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※これ以降はマンガ「カプチーノカプチーノ」をお読みください。
泳ぐ鶏 yuko's HomePage (C) Saito Yuko
2016年06月27日(月)元気になる
Amazonでオランジーナのアンケートに答えたら、ブラッドオランジーナ450mlが段ボールにドンと24本詰まってタダで送られて来た。
こんなこともあるんだな。
昨日はタコをたくさん食べて早目に寝たら、今日は朝からすっきりして、力が漲って何でもやる気が出てきた。
疲れがたまっていつまでも身体が重だるかったのもすっきりとよくなった。
「タウリン1000ミリグラム!!」と叫びたい感じ。
はるか昔、小学生くらいのときは、このくらいのすっきり感と活力があったな、とおぼろげに思い出した。
中学生後半頃から、身体が重い、だるい、眠い、という気だるい体調になり続けていた。
ふりかえれば、あまり肉や魚を食べなくなったのが一番の原因ではないかと思う。
年をとったからとか、貧血ぎみだったからとか、持病があるとかの理由でこの体調がふつうだと思っていたけど、やれば改善はできるかもしれないという気がしてきた。
だるいと長時間起きていても、何をするにもあまりはかどらずに効率が悪いので、まずはこのくらいの元気を取り戻すことをしようと思った。
先日、炭水化物ダイエットで亡くなった方がニュースで報道されていた。
あまり極端なことをしないで、普通の食事や、昔から言われてきた生活習慣で十分健康になれるのだと思う。
ヴァイオリンの上達もそうだけど、何か特別な秘技やコツがあるわけでなく、先生の言うごく当たり前に感じられる言葉の中に最短の道があるのだと思う。

2016年06月26日(日)団体の宿命
世界はどこに向かうのだろう。イギリスのEU離脱に世界が振り回されている。
ここ数年で感じるのは、世の中を動かす人々の層が変わってきているということだ。
この「層」のモラルを育てることが、豊かで平和な生活に繋がるのだと思う。
もう一つは「団体」の宿命。
イギリスの問題は、アマオケのヴァイオリンパートでも起こる問題と似ている。
最初は志高く、交響曲を弾けるレベルの者が集まって発足するのだけど、そこに「弾けるところだけで弾いて、あとは弾いているふりをしてもいいですか?」と初心者Cが扉をたたく。
Cにしてみれば、レベルの高い集まりに混じって弾いていれば、勉強になると思うし、自分もその一員のように見えて気持ちがいい。
アマオケ側は、一人くらいはいいだろう、とやもなく入れてしまう。
ところが、ついて行くのに必死なCは、自分だけがレベルが低いことにいたたまれず、あるいは、こんな自分でもオケでやっていけるからラッキーと思う場合もあるが、他の初心者にも「私がやっていけるくらいだから大丈夫だよ」と声をかけて入団させる。
Cは自分が一番下にならないよう、さらに自分より弾けないDを連れて来る。
ヴァイオリン12人中、初心者が2人のうちはまだそれほどでもなかったけど、気がついたら10人がそうした初心者になっている。
では、創立メンバーの弾けていた10人はどこへ行ったのか。
初心者が増えるので、練習日でも初心者が譜読みをしてこなくて教えなければならなくなる。教えても当然、弾けないし、そんな練習に付き合うのが次第にバカバカしくなる。
長年レッスン料を払って腕を磨いてきたのに、それをオケの初心者に、どうして無償で教えなければならないのだろうか。
初心者に教えるためにオケにいるのではないから、レッスンで自分の先生に習ってくれよ、と思いながらも断れない。
そもそも考え方も違う。初心者は本番までに、どこまで弾けるところが増えるかだけど、創立メンバーは初回の練習日には譜読みを済ませているので当然すべて弾けている。
でも初心者に合わせるので、譜読み後の音楽を作る作業ができないまま本番になる。
何のためにオケをやっているのだ。バカバカしくなり弾ける人間が辞めていく。
残されたのは大半が初心者で構成されるヴァイオリンパート。エキストラを雇って何とか本番には形にしているという状態になる。
誰でも、レベルの高い集団に入りたいと思う。その集団の恩恵あずかりたい。
その集団でレベルに満たない者がごく一部のうちは、その集団のレベルを維持できるているけど、レベルに満たない者が増えてしまうと、今までのレベルは維持できなくなり、当たり前のことだけどレベルの低い集団に変わる。
アマオケに限らず、絵画の集まり、マンガ同人誌など、何のサークルでも油断すると起きることだ。
「初心者や下手な人は入れない、というのはひどい」と言われたくないために、何でも受け入れてしまうことで結局は自分の首をしめることになる。
レベルに満たない人を断る心苦しさは、分不相応なレベルに入ろうとする人にはわからないし、レベルに満たない人は自分が負担をかけているとは思わず、世話になっているとか、教わっていることも、当然だと思って感謝しない場合も多いどころか、、やがては自分のレベルの考えを標準として押し通すように文句ばかり言うようになる。
だから入口の段階で、レベルに満たない人には「今は無理だけど、レベルに達したら来てください」「私はあなたを教えて助けてやるほどの力はない」と率直に伝えるしかない。
何かを得るにはやはり対価が必要なのだ。
入団資格を設けない団体は、人の出入りに伴って少しずつレベルが低下していく傾向にある。
誰のための何のための団体か、目的を貫く勇気も、時には必要なのだ。

