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※これ以降はマンガ「生きている夢」をお読みください。
泳ぐ鶏 yuko's HomePage (C) Saito Yuko
2016年08月22日(月)高原でスケッチ
高原を散策してスケッチをしてきた。
私はダンスで膝の半月板を壊しているので、ハードなトレッキングはできないけど、短くて楽な遊歩道をのんびり歩くのが、近頃楽しみになっている。
もともとは、絵の描くための取材だけど、森の中を歩くと心が洗われるようで気持ちいいのだ。
ランチはコンビニで買って持って行くけど、そういう景色の中で食事するのも気持ちいい。
スケッチは60色の色鉛筆を持って行く。
日陰でシートを広げて座って描くのだけど、今回、足首までのハイキング用のシューズ、ラップランドストライダーを履いて行ったら、歩くのにはとてもいいけど、履いたままシートに腰を降ろすと足首がきついので、シューズを脱いでシートに座った。
シートは靴を履いたまま腰を降ろす程度の大きさなので、リュックと色鉛筆ケースを広げるとぎりぎり。
今度はもっと大きなシートを持って行こう。
自宅近くの公園で描くときは、デッキシューズなので履いたままシートに体育座りをして、膝にスケッチ用紙を置いて描くけど、今回はその体勢がとれなかったので、脱いだラップランドストライダーの上にスケッチ用紙を置いて描いた。
帰ってきてから、こんなことがなくても以前から探してはいたけど、アウトドア用の軽くて小さいテーブルは無いかとネットで探した。
でも、最少と思われるアルミのミニテーブルでも700gはあって、もう少しがっちりしているものは1kgを超えているので、キャンプでの設営ならいいけど携帯には向かない。
シューズの上に乗せて描いたぐらいだから、テーブルという体裁にこだわらなくてもいいやと思い、ネットで折畳のコンパクトトレッキングスツールを注文してみた。
座面は布だけど、ボードを置けば机にできるし、375gなのでリュックに入れて歩けるし、遊歩道上では、必ずしもシートを広げて休めるほどのスペースがあるわけではないので、本来の用途で椅子としても使えばいい。
スケッチをするにしても、日陰を探すのが案外難しい。描きたいスポットが必ずしも日陰ではないからだ。
そこでネットでサンシェードも物色しているけど、登山者でもないのに、だんだん装備がそっち系になっていく。さすがに登山はしないけど、山用品は軽くて便利なのだった。

2016年08月21日(日)そして誰もいなくなる
グループのリーダーをしていると、メンバー間の人間関係に悩まされることがある。
グループに、実力もそこそこあり重要なパートを担っているAさんと初級者のBさんがいた。グループとして一緒に活動しても、私はどちらとも個人的な付き合いはない。
「Bさんが辞めないなら私が辞める」とAさんは言った。
Bさんが抜けたところでグループの活動としては大きな影響はないけど、Aさんが抜けると編成の問題で困るのでグループには必要な存在、ということを自覚のうえで脅迫してきたAさん。
Bさんが近いうちに辞めるかもしれないことを私は知っていたけど、Aさんは知らずに、Bさんのことが気に入らなかったから、こう言えば、私がBさんを辞めさせると思っていたようだ。
私はどうしたか。「辞めたいならどうぞ」とAさんに言った。
Aさんのような人は、その要求をのんでBさんを辞めさせると、次はCさん、Dさんと、何かあるごとに次々と自分の気に入らない人を辞めさせようとする。そして、最後には誰もいなくなってしまうだろう。
後から入って来た人が、理由が何であれ、前からいたメンバーを辞めさせたいというのは、あまりにも自分本位だ。仮にそう思った場合、大人なら、自分の好きな人を集めて別に自分のグループを作ればいい。
とはいえ、自分のグループを立ち上げられないから、こんなことをするのだろう。
また、多少上手くても、それはプロからしてみれば問題にならないレベルなので、そういう思い上がりが強い人は、他にも問題を起こすことが多い。
そもそも、素人の集まりというのは、根本は楽しむことで成り立っているので、私は、実力で天秤にかけてクビにする気は毛頭なかった。
Aさんが辞めた後、Bさんが辞めたことを知ったAさんは少し驚いた。後悔したのだろう。
その後、私がグループを辞めたとき、Bさんから「何があったんですか?」と心配してくれたメールが届いた。
両者の人としての違いを垣間見た。
私は脅迫には屈しないけど、判断は間違ってはいなかったと今でも思っている。

