても低料金で見せなければならないし。
しかし、これがジャニーズへの劇場、そして大階段の貸し出しを許す理由になろうか。東京宝塚劇場の常連は、なんといっても宝塚ファン。そして、東京宝塚劇場をもっとも愛してきたのも宝塚ファンである。その宝塚ファンの思いは、宝塚の舞台とともに長年愛してきた劇場の最後を見届けること。にもかかわらず、最後の最後に宝塚ファン以外のために劇場を使うというのは、失礼極まりない。
生徒に対してはもっと失礼な行為である。念願かなって宝塚に入団できても、この大階段で見せ場を作れるのはごくわずかの生徒のみである。生徒は大階段で見せ場を作れるようにと切磋琢磨しているにもかかわらず、最後にあっさりと宝塚以外の場所に貸し出されてしまう。長年お世話になってきた宝塚に対して、これはあまりに無礼千万な行為である。
こんな暴挙を平気で行える東宝など、信用できる企業ではない。東宝自体が大赤字で、一日たりとも劇場を無駄に使えないというのなら目をつぶってもいいが、今年度の東宝は「もののけ姫」の大ヒットで、過去最高の利益の計上が確実な状況にある。それだけに、劇場や大階段の貸し出しは、冷酷な利益追求の姿勢しかうかがえず、良識に欠けると判断せざるを得ない。
東京公演の直轄化は、宝塚歌劇事業の効率化や、将来の劇団独立採算制への布石など、阪急電鉄のお家事情もあってのことらしいが、東宝と違っては宝塚を大事にしていることは確かで、今回のような暴挙は行うことはなかろうし、ファンの気持ちをくみ取った劇場運営も期待できる。
在京ファンにとって、とにかく阪急直轄化は歓迎できることである。
隠れ宝塚のひとりごと(8)
−1997年の宝塚への印象−
(1997/12/28)
宝塚にハマり込んでから2年目の今年は、7公演観劇した。各組とも東京公演は最低1回見て、贔屓の花組はムラと東京の両方で見た。
見た回数が最も多かったものは花組「ザッツ・レビュー」でムラと東京合わせて5回。次にやはり花組の「失われた楽園」/「サザンクロス・レビュー」がムラと東京で3回。
僕にとって今年大きかったことは、千ほさちの花組トップ娘役就任と、東京宝塚劇場の閉鎖である。
東京宝塚劇場の閉鎖に関しては別稿に譲るとして、ここでは千ほさちについて取り上げたい。
千ほさちの舞台を見たのは、本公演のお披露目となった「失われた楽園」/「サザンクロス・レビュー」が初めてであったが、その可愛らしさと美しさを兼ね備えた表情、舞台に全力で望む姿に打ちのめされてしまった。そして今では、「男性ファン一のほさちフリーク」を自称するまでのファンになってしまった。独特の発声から、声が幼くて「アニメ声」と言われることもあるが、僕から見ればあの声は可愛らしくて好きだ。
花組ではほとんど千ほさちばかり見ていた。まだ研4のはずだが、トップ娘役の風格も次第に出てきて、舞台を重ねるごとに着実な成長を見せており、これからが十分期待できると思っている。
今年見た作品の中でよかったものとして、次の3作品を挙げたい。
1. 花組「サザンクロス・レビュー」
南十字星の織りなす風景が主題の作品。 花組のための作品と言っても過言ではなかろう。最初に見たときは、舞台装置や衣装のあまりの派手さにうろたえてしまったが、内容はそれにふさわしかった。迫力あるダンス、流れの中で展開されるストーリー、どれを取っても、最高のものだった。 特筆すべきは観客の手拍子。開演1分前に音楽が始まると客席が明るいうちから手拍子が起こったのは楽しかった。僕もこれから始まる舞台にわくわくしながら、手拍子に加わったものだった。 これほどに内容が充実して、楽しかったショーはなかった。ぜひとも再演を望みたい。 |
