ぽー先生ぽれぽれ日記

2007年5月18日(金)
ありがとうございました

 ぼくたちはずっと塾で勉強を教えています。国語とか数学とかの勉強です…。で、それをずっと追求していると「勉強だけ」を教えるなんてことはトウテイできないんだってことに気づきます。だって教育のすべては「もの」じゃあなくて「人間」なんですから…。主人公の子どもは「人間」です…そのまわりの両親・家族・友だちみんな「人間」です…そして教える先生も「人間」です。
 「なんで勉強するの?」っていう理由は人間である奥深いところから生まれてきます。「勉強する中身」にしたってたくさんの人間の智恵の集まりなんです。「勉強したことがどう生かされるのか?」ってこともさまざまな人間たちとのからみのなかで見つかります。だから「人間としての子どもたち」を「人間としての先生」が指導しなければ勉強は成り立ちません。塾といえど、いや塾だからこそそうなんです。だって命がけですから…。
 ずっとそのひとつの思いのなかで、啓明館は設立以来チャレンジを続けてきました。「勉強せんかい」の雑誌づくりで自分たちの世界を広げ、「せんかい村」のネットワークのなかでさらに生きた智恵を学び、さまざまな「子どもたちの活動」のなかで子どもたちのなかの人間を見つめなおし、そして「TOS」という形でチャレンジそのものを指導コースにまでしてしまいました。
 今までもそしてこれからもずっとぼくたちのこの思いは変わりません。そのときそのときのできうるかぎりのなかで精一杯の「勉強」を求めていこうと思っています。もうかれこれ200回近くにまでおよんだ「ぽー先生のぽれぽれ日記」も今回をもって終了しようと思います。ほんとうに永い間おつきあいいただきありがとうございました。またいつか別の形でお会いできればと思いますので、そのときはまたよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

2007年5月17日(木)
TOS

 TOSは啓明館のオリジナルコースです。ここ数年はよゆうがなく本格的な活動はしていませんけどコースとしてはまだ存在しています。飛び出そうのT、大きなのO、社会へのSです。「えっ…日本語のイニシャルだったんですか。ドンクさっ!」ってよく言われます…。おもに小学生が中心で、社会のなかでの子どもたちのいろんな活動を指導します。週1回・月謝1万円です。国語とか算数とかの指導はありません。集団活動コースと個人活動コースがあり、多いときは15人ほどの子どもたちが在籍していました。
 どんな活動をするのかというと…たとえば集団活動では、子ども向けの科学のワークショップを開く、いろんな人に取材してみんなで雑誌を発行する、お客さんを一般から募集してふるさとガイドを行う…なんてこと…。それから個人活動では、ラジオドラマのシナリオをつくってコンクールに応募する、ひとつのテーマについて研究し論文をつくって発表する…とかってことです。
 ほんとうにじっさいのイチインとして社会のなかに身をおくことで、子どもたちにいろんなことを学んでほしい…。だからぽー先生たちもほんとうにシンケンでした。そしてとっても楽しいことでした。

2007年5月16日(水)
キッザニア

 きょねん東京にキッザニアっていうのがオープンしました。子どもたちのための施設です。ぽー先生もニュースでちらっと見ただけですからくわしいことは知りませんけど…。このなかにはいろんなお店やしごとのコーナーがそろっていて、子どもたちは自分が好きなしごとの体験をすることができるっていうものです。で、これがただの体験とちょっとちがっているのは、しごとをした子どもたちがじっさいに給料をもらうってこと…。そのお金はキッザニアのなかでしか通用しないものなんですけど、それでもいろんなお店とかがそろっているわけですから、けっこうホンモノと同じように使えるぐらいの価値はあるようです。
 国語とか数学とかの勉強をすることは子どもたちにとってすごく大切なことです。そしてその必要性は時代とともにますます大きくなっています。でも、そのことともうひとつ…社会のなかでいろんな智恵を学ぶってこともじつはすごく大切なことのように思います。むかしはいまよりずっとそういうチャンスが多かった…家の手伝いをしたり、しごとの手伝いをしたり、年のちがう子どもたちと遊んだり、おじいちゃんおばあちゃんが身近にいたり…。とまあ、そういうナイモノネダリをしてもしかたがないですから、いまはいまの時代として形を変えた「社会の智恵」…そんなものが…ってことなんだと思います。

2007年5月15日(火)
シャンデレザン

 シャンデレザンのCMっておもしろいですよね。いまは新しいバージョンになってるようですけど、前のやつがなんかとっても好きでした。姉と弟の2人の子どもが石段にこしかけてシャンデレザンを食べようとしている…で、そのとき弟は袋をあけそこねてお菓子を下に落としてしまう…そこでやさしいお姉ちゃんが自分のお菓子を半分にちぎって弟にあげ、仲良く2人でシャンデレザンを食べる…それを食べてしまった弟がもっと食べたいと思ったのか、下に落ちてるお菓子を拾おうと手を伸ばす…とそのときすかさず姉がその弟の手をパシッとたたく。そのときのお姉ちゃんの怒った表情…そしてうつむく弟のさみしげな表情…たった何秒かのCMのなかでこれだけのドラマを生み出すことができるなんて…ゼッピンの作品です。
 さてシャンデレザンの石村萬盛堂も筑豊とはエンがあるそうです。インセキ関係も入れると村岡屋もエンがあるとか…。「ひよこ」「千鳥屋」「さかえ屋」「もち吉」…、筑豊ハッショウの大手菓子メーカーってじつにたくさんあるんです。明日をも知れぬ労働の炭鉱マンたちが甘いものを欲したのか…キュウゲキに人と情報が集まった筑豊の土地が文化を欲したのか…いろいろと気になることがまだまだいっぱいです…。

2007年5月14日(月)
炭鉱王

 きのうは飯塚に行ってきました。筑豊の炭鉱王として知られる伊藤伝右衛門の邸宅を見に…です。ついこの前から一般に公開され始めたばかりということで、りっぱなヤジウマのぽー夫婦…こういうことはしっかりと押さえてすばやく行動にうつしてしまうんです。
 江戸が終わっての日本の近代化…それをささえる北九州の八幡製鉄…そしてさらにそのエネルギーをささえる筑豊炭鉱…きっとものすごいスピードで一気にハンエイをきわめていったことなんだろうと思います。人があふれ・町がさかえ・情報や文化がどっとおしよせる…その頂点に立つ伝右衛門がそれなりの奥さんをっていうことで、大正天皇のイトコにあたるような家柄の女性を東京から迎える。彼女のためにわざわざ家を増築して、ゼイのかぎりをつくした邸宅を準備して迎える。それでも2人の心のスキはうまることなく、10年後に彼女は家を飛び出してしまう。白蓮というペンネームをもつ歌人としても知られる彼女は、新聞で夫への絶縁状を公開する。そして夫もまた新聞で彼女に反撃する…。
 「歴史」ということで語るには、まだまだあまりにも生々しいドラマがたくさんつまっていてキョウミブカク見学してきました。やっぱりドキュメンタリーっていうのはオモシロイもんですね…。

2007年5月12日(土)
桃太郎さん

 ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い…ごぞんじ12支です。これを時刻にあてはめてみると…一日をひとつの円としていちばん上の夜中の12時が「子の刻」、そして反対にいちばん下のお昼の12時が「午の刻」ってことになります。ちなみにここが午前と午後のわかれめです。そしてこの円がそのまま方角を表す円としても使われます。
 桃太郎さんのオハナシのなかにもこんなエピソードがもりこまれています。「ね」がいちばん上で北の方角を表し「うし・とら」が北東…この方角は鬼門といって鬼がやってくる方角です。だからここを注意して守っておかないとタイヘンなことになります。ってことで「うしのツノ」と「とらのパンツ」をはいた鬼が悪いことをしにやってくるんです。で、桃太郎さんのつれていたケライたちが、「こんなのつれてって何の役に立つんだろう…」って思うようなサルとキジとイヌ…。じつはこれが円のなかでは「うし・とら」と反対の位置にある「さる・とり・いぬ」なんです。だからけっこう鬼タイジには役に立つそうなんです。
 りくつではなかなかわからないけれど、きっとりくつをこえたところでの智恵みたいなものがずっと言い伝えられてるんでしょう。いろいろとおもしろいことがいっぱいです。

2007年5月11日(金)

 陰陽五行説…いろんなものの成り立ちをこういうところから解き明かしていこうっていう考え方なんでしょう。科学でも芸術でも技芸でも宗教でもなんでもそうですけど、みんなそのなかに「あっなるほどな!」って思えるようなことって必ずあるもんですよね。ぽー先生はけっこう単純な人なもんですから、見たもの聞いたもの何でもすぐにカンドウしてしまいます。でも100%ゲタをあずけてまでシンポウすることはないんですけど…。
 ぽー先生はとっても海が好きです。だからどっかに行くときなんかはムリしてでも海が見えるコースをえらんだりするほどです。っていうのは、ぽー先生のふるさとは神奈川県の湘南で、むかしから「湘南ボーイ」なんていわれるほど海とはエンがふかいところなんです。で、福岡の海なんですが…もちろん好きなんだけどじつはちょっとだけイワカンがあります。なぜかというと福岡の海は「北向き」だからです。ちなみに湘南の海は「南向き」です…。海の色・波のようす・太陽とのからみ・風のようす…いろんなものが小さいころ身につけた「海」とはビミョウにちがっているんです。
 だからときどき「南向きの海」に出会うとほっとした気持ちになります。でもザンネンながらそれってなかなかありません。だって九州には南向きの海岸ってほとんどないからです…。陰陽五行じゃあないけれど方角のひとつだって人間の心にとってけっこうバカにはできないもんなんですよね…

2007年5月10日(木)
陰陽師

 このまえブックオフに行きました。そしたら「今日は1冊100円の本がさらにネビキで50円ですよー!」っていうアナウンスが流れてきたんです。「よっしゃ、こりゃあ買わなきゃソンだ!」って思ったぽー先生…。こんなときこそ日ごろ買わないような本までチャレンジするチャンスだって、けっこう本気モードで店内をすみからすみまで見てまわりました。
 ゲットしたのは「陰陽師」っていうマンガ…で、これがけっこうぽー先生のツボにはまってしまったんです。だいたいがプラスとかマイナスとかしょっちゅう言ってる人ですから、陰陽にはまるってのもうなずけるところなんですけど…。主人公はもちろん安倍晴明、さまざまなできごとにからんでいく彼の人間性がとってもよく表現されていて、それにセリフの一言ひとことにけっこうオクフカイものがありいろいろと考えさせられます。
 大きなひとつの円が太極とすれば…そのなかにピッタリ入っている2つの円が陽極と陰極…その周をまが玉のような形になぞっていくと2つの陽と陰がからみあったふうに…太極の1点からその2つの円に接する別の2つの円をひくと太極を5等分する点がうまれる…それが木火土金水の5行…そんなところからさらに時刻・方位・干支などさまざまに広がっていく…。なるほどなって思えることがいろいろありました。おもしろいもんですね…。

2007年5月9日(水)
隠し絵

 塾のしごとをして30年近く…その間してきたぽー先生のしごとのナカミ…「子どもたちに教えるしごと」と「それ以外のいろんなしごと」との比率はたぶん4:6ぐらいじゃないかと思います。6の部分でいろんなことをやってきました。「もしも受験がなかったら子どもを塾に入れますか?」…この問いに対するチャレンジがもしかしたら今まで30年のぽー先生のエネルギー源だったのかもしれません。
 受験を否定するつもりはないですよ。受験があるからこそ塾に入れる…でゼンゼンかまわないんです。あたりまえですから…。で、それはそれでホントウなんだけど…でも「それだけじゃあない…」っていうのもじつはホントウなんです。「もっと大きなオマケをつけたい!」これがずっと続いているぽー先生の願いです。受験があるから…っていうことでもらっている授業料が2万円だとすれば、そこにさらに5万円分ぐらいのオマケをつけてしまう…。合格通知を手にするだけじゃあなく、それと一緒にもっとダイジでステキなものを手にすることができますように…。そんなことばかり考えてきたんです。
 「受験」ってかいてある1枚の絵をじっと見ていたら、中からとってもきれいな隠し絵が浮かびあがってくるような…なんかそんなことなんです。

2007年5月8日(火)
目の運動

 このまえ家に帰ったら1冊の本がテーブルの上においてありました。写真集みたいなカンジだけど、それぞれのページは何やらヘンテコなもようみたいな写真ばかりでなんだかよくわかりません。「これなあに?」ってオクさんに聞くと…「ねえちょっとここ見てみて…何か見える?」って、本を開いてうれしそうに言うんです。
 目の運動のために買ってきたとのこと…。ヨリ目をしたり、反対にもっと遠くの方に焦点をあわせてみたりすると、何かのもようが立体的に見えてくるんだそうです。で、ぽー先生もがんばってチャレンジしてみるとホントウに見えてくるんです。すごいですね。くっきりとあざやかに今まで見えなかったいろんなものが見え始めるんです。ちょっとカンドウでした。
 ただふつうにま正面から見てるだけじゃあ見えてこないもの…焦点をちがえたり別の見方をすると、急にあざやかに見え始めたりするもの…よくよく考えてみれば、こういうことってヒネクレモノのぽー先生にとってはトクイ分野だったのかもしれませんね…。

2007年5月7日(月)
30年ぐらい前のアンケート

 もういまから30年近くも前のことです…。ぽー先生がはじめて塾の先生をし始めたころ、保護者会のなかでお母さんお父さんたちに次のようなアンケートをしたことがあります。それは…「もし受験がなかったらお子さんを塾に通わせますか」っていう質問…さあどうでしょう…たしか95%ぐらいが「通わない」っていう答えだったと記憶しています。
 質問に答えている保護者の人もだれ一人悪びれたようすはなく平然とそう答えていました。それほど「アタリマエでしょう!なにをつまらないこと聞いてるの!」っていうカンジだったのかもしれません。もちろんいまとは時代がちがっていますし、もっとこまかいこと…子どもが何年生なのか、成績はどれぐらいなのか、塾ではどんな指導をするのか、授業料はいくらなのか…そんないろんな要素によってもちがってくるのかもしれませんけど、おおざっぱな言い方をすれば95%っていうのはたしかにアタリマエっていう数字だったのかもしれません。
 あのころから時代はどう変わったんだろうか…子どもたちは親はどう変わったんだろうか…自分たちはどう変わったんだろうか…また同じ質問をしてみたらどういう答えが返ってくるんだろうか…さあどうでしょう。

2007年5月2日(水)
高野連

 何かこまったことをする子がいると、先生っていうのは何かしらの指導をその子にしようとします。まず先生が動かないかぎりジタイが進まないことも多いでしょうから、それはそれで当然なことかもしれません。
 そのこまったことがその子だけのことなのか、ほかの人にかかわることなのかによってもちがってきますけど、子どもを指導しようとするときはダイタンかつセンサイに行動しなくてはいけません。その子の立場、まわりの人の立場、自分の立場など、いろいろな目線からのさまざまな思いをめぐらし、もっと大きな視野からの流れも感じ、押すべきは押しそして引くべきはちゃんと引き、ジュウナンかつかっことした思いで指導しなくてはいけません。
 少しでも感情的になったり、イコジになったり、あせりの気持ちがあったりするとダメです。一歩まちがえると、みずからの努力不足・力不足をたなにあげ、教育という名のもとにきわめて横暴な行動をとることになってしまいます。
 いまちまたで起きている高野連の問題って、教育現場にはけっこうありがちなことなんじゃないかなって…人ごとじゃあなくちょっとさみしくなってしまうできごとです。

2007年5月1日(火)
陶器市

 きのう有田の陶器市に行ってきました。もうかれこれ20年以上にわたって毎年行ってます。ていっても運転手さんとしての参加ですから、じっさいに町中をウロウロしたっていうのはそのうちの3回しかありません。あとは車のなかで寝ているかしごとをしているかです。子どもたちがまだ小学生のころは空き地にビニールシートを敷いてみんなでマージャンをするなんていうゴクドウなことをやってたこともありました。
 3回っていうのは、はじめて行ったときの1回とそして去年と今年です。ここのところの2年、ただの運転手さんから荷物もちへとぽー先生の任務がカクアゲされたんです。お皿やらおわんやらが購入されるたびにぽー先生のリュックに投げ込まれます。で、ぽー先生自身もただボーっとついてるだけじゃあなくいろんなものを見てまわってるんですが、ゲテモノというか…どうしてもヘンなものばっかりに目がいってしまいます。なかがかってに動くマンゲキョウ、ヘンな形のコマ、ざくろ入りハチミツ、ネコのおきもの、ケンダマ、正八面体の形をしたエンピツたて…、これが陶器市でゲットしたぽー先生のセンリヒンです。ほとんどアホですね…。でもただの荷物もちとはいえ、やっぱり「ぼくも陶器市に参加してるんだ!」っていう充実感はそれなりにカンジテはいるぽー先生だったのです。