2016年08月18日(木)グループの崩壊
グループの崩壊というのは、意外な蟻の一穴から始まり、あっという間に終わる。
能力などで、この人がいないとグループがやっていけなくなる、という重要人物より、いてもいなくてもいいような能力のない人が、意外と蟻の一穴になったりする。
重要人物については、グループの維持のために常にその様子に気を配るけど、重要でない人物にはそのような注意が向かないので、崩壊が少しずつ進行しているにもかかわらず、気づきにくく、起こった時は「まさかこんなことが」となってしまうのだ。
音楽なんかだと、上手い人が辞めると困るので、その動向は気にするけど、いてもいなくてもいいような下手な人が、意外とグループの崩壊のきっかけになったりする。
グループというのは、全員対等で、一人一票の重さが同じだということを忘れがちになる。
上手くても下手でも、一人は一人で同じ影響力を持っているわけで、グループの多勢がどのレベルにあるかを見極めないと、蟻の一穴に気づきにくくなるのだ。
初心者が多いグループだと、初心者の価値観に支配されるので、少数派の上級者がよかれと思って導こうとしても、初心者には上級者の考え方が理解できず、特に大人は初心者であろうが自分の考えが一番正しく普通だと思いがちなので、多数決の論理で上級者が追い出される現象が起こる。
上級者はこれを不思議に思うかもしれないけど、そもそも能力の違い過ぎる人と組むべきではないのだ。
一緒にやっていられなくなる理由の一つが、こうした能力レベルの違いということでもある。
最初からそれがわかっていれば組むべきではないのがわかるけど、人の成長は人それぞれなので、年数を経ればそれぞれの能力も変わってくる。いつまでも同じ道を一緒には歩めないのだ。

2016年08月17日(水)スマップの解散
スマップの解散騒動があった今年の冬、私は東京のホテルにいて、流していたテレビ番組でそれを知った。
それが一年も前だったような気がするほど、今年の前半にはいろいろなことがあった。
今の私はまるで、十代の子のようなスローな時の経過を感じながら生きているのかもしれない。
一旦は危機を脱したかのように見えたスマップは、今度こそ本当に解散することになったけど、様々な情報が連日飛び交う中で、誰が悪いかという犯人捜しのような記事はあまり感心しない。
長年グループ活動をしていれば、お互い気に入らないこともあればケンカもするだろうし、嫌になるのは誰でも経験することだ。
だから、誰が悪いかというよりも、一緒にやっていられなくなったという事実だけで、それ以上はもういいじゃないか、と思う。
これから彼ら一人一人がどう生きていくのか、それを楽しみにして見守るだけでいいと思う。
今回はオリンピックと重なったために、報道量も少ないけど、ここ一年くらい気になっているのは、マスコミやネットのあり方。
近頃のマスコミは一人をターゲットにして、とことん潰れるまで皆で一斉に叩く傾向にあるように感じられる。一人を徹底的に叩き潰し終わると、次のターゲットを探してたたく、そんな印象を受ける。
そこまでたたく必要はあるのだろうか。まるで、万引き犯に死刑を科すような仕打ちだ。
こうなるのは、いじめ世代がついに大人の年齢になったのかな、と感じるけど、恐ろしい世の中になったものだと思う。
解散にあたって、スマップは犯罪を犯したり、不道徳なことをしたわけでもない。だから、彼らの将来を潰すような、過度ないじめじみた報道はよして欲しいと思う。
ワイドショーなどは、もっと楽しい情報を発信して欲しい。

2016年08月16日(火)やりにくい生徒
レッスンをするとき、やりにくい生徒の筆頭が家族で、次いで親しい友人など。
レッスン中に私を「先生」と呼ばない人には、基本的にはレッスンは出来ない。
私は「先生」と呼ばれないと不快になる気位が高い人間であるわけではなく、結果として、私を「先生」と呼ばない人は、学びに来ているというより友達気分なので、レッスンの流れを平気でぶった切ったり、時間中じっとしていないで露骨に退屈な顔をしたり他のことをしたり、やれと言ったことを自分だけはしなかったり、宿題や課題をしてこないので、レッスンが成立しなくなるからだ。
私のことを「先生」としてではなく、対等か下に見ているから、言うことがきけないのだ。しかも、こういう関係の人からレッスン料を貰えないことが多いので、タダで教われると思うと粗末にされるという傾向にもある。
こういう生徒がグループに一人でもいると、他の普通の生徒に良い影響は与えない。普通の生徒もそれを真似しはじめると、レッスンが成り立たなくなる。
職場でも、平社員と課長が同期の友達で、平社員が課長と対等にふるまい、業務命令をきかなかったら、命令系統が混乱して仕事がまわらない。
勤務時間が終わって飲みにでも行ったら、同期の友人に戻ればいいのだ。
こういうことを言うと、「先生」と呼びさえすればいいんだろ「大先生さま」とニヤニヤ笑いながらバカにするような人もいるけど、教えを乞いたい相手にそこまで頭を下げられないものかと、あきれる。
私を「先生」と呼べない人でも、自分の友達や親戚でない他人である「先生」から教わるなら、そんな失礼なことはしないだろう。学校の授業だって静かに聴いていただろう。
だから私はもう、レッスン中に私を「先生」と呼ばない人にはレッスンしないことにしている。
こういう生徒になりかねない人から「教わりたい」と言われたときは、やんわりと「どこかきちんとした講座に通ったほうがいいんじゃないの?」と言ったりする。
正規のレッスン料を払って「先生」と呼べる人の言うことなら、ありがたくきけるだろう。
それが結果としてその人のためでもあるのだ。