2. 星組「エリザベート」
雪組の再演。今年の東京宝塚劇場の作品では最もチケット発売日に並んだ人の数が多かったのではなかろうか。 雪組の方は見たことがないので、これが初めて。 もはや宝塚ファンには解説不要であるが、このストーリーには、背筋が震えるものを覚えた。 麻路さき演ずるトート(擬人化された「死」)の妖しさ、これがサヨナラ公演の白城あやかの宝塚最後の輝きは美しかった。 |
3. 月組「バロンの末裔」(東京公演)
月組前トップスター久世星佳のサヨナラ公演。 宝塚大劇場のものは、元旦のNHKの衛星放送の舞台中継で見たが、作品の出来はカットされた台詞の復活があった東京の方がよかった。 主人公のエドワードは久世のはまり役で、久世の魅力がエドワードを通して伝わってきた。 歌もいい曲が多くてよかった。中でも主題歌の「I wish」は今年の公演の中ではいちばんの名曲だと思う。 |
さて、その一方で、残念ながら、「これはちょっと……」と思う作品もあった。
1. 花組「ザッツ・レビュー」
ショーの部分の出来はいい。千ほさちを始め、花組生徒の一生懸命演じている姿もいい。 しかし、芝居部分の大半は、植田理事長お得意の自画自賛の連続。しかも、何が言いたいのかわからないストーリー。春風泰平や大河原亮のレビューづくりへの夢を描きたかったのか、それとも春風泰平と仙の恋物語を描きたかったのか、それをはっきりさせてほしかった。 |
(中間削除)
さて、来年は宙組(そらぐみ)が正式発足し、待望の東京公演通年化が実施される。銀橋や大階段はあるものの、オーケストラボックスのない仮設劇場での公演ではあるが、1年を通して東京でも宝塚が見られるのは楽しみだ。
来年もいい舞台が見られることを祈りたい。
隠れ宝塚のひとりごと(7)
−花月雪星宙−
(1997/12/22)
来年に正式発足する新組の名前が「宙組」(そらぐみ)に決まった。
なかなかいい名前だと思う。花・月・雪・星と簡潔な名前なのに対して、「宙」だけはかなり凝りすぎているというイメージがやや感じられるが。宝塚を知らない人に、「ちゅうぐみ」なんて読まれる可能性もなきにしもあらず。
「宙組」の名を知ったときの第一印象は、「そうか、この字があったか」である。
僕もいくつか新組の名前を考えていた。しかし、出てくるのは「愛組」、「夢組」といった、どちらかというと宝塚全体のイメージにつながってしまうものばかり。「虹組」も考えてみたが、どうも「虹のナターシャ」に結びついてしまう。あの植田理事長の作品の名前につながるのはいただけない。さらに、お披露目で「虹 虹 虹 それは夢 それは憧れ」(平成8年の雪組公演「虹のナターシャ」のオープニングの歌)などと歌われた日には……(植田理事長ならやりかねない)。
そんな中、「そらぐみ」というのも出てきた。冬の澄み切った青空のイメージである。
しかし、「そらぐみ」に結びつく漢字は、「空組」であった。これはいけない。読みを変えれば「くう」である。「空虚」、「空席」など、悪いイメージの言葉がいくつも出てくる。「空(くう)」は植田作品だけで十分だ。
そんなわけで知恵熱を出してしまいそうになり、新組の名前は応募できなかった。
そして決まった名前が「宙組」。この読みは考えてもいなかった。これなら、ちょっと凝りすぎていても、宝塚の組の名前としては結構な出来である。この字を考えた人のセンスには脱帽である。
なるほどと思いながら、ATOKのユーザー辞書に「宙」と「宙組」を追加した。
何はともあれ、65年ぶりの新組、宙組の今後の発展を期待したい。
隠れ宝塚のひとりごと(6)