2007年4月28日(土)
カブトエビ

 カブトエビって知ってますか。体長は1〜2pぐらいでしょうか。エビっていう名前がついてるけどエビの形をしているわけじゃあなく、カブトガニとおんなじような形をしています。あの天然記念物と同じ形をしてるもんですから、見つけると何となくアリガタイ気持ちになります。じつはぽー先生も大人になるまでその存在を知らなかったんです。だからもしかしたら関東の方にはいないんじゃないかとも思いますけどどうでしょうか。
 どこにいるかっていうと、じつは彼らはたんぼに住んでるんです。しかも一年のうちで現れる時期が決まっていて、田植えがすんだすぐあと…。それまでカラカラだったたんぼに水がはられるとどこからともなくやってきます。そして半月か1月ぐらいしたらまたみんないなくなってしまいます。カラカラの状態のときもふくめて一年のほとんどは土の中で卵として生きてるんじゃないでしょうか。そして人間のイトナミである田植えにあわせてこの地上に姿を現します。
 福岡でもいなかのほうに行けばまだまだ見ることができます。だからそのころになったら是非たんぼをのぞいてみてください。きっと彼らがかわいらしく泳ぎまわっていることと思います。あっ!それから…きっといっしょにホウネンエビもいるはずです。同じぐらいの大きさでシャコみたいな形をしています。いつもセオヨギで泳ぎ続けてるっていう、これもなかなかヘンなヤツなんです…。

2007年4月27日(金)
大人の競争

 「子どもの競争」のほうはそれでもまだいいんですが、「大人の競争」のほうはなかなかやっかいな問題をかかえています。学力テストの計画を立てた人たちは、「テスト結果が先生や学校の評価につながるなんてことはいっさい考えてませんよ。ジュンスイに子どもたちの学力ジョウタイを調査したいだけなんですよ!」っていう思いなのかもしれませんし、またそうじゃあないのかもしれません。でも立てる人の机上の思いはともかくとしても、結果的にそういうふうになっていく可能性もはらんでいるのかもしれません。
 啓明館は「塾」です。ほかの塾っていえば水増ししてウソをついてまで「入試結果」にこだわります。で、啓明館はというと…数こそ少ないですが過去の入試結果はけっこうすごいんだとひそかに思っちゃいるけど、ことさらそれを強調したことは一度もありません。「子どもの立場で」「めざすものとして」入試にはもちろん全力をあげてとりくみます。でも「塾の立場で」「「評価のものさしとして」入試結果をとりあつかうつもりはまったくありません。そこにいたる一つひとつの過程や、なかなか見えにくいけどそれをささえてきたたくさんのものたちのなかにこそ大切なものがたくさんあるからです。
 世の中の多くは目に見えるものさしで動きがちです。そのなかで目に見えないものを守るには強い意志と大きな努力が求められます。国の計画はぜひそういうものであってほしいと願っています。で、計画を立てている人たちのなかにきっとあるだろうジュンスイな気持ちをぽー先生も信じて応援していきたいと思います。

2007年4月26日(木)
競争

 学力テストに賛成か反対かっていう話になると、きまって「教育の世界に競争原理をもちこむのはいかがなものか…」っていう意見が出てきます。で、同じ言いかたじゃあありますが、昔と今回とではちょっとそのポイントがちがってきているようです。昔は「子どもの競争」という意味での反対意見だったのが、今回は「先生の競争」という意味あいのほうが強いようです。
 つまり、子どもの学力を評価するといいながら、じつはそのさきのほうではそれが子どもを指導する「先生や学校」の評価につながっていき、先生の人事考課つまり給料の査定や学校そのものの評価に結びついていくんじゃないかっていう話です。
 で、まずは「子どもの競争」のほうのことですが…。賛成するほうも反対するほうも、たかがテストの点数ぐらいのことでそんなに目くじら立てなくてもいいんじゃないでしょうか。目くじら立てていること自体が「ぼくはテストの点数に重きをおいてるんだよ!」ってことを証明してるんですから…。
 プラスとマイナスはいつだってセットです。かりに学力テストがマイナスの材料だったとしても、それをやっきになって消そうとしたってそこには何も生まれてはきません。「たかがテストぐらい…」って笑い飛ばせるぐらいの大きな気持ちとエネルギーを、大人がもてるようになることの方がずっと大事なハナシなんじゃないかなってぽー先生は思っています。

2007年4月25日(水)
全国学力テスト

 きのう43年ぶりという全国統一の学力テストが行われました。学年は中3と小6です。今朝の新聞にそのテスト問題がのっていたので、ぽー先生もさっそく解いてみました。中3の数学はAテストとBテストの2つにわかれています。学校でもこの2つはきれいに2時限にわかれて実施されたようです。
 Bテストはすべて記述式で答えるようになっています。子どもたちがけっこう苦手にしている単元・いろいろと考えなくてはいけない単元について6問出題されています。記述式ということで、問題自体というより採点基準がどうなるんだろうかということがちょっと気になるところです。
 Aテストは今まで2年間に習ったことについてまんべんなく出題されています。そしてたとえば「連立方程式をつくるだけで解かなくてもいい」っていうように、その項目のみがわかっているかどうかを調べたいという意図がはっきりしていて、1つの問題を解くためにいくつもの思考過程が必要となるような問題はキョクリョクさけられているようです。
 当然といえば当然ですが、このテストは子どものためのテストではなく大人が子どもたちの学力を「調査する」ことが大きな目的なんだと、問題を解いてみてあらためて感じました。あとはそのデーターをどう生かすことができるのかできないのか…すべてはそこにかかっているようです。

2007年4月24日(火)
コミックシティ

 行ったことないからくわしいことは知りませんけど、コミックシティっていうのはカンタンにいうと「マンガ同人誌のフリーマーケット」ってことなんだと思います。日本全国のおもな都市で毎年開かれていて、福岡の場合はこんどの5月27日(日)にヤフードームで開かれるそうです。出店されるブースの数は全部で3000…出店しようと思う人は事前に主催者に申し込みをしておき、1ブース4000円の参加料をはらって出店することになるようです。
 自分たちのつくったマンガをたくさん印刷しておいて当日お客さんに販売するわけですが、けっこう人気のある同人誌なんかもあるとのこと…それにコスプレで来ている人なんかもいるようで、やっぱりなんかちょっと変わった時間と空間がくりひろげられることなんでしょう。ぽー先生のようなおじさんにはどうみてもイシツの世界みたいです。こんなふうにちょっとオタクっぽいフンイキはあるにしても、自分の思いをマンがで表現したり、それを作品にして印刷したり、たくさんの人たちに販売して評価を受けてみたり、みんなと交流して仲間ができてみたり…、若い人たちトリワケ今の時代の若い人たちっていうのはいろんなチャンスがあってウラヤマシイものですよね。

2007年4月23日(月)
アニメート

 きのう天神にある「アニメート」に行ってきました。アニマートじゃないですよ。それは本屋さんですからね…。「おやふこう通り」の南ハシにあるリクルートビルの2階にあります。アニメに関するシナモノがなんでもそろっているっていうお店です。コミックマンガはもちろんのこと…アニメのCD…テーマソングのCD…アニメのキャラクターグッズ…いろんな種類のペンやスクリーントーンなどのイラストを描くアイテム…それからたくさんのアニメ同人誌…とにかくアニメ関連ならなんでもありっていうところです。
 わざわざそこに行ったわけじゃあありません。アニメ好きの子に前から話だけ聞いていたぽー先生が、ちょうどタマタマその近くを通りかかって「こわいもの見たさ」でつい行っちゃったってとこです。長浜公園の交番で道を聞いて…。思っていたより店のスペースが広くてびっくりしましたが、アンノジョウ店の中はイッシュドクトクなフンイキがただよってました。けっこうマニアっぽいカンジの子ばっかりで店内はごったがえしていて、まちがいなくひとりウイテいるぽー先生でしたが少しでもとけこもうと必死で「シゼンな行動」をこころがけました。おかげで「ワンピースのメモ用紙」と「ガンダムのばんそうこう」を思わずゲットしてきてしまいました。
 むかしから「ヘンな行動」はぽー先生のオトクイでしたがさすがにきのうはちょっと疲れました。でもジンセイいくつになってもチャレンジですからね…。こんどは思いきって「コミックシティ」にでものりこんでみようかとホンキで思っているぽー先生でした…。

2007年4月21日(土)
シンポジウム

 もうずいぶん前のことになりますが、せんかい村のカツドウのなかですごくまじめなシンポジウムを開いたことがありました。福岡市の図書館に100人ぐらいはいる研修室があってそこが会場です。せんかい村の人たちが50人ぐらい参加してくれて、その他に一般参加の人もいたりしたのでけっこうなにぎわいになりました。
 テーブルスピーチをしてくれたのは寺脇研さん…。この人…だれだか知ってますか。しばらくかげをひそめていたけど、このごろまたよくテレビなんかで見かけるようになった文部科学省の人です。「もうすぐゆとり教育が始まる」っていうそのころ、彼はあっちこっちのマスコミにひっぱりだこでした。ゆとり教育推進のオピニョンリーダーだったからです。ゆとり教育がみんなから批判されている最近ではずいぶんとそのヤオモテに立たされてることと思いますけど、当時はまさしく「ときの人」っていうカンジでした。
 ゆとり教育…ただのシステムとしてはそれなりに正しいところもあるのかもしれません。でも根本のところで「先生の労働時間タンシュク」からスタートしていることで、それはとんでもなくまちがった方向をはじめから向いているものだったと思います。
 「ただスピーチを聞いているだけ」のシンポジウムにはゼッタイにしたくなかったので、テーマについてのみんなの意見を事前アンケートで集めておき、それを1冊にまとめて全員に配ってからスタートしました。だって参加しているせんかい村会員の1人ひとりがそれぞれ貴重な意見のもちぬしばかりなわけですから、少しでも実り多い意見交換の空間が生まれればと願ってのことだったのです…。

2007年4月20日(金)
カッコつけてなくていいから…

 いまもそうですけどいつの時代でも「教育改革がダイジだ!」って言われ続けています。そしていろんな改革案が生まれては実行されています。政治の上のほうからやってくるそういう案はみなシステムの話です。で、もちろんシステムはシステムで大切なんですけど、それはただの入れものでしかないんだから、じっさいにはその中にものを入れなければしかたがありません。
 その「入れるもの」っていうのはなんでしょうか。それはやっぱり「先生」なんです。子どもを見るのも指導するのも評価するのもみんなナマミの先生がしてるんであって、けっしてシステムがしているわけじゃあありません。子どもを見る先生の見方をちょっとだけちがえることで子どもがイキイキとする場面だってたくさんあるんです。だから「先生自身の人間力を高めること」…、これが何にもまして重要なことなんだとぽー先生は思っています。だからこそ啓明館は創設以来このかたずっとその1点だけを求め続けているんです。
 「教育改革がダイジだなんて思わないこと!」…もしかしたらこれがイチバンの教育改革なのかもしれません。システムなんかじゃなく「先生がしっかりすること!」につきるからです。で、そのためにまずするべきこと、それはいま現在だって空気のようにたくさんある「しっかりしようと思っている先生の努力」をきちんと認めてフォローしてあげること…なくなりシュミレーションです。そして「子どものための教育なんていってカッコつけてなくていいから」、「世の中のことをなんにも知らない先生自身がもっとオリコウサンになるため」に労をおしまずがんばること…なんだと思います。

2007年4月19日(木)
せんかい村

 せんかい村っていうのは、今からちょうど10年前に啓明館が設立した大人ネットワークの名前です。ぽれぽれ日記にもトウジョウしたことのある、天文学者の森本おじさん、歌手の岩切さん、発明家の栗山さん、動物病院の佐藤先生など、とってもユニークでおもしろい人たち80人ぐらいがつどうネットワーク…さまざまな職業のひとたちのあつまりです。
 で、これってなにをする会なのかというと…、ときどきは会員の人たちが先生になって子どもたちにいろんなことを教えてくださるっていうのももちろんありますが、でもぽー先生たちがこのネットワークをつくったイチバンの目的は、彼らにはぼくたち先生にとっての先生になってもらいたいということだったんです。
 学校にしても塾にしてもそうでしょうけど、教育界っていうのはどうしても自分たちだけのせまい世界にかたよりがちになります。だからそうならないように、一般社会の第一線でカツドウしている人たちに、そのエネルギーやものの考え方をデンジュしていただきたい…そんな思いから生まれたネットワークなんです。
 で、じっさいにやっている活動はというと…、みんなで山菜採りにいったり遊びにいったり、発行する雑誌のなかやラジオなんかで意見をいっていただいたり、ときどきはシンポジウムなんかをひらいてみたり、楽しみながらなんでもやってしまうっていうそんなおもしろネットワークなんです。

2007年4月18日(水)
山菜採り

 啓明館では毎年この時期になるとみんなで山菜採りにでかけます。ほとんど創立以来ですからもうかれこれ15年近くは続いています。はじめのころは大人の行事でした。啓明館主宰の大人ネットワーク「せんかい村」会員のシンボクのため…、でも途中からだんだん子どものためのものに変わっていって今ではすっかり子どもの行事になっています。
 けっこうな人数になるもんですからまず場所えらびからがタイヘンです。みんなが一同に集まれるような広い場所があること…、そこでとってきた山菜をテンプラにしたりスミソにしたりしてみんなでお昼ご飯を食べるからです。それから車が何台もとめられるようなスペースがあること、川でもいいから水があること、そしてできればトイレも…、で何よりもイチバン大切なこと…それは山菜があること…。
 はじめのうち行っていたところは羽金山でした。糸島にある白糸の滝のもっと奥のほうにあります。その山のなかにアスレチックふうの自然公園がありそこに毎年行ってました。でもカンジンの山菜があまりとれなくなってきたこともあって場所をかえ、もうずいぶん前から二丈町にある「山の家」という手打ちそばのおそばやさんにごやっかいになっています。そこのご主人の関さんがとってもよくしてくださるんです。
 さあ今年もその日が近づいてきました。4月29日です。今年は山菜採りだけっていうんじゃなく、何となく子どもたちと一緒にはねをのばして遊んでこようと思っています。

2007年4月17日(火)
サンショウ

 わがやのベランダにはサンショウの木が1本うわっています。何年か前に山を歩いていて見つけたのでちょっとシッケイしてきたものです。「サンショウはこつぶでもピリリとからい…」なんて言いますが、なんとなく日本的な味わいのする存在感のある香辛料ですよね。
 せたけは1mくらいあるんじゃないでしょうか。冬の間ははっぱが全部落ちてかれたようにマルボウズになっているんですんが、毎年春になるとまるで生き返ったように青々とした若葉をたくさんつけてくれます。いたるところにトゲがついているのがちょっとヤッカイじゃあありますけど、ときどきはっぱを2〜3枚つまんでは手のひらの上におく…そしてもうひとつの手のひらでパーンとたたいてつぶします。そうするとあのドクトクな香りがしてくるんです。そのにおいをかぐと「ああ春なんだな…」っていう気持ちがふしぎにわいてきます。
 ほんとうにもう春ですね。梅・つくし・菜の花・さくら・れんげそう…、少しずつ少しずつ春がやってきます。冬の間じっとシンボウしていた力を、その香りや色彩にこめてイッキにはじきだしているようです。
 さてそろそろ山菜の時期がやってきます。ふき・つわ・たら・うど・わらび・ぜんまい・ゆりね…、いろいろとさがしながらまた山の中を歩きまわってみたいと思います。

2007年4月16日(月)
田中富士雄さん

 読売新聞のスポーツ記者に田中富士雄さんという人がいます。べつにぽー先生が知り合いだとかいうことじゃあなく、ただいつも記事を読んでいるから知ってるってだけのことなんですが…。ぽー先生はこの人の書く記事がけっこう好きなんです。
 何年か前にジャイアンツの松井秀喜選手が大リーグに行ったとき、たぶん田中さんも彼についてアメリカに行ったんじゃないかと思います。ずっと松井選手にミッチャクして取材していたようなカンジだったですから…。そのころから彼の書く記事がずっと好きだったんです。で、一年前ぐらいから松井選手を離れて日本に帰ってきているらしく、いまは日本のふつうのプロ野球の記事を書いています。
 おとといの記事ですが…「巨人の高橋由にとって開幕戦に続く先頭打者アーチは、ファンをどよめかせる特大の一発だった。………右翼スタンドに達する寸前、グンと打球をひと伸びさせたのは、1番打者の執念だったかもしれない。失ったものを取り返すシーズン…プロ10年目をそう位置づけた………この1・2年けがが続いたことで『また途中でいなくなるんじゃないか』という見方が出てきたのも…」
 事実を伝えるのが記者のツトメ…でも事実ってのはそうそうかんたんにわかってしまうもんじゃあない…。イッケン事実とは反するようだけど「事実をとらえようとする人間の存在」こそがやっぱり大切なものなんじゃないかそんな気がします…。

2007年4月14日(土)
時速12q

 ただでさえわかりにくい速さをさらにわかりにくくさせていることがあります。それは同じ速さを表すのにたくさんのいいかたがができてしまうってことです。たとえば時速12qっていっても分速200mっていってもそれは同じ速さを表しています。さらに秒速もありますし、また同じ時速でいうのにしても時速12000mっていういいかたもあります。
 もともと子どもたちは単位をかえたりするのはけっこう苦手なんですが、そこへもってきてこれだけのややこしい単位があり、しかも1時間は100分じゃあなく60分だときてるわけですからそりゃあもうタイヘンです。
 「20分で4q進む人の速さは時速なんqですか」。こんな問題があります…。まずは単位をそろえて…「時速」ってきかれてるわけですから20分を時間に…。1時間は60分だから60でわる…でもわりきれないから分数にして3分の1時間。で、「速さ=道のり÷時間」っていう公式にあてはめて…やっとのこと答えがでてきます。答えは時速12qです。
 でもこんな考えもあります。時速ってのはそもそも1時間(60分)に進む道のりのことなんですから、20分で進む4qを3倍して12q…。これならかんたんです。でもなかなかこういくことって気づかない子が多いようです。