2016年06月24日(金)ヴァイオリンを続けるために
ストレスについて考えていて、思った。
ヴァイオリンがストレスになっていないだろうか。練習とか、しなければならないことに、ストレスになっている要素はないだろうか。
ヴァイオリンそのものは、ポジティブでもネガティブでもない。かかわる私の気の持ちようがすべてなのだ。
ヴァイオリンを健康的に続けるためには、基本は「楽しい」という思いで満たされることだ。
練習が楽しい、レッスンが楽しい、おさらい会が楽しい、となるようにすることなのだろうけど、何をどう「楽しい」と感じるかで、その人の品性や能力が伺えるのだと思う。
でも「嫌な気持ちになる」は何であろうと、私をダメにする。
「嫌な気持ち」はどこで起こるか考えてみると、結局は人とのかかわり方がその根本にあるということにいきつく。
ストレス対策の一つが「笑う」でもあることから、結果として笑顔になれるかかわり方をすることで、「今日は会ってよかった。また会いたい。」と思えれば、それは楽しいことになっていく。
練習も、終えるときに「楽しかった、弾いてよかった」と思える何かがあればよいのかもしれない。
嫌いになったりストレスにならないようにしたいのは、これからもヴァイオリンを続けたいからだ。

2016年06月22日(水)ストレスとつきあう
従兄が亡くなり、葬儀に参列してきた。齢を重ねるごとに、人の死に慣れるより、人の死が辛くなる。
それが過度のストレスにならないようにメンタル面を護ろうにも、昨年は普通に持てた荷物が今年は重く感じるように、年々その力が弱って来ているようだ。
先日、NHKテレビでストレスについての番組があった。
私が自分なりに辿り着いた、解決方法を求める以外に愚痴らない(嫌なことを繰り返し思い出さないで1倍に留める)、とか、ストレスの原因になっている人や環境から離れる、とか、別の楽しいことを考えたり、無機質な全く違うことをして気分転換する、といった方法はかなり正解だった。
そして、番組によれば、それに加えて「笑う」ことと「運動する」ことだそうだ。
簡単に笑う方法の一つは、ネットのGIFアニメで、それを観て思わず吹き出すことで、一瞬、今考えていたネガティブなことが消えたりする。
でも、「笑う」というのは本当はそういう意味ではなく、幸福だと脳に思わせることで、口角を少し上げるだけでもそれは果たせる。
怖くて眠れない時は「白鳥の湖」の一幕二場のパ・ド・ドゥの踊りと音楽を思い出すと心が穏やかになる。
音楽だけなら、パパゲーノとか。普段はあまりドイツの民謡は好きでもないけど、このじゃがイモっぽいホッコリ感が温かく感じるのだ。
緊急でないときは、きれいな景色を見に行ったり、美味しい物を食べに行ったり、美術館行ったりなど、一人でドライブして、素敵な店で食事したりお茶したりするのが気分転換になっている。
ネガティブな思いは、自分が生きてきた証でもあるから記憶にはとどめておくけど、それに支配されたくはない。
健康を保った範囲で、できるだけ感受性豊かでありたいと思う。
従兄のご冥福をお祈りします。