−「ザッツ・レビュー」並び顛末記−
(1997/11/10)
「ザッツ・レビュー」の並びに行って来た。
さすがに大劇場公演での悪評が関東にも伝わっているせいか、「失われた楽園」の時ほどには並んでいないかなという印象ではあった。しかし、やはり東京宝塚劇場の最後の公演ということで、人出は多く、さらにいつもの並び以上の気合いが感じられた。
それはいいのだが、今回はずいぶん危険な行為が見受けられた。いくら早朝とはいえ、外壕通りを信号のない場所で横断する人の数の多さなど、いつもの並び以上ではなかったであろうか。できれば2回抽選を受けられるようにしてチャンスを増やしたいという気持ちは分からぬでもないのだが、せめて信号のある場所を横断するようにしてほしいものだ。並びで交通事故などあったら、なにがしかの影響が出てくるのは確実なのだから。
並んだ人数は五千数百人といったところか。植田作品にしては、ずいぶんと人が集まったような気がするが、やはり東京宝塚劇場の最後だというのが大きな理由であろう。あるいは花組の生徒たちの好演が伝わっているか。いずれにせよ、並んでいる人たちの目的は、「ザッツ・レビュー」という芝居を見ることではないはず。僕も千ほさちがいなければ、ムラでの印象でパスしていた。はずれ券が入るほどにファンが並んだからといって、決して作品が評価されているわけではないので、誤解のないように>植田理事長殿
抽選は割とスムーズに進んでいた。外壕通り沿いのさくら銀行の脇に並んでいたが、8時前には列が動き、8時20分頃には抽選を受けられた。
前回、「失われた楽園」の時ははずれを引いてしまった。そのときは無造作に封筒を選んでしまい、迂闊にもただの封筒を引いてしまった。ほとんどの封筒には「東京宝塚劇場」と印刷されており、後から追加したはずれ券だと一目でわかるものだった。
そんなことがあったので、今回は慎重に封筒を選ぶ。きちんと「東京宝塚劇場」と印刷されていることを確認して、一旦係員に渡す。2枚抜いていないというチェックを受けた後に、「今回は当たっているだろう」と思いながら封を切る。しかし……
中から出てきた紙には、「宝塚歌劇前売り抽選お詫び券」の文字が。「失われた楽園」に続き、2度目だ。
呆然としながら有楽町駅へ。こうなったら電話予約しかない。しかし、家に帰っている暇はない。家に帰る頃にはだいたい10時になっている。
とりあえず京浜東北線で東京駅へ移動した。ここの構内なら、公衆電話の数が多いので、少し長めにへばりついていても大丈夫であろうとの考えからだ。八重洲口のファーストフード店で朝食を取り、9時半の電話受付開始に備える。
9時半から電話開始。当然ながら、殺到する電話のためにつながらない。時には公衆電話から、時にはPHSから、何度も何度も電話してみる。しかし、聞こえてくるのは「ただいまつながりにくくなっております」の冷たい声だけだ。
1時間半東京駅構内で粘った。しかし、いっこうにつながる気配はなく、次第に宝塚への嫌気まで生まれてくる。こんなきつい趣味、もうやめてしまおうと何度思ったことか。
気分転換の必要を感じ、中央線で新宿へ移動。
新宿に着くと再び公衆電話から再びチャレンジしてみたが、相変わらずつながらない。今度は15分くらいで切り上げ、西口のヨドバシカメラやソフマップの集まっている所へ行く。ソフトや周辺機器などをしばらく物色。それでもあきらめきれずに何度か外に出て、PHSから電話してみた。
いつしか時間は12時になり、もう帰ろうと新宿駅に戻ることにする。
歩きながら、PHSで電話。京王百貨店の前に出たところで、突然、電話がつながった。やった!