2007年4月13日(金)
速さの単位

 ふと思ったんですけど、「速さ」の単位っていったいいつごろから使われ始めたんでしょうか。いまぼくたちが使っているのはもちろん時速とか分速とかですけど、あれってやっぱりヨーロッパのほうで生まれたものなんでしょうね。数学の先生がこんなこと知らないのは恥ずかしいのでちょっと調べてみようと思いますけど…。でも日本とか中国とかアジアではむかしからどんな表しかたをしてたんでしょう。っていうか…表しかたがあったんでしょうか。「馬なみの速さ」とか「牛なみの速さ」とかまさかそんなんじゃあないですよね。
 「長さの単位」っていったらmとかpとかです。で、日本は日本でそれとはべつに寸とか尺とかってのがありました。「重さの単位」もそうです。でも「速さの単位」っていうのはこういうのとはちょっとちがっています。「ジツブツを見たカンジ」と「単位の表しかた」とがそのままスッキリとは結びつきにくいんです。だって時速50qっていったら「そのスピードのまま1時間進んだら50q進んでしまうようなそんなスピード」ってことですけど、これは自分の目の前を時速50qの車がヒュンってすぎていくのを感じるじっさいのスピード感とはちょっとちがって、少々まわりくどい表しかたなんです。いろんなケイケンをつんでなれてきたらいいんでしょうけど、まだケイケンの浅い子どもたちにはちょっとつかみにくいことのようです。いっそのこと「ヒュン」っていう単位をつくって「5ヒュン」とか「10ヒュン」とかってのはどうでしょう…。
 とまあそんなこんなで、子どもたち相手に日夜アクセンクトウしているぽー先生だったのでした…。

2007年4月12日(木)
トンチキヤロー

 そんなこんなで、ぽー先生の「1万円ポッキリ1週間寮出事件」もなんとか目的を達しそうなところまでやってきました。所長さんのおことばに甘えながらあと2日ほど宿舎に泊めてもらうことになったからです。だからおかげで京都はいろんなところをまわることができました。
 で…、「青木さん、ぜひコケ寺に行ってみてください。じっと座って庭をながめていたらきっと何かが見えてくるかもしれませんよ…」という所長さんのおすすめどおりコケ寺にも行きました。じつはぽー先生は小学生のころから盆栽が好きで、五葉松・ケヤキ・梅・さつきなどたくさんの盆栽を育てていました。だからなんとなく庭造りみたいなものには興味はあったんです。でもなんてったってまだ18才の若者です。所長さんの意図なんかあんまりわかってなかっただろうし、じっさいに行ってみて何が見えたのかだってわかりません。でも若いなりにはではあるけれど、きっと何かをつかむことができたんじゃないかと思います。
 さて1週間の寮出からブジにサレジオ高校に帰ってきたぽー先生…。そんな彼を待ち受けていたものは10日後にせまった大学入試でした。まったく…入試のスンゼンにこんなことやってるなんて…ホントウにどうしようもないトンチキヤローです…。

2007年4月11日(水)
センベイブトン

 1万円だけもって「これで一週間帰ってこないぞ!」って「寮出」をして、3日目がすぎたところまでお話ししました。ひょんなことから京都の自衛隊につれていかれ、そこの所長さんにえらく気に入ってもらったぽー先生…。で、3日目の夜はなんとその自衛隊の宿舎に泊めていただくことになったのでした。とってもありがたかったです。だってその前の夜は名古屋駅でホームレスのおじさんたちと一緒に寒さにふるえながら朝を迎えたんですから…。
 今でもはっきりおぼえています。その宿舎のフトン…びっくりするぐらいのセンベイブトンだったこと…。フトンに入っていても寒くて寒くて…、でもそんなフトンだっていうのに、ちゃんとやねの下で安心して寝られることのシアワセを心のそこからかみしめることができました。なぜだか涙がとまらず泣きながらセンベイブトンにくるまって寝たことを今でもおぼえています。
 次の日の朝、所長さんが宿舎にやってきました。なんとお弁当をもってきてくれたのです。奥さんがぽー先生のことを心配して作ってくれたんだそうです。ほんとうにうれしいことでした。いろんな人の力にささえられて人間って生きているんですよね…。

2007年4月10日(火)
なくなりシュミレーション

 そこらへんの道を「ここは北海道なんだ!」って思いながら運転するっていう、いつでもかんたんにできる旅行テクニックのことを前の日記に書きました。これはちょっとアブナイかんじもしますけど、いろんなことをじょうずにシュミレーションできる能力っていうのは、いまの時代を生きる人たちにとってけっこう必要な力なのかもしれません。
 じっさいにものを作ったり使ったり…ホンモノをからだで実感してきたぽー先生たちのようなオジサン世代にはいまひとつなじめないことではあるのですが、これだけものがハンランし世の中のエリアが広がりクウチュウフユウしたような時代にあっては、「それがすべてだと思っちゃいけない」っていう条件つきで、じょうずにシュミレーションできる力を前向きに身につけていくべきなんだろうと思います。
 いろんなことのシュミレーションがあります。危機管理能力だってそうですよね。でもぽー先生が思ういちばん大切なものは「なくなりシュミレーション」です。エンギでもないけど「いまお母さんが死んじゃったら…」って考える。朝起きてから夜寝るまでのすべての場面をシュミレーションしてみる…。ひごろは空気みたいに感じていることがどれだけ大切なことかって…。きのうの日記で言った太陽の光だってそう、いま大きな問題になっている地球環境のことだってそう…。プラスするばかりの時代はもう終わり、マイナスのなかにこそいろんな前向きのキーワードがありそうです…。

2007年4月9日(月)
ビル街の落ち葉

 山の中で見る落ち葉にはフゼイがあるけどビルの谷間で見る落ち葉はただのゴミにしか見えない。むかしそんなことを言っている人がいました。人間の見方なんてものは環境が変わればまったくちがってしまうんだってことのようです。
 同じ日本でも東北と九州とではすんでいる人の考えには少なからずちがいがあるでしょうし、かりに同じところに住んでいたって、一日中太陽の光があたるような明るい場所で生活している人とほとんどあたらない暗い場所で生活している人とでは、これまたビミョウに考え方にちがいがでてきたりするものなのかもしれません。
 どんなにしっかりしたように見えても人間の考えなんてのはしょせんそんなもんでしょう。でもだからといって考えをやめるわけにはいかない。カンペキじゃあないってことがいくらわかっていても、そのときのセイイッパイで考えて行動する…。大きな不安をちゃんともっていながらしかも強い歩みができる人、どうやらぽー先生はずっとそんな人にあこがれているようです。
 でもなかなかそれはむずかしいことのようです。つまらない数字にふりまわされて子どもたちをミョウに美化してみたり反対にゴミあつかいしてみたり、そんな大人たちもまだまだたくさんいるような気がしてなりません…。かんたんにはいかないことなんでしょうね…。

2007年4月7日(土)
スガシカオ

 ぼくは夢をえがいて やぶりすててはえがいて 今日の勇気ときのうの痛みを 同じだけだきしめたら あなたの明日にぼくができること ひとつくらい見つかるかな 
 ぽー先生はいまこの歌にけっこうはまっています。とってもすてきな歌詞だと思いませんか…。スガシカオの「春夏秋冬」っていう曲です。夜のニュース番組「ニュースゼロ」のエンディングで流れています。この番組自体も好きなんですが、このエンディングテーマがさらにいいアジをつけくわえてるんじゃないかなって思います。
 足立美術館で感じた「調和」…。人間の日々の生きざまとそれを超えたところのものをみごとに調和させようとする力が、ぼくたち日本人の遺伝子のなかにはたしかにあるんじゃないか…。ぽー先生がこの日記で言おうとしている大きなテーマでもあります。
 「今日の勇気」というプラスと「きのうの痛み」というマイナス…、その2つをプラスマイナスで「中和」させるのではなく、「同じだけ」受けとめて「調和」する…。そしてそこに生まれてくるものは「ぼく」の明日ではなく、「あなたのためにできること」なんだってこと…。そしてそれが「ぜったいにできる…」って気負うべきではない。もしかしたら「ひとつくらい見つかるかな…」、ちょっと見にはナンジャクそうなこの表現のなかにこそ、型やマニュアルのない「根無し草」のようないまの時代を生きる人たちの強さがある…。
 ぽー先生のかってな思いこみの感想です。でも若い人たちの感性ってとってもすてきだなって思います。それに共鳴できる力をもつことが年をくったぼくたちのするべきことかなって…。どうでしょう…。 

2007年4月6日(金)
島根

 春期講座が終わってちょっと休みができたので島根まで旅行に行ってきました。たぶん車で往復して一泊するにはぎりぎりのキョリぐらいじゃないかと思います。朝の6時に出発して、帰ってきたのは次の日の夜中の2時…。 
 昼ごろ出雲大社につき歴史博物館と出雲大社をゆっくり見物してから、予約していた旅館のある玉造温泉に向かいました。旅館は長生閣…、インターネットでお客さんアンケートを見たら一番ポイントが高かったのでここにしたのですが、その結果の通りマンゾクできる旅館でした。
 次の日の午前中は足立美術館です。前からそのすばらしさをウワサで聞いていたので是非行ってみたかったところです。で、これもやっぱりウワサどおりすばらしいところでした。横山大観や北大路魯山人など展示しているものももちろん見ごたえがあるのですが、ここのトクチョウは美術館自体にあるようです。4年連続で日本一になっている日本庭園のなかに上品にたたずむ建物、そしてそのなかには作品や風景を楽しむたくさんのくふうがこらされていて、作品とお客さん、自然と人工物、そんなものが一体となり、とけこむような形でゆったりとした時間を楽しむことができる…っていう感じでした。
 それから松江城を見て帰ってきたのですが、往復1100km、楽しいことがいっぱいの旅行だったけど、自分の体力もまだまだダイジョウブだと再認識した旅行でもありました。

2007年4月2日(月)
自衛官募集中!

 雪ふる京都のまちをその私服警官っぽいおじさんのうしろをトボトボと歩いてついていきました。「ここに入りなさい」…しばらく歩いて着いたところはいかにも「警察署」っていうようなところ…。「ええっ!…ちょっと寮出してるぐらいで、なんにも悪いことなんかしてないのに、なんで警察につかまらなくっちゃあいけないんだろう…」。そんなぽー先生の不安な気持ちなんかちっとも気にせずに、そのおじさんはその重そうなトビラをあけてなかにどんどん進んでいくのでした。
 で、じつは、そこは自衛隊だったのです。なかに入ってよくよく話を聞いてみれば、ちょうど自衛官の募集期間中だとのこと…。朝っぱらから雪のまうなかでボーっとしている若者を見つけたので、自衛隊員にしようと思ってつれてきたんだそうです。ほっとヒトアンシンでした。それでけっきょくそのあと自衛隊のビデオを見せてもらったり、所長さんと話しをさせていただいたりしながら、かれこれ3時間ぐらいはそこにいさせてもらったでしょうか…。所長さんもなんとなくぽー先生のことを気に入ってくれて、「今日は自衛隊の宿舎に泊まりなさい」ってことだったのでおことばに甘えさせていただくことにしました。いろんな人の優しさにささえられて、ぽー先生のチャレンジ寮出のたびもブジ3日目がすぎていくのでした…。

2007年3月31日(土)
寒い夜

 「○○に泊まろう!」みたいなテレビがありますが、まさしくそれを地でいっていたわけです。でも今の時代だったらこんなことゼッタイにできませんよね。泊めるほうはもちろんのこと泊まるほうだって、そんなにアブナイことできるわけありませんから…。
 次の日、とっても親切にしていただいた静岡をはなれて西へ向かってまた電車にのりこみました。次の下車駅は名古屋…。でもさすがにそんなになんどもうまくいくはずもなく、名古屋ではすべてことわられてしまいました。しかたなくボーリング場のロビーで閉店になるまでじっとしていて、それから名古屋駅に行き、ホームレスのおじさんたちと一緒に待合室で一晩中じっと座っていることにしました。でもなんてったって1月…。外は雪がしんしんとふり続いています。それはそれは寒い夜でした。「シャツの間に新聞紙をまいてたら温かい…」なんてことをどっかで聞いていたので、そんなこともちゃっかりやってみたけどとてもとても…。
 そんなつらい夜がすぎ、朝5時ぐらいにやってきた始発電車にとびのってさらに西へと進みました。こんどは京都…。駅をおりふり続く雪を見上げながらボーっとたたずんでいると、見知らぬおじさんがぽー先生に声をかけてきたのです。「ちょっと一緒についてきなさい…」。テレビでよく見る私服警官のようなおじさんでした…。

2007年3月30日(金)
寮出

 「寮出」っていっても別に何かにハンパツして…とかっていうんじゃあありません。それにだまって飛び出した…とかっていうんでもありません。ちょうど1万円だけもって「これで一週間帰ってこないぞ!」って思って出て行ったのです。いくらそのころはまだ物価が安かったっていってももう終戦直後とかじゃあありませんから、1万円で一週間っていうのはやっぱりどうみてもキビシイ金額でした。
 思えばちょっとした寅さんジョウタイ…、どこいくあてもなく足の向くまま気の向くまま…。何にもしばられてないんだというスカッとしたカイホウカンと、これから何がおこるのかわからないというスリルあふれるキンチョウカン…。そんな気持ちで東京駅から電車に乗りこみました。そのときやってきたただの普通電車に乗り西に向かってシュッパツ…です。このときの電車のなか、窓から見える風景…、いろんなものを今でもはっきりと覚えています。
 さいしょに電車をおりたのは静岡でした。もちろん「ただおりたくなった…」からです。まちのいろんなところをブラブラと歩きました。そしてまったく見ず知らずの家のドアをたたきました。「すみません。旅のものですけど、今晩ひとばん泊めていただけませんか…」。ホントむちゃくちゃな話です。でも静岡の人ってとってもいい人だったんです…。

2007年3月29日(木)
反抗期

 高校3年生の夏…それまでのモハンセイからイッテンしてまったく勉強をやらなくなってしまいました。人間ってたまにこんなときがあるんですよね。ある意味ではこれがぽー先生にとっての反抗期だったのかもしれません。ぽー先生の場合、反抗しようにも反抗する相手がいなかったものですから、しかたなく自分自身に対して反抗してたってことなのかもしれません…。
 反抗期っていうのはなんでしょう。このことばからすると「さからう」っていうイメージが強くありますけど、「さからう」っていうよりも「否定する」っていうイミアイが強いんじゃあないかとぽー先生は思います。子どもから大人になっていく過程でいろんなことが知りたくなる。で、ものごとをただ真正面から受け止めているばかりではホントウのところはよくわからない気がして、何かを否定することでより立体的にわかろうとする。だから頭ではいくら正しいとわかっていても、あえて正しくないことをためしてみたくなる…。ってとこなのかもしれません。
 で、ぽー先生の場合、どうも「勉強なんかやめてやる!」ってことになり、それがついに入試までストップすることなく続いてしまい、入試のスンゼンの1月に「家出」ならぬ「寮出」を決行することになってしまったのでした…。

2007年3月28日(水)
パチンコ

 昔のことっていうのはなつかしいもんだけど、ぽー先生は昔にもどりたいとは思っていません。でもひとつだけもどりたいものがあるんです。っていうか「もどしてもらいたいもの」…。それはパチンコです。
 いまのパチンコはぜんぜんおもしろくないです。だからもうかれこれ30年ぐらいはほとんど行ってません。もっともそんなヒマなんかありませんけど…。それでもたまにヒマなときなんかにフラっと行くにはつごうのいい娯楽のはずなんですけど、どうもいまのパチンコには行く気がしない…。
 じゃあ昔は何がよかったのか…。だって1つずつの玉を指ではじいていたんですよ。玉が入っている下の皿からいくつかの玉を左手でつかみ、それをオヤユビで1つずつ穴に入れてハンドルを右手ではじいて打つんです。どこのクギをねらうのか…、どれぐらいの強さで打つのか…、そんなビミョウなワザのなかに何ともいえないキンチョウカンとスリルがあるんです。ねらって打った玉がねらいどおりにスコーンと入ったときなんかは、これはもう何ともいえないようなタッセイカンで「ヨッシャアアア…!」ってカンジです。
 もういちどあのカンゲキを…っていつも思ってるんですけどもうどこにもないんですよね。

2007年3月27日(火)
合格発表から一週間

 特にこの時期っていうのは、すさまじいいきおいでときが流れていっています。ふと気がついてみれば公立高校の合格発表からまだ一週間しかたっていないんですよね…。ぽー先生たちにとって入試っていうのは一年間の総決算…、いってみればオオミソカみたいなもんなんです。で、いまはもう春期講座のまっさいちゅう…、中2の子がこんどは中3になり、ひとあしはやく新しい学年がスタートしています。
 発表のあと落ちた子たちみんなに啓明館に来て勉強するように言いました。ぽー先生がいつも言ってるように、人間っていうのは失敗してしまったときこそが大切です。落ち込んだ気持ちのなかでいかにしてフンバッテはじめの一歩目を踏み出すことができるかどうか…ですよね。
 で、さすがに啓明館のかわいい子どもたちです。みんなちゃんと勉強しにきてくれました。しかもけっこういい顔をしてきてくれたからぽー先生も安心しました。きっとみんなもよくわかってるんでしょう。いまこそふんばらなくっちゃいけないこととか…、こんなにして声をかけている先生たちの気持ちだとか…。みんないい子たちです。
 さあ、でももう新しいスタート…。いい意味でいろんなことをリセットして、あらたな環境の中でまたしっかりとがんばっていってくれることを願っています。