2016年08月15日(月)教えたがり
大人からヴァイオリンを始めた人のブログに、ヴァイオリンについて奏法などを教えている記事が少なくない。
弦の選び方とか楽器の選び方とか書いてあって、危ういなあという印象のものが少なくないけど、中には自分の受けたレッスン内容を楽譜の画像まで表示して詳しく書いているものがあり、さすがにこれは先生の利益を損なう行為だから「やってはイカンでしょ」と思う。
それにしても、どうしてこんなに「教えたがり」なのだろう。
私は「タダでは教えない、安易に教えない」と決めている。
自分が仕事にしていたことやプロレベルであることについては対価を頂く、自分が素人レベルであることについては、内容に責任が持てないので、教えるのは思い上がりだと思っている。
教えてほしくても教えてもらえず、苦労して苦しんで辿り着いた方法ほど、おいそれと誰にでもベラベラ喋るなんてことは出来ない。それはケチだからではなく、その情報の価値を守っているからだ。
また、ヴァイオリンに関して私は素人だから、尋ねられないことはこちらから指導するようなことを言わなない、と決めている。
同じことを言うにも、それは先生から言われるほうが素人にとってはありがたいわけで、誰も私ごときにヴァイオリンのことで教えられたくはないからだ。
秘密というほどでもないけど、知っていることをあえて教えないでいるのは、案外難しい。教えてしまうほうが、気分がいいからだ。
「教えたがり」のほとんどが悪意は無く、まわりから尊敬されたいという気持ちから来ているのだろうけど、それは「親切」とは違うし、結果として間違った方法でやらせてしまったり、権利者の利益を損なったりする迷惑行為になりかねないのだ。
その怖さがわかってくると「教えたがり」も治まり、ワンランク上に成長したということでもある。

2016年08月09日(火)タダでは教えられない
「イラストを描くコツを教えて」と言われることがあるけど、率直に言って答えに困る。
コツを教えるのが難しいという意味ではなく、「私にコツを教えて欲しいなら、私のレッスンを受けてください」ということで、「タダで教えろ」と言われても困るのだ。
ヴァイオリニストに会ったときに「上手く弾くコツを教えて」と言えば、「レッスンを受けに来てください」と言われるのが普通で、誰しも納得するだろう。
私の場合もそれと同じだけど、「ケッ、そんなくだらんことに金払えるか、一流マンガ家でもないおまえごときに金払えるか、何をお高くとまっているのだ」という反応をされることもある。
でも、私がカルチャースクールでマンガ講座をやっていたときは、生徒さんはお金を払って受講してくれていた。
それを、軽々しく「コツ教えて」と言う人にタダで教えたら、お金を払って受講してくれた生徒さんたちに申し訳ない。
私にとっては、タダでコツを知りたがる図々しい人より、お金を払って受講してくれた生徒さんのほうが大切だ。
それは、私の知識の価値を認めてくれた方たちだからだ。
だから、その生徒さんたちのためにも、私はタダでは教えない。
とはいえ、ピシャッと「教えられません」と言いにくい状況が多く、また、悪気のない人が多いので、アバウトなことは少し語るけど、「もっと聴きたかったらレッスン受けに来てくださいね」で締めくくる。
コツを喋らされると、本屋で立ち読みだけされて、買われない本のような気分だ。
上手く描くコツは「見えているままに描く。あるいは、描きたいものを描く。」これにつきます。
それがどういう意味か知りたかったら、レッスン料を払って受講してください。

※これ以前は「総集編2016年」をお読みください。
(C) Saito Yuko 無断転載を禁じます。