2009/02/21

堀井米店の系譜

当代六代目。
親に聞いていて、疑わずにそう称していましたが
ちゃんと調べたことがなかったのです。

いつまでもそう言っていられないので
古い押入れから「堀井家系譜誌」というものを
ひっぱりだしてじっくりと読んでみました。


系譜誌より抜粋など。
天保十二年
元旦
内野村から江戸表に向かい、神田駿河臺米屋渡世越後屋に若衆として住込む。
弘化三年 郷里へもどり、農業の傍ら運送業などを営み資金を蓄える。
嘉永六年
一月二十五日
米屋を開業せり。
明治二十二年 二代目が家業を継ぐ。
明治三十一年 三代目が家業を継ぐ。
昭和十六年 政府の勅令により廃業。
四代目。内野町米商組合が設立し、専務理事となる。
昭和十七年 政府の勅令により同組合解散。
新潟縣食糧営団主事に補さられ、内野配給所長を命ぜられる。
昭和二十二年 政令により食糧営団解体。
食糧配給公団主事に補さられ、新潟縣内野配給所長を命ぜられる。
昭和二十五年 政令により食糧配給公団解体。
内野主食配給企業組合理事長となる。
昭和二十六年 政令により同組合解散。
主食販売登録店となる。堀井又蔵商店。
昭和四十八年
(不明)
五代目が家業を継ぐ。
平成十八年 六代目が家業を継ぐ。


疫病で一人を残して亡くしたり、何度か借財をしたり、
色々困難も重ねつつ、先人の苦労の積み重ねで今があります。
当代も先代からの思いを継いで研鑽していきたいと思います。