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当代六代目。
親に聞いていて、疑わずにそう称していましたが
ちゃんと調べたことがなかったのです。
いつまでもそう言っていられないので
古い押入れから「堀井家系譜誌」というものを
ひっぱりだしてじっくりと読んでみました。
系譜誌より抜粋など。
天保十二年 元旦 |
内野村から江戸表に向かい、神田駿河臺米屋渡世越後屋に若衆として住込む。 |
弘化三年 |
郷里へもどり、農業の傍ら運送業などを営み資金を蓄える。 |
嘉永六年 一月二十五日 |
米屋を開業せり。 |
明治二十二年 |
二代目が家業を継ぐ。 |
明治三十一年 |
三代目が家業を継ぐ。 |
昭和十六年 |
政府の勅令により廃業。 |
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四代目。内野町米商組合が設立し、専務理事となる。 |
昭和十七年 |
政府の勅令により同組合解散。 |
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新潟縣食糧営団主事に補さられ、内野配給所長を命ぜられる。 |
昭和二十二年 |
政令により食糧営団解体。 |
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食糧配給公団主事に補さられ、新潟縣内野配給所長を命ぜられる。 |
昭和二十五年 |
政令により食糧配給公団解体。 |
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内野主食配給企業組合理事長となる。 |
昭和二十六年 |
政令により同組合解散。 |
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主食販売登録店となる。堀井又蔵商店。 |
昭和四十八年 (不明) |
五代目が家業を継ぐ。 |
平成十八年 |
六代目が家業を継ぐ。 |
疫病で一人を残して亡くしたり、何度か借財をしたり、
色々困難も重ねつつ、先人の苦労の積み重ねで今があります。
当代も先代からの思いを継いで研鑽していきたいと思います。
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