2007年3月26日(月)
チャルダッシュ

 ミュージシャン仲間の忘年会のとき、ひとりの人がヴァイオリンをひきました。で、そのときの曲がとってもよくってずっと心に残っていました。ヴァイオリンとは思えないようなアップテンポでかろやかな曲で、なんか心がウキウキしてくるようなカンジだったんです。題名はわからないけどメロディーはしっかりおぼえていて、それからずっと「なんていう曲なんだろう…」って思って、いつも気になりながらCDショップなんかでさがし続けていました。
 そしたらついに昨日、その曲の題名がわかったんです。それは「チャルダッシュ」…。おわかりですか。そうです!。あのマオちゃんがフリーの演技ですべったあの曲だったんです。これで10年らいの胸のつかえがやっとおりました。よかったよかった…。しかもあのマオちゃんのすばらしい笑顔のおまけつきで、ぽー先生の記憶のなかにこれでしっかりとテイチャクできました。
 それにしても、マオちゃんもそう…、高橋クンもそう…、ミキティーもそう…、若い人たちのあの笑顔とキャラクターってホントウにいいですね。ぽー先生たちのように古い人たちではけっして持ちえなかったものをしっかりと持っている。うらやましいかぎりです…。

2007年3月24日(土)
星ふる忘年会

 そんな人ですから、岩切さんっていうのはホントウに「いい人」を絵にかいたような人で、だから彼のまわりにはおもしろい仲間たちがたくさんいるんです。もうずいぶん前のことですけど、星野村で行われた「ミュージシャン仲間の忘年会」に、ぜんぜんシロウトのぽー先生が特別にまぜてもらったことがありました。フォークもいればクラシックも…、いろんなジャンルのミュージシャンが20人ぐらい集まってわいわい言いながらお酒を飲む…。星ふるまち星野村の小さな湖のほとりです。今でもよくおぼえていますけど、よくよく考えてみればこんなぜいたくなコンサートはありませんよね。だってみんなが順番に演奏してくれるんですよ…。なんのきがねもなくほろよい気分で、「じゃあ、次、ぼくいきまーす!」とか言いながらみんなが演奏してくれるんです。ピアノもヴァイオリンもフルートもチェロもギターも…、ホントウにぜいたくでしあわせなことでした。
 とってもたくさんのことを岩切さんとは一緒にやってきました。ラジオにもしょっちゅう出演してもらったし、いろんなイベントもたくさんやったし…。そうそう彼がはじめて市議会議員に立候補したときは、なんとぽー先生が応援演説をしたことまでありました。で、そのときはやっていた「ダンゴ3兄弟」の歌をぽー先生は演説のなかで歌ってしまったんです。なんかなつかしい思い出です…。

2007年3月23日(金)
春になれば

 「春になれば」は岩切みきよしさんのデビュー曲です。この曲でポップコンの優秀曲にもなり世界歌謡祭にも出場しました。そんな岩切さんとの出会いはもう10年以上も前のこと…。アクロス福岡で行われたある公開イベントのなかで、ぽー先生が講演をし岩切さんがコンサートをするというのがあり、それがきっかけで仲良くなりました。
 たくさんのミュージシャンを世に送り出した、あの伝説のライブハウス「照和」で、彼は若いころ毎週レギュラーで出演していました。長渕剛さんと2人が同じ曜日のレギュラーだったそうです。その仲間たちがみんなデビューして東京に行ってしまうなか、岩切さんは東京には行かず九州に残ってミュージシャン活動を続ける道を選びました。ヒット曲を出すとか、メジャーになるとか、そういうオイシソウな道がすぐ目の前にぶらさがっていたにもかかわらず、あえてその道をすてて言ってみればドンクサイ道をえらぶ…。いいですよね。
 「修猷に何人通ったんですか」、この時期かならず聞かれるちょっとウンザリな質問です。「一番レベルの低い学校に一生懸命がんばって合格した子がいるんですよ!」「中学への出席もままならずやっとの思いで進学を決めた子もいますよ!」。人から見たらなんでもないような「合格」にだって、たくさんの喜びや悲しみのドラマがある…。「七色の谷を越えて流れていく風のリボン…」、なんでもなく見える子どもたちの風景をとってもすてきな曲にしてあげる…、どうやらずっと続いているぽー先生の大きな夢のようです。

2007年3月22日(木)
合格発表

 おとといは中3の子どもたちの公立高校の合格発表がありました。すべての高校がいっせいに朝9時に掲示して発表するんです。何年塾のしごとをしていてもさすがにこの日はドキドキします。ぽー先生たちも以前はいろんな高校に手分けして見に行ってたんですが、そうするとみんなが報告にきてくれたとき、先生が啓明館にいないような状況になってしまうので、いまはどこにも見に行かずにただひたすらみんなからの報告を待っていました。でもじっと待ってるっていうのはイヤなものですね。なかなか連絡がこなければ「落ちてしまって電話をかけられないんじゃ…」とかいろいろ考えてしまいます。
 結果は…みんなよくがんばって合格しました。報告にきてくれた子どもたちの顔もみんな嬉しそうに輝いていました。ほんとうに良かったです。でも何人かの子どもたちは不幸にも合格できませんでした。それぞれがんばって勉強してきたことを知ってるから、ぽー先生たちもつらい気持ちでいっぱいです。こんなときって「あのときこんなふうにしてあげてれば…」とかいろんな反省点がぐるぐると頭の中をよぎっていきます。子どもたちもきっとそうだと思います。今はつらいけどいつの日か「あのときの不合格がバネになって…」と言えるような「これから」を期待しています。がんばれよ!

2007年3月20日(火)
N君

 この前の土曜日のこと、卒業生のN君がたずねてきてくれました。大学が決まったのでその報告もあってのことです。近くの食堂に行っていっしょにご飯を食べたりしながら、夜遅くまでいろんなことを語り合いました。
 彼は中学のときはほとんど学校に行ってませんでした。けっして口数の多い子じゃあありません。でもいろんなことがとってもよく見えている子なんです。それも人ごとのように冷たい見かたじゃあなく、きちんと正面から受け止めるあたたかい見方ができる子なんです。だからぽー先生はそんなN君が大好きです。
 彼はむかしから環境のことに興味がありました。だからずっとそういう方面に進学することを望んでいたのです。でもこんど進むのはそれとは少しちがう別の分野だそうです。どうして変わったのかをたずねると彼はその理由を話してくれました。その分野と自分との微妙なスタンスのちがいにきづいたこと、自分の可能性がもっとさまざまに広がっているんじゃないかと気づいたこと…。
 学校に行ってなかったっていう、人から見たらマイナスの材料のなかで、どうやら彼はミゴトにそれをプラスの財産に生まれ変わらせたようです。ほんとうの強さとやさしさがいっぱい伝わってきます。なんかとっても嬉しいですね…。

2007年3月19日(月)
結婚のときの約束

 ぽー先生がオクさんと結婚したのは今からもう30年ぐらい前のことです。で、そのときぽー先生とオクさんはひとつの約束をしました。なんの約束かっていうと…、「2人のことについての相談をだれかほかの人にするようなことはゼッタイにしない!」ってことです。かりにどんなトラブルがおきようとも必ず2人で解決するんだ…それができずに別のだれかをたよって相談するなんてことが、ぽー先生にはとってもいやなことだったんです。
 ぽー先生がなんでそんな約束をしたかってのは、自分の両親のことがけっこう大きかったんじゃないかと思います。ノンダクレでどうしようもない父親…、でもそんな夫に母は25年以上ものあいだつれそい続け、ただの一度も離婚しようとはしなかったのです。今だったらだれがどう考えたって「離婚しなさい!」ってアドバイスするようなケースだったと思うんですけど…母はそうはしなかった。
 夫婦でも、恋人でも、友だちでも、家族でも、しごと仲間でも…、「別れよう」とか「出ていってしまえ」とか「もうやめてやる」とか、そんなことばは軽はずみには決してはかないことですよね。どんなに大きなマイナスがやってきたとしても、それは2人で一緒に大きな財産をつくれるっていうビッグチャンスなんだから…。(+10)+(−10)=20…おかしな計算だけどホントウにそうなんだなってぽー先生は思っています。

2007年3月17日(土)
七色の谷を越えて

 七色の谷を越えて 流れていく風のリボン 輪になって 輪になって かけていったよ 春よ春よと かけていったよ
 たしか高木東六さんの歌だったと思いますけど(ちがうかもしれません…)、ぽー先生は子どものころからこの歌がなんかとっても好きでした。で…、何べんも読み返してみたところで、ことさら何か大きなテーマがあるようにも思えません。なんでもないようなことをただサラッと歌ってるだけなんです。
 人が歌をつくるときって、「心からわきあがってくる自分の思い」と「それをだれかに伝えたいっていう思い」とがありますよね。ちまたにはたくさんの歌があふれてるけど、その多くは何らかのテーマをもっている…、ラブソングだったり、人生だったり、情景だったり、ハートだったり…。で、それが強ければいい歌かっていうと別にそういうわけでもない…。
 ぽー先生には「七色の谷を…」のこの歌がずっと理想でした。だから自分でもこんな歌をつくりたいなって思ってなんどもチャレンジしてみたんです。わからないながらに譜面にもして30曲ぐらいはつくりました。でもどうしてもムリでした。ことさら大きなテーマをかかげることもなく、なんでもないことをなんでもないように歌にしてるだけなのに、すごく人の心を動かせるような歌なんて、なかなかできるもんじゃあありませんでした…。

2007年3月16日(金)
Aさんの反抗

 日記のなかにもときどきトウジョウしますけど、ぽー先生の知り合いにはなんとなくオカシナ人がたくさんいます。経営コンサルタントをしているAさんもそのなかのひとりです。彼は高校の途中から急に成績が良くなりそのまま東大に合格しました。そんなAさんの高校時代のこと…。どうしても好きになれない先生がいて…、っていうか何かとっても許せないような腹立たしいことがあったそうなんですが…。Aさんは「いつかどうにかしてその先生に反抗してやろう!」と思いそのチャンスをうかがってました。
 で、あるテストの日のこと、ついにそのチャンスがやってきました。その先生のテストの答案用紙に、Aさんは「全部ひとつずつ答えをずらして書いた!」そうなんです。1を2に、2を3に、3を4に…、そして最後の答えを1にってなぐあいです。もちろん点数は0点、でももしずれてなければ100点。すごいですね。
 ぽー先生はたまにこの話しを子どもたちにします。「みんなもぽー先生のことをコンチクショーって思ったら、ぜひこんな反抗をやってみてください。でも言っときますけど、×だらけの答案でやったらただのおバカ状態ですから気をつけて…」

2007年3月15日(木)
割合

 中3の子どもたちが卒業しこれからは中2が受験生…。ということで、ぽー先生の数学の授業も「いま習っていること」から「復習」に内容をシフトしました。で、何の単元から始めようかということで、思いきって小5の「割合」の単元からスタートしました。今いるほとんどの子は中学から啓明館にきてるから、たぶんそのへんのことはけっこうわかってないだろうと思ってたら、アンノジョウけっこうひどいジョウキョウです。
 割合っていうのは倍率です。何パーセントとか何割っていうのはその身近な言い方で、もともとの割合の意味はただの「何倍かを表す数」なんです。数学のいろんな性質をさぐるときに2つの数のくらべかたで、「いくつふえてるのか」と「何倍になってるのか」はどちらも考え方の大切なキーポイントです。
 計算にも文章題にもグラフにも図形にも、いたるところにこの「倍率」はシュツボツするのですが、たいていの子は小学校の基礎ができていないからシクハックすることになります。「もとにする量はどっちなのか」「○割○分を小数にするのはどうするのか」「7は3の何倍なのか」…、そんなほんとうにゴクゴク基本的なことからのスタートなんです。でもそんなところで「あっナルホドね!」って思ってくれれば、それはとっても大きな第一歩なんだとぽー先生は思っています。

2007年3月14日(水)
チャボ

 一日中ほとんど家にいないものですから、大人になってからは動物を飼うことがまったくできないけど、じつはぽー先生は子どものころたくさんの動物を飼っていました。ものすごい種類を飼っていたので、家はちょっとしたムツゴロウ王国ジョウタイでした。で、いまになって思えば家の中がメチャクチャだったのでけっこうさみしかったのかもしれないですね…。おもに飼ってたのはよく子どもをうむ動物が多かったですから…。
 たとえば小鳥ならジュウシマツ、魚ならグッピー、犬なら雑種…。ほんとうに動物の赤ちゃんってかわいいんですよね。でもそんななかでぽー少年がいちばんかわいがっていたのはチャボのヒヨコでした。チャボって知ってますか。ニワトリをひとまわり小さくしたやつです。コケコッコーって鳴いてうるさいから今ではふつうの家じゃあとても飼えないけど、むかしはみんなけっこう平気で飼ってたもんでした。
 メンドリが卵をうんだとき棒でちょんちょんってつっつくんです。するとうんだ卵を守ろうとするのか、ちょっとのあいだ卵をあたためるようなポーズをとります。そこですかさず準備していたニセの卵を彼女の目の前におくと、うまくいけばそのニセモノをくちばしを使ってコロコロとおなかの下に入れてくれる…。そしてそのままほんとうに卵をあたため始めてしまう…。これはぽー少年があみだしたマル秘テクニックだったんです。こんなムチャクチャなテクニックをクシしてまで…。ほんとうにチャボのヒヨコってかわいかったんです。

2007年3月13日(火)
オチョウシモノの精子

 春日で動物病院をされている佐藤良治先生はとってもおもしろい人です。ぽー先生がラジオに出ていたときも何回かゲストできていただいたり、啓明館の子どもたちにもいろんなお話しをしていただいたり、反対に佐藤先生が入っているロータリークラブでぽー先生が講演をさせていただいたり、もう10年以上もいろんなおつきあいをさせてもらってます。
 「青木さん、たったひとつの卵子と受精できる精子ってどんなヤツだか知ってますか」。「あんまりよく知りませんけど、たぶんユウシュウな精子なんでしょうね…」。ごぞんじのとおりひとつの卵子に向かっておびただしい数の精子がきそいあい、その中のたったひとつの精子だけがめでたく卵子と結合できるわけですが、はじめにいきおいよくダッシュしていったオチョウシモノの精子たちは酸性度の関係でのきなみバッタバッタと討ち死にしていくんだそうです。で、そういうオチョウシモノたちの通ったあとにカイテキに通れる道ができ、その道をあとのほうからハナウタでも歌いながらやってきたのんきなヤツが卵子と結合できるんだとか…。
 生き物の本能としてユウシュウな遺伝子を残そうっていうのはたぶんあるんでしょうけど、いったいなにがユウシュウでなにがユウシュウでないのかわかりませんね。それにはじめに討ち死にしていった精子たちだって大切な役目をはたしたんだからオチョウシモノなんて言ったらかわいそうですし…。たかが人間ごときにはまだまだわからないことが山ほどあるようです…。

2007年3月12日(月)
とってもサミシイ…

 今日は3月12日、明日はいよいよ公立高校の一般入試の日です。すでに私立や推薦入試で高校が決まっている子以外の32人の子どもたちが明日の入試にのぞみます。いまの時期、中2中1の子たちはたくさんの子がインフルエンザにかかっていて、学校では学級閉鎖もずいぶんふえているようです。でも中3の子どもたちはほとんど休む子もなく毎日のように啓明館に通ってきています。インフルエンザへの準備もしっかりしていたんでしょうし、下級生にくらべて身体も大人のようだったりいろんな理由はあるんでしょうが、なにより「気合いが入っているから…」なのかもしれません。
 みんなはいま最後のおおづめで一生懸命に勉強してるから、ぽー先生もみんなの前でこんなこと言うわけにはいかないけど…。ホントウのことを言うと「とってもサミシイ」気持ちでいっぱいです。だってあさってからはもうみんな来ないんですから…。こんなにみんなしっかりしてきて、こんなにみんな心が通じてきて、ほんとうにかわいらしい中3の子どもたちが…。つらいですね。
 いろんなことたくさん経験してきて、嬉しいことや悲しいこともたくさん味わってきたぽー先生のはずなのに…。どうやらこういうのはなんべんやっても「慣れてしまう」ってもんじゃあないようですね。

2007年3月10日(土)
ふたつめの事件

 だんだん金田一少年の事件簿みたいになってきましたが…、2つめの事件は次の年におこりました。毎年ひらかれる寮祭…、ちょうどこの年はぽー少年が生徒側の実行委員長をしていたのですがそのときの話です。寮祭っていってもお祭りなんかじゃなく夜間歩行のこと…。その日の夕方、寮から40km以上はなれた江ノ島にみんなが集合して、そこからそれぞれが夜通しかかって寮まで歩いてもどってくるというものです。
 もう夜明け近くだったと思います。寮でタイキしていたぽー少年のもとにとんでもない知らせがとびこんできました。参加していたひとりの生徒が交通事故にあってなくなってしまったとのこと、しかもあろうことかひいた運転手は自分の高校の体育の先生だというのです。その先生はまったく参加の予定がなかったのですが、どうやら酒を飲んだいきおいで「今からみんなを応援しに行こう」と車にのってかけつけたらしいのです。まったくとんでもないことです。こんなに広い土地のなかでよりによって先生が自分の生徒をひいてしまうなんてことがおこらなくったっていいのに…。
 さすがにこれだけオソロシイ事件が2年続きでおきれば、みんなの心のなかにもかなりのモヤモヤがたまっていたんだろうと思います。でも残された家族の人や先生たちのことを思えば、ぽー少年たちのモヤモヤなんて別にどうってことじゃあないんですけど…。

