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※これ以降はマンガ「カプチーノカプチーノ」をお読みください。
泳ぐ鶏 yuko's HomePage (C) Saito Yuko
2016年07月28日(木)日本画合宿スタート
いよいよ今日から4日間、日本画の合宿。
頑張って準備したけど、間に合わない部分も多かった。
間に合わないのは、画材の扱いでわからないことが多いから要領をえないでなかなか進まなかったせいでもある。
マンガならさっさと描けることが、思うように出来なくて非常にはがゆい。
ヴァイオリンを始めたときも、やってみて初日に、音程を自分でとらなければならないということを初めて知って「これは難しい楽器に手を出してしまった」と愕然としたけど、その感覚に似ている。
ヴァイオリンは構造がシンプルなので、その分、音程や音色を作るのが難しいけど、それだけ自由度が高い。
油絵は顔料を油で溶く、日本画は顔料を膠で溶く、それだけの違いでしかないけど、多彩なチューブ絵具が販売されている油絵具に対して、日本画絵具は顔料の粉末で販売されているだけなので、自分でこねて絵具を作るところから始めなければならないのだ。
ピアノなら音程は出来ているけど、ヴァイオリンは音程を作るところからしなければならないようなものだ。
その上、日本画絵具は高いので、安易にいろいろ試すのがこわくて、それが遅らせる原因でもあった。
日本画絵具は水彩絵具やアクリル絵具などより扱いが面倒だけど、ヴァイオリンがそうであるように、シンプルで原始的なものほど、扱えるようになれば、個性的な深い表現ができる。
そう信じて、慣れるまでしばらくはこれと格闘かな。

2016年07月24日(日)ポケモンGO、安いチケット
コンサートの前売りチケットを買いに行ったら、建物の近辺でポケモンGOをやっいるらしき人を数人見た。
そうだ、そうだったな、と、帰って来て私もポケモンGOをダウンロードした。
ゲームは時間の無駄だから、やらないことにしていたけど、私はガラケーとWi-Fi接続のiPad、iPod touch持ちなので、これにはまる危険は少ない。
まず自宅で接続して、ポケモン一匹をゲットして終わり。
出先でコンビニに立ち寄ったり、フリーWi-Fiスポットに入ったらまたやればいい、と、のんびり構えている。
ところで、そのコンサートのチケットは3,000円だけど、小中高校生は500円。
率直に言って、こういう価格設定は気分悪い。
大人だってお金のない人はたくさんいる。
許容範囲は1割引までだ。このコンサートなら、小中高校生2,700円ならまだ許せる。ついでにS席から外してほしい。
そもそも、こんな価格差をつけるくらいなら、一律1,500円にして出せばいい。
もしくは、そんなに子供に安く聴かせたかったら、学校で招くなどして、一般客と別企画にしてほしい。
一人は一人なのに、こんな価格差で同じ会場に入ると思うと腹立たしくなる。
どうせ、子供の育成とか将来のためにとかという理由だろうけど、お金をきちんと払わないものは、大切にされない傾向にある。
ある講演者が「入場料をタダにすると、どうせタダだからと、チケットを無駄にする人が多くて困る。タダでもチケットを申し込んだら必ず来てください。」と言っていた。
割引だから行く、定価だから行かない、というコンサートは、結局お客に期待されていないということでもある。
子供は無料で大人にお金をとるようなコンサートは、バカバカしいので私はほとんど行かない。
それは主催者の、人を集める自信のなさのあらわれでもあるから、開催の前から評価されていないということでもあるからだ。
先日、N響メンバーの弦楽四重奏が無料だったので行ったけど、満席だった。そのお客の三分の二は大人だったように見えた。
多分、有料でもお客さんは入っただろう。
音楽が大好きなのに、お金が無くてコンサートに行けない大人もたくさんいるのだ。

2016年07月23日(土)疲れていなくても休憩
今回のミュゼットで、つくづく思ったのは、気が散ることがミスの原因になるということ。
理由は何であれ、曲以外の何かに気をとられるのが問題だけど、だからといって100%集中するのは不可能だから、ある程度の自動化でカバーするしかないのだけど、やはり出来るだけ気が散らないようにしたい。
今まで無意識にやっていて気づかなかったけど、ミュゼットは練習だから、一曲終わっても、楽器をホールドしながら楽譜をめくっていた。それで45分くらいずっと過ごしている。
でも、本番なら、一曲終わったら挨拶するので楽器を降ろすはずだから、それをしないと練習にならないと思って、曲が終わったら楽器を降ろして客席側を向いてみた。
その瞬間、ふっと頭の中が晴れるような感じがした。
ずっと楽譜を見て集中すれば、いつの間にか疲れてくるわけだけど、別のところに視線を移したことで、軽いリフレッシュになったのだ。
車の運転も、疲れていなくてもトイレの用がなくても、1時間ごとにコンビニなどに立ち寄って、車から降りることにしている。
こうすると気持ちがリフレッシュして、また運転するのに少し元気が出てくるからだ。
疲れは自覚がなくても進んでいるのだった。
演奏もきっとそういう面があって、集中力に欠けて来るのは、そういうこともあるのかと思った。