2016年06月18日(土)課題曲の意義
素人の発表会のような場で課題曲を設けるのは、私は好ましいと思わない。
先生が学習上必要という判断でさせるならともかく、生徒の発案の場合、序列をつけたいというイヤらしさが見えるからだ。
さらに課題曲をいくつか用意すると、少しでもレベルが高く見られたいがために、誰もが自分の弾ける限界の難易度の曲を選ぶだろうから、選曲の段階でレベル分けされ、同じ曲のなかでの順位付けがしやすくなる。
そこから、スクールカーストのように「自分は上級グループ、あなたは中級のくせに、仲間に入れないわよ」といったグループ分けに発展していくのは目に見えている。
コンクールで課題曲というのはわかるけど、発表会のような場で、素人同士でそんな微細な上下関係を作ることに意義はないし、そんなことをして全体が楽しくなるとは思えない。
私は順位づけや競争を否定しているのではなく、52点が48点の人を見下すような世界はくだらないと思っているだけだ。
先生のようなプロからすれば、多少の違いはあっても生徒なんてのは、ひとくくりに素人のヘタクソなのだから、素人が素人を見下すのは「目くそ鼻くそを笑う」の世界で滑稽だ。
素人でもその集まりでダントツに一番上手い人は、課題曲をやろうなどとは言い出さないだろう。言い出すのは、自分のことが認められたくて仕方がない貧しい人なのだと思う。
百歩譲って、どうしても課題曲をやりたいのなら、誰でも弾けて短い「楽しい朝」とか「鳥がたよりを」にでもすればいいと思う。
自分がお客の立場になっても、素人の課題曲として同じ曲を何度も聴かされるのは楽しくない。
発表会は全体として一つのショーで、バラエティに富んだ出演者全員でショーを構成して盛り上げる、と考えたほうが楽しめると思う。

2016年06月17日(金)「貰いそう」とは
ヴァイオリンを貰いそうな夢を見た。
私より若い知らない好青年から「ヴァイオリンを買ってあげるよ」とうれしそうに言われた。
この人のことは知らないけど、この夢の世界では、何かのきっかけで音楽からみで知り合ったような感じだ。
特に金持ちそうでもないけど、とても善良そうな人だ。
ヴァイオリンのこともよく知らず、クラシックでないような他の楽器の人みたいなので、ヴァイオリンの価格を知らないんだろうな、と期待は薄くとも、私はその気持ちをほほえましく思っている。
地元市民が芸術活動をしているような小さなホールに、私はその人たちといる。
「これがスケジールだけど」とB4用紙にびっしりと書き込まれたその会の今後の活動日程を見せられる。
何が書かれているか夢ではわからないけど、説明を受けながら「年間で会費は1万円」と言われる。ここだけ具体的な数字。
その1万円を私は、普通のサークルとしては安いけど「やはりそういうことか」と、人集め金集め目的かと少し疑心暗鬼になる。
ヴァイオリンやクラシックのことを知らない人との音楽活動は、悪意は無くても問題が起こりやすいということも、頭をよぎる。
プレゼントしてくれるヴァイオリンは良くて10万セット程度のものだろう、と期待はしないけど、それをここに持ってきてくれるという気配で現物を見ずに目が醒めた。
全体として、幸福感のある夢だった。
その前の日も、私は特にファンでもないけど、モデル出身の有名男性俳優に口説かれて愛される夢を見た。
何だか、自分が今持たない物を夢で埋め合わせているような恥ずかしさはあるけど、悪夢よりはいい。
現物を貰ってみないと、本当は貰ったことにならない。話だけで貰った気分になるのは危険だ、という警戒は常にあるので、本当に貰うまでは「ありがとう」と言ったり、何らかのかたちで対価を払うことはできない。
芸術の世界ではよく、そういう「騙し」があるのだ。
そういえば、以前、ヴァイオリンを忘れておさらい会の場に行くという不吉な夢を見たけど、現実のおさらい会は、やはり悔しい出来に終わった。
今回はそんなにひどいことにはならないだろうと思っていたけど、結局、夢の暗示に近く、私の音楽はそこにはなかった。
ヴァイオリンを「貰う」のではなく、ヴァイオリンを「貰いそう」になった夢は、何を暗示しているのだろう。

※これ以前は「総集編2016年」をお読みください。
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