聞いてみると、千秋楽と新人公演以外はまだ残っているとのこと。さっそく6日の夜の部と、23日の昼夜両方を予約した。A席はだめだったが、B席の1階ばかり取ることができた。
奇跡としかいいようがない。実際の所、何度も電話しながらも、だめだろうと思っていたのだ。「失われた楽園」の時も、並びで外れた後に、電話予約でチケットを取ることに成功したので、こんな幸運2度もあるまいと思っていたのだ。ところが今回もあのときと同様に、電話予約に成功した。自分でもできすぎていると思うが、チケットが確保できたのだ。幸運を通り越して、奇跡としか言いようがない。
まあ何はともあれ、チケットは手に入った。今度の土曜日に引き取りに行こうと思っている。
しかし、電話予約はやはりきつい。できれば並びで決めたいものだ。
隠れ宝塚のひとりごと(5)
−東宝株式会社御中−
(1997/10/6)
この度の決定に対して、厳重に抗議いたしたく思います。
なぜ、東京宝塚劇場の最後が、宝塚歌劇団ではなく、ジャニーズ事務所所属のアイドルなのでしょうか。
東京宝塚劇場は、本来、宝塚歌劇のための劇場のはずです。そして、誰よりも足繁く東京宝塚劇場に通い、誰よりも東京宝塚劇場を愛し、そして、誰よりも東京宝塚劇場への思い出を持っているのは、東京宝塚劇場を東のホームシアターとしていた宝塚歌劇団のファンであります。
この度の御社の決定はこの、宝塚ファンたちの気持ちを踏みにじる行為にほかなりません。
また、それだけでなく、ジャニーズの公演期間中は、東京宝塚劇場の緞帳を、落書きコーナーとして解放するという話がありまが、これに対しては、絶対反対の立場をとらせていただきます。宝塚ファンの夢の象徴の一つといってもいい緞帳を、なぜこのような形で汚されなければならないのでしょうか。たとえジャニーズ公演を認めるとしても、この緞帳の件に関しては、宝塚ファンとして譲るわけにはいきません。中止を望みます。
御社の社名の由来をもう一度考えてみて下さい。「東京の宝塚」が由来ではないでしょうか。それにも関わらず、このような宝塚ファンの今までの支援を裏切るような行為は許すべからざるものです。
ここに、御社に対して要求いたします。
1 ジャニーズ公演を中止する方向で考える。
2 ジャニーズ公演を行う必要性があるのなら、緞帳の落書きコーナー化を中止し、かつ、
ジャニーズ公演終了後の少なくとも1日を使用し、宝塚ファンのために東京宝塚劇場を開放する。
東京宝塚劇場を誰よりも愛し続けてきた宝塚ファンのために、ご考慮頂きたく思います。
隠れ宝塚のひとりごと(4)
−少数派の苦労−
(1997/9/10)
6日の大劇場行きでは困ったことが起こった。
千ほさちのエトワールを2度耳にした興奮もさめやらぬままに大劇場を出ようとすると、雨が激しく降っている。
仕方なくビニール傘を買おうと思ったら、これが売っていない。それならば折り畳み傘はないかと思っても、これもない。しかも、売っているものは女物ばかりではないか。
男性ファンのことを、全く考えていない。
確かに宝塚ファンの大半は、女性だが、僕のように男ながら宝塚ファンをやっている者だって少しはいるのだ。男物の傘だっておいてくれてもよかろうに。少数派は濡れて帰れというのか。
隠れ宝塚のひとりごと(3)
−不安ばかりが先行する「ザッツ・レビュー」観劇−
(1997/9/3)
遅ればせながら、今週の土曜日に花組の「ザッツ・レビュー」を観に宝塚大劇場に行くことにしている。うまい具合に11時からのチケットの入手に成功し、さらに3時からの貸し切り公演のチケットもNIFTY
Serveのシアターフォーラム宝塚館(FKAGEKI)で融通してもらえたので、2回観劇できる。
贔屓の花組、その中でも特に贔屓にしている千ほさちの舞台を2回観られるのは楽しみなのだが、作品のことを考えると、不安ばかりが先行する。
今回の「ザッツ・レビュー」非常に評判が悪いらしい。その理由は察しがつく。このタイトルといい、1日の「レビュー記念日」や12月の東京宝塚劇場閉鎖にあわせて作った作品であることといい、劇団側の意気込みが空回りしそうな要素が十分にある。しかも、作・演出が「花は花なり」、や「虹のナターシャ」といった最近のハズレ作品の多くを手がけている植田理事長だ。どう考えても期待できない。