2016年07月20日(水)ミュゼットのお知らせ
7月23日(土)午前11時よりミュゼット(公開練習)を行います。
会場は6丁目のKホール、入場無料です。演奏は概ね11時05分〜11時50分です。ヴァイオリンやクラシック音楽に興味のある方は、お気軽にお立ち寄りください。
許可のない動画・静止画の撮影、録音、それらのネットでの無断公開はご遠慮ください。

2016年07月19日(火)草津プラン
草津は湯畑が見える宿を予約した。一人だからこそ、窓からのんびり湯畑の夜景を楽しめるようにだ。
それに、公開レッスンを聴いてコンサートが終わるのは18時なので、それから夕食、温泉となると、夜の温泉街ブラブラは、湯畑に近いほうがいいからだ。
山奥の食事はあまり期待していないので、店を探しまわったり入れなかったりするよりはと思い、宿でとることにした。
ただ、犬アレルギーの私は、ペット同伴宿というのがちょっと気になるけど、一人で泊まれる宿は少ないので仕方がない。
湯田中〜志賀高原〜白根山〜草津というドライブコースも考えたけど、一人だとアクサダイレクトのCMみたいに「誰かー!!」になったら困るので、今回はやめておく。
いつかはそのコースを走りたいとは思うけど、そういうときは休日とか人が多く出ているときにすればいいかもしれない。

2016年07月16日(土)そろそろ温泉
8月下旬に草津の音楽祭に行くので、旅のプランを練っている。
ヴァイオリンのマスタークラスの公開レッスンを見て、室内楽のコンサートを聴いて、温泉に泊まる。
コンサートは会期中、毎日あるけど、公開レッスン日は、ブラームスのソナタなどの室内楽で、とりあえずチケットを手配した。
軽井沢経由で草津に入り、一泊の予定でだけど、軽井沢も泊まるかどうかはまだ迷っている。
草津は、できれば湯畑の近くに泊まって、湯畑が部屋から眺められるのがいいかもしれない。
でも、温泉やホテルは、施設内で過ごすことを優先する場合、一泊より二泊のほうが三倍くらい満喫できるので迷うところだけど、観光する場所によるので、まずはどこへ行こうか調べて、その量によって決めることになるだろう。
予定している日のあたりは、毎年台風が来るので、雨だと過ごし方も変更しなければならなくなる。晴れたら、西の河原へ散歩しに、雨なら熱帯園へカピバラを見に行くとかかな。

2016年07月15日(金)店での挨拶
そういえば、ローマでもボルゲーゼ美術館の帰りに、ヴィットリオ・ヴェネト通りを下って来て、疲れたから夕食をとろうとしたき、呼び込みにつられて、テラス席でパスタを食べた。
テラス席は混雑していて、空いた席に案内されたけど、テラス席にいたのは全部白人客。
このときも、四月だったので黒いニットに黒いロングカーディガン、ベージュのパンツ、黒いショルダーバッグに黒い帽子という、黒がメインの服装だった。
一人で歩いているというのは、もしかすると観光客っぽくないのかもしれない。
そもそも、私はヨーロッパで高級レストランへは行かないので、あまり席の案内で差別は感じたことはない。
レストランでもショップでもそうだけど、不快な思いをあまりしなくなってきたのは、フランス語やイタリア語で挨拶して入るからというのもあるだろう。
英語はどこでも通じやすいけど、その国の言葉で話しかけるほうがもっといい。
日本国内ではついつい黙って店に入って出てしまうけど、日本の店だって本当は挨拶したほうがいいよね、と思い直す。
第一印象は三秒で決まると言われているけど、挨拶というのはその三秒でもあるのだ。
レッスンで曲を通して弾き終わって、先生の顔を見たとき、開口一番「は〜っ」とつまらなそうな溜息をつかれると、もうその日のレッスンはずっと気が重くなる。
「やっぱり私はダメなんだ」という思いに支配されて気落ちし、そのあとに多少の誉め言葉を頂いても、最初の「は〜っ」に心が支配されているので、誉め言葉は記憶に残らなくなってしまいやすい。
それでも、レッスン中にもう一度弾く機会があれば、初回よりは出来がよくなる確率が高いので、そこで挽回できるかもしれないけど、その機会もないほうが多いので、「は〜っ」の印象がずっと続くのだった。
頭の中で、数値的に「は〜っ」と誉め言葉の量を比較して、全部が「は〜っ」ではないと理屈で自分に言い聞かせるのは難しい。正しい正しくないではなく、人間とはそのように感情に支配される生き物だからだ。
ショップやレストランもそうだけど、最初に相手に伝えるのは「私はあなたを受け入れます」という好意で、それは媚やお世辞や偽善ではない。「これから仲良くしましょう」という歩み寄りの表示なのだ。