2007年3月9日(金)
ひとつめの事件

 ひとつは高校2年生のとき、サレジオ高校ってことでたぶん知っている人も多いんじゃあないかと思いますけど、生徒どうしによる首切り殺人事件がおきてしまったんです。加害者も被害者も高校1年生…、ぽー先生の1年後輩です。いまごろだとこんな事件がもうしょっちゅうおきているので、みんなもだんだんドンカンになってしまい「ああまたか!」ぐらいしか思わなかったりするけど、当時はこんな事件などはほとんどなく、かなり長い間にわたって新聞や週刊誌をさわがせてしまいました。
 ぽー先生としては加害者も被害者もどちらも仲のいい後輩でした。事件のあった土曜日の放課後、ぽー先生や被害者が入っていた寮に加害者の少年がたずねてきました。「青木さん、○○君は寮にいますか」。「いるんじゃないかなあ、行ってみたら」。「はい、ありがとうございます」。そんな会話をかわして、ぽー先生はそのまま町まで買いものに行ったんです。そして買いものが終わって帰ろうとしたら、町中をものすごい数のパトカーがけたたましくサイレンを鳴らして走りまわっている。なんとなく不安を感じ、ぽー先生もあわてて帰っていくとすべてのパトカーが自分の高校に集まってきてたんです…。
 40年近くもたった今ではもう昔のできごとでしかありませんけど、やっぱりいろんな形で心のモヤモヤがあったんでしょうね。そして命のこととか人生のこととか人間関係のこととか、いろんなこと考えたんじゃないかと思いますきっと…。

2007年3月8日(木)
事件

 ぽー先生が高校3年生のときに、それまでのまじめな生徒からイッテンして、まったく勉強もしないフリョウになってしまったことを前の日記に書きました。で、この日記を書きながらぽー先生自身もはじめて気がついたんですけど、じつは高校生のときってぽー先生の身のまわりでたくさんの事件がおこっていたんです。「ケンちゃんカレー事件」とか「天使の輪事件」とかそんなノンキなもんじゃあなく、ほんとうにスゴイ事件…、そのころ日本中を大さわがせした事件が高校を舞台として2年続きでおきてしまったんです。で、ぽー先生が何に気づいたのかというと、そういうことからの心理的なエイキョウがぽー先生をフリョウにしたんじゃあないか…ってことなんですけど…。どうでしょう。
 最近ではPTSDとかいろいろ言われますけど、そういうことってそうやってきちんと原因をキュウメイしてケアーをしなくっちゃあいけないよね…っていう面と、あんまりシンケイカビンになりすぎてもね…っていう面と2つあるんじゃないかと思うんです。じっさいぽー先生の生まれてこのかたの人生を考えても、そんなこと気にしてたら何十回ビョウキになったかわかったもんじゃないって思いますし…。でも自分でも気がつかなかったけど、もしかしたらそんなことが原因になってぽー先生をそういう行動に走らせていたのかもしれないなって…、じっさいそういうことってあったのかもしれませんね…。

2007年3月7日(水)
まぼろしのテクニック

 そんな世界が25年ぐらい前からキュウソクに変化し始めました。まずはガリ版が電気ジカケになったんです。普通のペンでふつうの紙に書いた原稿と、その機械トクセイの原紙とを2つならべて丸いドラムの上にはりつけてスイッチを入れます。するとドラムがウィーンと音を立てながらまわり始めるんです。そしてシャッシャッシャッシャッ…ってカンジで機械がかってに字をきざんでいってくれる…。これはほんとうにうれしいできごとでした。でも、と同時に「ああこれで、ガリ版切りの名人とうたわれたこのテクニックはもう何の意味もなくなってしまったんだ…」っていうクウキョな思いが心のどっかにあったのもジジツです…。
 いっぽうトーシャバンのほうも変わりました。バッタンバッタンと1枚ずつローラーをかけていたやつから、これも電気ジカケのリンテンキに…。原紙をはった紙をこれまた丸いドラムにはってボタンを押せば、あとは機械がかってにものすごいスピードで何百枚でも印刷してくれるんです。カンゲキでした。でもあのトーシャバンをいかにすばやくバッタンバッタンさせられるかというテクニックはもう必要なくなってしまったんです。いまでもぽー先生の指先はそのまぼろしのテクニックをおぼえているんですけど…。

2007年3月6日(火)
ガリ版

 日ごろはむかしのことなんて忘れてしまってるけど、ふと考えてみるとここのところの20〜30年ぐらいって、ものすごいイキオイでいろんなものが変わっていってるんですよね。塾の世界でもいろいろあります。たとえばプリントだって…。だってほんのちょっと前まではガリ版だったんですから…。でもこんなこと言っても若い人はもう知らないでしょうね…。ひらべったいヤスリがはさまった板を下にしいて、その上にうすくパラフィンがぬられた原紙をおきそこに字を書いていくんです。字を書くのはエンピツとかじゃあなくテッピツ…、ちょうどエンピツのシンの部分がとがった鉄でできているようなヒッキヨウグで書いていくんです。そのときにガリガリっていうからガリ版なんでしょうね、きっと…。
 そうやって原紙を切り終わったらそのあとの印刷がまたスゴイ…。その原紙をトーシャバンっていうやつにはりつけ、その上からインクがついたローラーをころがしながら1枚ずつ印刷していくんです。原紙がはりつけられた部分をバッタンバッタンと上下させ、下においてある紙に印刷したらその紙を1枚ずつはずしていく…。そんなカンジで何十枚も何百枚も印刷してたんですから…。今にして思えばほんとうにスゴイのひとことですね。で、よく考えたらそんなのがほんの25年ぐらい前のハナシなんですから…。ビックリです。

2007年3月5日(月)
テキスト

 おとといの夜みんなが帰ってしまったあと、ぽー先生はひとり静かに啓明館でしごとをしていました。何をしていたのかというと…、次の年に使う数学のテキストを考えてたんです。今まではあんまりぴたっとくるテキストがなかったことや、なかなかペース的に使いにくかったりしてたもんですから、テキストは使わずにすべて自分が作ったプリントを中心に授業を進めてきてたんです。でも、やっぱりなんかまとまったテキストがないと落ち着かないこともあり、そろそろテキストをかんがえなくっちゃあだめだよな…ってことを前から思ってたんです。
 そうしたらちょうどいいのがこの前見つかりました。それはフリーチョイスっていうテキスト…。その教材会社のもっているたくさんのテキストの中から、自分で好きなページだけを選んで1冊のテキストにまとめられるっていうシステムです。「これはいい!」って思ったぽー先生は、さっそくその方向でことを進め、小5から中2までの内容で大切なことをピックアップして1冊にまとめました。
 で、おとといの夜にしていたことはそのタイトル決めです。こんな性格のぽー先生ですからマトモなタイトルはどうもつけたくなく…、ひとり静かに集中して考えていたらひとつのタイトルが神のオツゲのように頭に浮かんできたんです。それは…「復習だぴょん!」。でもさすがにこれをつける勇気が出てこずに2時間ぐらいどうするか悩んでいたのでした…。アホですね…。

2007年3月3日(土)
一旦停止ライン

 道路のうえにはいたるところに一旦停止の白い停止ラインがひかれています。交差点にはたくさんありますけど、たとえば細い道から広い道に出ようとするときなんかは、そのラインの手前で必ずいっぺん止まってからよく左右を確認して進むことになります。これを無視してしまうとアブナイことになってしまうという、けっこう大切なルールですよね。
 でもあの白い停止ラインってずいぶん後ろのほうにひかれてるなって思ったことありませんか。だってあんなに後ろのほうで止まっても広い道の左右なんか全然見えないし、けっきょくズリズリってかんじでもうちょっと前に行かないと確認ができないんですよね。だからなんとなくぽー先生はフシギに思っていたのです。
 で、先日、専門家の人に話しを聞くことができました…。「青木さん、停止線ってなんのためにあるのか知ってますか」。「止まって左右を確認するためじゃあないんですか」。「もちろんそれもありますけど、相手の車に自分は止まってるんだってことを見せるためにあるんですよ」。なるほど…。いろんなことってやっぱりそれなりに理由があるんですよね。いくら「自分は止まるつもりなんだよ…」って思っていたところで、ジッサイにそれをルールにのっとった行動で示さないかぎり相手には伝わらないですからね。ナットクでした…。

2007年3月2日(金)
ドラマティックな図形

 ぽー先生の紙の折りかたについてきのうはくわしく書いてみました。でもなんですね…。こういうのってけっこうオモシロイもんですね。ふだんはムイシキのうちにやっていることをこうやって全部ことばで説明していくなんてこと…たまにはやってみるべきかなって思います。っていうか子どもたちにやらせてみたいなって思いました。 「みようみまね」とか「からだでおぼえる」っていうのがありますけど、そういうもののなかにもこのようなトラエカタの要素がアンガイ入っているのかもしれません。はっきりしたことばでは表現できていなくても、ことばのもとみたいなところでトラエテいるからこそ「みようみまね」ができるのかもしれないですね。
 公立入試をもうすぐそこにひかえた中3の子どもたちは、いま最後のオイコミに必死でがんばっているところです。とくに図形にむずかしい問題が出題されるから、みんな図形を中心に勉強しています。なんとなくムイシキにただのイラストとして図形を見るんじゃなく、ドラマティックな物語として図形を見るってこと…。今ごろになってやっとその意味がわかる子どもたちがたくさんふえてきました。じつはこういうのも、ぽー先生の紙の折りかたのくわしい説明にアイツウジルところがあるんじゃないかなって思います。考えるという力をもった人間が、自分の気持ちをこめてグッと一歩ふみこんでいったところに、たくさんのオモシロイ世界が広がっているんだってこと…。たのしいですね。

2007年3月1日(木)
ぽー先生の紙の折り方

 ぽー先生の紙の折りかたはこうです。まず紙をテーブルの上におき、左手でそっと紙を押さえながら右手で手前の右はしをつまんでもちあげる。つまんだ右手をむこうがわの右はしに重なるように折り曲げてもっていったら、押さえていた左手をすばやく離してこんどは折られた2枚の紙を一緒にしてすかさずまた押さえに入る。この一連の動きのあいだの右手さんはずっとはじめにつまんだ手前右はしの紙をもったままです。で、その後ぴたっとあわせるという細かい作業工程に入るわけです…。
 まずは左コーナーをぴたっとあわせることになるのですが、ここでカツヤクするのはアンガイ左手じゃあなく右手のほうです。左手はやっぱり紙を軽く押さえているだけ…。ただオヤユビさんだけが折り目のライン上にのっていて、ゴーサインが出たらすかさずギュッと力を入れようとチャンスをねらっています。さて細かい微調整で主役になるのははじめからつまんでいる右手のほう…。クスリユビとコユビで下の紙を押さえながら、つまんだ上の紙を前後左右に動かしてぴたっとくるポジションをさがすことになります。そしてその場所を見つけたら、つまんでいた右手を紙からはじめて離しそのオヤユビのはらでいっきにスーッと折り目をつけていくことになるわけです。このとき折り目のラインの最後のほうがちゃんとあうことになるかどうかはやってみなくっちゃあわかりません。一連の緻密な動きの最後の最後にこんなギャンブルが待ち受けているなんて…、この日記を書きながら今日はじめて気がつきました。なんかぽー先生の人生を表しているようで、ナンカですね…。

2007年2月28日(水)
プリント折り

 ぽー先生が数学のプリントを子どもたちに配るとき、必ず2つ折りにして2穴パンチで穴をあけてから配ることにしています。たいていのプリントのサイズはB4ですから、2つにおってB5サイズにするわけです。で、これがけっこうな枚数なんです。小学生から中学生までたくさんの子どもたちの授業をしていますし、それぞれのクラスで何枚かのプリント使うわけですから…。毎日何十枚ものプリント折りをし続けているわけです。
 「過保護じゃないの…」って言われるかもしれないけど、こうでもしないと子どもたちはなかなかプリント整理をしないんです。だからとりあえず子どもたちのファイルを「きれいに折られたプリントでうめつくしてやろう!」っていうのが、いまのところのぽー先生の目標なんです。そんなプリントばっかりになれば、きっと子どもたちだって「ちゃんと整理されてなきゃあキモチガワルイ!」ってなってくれるんじゃないかなって思ってるんですけど…。あまいでしょうか…。
 それにプリントの折りかたも…。ぽー先生はすべて字が印刷されているほうを表にして折ることにしていますが、みんなにまかせているとタイテイの子はそれを裏にして折るんです。そうするとどれがどれだかわからなくなり、いよいよもってメチャクチャになってしまうんです。
 肩こりと戦いながらプリントを折り続けているぽー先生…。かわいそうですよね…。そろそろ子どもたちにやらせようかなって思っているところなんですが、さてどうしましょうか…。

2007年2月27日(火)
カンバン

 塾ってのはいまの時期けっこう忙しいものです。受験のまっただなかということはもちろんですが、ちょうど生徒募集の時期でもあったり、新しい年度にむけてのいろいろな計画も立てたりしなくっちゃあいけなかったり…。
 じつは啓明館にはいままでカンバンがありませんでした。玄関のガラス戸にカッティングシートで「啓明館」の文字をはってはいましたがそれだけだったんです。で、この前から「やっぱりカンバンはないよりあったほうがいいよね!」っていうハナシになり、ささやかながら小さな置きカンバンを買ってきて置くことにしたんです。そこでなんていう文字をそこに書くんかってことになり、いろいろ考えたあげく「塾」っていう文字に決めました。
 でもこれってアンガイありそうでない文字だと思いませんか…。学校の門の前に「学校!」って書いてるようなもんで、たったこれだけのことなのにけっこう勇気をもって決断したんですよ。笑っちゃいますよね…。で、じっさいにやってみるとけっこうみんなからのウケがよくって…ホッとしています。
 「ぼくはさかなだ!」っていくら声を大にしてさけんだところで、それがスーパーで夕飯のおかずを選んでいる夫婦の会話だってことがわからなければどうせ意味なんかわからないんだから…。「ここは塾ですよ!」ってさけぶことがまずはダイジな一歩目かなって…そんなところです。

2007年2月26日(月)
万俵家・小泉元総理

 これもずっと前の日記で言ったことですが…。「10人のうちの1人から言われる悪口と1000人のうちの100人から言われる悪口」のことについて…。これを「同じ割合なんだから気にしないどこう!」ってするのか、「生身の人間なんだから100人もの人からの悪口にはとてもたえられない」ってするのか…。そんなところが、昔でいえば一部の支配者層の人たちに…、いまの時代でいえばほとんどすべてのふつうの人たちに課せられたダブルスタンダードのおおもとのハナシなんじゃあないかと思います。
 「華麗なる一族」の万俵家の人たちの光と影もそんなところの話なんでしょうし、小泉元総理が安部総理におくった「鈍感であれ!」のエールのオクソコにあるテーマもそんなところにあるんじゃあないかと思います。だからけっして人ごとなんかじゃあなく、ぼくたちもいろんな場面でそういうことについての向き合い方を考えながら生きていかなくっちゃなりません。勉強することや教育の世界ではなおさらそうなんじゃないでしょうか。

2007年2月24日(土)
2つの心

 ずいぶん前の日記で言ったことですが「量のちがいは質のちがい」です。たとえば「バースデーパーティーをひらく」って同じようにいっても、3人のパーティーと300人のパーティーとでは、準備のしかたも中身もあらゆることがまったくベツモノになってしまいます。量がふえればふえるほど数学的なことばで語られるようなホネグミやダンドリの必要性がましてきます。
 ほんのひとむかし前まで、たくさんのふつうの人たちには300人のパーティーはあまり関係のない世界でした。そういうことはほんの一部の支配者層の人たちだけが考えておけばいいことだったんです。でもいまはちがいます。さまざまな便利な道具がつくられたため、大人から子どもにいたるまでのあらゆる「ふつうの人」がそういう世界とかかわりをもてるようになってしまいました。だれでもすぐにネットでみんなとつながれる…、大きなスケールのしごとをすることができる…、かんたんに外国にだって行けてしまう…、すぐにテレビやラジオにも出られる…、だれでもすぐに大きな事件や事故をおこしてしまう…。
 ひとむかし前の一部の支配者層の人たちがもっていたであろう「喜び」と「哀しみ」を、ほとんどのふつうの人たちが今ではもってしまっています。300人のパーティーと3人のパーティーの2つの心が、ひとりひとりみんなのなかにバランスよくおさまっている…、そんなことが望まれている時代なんじゃあないでしょうか…。

2007年2月23日(金)
ケアレスミス

 ケアレスミスっていうことばがあります。「ほんとうはわかってたんだけど…うっかりまちがっちゃって…」っていうやつです。全然わかってなかったんならいざしらず、わかってたのにオッチョコチョイでまちがえたってのはやっぱりクヤシイですよね。
 じゃあこのケアレスミスはどうやったらなおせるんでしょうか。で…、これをイザなおそうとするとアンガイ根が深いんだってことがわかります。ミスによってもいろいろちがいますけど、なくすためには実にたくさんの力が必要になります。「わかったつもりじゃなくほんとうにわかること」「スピードをつけること」「幅広い考え方ができること」「チェック能力をつけること」「ここぞというときの集中力をもつこと」「点数へのこだわりをもつこと」…。
 むずかしい問題でのミスってのもあります。むずかしい問題っていうのはふつう、ひとつの答えを出すまでのあいだにたくさんのプロセスを通ってこなくっちゃあいけません。つまりそのすべてをミスなくクリアーしてこないとゴールにはたどりつけないものですが、子どもたちを見ていると途中でちょっとミスをしてしまったために、すべてがゴチャゴチャになってしまうっていうケースがけっこう多いように思えます。
 いろいろ考えてみると「たかがケアレスミスされどケアレスミス…」。そんなにかんたんなハナシじゃあないのかもしれませんね…。