せっかくの宝塚大劇場なのでじっくり雰囲気を味わいたいところだが、作品のことを考えると不安で仕方がない。
隠れ宝塚のひとりごと(2)
−通年公演は嬉しいが−
(1997/8/31)
新組誕生と、仮設劇場による東京公演の通年公演化は東京宝塚劇場を本拠地とするファンには嬉しい話である。1公演の期間が長くなるし、今までのように大劇場のみの公演というのもなくなる。
発表当初は、仮設劇場も通年公演も嬉しくて舞い上がってしまっていたが、落ち着いたところで考えてみると、かなり不可解なものを感じる。
まずよくわからないのが、今回の組替え。なんでこんなにトップ娘役が動くのか。花總まりが雪組のトップ娘役から新組のトップ娘役になる。花總の抜けた後には星組のトップ娘役月影瞳が異動する。そして星組のトップ娘役には雪組の星奈優里が異動する。
花總の異動に関しては、何となく理解はできる。おそらく、新しい組であり、姿月あさとがトップ初就任ということで、トップ娘役にはキャリアのある者を置きたかったのであろう。これに関しては、新組のスムーズなスタートのためにはやむを得ないことだと思っている。しかし、なぜ月影まで動かしてしまうのか。
そもそも今回の仮設劇場と、新組の誕生自体がおかしな話である。2001年の新東京宝塚劇場完成までは、帝国劇場や新宿コマ劇場などを転々としながら行う予定で、新組も2001年の新東京宝塚劇場のこけら落とし公演でお披露目を行うはずだった。それがいきなり、仮設劇場を作って、5組体制による通年公演にかわった。
こうなった背景というのは、一応推測はつく。おそらく、来年の劇団四季専用劇場完成への対抗策であろう。専用劇場ができた四季へ、東京の劇場が改築中の宝塚からファンが流れたりしないかという危惧が劇団側にあったものと思われる。ずいぶんと場当たり的なものだ。
トップスター、トップ娘役、男役2番手といったら組の顔である。それなのに、場当たり的に動かしてしまっていいものだろうか。特に麻路・月影のコンビが始まったばかりの星組からトップ娘役を動かすというのは、落ち着かない。もう少し準備期間を持って新組誕生へ持っていけなかったものであろうか。
隠れ宝塚のひとりごと(1)
(1997/8/24)
宝塚関係のホームページはいくつも探せば見つかるが、このページはかなり異色のものだと思う。
何しろ家主が男だ (^^; 僕自身、いくつもの宝塚関係のホームページを見ているが、全て女性が作ったもので、男性が作ったものはお目にかかったことがない。当然といえば当然であろう。何しろ宝塚ファンの9割以上は女性だ。
もっとも、僕自身、ここまで宝塚にのめり込んでしまうことになろうとは、思ってもいなかった。
初めて宝塚を見たのは、去年の8月のこと。それから1年とたたないうちに、花、月、雪、星の4組全てを見てしまっている。現在は、花組のトップ娘役千ほさちのファンで、都下に住んでいるにも関わらず、花組公演の時は宝塚大劇場に出向くことにしている。今、ちょうど宝塚大劇場では花組の(ザッツ・レビュー)が行われているが、これも9月6日に2回見ることにしている。
そもそものきっかけは、3年前にさかのぼる。NHKの朝の連続テレビ小説「ぴあの」を見て、主人公の桜井ぴあのを演じていた純名里沙に惚れてしまった。あの可愛らしさは、僕の好みそのものだった。
それから2年後、花組のトップ娘役となった純名里沙が宝塚を退団すると知って、せめて1度くらいは、彼女が宝塚の舞台に立ち、歌っているのを見てみたいと思い、「ハウ・トゥー・サクシード」を見に宝塚へと出向いた。これが初めての宝塚観劇だった。
ここに待ち受けていたものは、今までに経験したことのない、大きな衝撃だった。「宝塚って、何て凄いんだ」、「こんなすばらしい舞台芸術があったとは」等々、トータル2時間半ほどの舞台の中で、何度も思った。僕は純名里沙のみならず、宝塚全体に打ちのめされていた。
こうして、僕は男でありながら、宝塚ファンとなった。
男でありながら、宝塚ファンということで、かなり肩身の狭い思いをすることは多い。いずれここで話すことがあるとは思うが、結構つらいものがある。しかし、それを押してでも見たくなってしまうものが、宝塚にはある。
このページでは、男性ファンから見た宝塚の魅力、僕なりの公演の感想などを綴っていきたいと思っている。