2016年07月14日(木)席の案内
レストランで案内された席が気に入らない時、空いている席があれば、私は席の変更をお願いする。
年寄りを連れてあるレストランに行ったとき、その店は、低いソファ席、椅子の柔らかめの席が広い空間で眺めのよい場所で、固い椅子に狭いところに押し込めるような席もあるのだけど、広い空間のソファ席が3つも空いているのに、そして、私も年寄りも、きちんとしたワンピース姿だったけど、広い空間の席ではなく、狭い席に案内された。
年寄りは小柄で腰も悪いので、低いソファ席へ変更してもらった。
その店は何度が行ったことがあるけど、予約をするとソファ席になっていた。
その低いソファ席には初めてだけど、ソファのひじ掛けとテーブルの隙間が5cmくらいしかなく、普通の人間の幅では入れないので、仕方ないから自分でソファを動かした。
普通なら、店員が気づいて椅子をひいてくれるけど、それもなし。
価格の違うセットメニューが2種類あるけど、どう読んでも同じなので、違いを尋ねたら、メニューの記入ミスだという。
食後にアイスコーヒーを頼んでいたけど、冷房で寒くなってきたのでホットに変えたら、食後に間違ってアイスコーヒーが出てきた。
お店の雰囲気は洒落ているけど、なんともご粗末で残念だった。
そもそも、種類が違いすぎる席を用意するのは、あまり感心しない。誰だって良い席に座りたいし、そうでない席に案内されたら気持ちよくない。
以前、GAKUTOがパリのホテルビュッフェで、東洋人の外見のせいか、座りたかった窓際ではなく奥の席に案内されたという事件があった。
私はパリのオペラ座近くのカフェに一人で入ったことがあるけど、窓際は既に満員だったので、その次の列でフロアの真ん中あたりの席に案内された。もちろん、それより奥や端の席もある。
フランス語でコーヒーを「一つ」と頼んだら、ウェイターが「二つね」と言う。「え!? ノンノン、一つ」と驚いて言うと、「一つはあなたの、一つはボクの」とウェイターは笑いながら言った。オチャメな人で楽しかった。
観光客が多い通りだから、ウェイターも外国人に慣れているということもあるけど、冬で私は黒い毛織物のどちらかというとエレガントなコートを着ていた。ヨーロッパは割と黒い物を着ている人が多いから、黒のコートで行ったのだ。
日本の地方にも、お洒落な店はあるけど、何というかこんなふうに、気位いが高くて見下されているような空気を感じる店も珍しくない。
逆に言えば、地方だからありがちともいえるけど。

2016年07月13日(水)プレゼントの気持ち
バラエティ番組でブランド品の買取査定をやっていたけど、お客さんが、誰から貰ったのかと、売りたい理由を答えていたの聞いて、何ともやりきれない気持ちになった。
親から入学祝いに貰った時計、お客さんから貰ったプレゼント、彼氏からのプレゼントなどだけど、それを売って、エステに行ったり化粧品を買ったりしたいとか。
ブランド品をプレゼントするような人はお金にも余裕があるのだろうけど、それでも喜んでもらえると思って選んだ品物だし、中にはお金はないけどその人のためになけなしのお金をはたいたものかもしれない。
それを日用で消耗する他愛ないことに使う金にしてしまうのか。
売りに来た客は、プレゼントしてくれた人に申し訳ないという様子は全くみられないので、これを知った贈り主はがっかりするだろうなと思う。
私は他人にブランド品をプレゼントできるような金持ちではないけど、こういう番組を観てしまうと、物をプレゼントしようという気はなくなってくる。
裏で売られたり、誰かにたらい回しされたりする金を出すのはバカバカしい。
葬式が重なったので、ギフトの本を頂いて品物を選んで貰ったけど、昔はシーツや毛布など、物でたくさん貰った。自分の好みと合わない物も中にはあっても、それを使うことで、いつまでもこれをくださった人のことを思い出した。
不用品を貰っても迷惑だし、今は誰でも物であふれているので、ギフト本が主流になってきたけど、合理的で助かると思うことと、味気ないなと思う気持ち半々だ。
そんなわけで、私も人に物でプレゼントすることは、ほとんどなくなってきた。日頃から好みを聞いていると、気に入ってもらえなくて処分される確率が高いと感じるので、プレゼントする気が起こらなくなるのだ。
そのかわり、食事をご馳走したりする。目の前で食べてくれるから、確実にその人の物になるからだ。でも、やはり物で贈るより、忘れ去られる確率が高いのが残念だ。
そういえば、何年か前、MH先生に先生が乗るオケの招待券を頂いて聴きに行って、その後、六本木ヒルズで奥さんと3人で食事し、ご馳走になった。
ほんの今まで、燕尾服でステージに乗っていた人が、Tシャツ姿でホールの玄関前に現れ、その手には今まで着ていたシャツをスーパーの袋に突っ込んだものを提げていた。
楽器ケースを持っていても、玄関前でまだ残っているお客さんには誰も彼だとは気づかれないのが可笑しかった。
先生が好きな赤ワインと生ハムなどを食べて、そんなステキな夜を過ごしたことは今でもよく憶えている。

※これ以前は「総集編2016年」をお読みください。
(C) Saito Yuko 無断転載を禁じます。