2007年2月22日(木)
アホな子

 塾の先生だっていうのにこんなこと言うのもナンですが…。中学高校をつうじてぽー先生は1回もテスト勉強をしたことがありませんでした。中間テストとか期末テストかが何日か後にせまってきて、ほかの人たちがイッショウケンメイにテスト勉強をするころになると、なぜかムショウに勉強したくなくなるんです…。自分で言うのもナンですが、ほんとうにヒネクレモノというか、いまだったらハリタオシたくなるような腹立たしい子だったんでしょうねきっと…。そのころの先生の気持ちをオサッシします。
 でもけっして勉強してなかったわけじゃあないんですよ。テストが終わったその日から「さあ今日からテスト勉強だ!」って言って、次のテストに向けてがんばって勉強してたんですから…。ふつうの子がテスト前一週間だけだとすれば、ぽー先生はその期間以外がすべてテスト勉強なんだから、こっちのほうがはるかにたくさん勉強はしてたんです。でもなんでこんなアホなことをやってたんでしょうね…。それは自分の実力以上の点数をテストでとってしまうことがいやだったんです…。「一週間以上たっても頭に残っている知識はホンモノだ」ってことをどっかで聞いてきて、「よし!それじゃあホンモノの知識だけで100点とってやろうじゃないか!」ってなところだったんですね。つくづくアホな子です…。

2007年2月21日(水)
ヒネクレモノ

 前にも言いましたがぽー先生がもっともキライな人は「反対しかできない人」です。何かに反対することでしか自分の意見をもつことができない…っていうのはどうもこまりものです。さて、きのうも言いましたけどぽー先生はヒネクレモノです。でもこれって反対ばかりしてるからヒネクレモノなんじゃあないんでしょうか…。はてさて…。
 「反対しかできない」っていうのと「反対ができる」っていうのは、おんなじように聞こえるけどずいぶんちがいます。人に反対することで自分の気持ちを高めていこうとするのか…、まず自分の気持ちがあって結果的に他とぶつかってしまうのか…。どうもこの両者は順番がさかさまになっているみたいです。それともうひとつ…。「反対のカードしかもっていない」と「反対のカードも賛成のカードももっている」っていうちがいもあるようです。
 自分より立場が上の人とか強い人には、ついつい反対したり文句ばっかり言ってしまうもんですね。でもそんなくせがついてしまうと、弱い子どもたちに対しても、いつも問題点ばっかり見つけては文句ばっかり言ってる大人になってしまうかも…。ぽー先生も気をつけようと思っています。

2007年2月20日(火)
非ユークリッド幾何学

 いま、中1のひとりの子とぽー先生とのあいだでマイブームになっていることがあります。それは何かというと…「非ユークリッド幾何学」です。ひょんなことからそんな話になり、おもしろうそうだからあれこれさぐっていたら何となくヤミツキになってるってカンジです。
 いまみんなが勉強している図形の世界はユークリッド幾何学といわれています。たくさんのむずかしい図形の性質もそれがどうして成り立つかについてはそれよりもう少しかんたんな性質を使って証明され…、そしてそのかんたんな性質はさらにかんたんな性質を使って証明され、そんなふうにずーっともとをたどっていくとすべてはたった5つの公準といわれるものからスタートしてるってことを、2300年ぐらい前のユークリッドが考えだしたのです。
 「2つの点を結んでひとつだけ直線がひける」とか「かってな大きさの半径で円がかける」とか…。こんなとんでもなくアタリマエみたいなのが5つあるのが公準です。「なんだ数学ってこんなものの上に成り立ってんだ…」って思わず笑いたくなっちゃいますけど、このうちの5番目の公準について「それを変えたらどうなるんだろう…」って考えたヒネクレモノが非ユークリッド幾何学をあみだしたのです。
 中1の子とぽー先生という同じようなヒネクレモノどうしが、そんな世界にあぶないニオイを感じてしまい、いまちょっとハマッテいるとろなんです。

2007年2月19日(月)
東京マラソン

 東京マラソンがきのうありましたけどけっこう良かったみたいですね。詳しいことをよく知らないのにナンですが…、ぽー先生が感じたポイントは2つあります。ひとつは「交通渋滞などさまざまなマイナス要素をかかえているのにもかかわらず、そのなかでしっかりとプラスを見つめてチャレンジしたこと」、もうひとつは「大都会のなかにある等身大の人間というものを新しい形で再発見させてくれたこと」…。
 「大きな見かたからの英断」と「小さなことへの気配り」の両方がそろっていたからこそできたことじゃあないでしょうか。そしてもうひとつ「信頼感」…。だっていくらリッパな計画を立てたところで、さまざまに参加するすべての人たちのなかにジッサイにその心と力がないかぎり成功しないわけですから…。それを信頼してないかぎりできませんよね。ややもすれば「東京ってのは冷たいところだ」とか「大都会でそんなことできるわけないじゃないか」など、表面的なことばで軽々しく語られる無責任で身勝手な評論のなかで…。よくやったと思います。
 そしてこのことはそのまんま教育や子育てにもおきかえられます。子どもたちのなかにある心と力を信頼して、大きな見かたと細やかな気配りをもっていつも見守っていること…。マイナスのことばにばかりふりまわされて右往左往しているときっていうのは、あんがい大人自身の見かたのほうがおかしかったり心が弱かったりっていうことも多いんじゃあないかと思います。

2007年2月17日(土)
たった2へやの空間

 佐賀の福岡さんが自宅で小さく開いていたひなかざりは、何年か前から佐賀市をあげての大きなイベントに生まれ変わりました。どうやら市としてはバルーンに続く佐賀の大きな観光の目玉にと考えてあるようです。ぽー先生もそうなってから一度だけ行ってみたことがありました。まちのいたるところにひな人形がかざられていて、さらにいくつかのメイン会場には福岡さんのものやおもだったおひな様がかざられている…。そして観光客はマップを手にいろんなおひな様をサンサクしてまわるというものでした。
 すてきなひな人形がこうやってたくさんの人の目にふれられるようになったということはいいことですね。でもずっと昔の「たった2へやの空間」はもうなかったように思います。人形たちとそれをとりまくさまざまなものたち…、それをつくり守るひとたちの願い…、それを見て心動かされる人たちの思い…。さまざまなものがおりなすハーモニーがことばにできないすてきな空間をつくりだしていたんですけど…、その意味ではちょっとさみしい気持ちにもなりました。
 ひとつの人形が「ことば」とするなら、2へやの空間は「ことばのもと」…。どちらをもずっと大切にしていける啓明館でありたいと思っています。

2007年2月16日(金)
佐賀の福岡さん

 もうすぐひな祭りです。日田だとか吉井だとかいろんなところにおひな様の有名なところがありますよね。で…、また佐賀の話でナンですが…、佐賀に福岡さんという方がいらっしゃって(…ややこしいですが…)、今から10年ぐらい前にはじめてそちらのおひな様を見せていただいたことがありました。
 自宅の小さな2へやを使ってのかざりつけで、そのへや全体がまるで王朝絵巻のようなみごとな空間が広がっていたんです。ぽー先生みたいなおじさんでさえしばらく感動して見入ってしまったほど…。中央のひなだんから水色のタンモノをまがりくねった川のように流し、その両側にはたくさんのひな人形たちが春の宮中さながらにさまざまな場面をくりひろげている。長年かかって全国から集められたというたくさんのお道具と、自分でつくられたすべてキメコミのひな人形たち…。そして着物のがらは佐賀の武家伝統のまぼろしの鍋島小紋をご自身の手で復元されたもの…。
 心のこもったホンモノというのは、ほとんど知識のないぽー先生のような人の心まで揺さぶってしまうものなんですね。それから毎年この時期になると佐賀の福岡さんのところまでおひな様を見せていただきに行くようになってしまったぽー先生でした。でも何年か前から、佐賀市をあげての大きなイベントにまでなってしまい今はちょっと足が遠のいてるんですけど…、今年あたりまた行ってみようかな…春の陽気にさそわれて…。

2007年2月15日(木)
福岡市の高校入試

 今日は私立高校の後期入試の発表がありました。啓明館の生徒も1人受験していましたがめでたく合格していました。ほんとうに良かったですね。けっして口数の多い子じゃあないけどしっかりもくもくとがんばっていたんです。だからぽー先生たちもうれしさがひとしおです…。
 最近はここ福岡市でも、私立高校の入試は何回も受けることができるようになっています。まず1月23日の専願入試…。これに合格すればあとの受験はできずにその高校へいくことが決定します。啓明館からは2名受験しました。次に2月2日の前期入試…。大半の子はこれを受験します。啓明館でも35人の子が受験しました。そして2月10日の後期入試…。前期が不合格だった子やもうひとつ受験したい子などがこれを受けます。ただし定員自体も少ないのであまりたくさんは受験しません。啓明館からは今日発表の1人の子が受験しました。
 で次に、公立の方はどうかというと…。こちらも2回受験するチャンスがあります。ひとつは推薦入試でこれは2月13日〜でもう終了しました。そして最後が3月13日にある一般入試です。福岡市は全体的に公立志向が強いところですから、大半の子どもたちにとって一番重要な入試があと1ヵ月後にやってくるのです。さああとひとふんばり…。みんながんばれよ!

2007年2月14日(水)
平行四辺形の面積

 きのう中3の子がぽー先生に小さな声でこんなことを聞いてきました。「先生、平行四辺形の面積って公式とかありましたっけ…」。問題を解いていて、どうしても平行四辺形の面積を出さなきゃいけなくなり、公式を忘れてしまった彼女はいくつかの部分にきりわけたりしながらがんばって求めてきたそうです。「うん、あるよ。底辺×高さっていうやつが…。ここのはしっこの三角形をきりとって反対側にカポッてつけたら長方形になるだろう。だからこんな公式になるんだよ…」。「ああっ、そうか…」。
 けっして成績が悪い子じゃあないんですよ。でもそんな子が小学生だってみんな知ってるような公式で迷ったりする…。ときどきこんなことってあるんですよね…。で、ぽー先生はこんな場面がけっこう好きなんです。今まで空気みたいにやってきたことについて、シンケンに気持ちをこめて向き合ったときに、あんがい人間ってばかみたいなことがいっぺんわからなくなったりする…。でもこれって大きなステップアップのイッシュンじゃあないかと思うんです。「ひとごと」から「じぶんごと」へのステップアップです。
 だからぽー先生もおおまじめでいっしょに向き合ってあげるんです。だって公式なんかよりもずっと大切なことをいま見つけようとしてるんですからね…。

2007年2月13日(火)
入試問題

 入試問題っていうのはイッショウケンメイつくられてるぶん、さすがに「ああなるほどな!」っていうようなオモシロイ問題が多いものです。ぽー先生もこの時期たくさんの問題を解かなくっちゃならないけど、あんがい楽しみに解いていたりもしてます。
 でも、「スキな問題」「キライな問題」っていうのはやっぱりありますよね…。まずキライな方から言うと、「知ってるか知らないかだけ…」しかないようなの…、「気がつくか気がつかないかだけ…」しかないようなの…、「やたらめんどうくさいだけ…」みたいなの…、「つくった先生が自分だけの世界に入ってる…」みたいなの…、「つくった先生が自分のシナリオをおしつけてる…」みたいなの…。
 単純ななかにも奥深さがあり、だれでも普通に考えていけば自然と答えに導かれていくような、それでいてどこかで理にかなった大きな発見が待っているような、そんな問題っていいですね。そういう問題に出会うとなんかワクワクしてきます。問題を通してそれをつくった先生の気持ちさえ見えてくるような気がします。おもしろいですね…。たかが入試問題だけど、どこか芸術作品にもにたようなところがあるのかもしれません…。

2007年2月10日(土)
もうできないですけど…

 東京駅が23:17なんですが、そのスタートのフンイキってわかりますか…。そう、まわりにはヨッパライのおじさんたちがあふれてるんです。しごとが終わってイッパイやって、最終便に乗って家路を急ぐ…、そんな人たちで車内はほとんどラッシュ状態です。
 それが、横浜、藤沢、平塚…とだんだんオジサンたちが降りていき、小田原をすぎ箱根の山をこえるころにはすっかりみんないなくなるんです。静かになった車内には「さあこれからが夜行列車の始まりだ!」っていうムードがただよいはじめ、ここまで残った乗客どうしにはみょうなナカマイシキみたいなものがめばえはじめます。
 大きなバッグをひざにかかえ座ったまんま眠ってしまい、ふと目がさめるとまわりからはいきなり元気いっぱいの関西弁が耳にとびこんできます。いつの間にか夜が明けてここはもう京都…。こんどは朝の通勤ラッシュの時間です。夜行列車の落ち着いたフンイキはいっきにかき消されてしまいます。
 長い山陽道を通るときはまた一転して昼の長距離列車のムードになり、関門海峡をこえてまた帰りの通勤客をのみこみ、長崎線に乗りかえてようやく佐賀につくころおにはもうすっかり夜…。おもしろいですね。今となっては考えられないようなことだけど、便利じゃないってこともそれはそれで楽しめることがいっぱいあるんですよね…。今となってはもうできないですけど…。

2007年2月9日(金)
急行さくらじま

 しごとをするようになってからは電車での旅行がほとんどできなくなってしまったけど、若いころはけっこうなんども電車で旅したもんでした。高校生のときにはじめて九州の地に足をふみいれて以来、東京と九州との往復は数えられないぐらいです。新幹線じゃないですよ、飛行機なんかとんでもない…。お金なんかないですからね…。特急もだめ。乗るのは急行です。
 たしか東京駅が23:17だったと思いますけど…「急行さくらじま」。その名のとおり鹿児島行きの急行です。とちゅう鳥栖で長崎線に乗りかえて、佐賀につくのはたしか次の日の夜だったと思います。今にして思えばホントすごい話ですね。ごく普通の4人がけのボックスシートに座ったままの姿勢で23時間です。よっぽどすいてれば足を投げ出すこともできたけど、ほとんどの場合は座ったままの姿勢でそのまま寝るんです。わざと大きなバッグを持っていってひざの上において、そこにうつぶせて寝るのがマル秘テクニックです。
 今となってはこんなテクニックを知ってても何の役にも立ちませんけど…。でもほとんど丸一日を電車の中で過ごすっていうのも、それはそれでやってみるとけっこうおもしろい面もあるんですよね…。

2007年2月8日(木)
みんな合格でした!

 きのうですべての私立高校の前期入試の合格発表が終了しました。啓明館のかわいい子どもたちも35人受験しましたが、みごとに全員が合格しました。毎年かならず2〜3人は不幸にも失敗する人が出てしまうものですけど、今年はほんとうに良かったです。だってみんなよくがんばりましたから…。
 啓明館にやってくる子のひとりひとりに「おめでとう!」って言うと、ニコニコ笑って「ありがとうございます!」って言ってくれます。ほんとうにみんな嬉しそうです。
 ちまたでは「灰色の受験生」とか言って、受験のことをことさら暗いイメージで語ろうとする人がよくいます。きっとマイナス志向の強い人なんでしょう。イッショウケンメイの努力はあってアタリマエです。その努力のなかでこそ、自分自身がよく見えるようになったり、まわりがよく見えるようになったり、こうしたらこうなるんだっていう手ごたえを感じたり、実際に合格を手に入れたりできるわけですから…。
 ずっと前の日記に書いてますけど、(+10)+(−10)…。この答えがじつは20なんだということを、力強くメッセージできるかできないか…。子どもたちの前に立つ大人としての大きな分かれ道なんじゃないかとぽー先生は考えています。マイナスしか見ようとしなければ、なんだってマイナスにしか見えないんですよね。

2007年2月7日(水)
ちょこちょこ道

 ぽー先生は大きな国道がどうも苦手です。それに高速道路も…。だからついヘンテコな道をちょこちょこと行くことになり、一緒に車に乗った人からはけっこうきらわれてるんじゃないかと思っています。「あっ、またまがったよ…。そんなにくねくね行かなくたってねえ…ずっとまっすぐ行ってりゃいいんじゃないの。うっとうしいヤツやなあ…」。ぽー先生の車に乗ってしまった人の心のサケビです。
 しょうがないんですよね。ショウブンですから…。自分でもなんか貧乏くさいヤツだなって思うんですけど…。でもあえて言わせていただければ、ちゃんといくつかの理由はあるんですよ。まずその1…大きな国道や高速道路がきらいなわけ…「目的地にむかってただまっすぐで、なんかベルトコンベヤーにのっけられているみたい…」「たくさんの車線があってレースみたいで、たえず闘争心に火をつけてないと逆にあぶなくて運転できない…」。その2…ちょこちょこ道がすきなわけ…「自分のイシとペースで自由に運転できる…」「いろんな角度からの道を走ってみないと道路のイチカンケイが把握できない…」「行ってる途中を楽しみながら運転したい…」
 ケースバイケースでもちろん国道だって通るんですけど、なんとなく気分的に…っていうカンジです。

2007年2月6日(火)
○○○の化石

 今日も○○つながりの話ですみません…。
 発想がゆたかでいろんなことにコウキシンいっぱいの栗山さんに、ある日子どもたちの前でお話をしていただくことになりました。そしてその日栗山さんはあるものをもって教室にやってきたのです。
 「おい、きみたち、これがなんだかわかるか!」。「………」。いきなりの展開に子どもたちもどう対応していいものやら…。はじめてみるおじいちゃんの手のなかにはなにやらえたいのしれない黒い物体が入っています。「これはウンコの化石だ!いまからみんなにまわすから、手にとってよく見てみろ!」。「げぇぇぇ!」。いくら化石だとはいえウンコはウンコです。よく見てみろって言われても…。みんなはぎゃあぎゃあ言いながら、おそるおそる指でつまんではよく見もしないで次の人にまわしています。
 「だいたい考えてみろ!なんであんなやわらかいウンコなんかが化石になったりするんだ。きみたちはおかしいとは思わんか。そもそもだな…」。みんなは栗山さんのパワーに圧倒されながらも、そのフシギなみりょくにどんどん引き込まれています。
 「いろんなことに疑問をもちよく見てよく考える」。栗山さんが言われていることってたしかに大切なことですよね。

2007年2月5日(月)
ニュートンも…

 啓明館にはとってもゆかいな大人たちがやってきては、子どもたちにいろんなことを教えてくれます。
 天禄商会会長の栗山直博さんはユニークな発明家のおじいちゃんです。特許は80ぐらい…なにからなにまであらゆることに興味がある人なんです。めだか、水不足、宝石、神社…、そうそう大正通りのなづけ親でもあります。
 ぽー先生もよく栗山さんのところに遊びに行っては、たくさんのおもしろい話をお聞きしました。ある日のこと「青木君、これなんだかわかるか…」ってひとつのゴム印を見せてくれました。そこには「ニュートンもクソの落ちるに気がつかず」って書いてあります。わざわざ特注でつくられたそうで、なんとタテガキとヨコガキの2種類ありました。
 ごぞんじのとおりニュートンは、ある日リンゴの実が木から落ちるのを見て、有名な引力の法則を発見したと言われてますが、「なんもわざわざリンゴで気づかなくったって、毎日トイレで○○が落ちていただろうに…」が栗山さんの言い分です。ごもっとも…。「発明のコツは日ごろからいろんなことをよく見ておくこと!」とのこと…。子どもたちに勉強を教えるぽー先生もほんとうにいろんなことを栗山さんから教えていただきました。

2007年2月3日(土)
金子先生

 中学生のころのぽー少年は成績も態度もどちらも良かったもんですから、卒業式にはただひとりだけ「サレジオ会日本管区長賞」という賞をいただいて卒業しました。そして高校に入ってもそんな状態が続いていたのですが、高3になってトツゼン不良化し勉強することをいっさいやめてしまいました。生まれてからずっとノンダクレの父親のいる地獄のような毎日のなかで、良い子であり続けたことの反動がきたのかもしれません。
 そんなとき大好きだった金子先生が「青木君、九州にある重症心身障害児施設に、1週間ぐらい泊まりこみで手伝いに行ってきなさい」と言われました。そしてぽー先生は生まれてはじめて九州の地に足を踏み入れることになったのです。
 施設に行きぽー少年の心は激しく揺さぶられました。そのなかにいる子どもたちはひとり残らず重い障害をかかえています。だから病気が治って社会に巣立っていく可能性はゼロということ…、つまり一生をこのせまい施設の中で暮らしていくっていうことなんです。それなのに彼らや彼らのまわりの人たちのこの明るさはなんなのだろうか…。どこにだって行けるしなんだってできる自分のほうがずっと暗く情けない顔をしている…。ぽー少年の心の中の何かが動いたイッシュンだったのかもしれません。

2007年2月2日(金)
シャガ

 梅が好きだって言いました。じつはもうひとつぽー先生が好きな花があります。それはシャガの花です。たしか漢字では「菁莪」と書くんじゃないかと思います。あかるいひざしがよくにあう梅とちがって、この花は暗いところがよくにあいます。あまり光があたらないような山道を通っていると、ふと道ばたに咲いていることがあります。
 花の形はおおまかにいえばショウブとにています。ただショウブよりもずっと小さくてシャキッとしたカンジです。色は白ですが中心のところには青や黄色が少し入っています。暗い山道の道ばたなどに群生していることが多く、花言葉は「反抗」…。なんかちょっとアヤシゲなふんいきをかもしだしたりもしています。
 「…お前はコチョウ花 うすずみの闇畑に ひらひら舞い上がり 舞い降りる … 人の世の哀しいさだめを 愛ゆえの哀しいさだめを その羽にのせて舞う 舞いあがる…」。鎌倉の古寺の山門に腰をおろしながら、苔むす石畳のかたわらに咲き乱れるこの花を見て、ぽー青年がつくった「菁莪」という曲の1節です。 

2007年2月1日(木)
あしたは私立高校の前期入試…

 あしたは私立高校の前期の入学試験です。この前の専願入試には啓明館の2人の子どもたちが受験しましたが、あしたはいよいよホンバン…。のこり35人の子どもたちが全員受験することになります。
 天気予報では雪がふるかもしれないってことで寒い朝になりそうです。けっこう丈夫な子ばかりだから、今までひどいカゼをひいた子もほとんどなく、ぶじに受験勉強をのりきってこれました。ありがたいことです。これまでがんばってきた自分の力を信じて、テスト当日にはしっかりとその力をだしてくれることを祈っています。
 一生懸命になってがんばっているといろんなことが素直に見えてくるもんですね。自分のしてきた努力の量はこの時期だれよりも自分がいちばんよくわかっているし、まわりの人が自分のことをどれだけ考えてくれているかということもわかってきます。また自分がまわりにどんなことをしてあげればいいのかも…。だから子どもたちがとってもたくましく、そしてとってもかわいく思えてくるんです。だからぽー先生はけっこう受験が好きなんです。

2007年1月31日(水)
先生のいろいろ

 どんなしごとでもそうですが、先生というしごとにもそのなかにいろんな能力が求められています。勉強のなかみについては「研究者」、それをどうやって教えるかを考えるのは「技術者」、授業のやり方を組み立てるのは「脚本家」、じっさいに授業をするときは「役者」、いろいろな行事の計画や実行は「企画者」、子どもや親たちには「サービスマン」、そして子どもたちにとっての「お医者さん」…。いろいろですね。
 このなかのどこらへんで自分の能力をハッキするかは、先生ひとりひとりによってちがうようです。先生のキャラクターのちがいもあれば、教えている教科のちがいもあります。でもすべてに共通して必要なことは、対象である子どもを「よく見ておく!」ってことじゃあないでしょうか。ときどきすっかり忘れてしまってヒトリヨガリになることもあるみたいだけど、これがイチバン大切なことなんだとぽー先生は思っています。だってもしもお医者さんが「見立て」をまちがってしまったらタイヘンでしょう。いくらがんばって治療しようとしても、すればするほどもっと病気は悪くなってしまうんですから…。
 でも、この「よく見ておく」ってことは、口で言うほどかんたんんあことじゃあないんですよね…。

2007年1月30日(火)
ハゲだとかトドだとか…

 ぽー先生は数学を教えています。このごろは数学を苦手にしている子がほんとうに多くなっているようで、ぽー先生のところにもたくさんの子どもたちが質問をもってやってきます。小学生から中学生までひとりひとりの質問に次々と答えていくのはけっこうタイヘンなことじゃあありますが、そのなかで子どもたちといろんなやりとりができることは、ぽー先生にとって大きな楽しみでもあるのです。
 「先生、ここんところがどうやったらこうなるのか…」「ちょ、ちょ、ちょっとまて!その前に問題を読ませておくれ!」………「ふんふんふん。それで…」「けっこう自信あったんだけど、なんでまちがってるのかわからなくて…」「そうか。ちょっと計算したところを見せてごらんよ」「これですか」「そうそう。ほんとねえ、ちゃんとやってるよねえ…。ありゃりゃ、なんだよ。ここんとこに10かけるの忘れてるじゃないの…」「あああっ!シクッタあ…」「はい。ザンネン。またね…」こんな調子です。
 ときにはハゲだとかトドだとかとののしられながらも、ぽー先生は毎日たくましく子どもたちの質問に立ち向かっています。でもホント、なんかしあわせです。

2007年1月29日(月)
きっといつか…

 さんまのスーパーからくりTVに出てくる熱中少年の子どもたちってすごいですよね。将棋のなおた君、ギターのりゅうのすけ君…、大人顔負けのことばが次から次にぽんぽんと飛び出してきます。はたしてこの子たちは、ことばをよく知ってるんでしょうか、ことばのもとをよく知ってるんでしょうか。なぞです…。
 寅さんの山田洋次監督がテレビに出ていろいろと語っていました。寅さんや武士の一分など、あれだけたくさんのすばらしい作品をつくった監督なんですが、この方はあんまり語りはじょうずじゃないように思います。とっても大きなことばのもとを知ってる人だと思うんですがそんなもんなんでしょうね。
 ぽー先生はラジオのトーク番組に300回出演しました。その他にもテレビ・ラジオ・新聞に合計で100回くらい登場しました。でも出れば出るほど自分の才能のなさを思い知らされていました。山田洋次監督の気持ちがよくわかる気がします。いろんなことを考えてことばを選んでいるうちに、次々に場面が変わってしまい、あたふたしているうちに終わってしまうんです。こんなこっちゃいかんと思って努力はしてるんですがナカナカ…。でもいつかコツをつかんで「いろいろ考えているうちにテスト時間が終わってしまっていい点数がとれない子どもたち」にそのコツを教えてあげられればと思っています。

2007年1月27日(土)
スーパー○○

 とってもフシギなことなんですが…。家のすぐ近くにあるスーパーの名前がおぼえられないんです。いまこうして日記を書いているときでもその名前がでてきません。奥さんから「○○に行って、おしょうゆ買ってきてちょうだい!」って命じられたときも、「えっ、それどこにあるんだっけ?」ってなぐあいです。
 このごろできた店じゃあないんですよ。もう少なくとも10年以上はそこにそのままありつづけてます。別にむずかしい名前でもありません。買いものにもよく行ってます。逆にぽー先生のほうに問題がある(つまりモウロクジジイ!)ってわけでもなさそうです。毎日オソロシイ量のしごとをちゃんとこなせてますから…。なんだかよくわからないけど、そのお店の名前だけがおぼえられないんです。フシギなんです。
 たったひとつのかんたんな数学の公式をおぼえられない子どもたち…、そんなときこのスーパーのことを思いだすと、人ごととは思えずその子にとってもシンキンカンをおぼえます。そうですよね。ヨノナカそういうことってあるんですよね。まずとりあえず、ぽー先生がこのスーパーの名前をおぼえられるようになること…。それができるようになったらそのコツを子どもたちにも教えてあげられるんじゃないかと思っているところです。

2007年1月26日(金)
合格通知

 さあついに受験シーズンの始まりです。きのうは私立高校の専願入試の合格発表がありました。啓明館のかわいい子どもたちも2人受験していたので心配でしたが、みごと2人とも合格しました。ほんとうに良かったですね。
 1人の女の子は、夕方、合格通知が入った封筒をにぎりしめて喜びいさんでやってきました。けっして成績がいいわけじゃあないけど、授業のある日もない日も毎日かかさずやってきて夜遅くまで残って勉強したんです。とてもキライな数学にだってがんばって立ち向かったんです。口数の少ないおとなしい子だけど、もくもくと努力をつづけてきました。だからぽー先生もすごくうれしかった…。合格したこともだけど彼女のきのうの笑顔がです。だって心のおくからほほえんでいるようなすてきな笑顔だったんですよ…。
 なんど問題を解いてもまちがってたことも知ってます。くやしい思いやはずかしい思いをしたことも知ってます。がんばって努力をつづけたことも知ってます。それでやっと少し解けるようになってうれしかったことも知ってます。そして合格通知を手にして心からほほえんだことも…。みんな知ってる先生たちがここにいるから…。きっとまた新しい世界でもかがやいてくれると思っています。合格おめでとう!よくがんばったね。

2007年1月25日(木)
オシバナ

 小学校4年生の授業のときにみんなでオシバナをつくってしまいました。すぐによけいなことをペラペラと言ってしまうクセのあるぽー先生は、ずっと前に、「ふつうオシバナっていうのは、本のあいだに花を何日もはさんでおいてつくるもんだけど、イッシュンでつくるやり方ってのがあるんだよ…」なんてことをつい言ってしまったんです。そしたらみんながすぐに反応して、「へえー!おもしろそう!やりたいやりたい!」って言うもんだから、「じゃあこんどいつかやろうね」っていうオキマリのセリフでお茶をにごしておきました。でも子どもってこういうことはしっかりおぼえているもんですよね。いつまでもしつこくセイキュウされつづけて、ついに実行することになってしまったんです。
 教室に電子レンジをはこびこみ、2枚のタイルにはさんだ花をそのなかに入れてチンするだけです。長すぎるとこげてしまうから40秒ぐらいがちょうどいいみたいです。できた花を台紙のうえにならべてはって、それをビニールのなかにはさんでプレスしてできあがりです。カラフルできれいなオシバナカードができあがりました。みんなはもちろん大喜び…。でも、勉強もしないで遊んでしまって…。お父さんお母さん、ごめんなさい…。

2007年1月24日(水)
リンゴの実

 きずきあげてきた過去…、期待と不安がいりまじる未来…、たくさんのからみのなかに存在している現在…。ことばにはとてもできないひとつのありざまを、いまイッシュンの判断として「ことばや数式」に表現しなくてはいけない…。そのからまるエリアが大きくなればなるほど、ことばや数式にかかる比重が大きくなり、他への影響も大きくかんたんには修正もつきにくくなるけど、そのときのできうる限りのセイイッパイで表現して行動していくしかない…。プログラムをつくりながら、そしてアンチュウモサクでがむしゃらに行動しながら、たくさんのそんなことを考えていたものです。
 エリアの大小にかかわらず、たしかに人間っていうのはそんなものなのかもしれません。ほかの生き物のように無為自然に生きていくことはできず、つねに頭を使って考えて行動しているわけですから…。アダムとイブが食べたリンゴの実には、きっとたくさんの甘さとたくさんのすっぱさがつまっていたことなんでしょうね。

2007年1月23日(火)
256バイトの制約

 何のケイケンもないぽー先生が、何もないところにゼロから新しいテスト会を立ち上げるってことはナミタイテイのしごとではありませんでした。どんなことをしなくちゃいけないかという大ざっぱなことは前の日記に書きましたが、そのひとつひとつの中のさらにずーっと細かいところにタイヘンな作業が山ほど広がっているんです。
 たとえばプログラムをつくるときにコード番号をつけます…。会員コードからはじまって、会場コード・在籍学校コード・志望校コード・教科コード…、コード表だけでもじつにたくさんのものをつくらなくっちゃあいけません。そのコード番号ひとつをとってもそれを何けたの番号にするのか、それぞれのけたの数字にどういう意味をもたせるのか、どういうものを出力しようと考えているのか、テスト会のエリアをどこまで広げて考えるのか…。たった何けたかの数字のなかにも、これからやろうとしている目的、やれることの限界、採算性、今後の未来像など、さまざまな大きなテーマがつきつけられているんだということをヒシヒシと感じていました。
 256バイトの制約のなかで
どっちをとるかというきびしいセンタク…。こんなことって気づいていないだけで、あんがい身のまわりでたくさんおこっていることなのかもしれませんね…。

2007年1月22日(月)
自宅浪人

 はじめに行った東京理科大の数学科をやめたあと、ぽー先生は一年間の浪人をすることを決めました。予備校にはとても行けなかったので自宅浪人です。しかも高校は理系だったのにこんど受けようとするところは文系なので、高校ではまったく習ってない受験教科がいくつかあるというカコクな状況でした。参考書だけをたよりに全部自分で勉強しなくっちゃあいけないんです。
 でも若いときってのはだいたいこんなもんですよね。まわりからみたらとってもリフジンでドンクサかったりするようなことを、いやそれだからこそよけいにそういうことをしようとしてしまう。でもあんがい気持ちが入っているからけっこうホンキになってやれてしまう。だからぽー先生もこの一年間はまったくかかさず一日14時間以上の勉強を充実した気持ちでもくもくとし続けました。
 そんな毎日のただひとつの楽しみが鎌倉の散歩だったんです。四季折々の草花や生き物をゆっくりとサンサクしながら歩く、そしてとちゅうの古びたお寺の山門に腰かけてその景色の中に身を投じていく…。シアワセなイッシュンでした。なかでもとりわけ好きだったのが北鎌倉にある東慶寺の梅の木だったんです。

2007年1月20日(土)

 もうすぐ梅の花が咲くころになりました。もしかしたらどこかにもうひとつやふたつは咲いているかもしれませんね。じつはぽー先生はこの梅の花がとっても好きなんです。いいですよね、あの甘いかおり…。あのかおりがしてくると「ああ、もうすぐ春がくるんだなあ…」ってシアワセな気持ちになってくるんです。それにあの木や花のすがたかたち…。けっして派手なことはなく、ひかえめで上品なようすがあふれています。
 じつは子どものころぽー先生の家は鎌倉にありました。あの鎌倉幕府のおかれていたところです。古都保存法という法律で守られているため、都会のまんなかにあるっていうのに、まるで山奥の村みたいにミドリがたくさんある町なんです。そしてそのなかにたくさんユイショあるお寺があり、その寺のケイダイなんかに梅の木が花を咲かせている。まわりの景色や歴史とみごとに調和したそんな梅を見ていると、心がとろけてしまいそうなキブンになったものでした。
 そんなゼイタクな環境で子ども時代をすごしたもんですから、いくらさがしてみてもなかなか「これはいい!」と思えるような梅の木にめぐりあえません。どなたかオススメの梅があったら是非ぽー先生に教えてあげてください。よろしくお願いします。

2007年1月19日(金)
よくやったよな

 かげもかたちも何もないところに新しく「業者テスト」を立ち上げるっていうしごとはたしかにタイヘンなことでした。何もかもゼンブ作らなくっちゃいけないからです。まずは「テスト処理プログラムの作成」…、専門家の人と一緒になってけっこうな時間コンピューターと向き合ったものです。それから「テスト問題の作成」…、4学年×5教科というボウダイなテスト問題です。現場の先生たちに分担して原稿を作ってもらいすべて内容を校正して印刷しなくっちゃいけません。それから「会場の手配」…、いくつかの高校や大学にテスト会場としての使用交渉をします。それから「パンフレット作成」や「テレビラジオのCM作成」…。付録につける「情報誌の作成」。テスト監督・採点・点数入力についての「マニュアルの作成」…、200人ほどの職員に加え100人ほどの学生アルバイトにミスなくムダなく動いてもらわなくちゃいけません。また、そんななかさらに「英語のリスニングを入れる」「作文や記述問題を入れる」「答案用紙をちゃんと生徒に返却する」「成績アップの上位者を表彰する」など、今までの業者テストにはなかった「子どもたちの立場に立った新しい内容充実」までジツゲンさせたものですからタイヘンです。今にして思えばホントウに「よくやったよな」って人ごとのようにカンシンしています。

2007年1月18日(木)
新しいテスト会

 啓明館は教場がひとつだけの小さな学習塾ですが、14年前に啓明館をつくる以前は福陵館という、そのころ西日本で一番大きな塾でしごとをしていました。今にして思えば、人間ってそのとき置かれている環境によって、ものの見方や興味の向き方なんかがけっこう左右されるもんなんですね。
 その塾にいたときも、授業もせずにぷらぷらといろんな雑用をしていたぽー先生…。でもそんな雑用のなかに「よくやったよな!」って思えるようなしごともいくつかありました。ひとつは「塾がつくる業者テスト」…。そのころ福岡県にはフクトっていう業者テストがあり、すべての中学生がそのテストを学校で受けていた時代でした。でもそういうことへの批判が強まり日本中で業者テストが廃止されました。
 学校でするのはいけないけど、学校外で自由に受験するテスト会はもちろんオーケーです。ちょうどいいチャンスだから、現場で教えている先生だからこそできる「中身のつまったテスト会をつくろう!」。そう思って始めたのがジャンプアップテストという新しいテスト会でした。いまからもう20年も前のオハナシです…。

2007年1月17日(水)
あぶないテクニック

 身のまわりのちょっとしたことだって何にでも感動できる安あがりなタイプのぽー先生ですが、じつはほかにもいくつか「安あがりのテクニック」をもっています。たとえば「ここは北海道だぞー!」テクニック…。
 かんたんです。ドライブをしながら「ぼくはいま北海道に旅行に来てるんだ!」って思いこむだけのことです。ほんとうはカナダぐらい思ったほうがいいんでしょうが、そこまでの勇気はないから北海道がせいいっぱいです。できればはじめて通るような道にわざと迷いこんで、しかも北海道を思わせる広々とした平原が広がっているようなところならグッド…。ふしぎですね。そんなふうに思ってみるとほんとうにサッカクして旅の気分を味わうことができてしまうんです。とってもオトクな北海道旅行…みなさんもぜひやってみてください。
 安あがりというんじゃないけど「行きながら帰るのテクニック」ってのもあります。どこかに向かって行っているときに、反対にその道を帰っているときの風景を想像しながら行くんです。これはオトクっていうよりもはじめての道をおぼえるのに役立つぐらいのことですけど…。
 さて一歩まちがえるとアブナソウナ話になってしまいましたが、ちょっと見方を変えてみて「ほかの人の立場になって考えてみる」…、これならけっしてアブナイ話なんかじゃあありませんね。

2007年1月16日(火)
カーナビ

 カーナビってありますよね。つける前は「あんなものいるか!」って思ってたけど、つけてみるとけっこう便利で「もうぜったい手放せない!」ってカンジになってしまいました。どこらへんが便利なのかは人によってちがうようですけど、ぽー先生の場合は「自分がいる場所のイチカクニン」ってことが大きいですね。自分がどこにいるのかわからなくなってしまったときにもしカーナビがなかったら…。車を止めて地図を広げ、と同時にそこら辺の地名をさがして地図と見くらべる、で、どうしようもなければ通りがかりの人に道をたずねる…。そんなメンドウが一切いらず画面を見ればすぐにわかっちゃうんですから、こりゃあ便利このうえないことです。もっとも「ここがどこだかわからない」ような所にすぐに行ってしまうぽー先生のほうに問題があるようにも思いますが…。
 カーナビの画面はおもに2つに切りかえられるようです。1つは「いつでも上が北の方向になっているタイプ」、でもう1つは「自分が進んでいる方向にクルクルと画面がかわっていくタイプ」です。このどっちが好きかは人によっていろいろみたいですけどみなさんはどうですか。ちなみにぽー先生は「上が北」じゃあないとダメな人です。人生そのものがハランバンジョウなんだからせめてカーナビの画面ぐらいクルクルせずにドッシリと落ちついといてくれなくっちゃあ…

2007年1月15日(月)
安あがり

 ここのところちょっとドタバタしていたぽー先生でしたが、きのうは久しぶりにゆっくりとした休日をすごすことができました。で…、年をとるとどうも「ゆっくり=温泉」みたいなワンパターンの思いこみがあるようで、オヤクソクどうりに佐賀の古湯温泉に行ってきました。そうです。ぽー先生が好きなアノ佐賀です。どうもぽー先生の頭のなかにはもうひとつ「ゆっくり=佐賀」っていう思いこみもあるようです。
 スタートは糸島、のんびり海を見ながらドライブして「桜花」というおそば屋さんでおそばとだしまき卵を食べたあと、そのまままっすぐに山を越えて古湯に向かいました。とちゅうの山の上のほうでは道の横に雪がつもっていてびっくりしたり、知らないあいだに新しい道路ができていてびっくりしたり、なんでもすぐに感動できる「安あがりの自分の性質」に感謝しながら古湯に到着しました。で、この温泉がまたじつにいいもんで…。まだ昼の3時ぐらいだったから、露天ブロに立ちのぼる湯けむり・キラキラとさしこむ陽のひかり・かきねのむこうに広がる山々、そんな景色のなかに身をおきながらのんびりとお湯につかって帰ってきました。
 なんでもないような身のまわりのなかにも、まだまだたくさんの感動や発見や喜びがぎっしりとつまってるんですよね。ありがたいものです。安あがりバンザイ!

2007年1月13日(土)
考えることの覚悟

 スポーツを一生懸命にがんばっている子はまわりから「さわやかな子」と思われることが多いけど、勉強を一生懸命にがんばっている子はまわりから「がり勉」とか言われたりします。まあ今ごろはそこまでひどいことはあまりないにしても、少なくとも「さわやか」とは思われてはいないようです。
 こんな情けない風潮をつくってしまったのは大人の責任です。「型」や「マニュアル」で育ってきた大人たちは「考える」ということについての覚悟がたりません。心のどこかで「考える」ということをコバカにしていたりメンドウがったりしています。「考える」ことに真正面からとりくむことをさけて、エゴを実現するための道具のようにあつかってきました。そしてその風潮にさからうべき「勉強のトウジシャ」である先生が、さからうどころかむしろ先頭に立って「勉強の道具化」を推し進めたりもしています。
 もっともっと奥のほうのところで「考えること」「勉強すること」が大切な時代になっているんです。で…、かえって子どもたちの方が純粋に「考えることの覚悟」をもってるんじゃないか…、ぽー先生はそう思っています。

2007年1月12日(金)
かわいい教え子

 雑用ガカリで授業をしてなかったから卒業生が来ると淋しい思いをしていたぽー先生ですが、教えはじめて3年たち「自分の教え子」が遊びに来てくれるぐらいの月日がやっと経過しました。
 ついこの前も遊びに来た卒業生がいろんな話しをしてくれました。高校のこと・勉強のこと・部活のこと・将来のこと…。ことばのハシバシから伝わってくる現在のその子、まだ小中学生だったころの思い出の中のその子、いろんなことがからまりあって立体画像のようにその子の姿が浮かびあがってくる…、そんな気がしてなんかココチヨイひとときを過ごさせてもらいました。
 「早く高校は卒業したい!」って言ってました。たしかに先生たちもよく教えてくれるし、友だちもちゃんとしてるんだけど、なんかレールに乗せられて「させられてる」っていうカンジがぬぐえない。早く卒業してスッキリと自分が思うような勉強やその他のチャレンジをしていきたいって…。かわいい教え子ですね。どうかすてきな明日を切り開いていけますように!

2007年1月11日(木)
シンマイ教師

 ぽー先生は啓明館で数学を教えています。でも、実はまだとってもシンマイ教師なんです。それまでは授業もせずにぷらぷらと雑用ばかりをするカカリだったため、本格的に授業をするようになってからやっと3年たったばかりなんです。前につとめていた大手塾のはじめのころに7〜8年ほど授業をしていて、その後15年ぐらいの空白をはさんで、3年前から授業に復帰してるわけですから、ほとんどシンマイと変わりはありません(ムロンほんもののシンマイさんほどのかわいさはないんですが…)。
 ぽー先生は雑用をすることもけっこう好きでした。でもやっぱり子どもたちと接していられる「いま」はすごくシアワセです。実は、雑用ガカリをしているときでも、心の中では授業をしている先生たちをうらやましいと思うこともよくありました。なかでもいちばん淋しかったのは卒業生が遊びにきたとき…。いくらそのへんにゴロゴロしていたオジサンではあっても、やっぱり教えてもらった先生じゃあないわけだから、心のつながりみたいなものはキハクだってことを思い知らされるからです。
 いまのシアワセっていろんなことを通ってきてみてはじめてわかるもんなんですね…。

2007年1月10日(水)
若い人

 とつぜんですが…、ぽー先生はワカツキチナツっていう子が好きです。塾でしごとをしてるからテレビはあんまり見ないけど、ときどき見るテレビにあの子が出ていると、なんとなくいいカンジだなって思ってつい見てしまいます。そんなにかわいいわけでもないし、むしろクイズ番組なんかではアホキャラをやってるような子みたいだけど、彼女のちょっとした行動や発言のなかに、どことなく知性というかかしこさのようなものを感じてしまうんです。ぽー先生の思いすごしかもしれませんけど…。
 若い人っていいですね。やっぱり「いまの時代を生きてる!」ってカンジがします。いまの時代の智恵をもってるんですよね。それが大人になればなるほど、自分のわくにしがみついて「いま」というより「むかし」に生きてしまう。ぽー先生もそうならないようにつねに「今という時」を生きようと思っってますけど、これがなかなかできないむずかしいことなんです。だから少しでも若い人のカガヤキにシンクロできるオヤジであり続けたい…、そう思っているところです…。ファイト!

2007年1月9日(火)
トウジシャの先生

 このごろマスコミでは教育がらみのニュースがやたらと多いですね。学校でなにか問題がおきると必ず先生がやりだまにあがり、なんでもかんでも先生の責任ということになり、気の弱そうな先生がテレビに出てきてシドロモドロになりながら弁解をくりかえす…。なんだかかわいそうで見ていられません。
 教育の問題っていうのはすべての人が興味をもっていることです。みんなむかしは生徒として学校に通ってたことがあるんだし、自分の子どもや孫がいま学校に行っていたり、しごとのなかで若い人の教育をしなくちゃいけないとか…。ほとんどの人が教育についてはなにかしら言いたいことをもっているんじゃないでしょうか。だからそんななかでトウジシャである先生たちっていうのはたしかにタイヘンです。
 でも先生たちには負けずにがんばってほしいですね。みんなが口を出したとしてもトウジシャはやっぱり先生しかいないんですから…。信念をもって日々の指導にたずさわってほしいと思います。で、信念っていうのは「ことばのガンコ」とはちがうってことを忘れずに…。

2007年1月6日(土)
イカサマみたいな計算

 さすがにこんなにさしせまった時期になっても必死になっていない受験生はほとんどいません。でもこれが半年ぐらい前だと、まだまだ本気になれない中3の子どもたちもけっこういたものです。そんなときぽー先生は、あるイジワルな計算を彼らに言うことにしています。
 今から入試までは6ヶ月だから180日間ありますね。さて君たちがこれから毎日3時間ずつ家庭学習をするとしましょう。全部で3×180ですから540時間勉強することになります。5教科あるからそれを5でわりましょう。そうです。108時間です。ちなみに1日は24時間ですから、108÷24=4.5…。わかりますか。君たちがあと入試までの半年間で、数学1教科にかけられる勉強時間はたったの「4日半」しかないんですよ。ユメユメ「あと半年もあるさ」などとトボケタ考えをしないように…。
 なんだかイカサマみたいに聞こえますが、アンガイこれって正しい計算じゃないかと思ってるんです。時間ってたくさんあるようだけど、すぎてみればけっこう短いもんですからね…。子どもたちに勉強させるのにあの手この手で…。ぽー先生たちもけっこうタイヘンなんです。

2007年1月5日(金)
もういくつ寝ると…

 もうひとつ「数える」つながりのことなんですが、たとえば「1月5日から1月29日までは全部で何日あるでしょうか」みたいなことって、日ごろけっこう必要になる問題ですよね。こんなとき皆さんだったらどんなふうに答えを出しますか。えっ、ゆびおり数えるって…、もちろんけっこうです。カラダをはったすばらしいやり方なんですから…。
 でもあえて式を使って計算するとしたらどうでしょう。わかりやすいやり方としたら「29−4=25」がオススメです。いつでも1日からのスタートと考えて、29日まではもちろん29日間、前日の4日までが4日間だから、29−4で答えをもとめるってなぐあいです。どうですか。こんな単純なことのなかにもアンガイ「なるほど」って思えることがひそんでいるもんですよね。
 さあ「もういくつ寝ると…」のお正月もあっという間に過ぎ去りそうです。受験生にとってのお正月は「合格発表」の日…。「もういくつ寝るとオメデトウ!」を夢見ながら、みんながんばってほしいですね。

2007年1月4日(木)
ユカちゃん

 「○月○日」から「○日目」というように呼び方ひとつ変えただけで、ずいぶんと人の考えってのは進んでいくもんなんですね。だからぽー先生も子どもたちによくいろんな名前を聞くことにしています。「先生、この図形の体積はどうやって求めるんですか?」「そうか、じゃあその前にその図形の名前を言ってごらんよ」「えっ、名前ですか…」「これはね、横向きにはなってるけど四角すいなんだよ」「ああ…そう言われてみれば…」
 「あなただって新しいお友だちができたときに、いつまでも『この子、この子…』って言ってたら、仲良くなったカンジがしないでしょう。ちゃんと『ユカちゃん』とか名前で呼んであげたらシタシミがわく。数学だっておんなじなんですよ」。「ふーん。なんだかわかったようでわからない話だけど、とりあえずわかりました」。 
 まあ、ユカちゃんはともかくとして、名前をつけることや、その名前のつけかたひとつにけっこう大切な考え方がかくされているってことはタシカなことではあるようです。

2007年1月3日(水)
かぞえる

 「1月1日が月曜日のうるう年に火曜日は何日ありますか」。この問題をどう考えていいものやらわからない子は、みなオクノテに走っていました。そうです。ずーっと数えていくっていうあのカラダをはったやり方です。1月2日が火曜日だから次は9日・16日・23日・30日、えーと次は…。タイヘンですね。でもこのやり方っていうのはそれほどばかにしたものでもありません。月のかわりめがむずかしかったり、ひとつひとつ何番目かということをちゃんとメモしながら進まないと途中でこんがらがっちゃうなどけっこうアタマを使うからです。「数える」っていう作業はけっしてアナドルことはできないんです。
 そんなことをいろいろとやっているうちに、「○月○日」という呼び方から「○日目」という呼び方に変えればいいんだということや、同じ曜日は7つおきにやってくるんだということなんかをだんだん見つけてくればしめたもんなんですよね。でも人間のアタマっていうのは自然とそんな方向に向かっていくようにできてるようで、あとはぽー先生が軽く背中をひとおししてあげればそれでいいみたいです。

2007年1月1日(月)
手をグー

 高校入試の問題にこんなのがありました。「1月1日が月曜日であるうるう年に火曜日は何日ありますか」。さあどうですか。みなさんも考えてみてください…。こんなのは小学生のほうがかえってできたりするんですけど、高校入試なんかにはあんがいこんなパターンがないもんですから、中3のみんなはシクハックして考えていました。
 366÷7=52あまり2で、そのあまりのなかに火曜日が1日入っているから全部で53日っていうのが正解です。いかがでしたか。で…、これを考えている子どもたちのようすを見ていたら、けっこうビックリすることが次々と見つかりました。まず、うるう年というものを知らない、一年が365日だということを知らない、うるう年は366日だということを知らない、ついでに31日ある月が1・3・5・7・8・10・12月だということを知らない…。なんていう子がけっこういたんです。
 彼らが常識的に知っているのにぽー先生が知らないってことももちろんいっぱいあるんですけど…。うーん…。グーにした手ででっぱりとへっこみを使って、1月から順にそれぞれが何日あるかを思わず教えてしまいました。
 さてさて2007年のスタートです。始まりってなんだかワクワクしますね。遅くなりましたが「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」。

2006年12月30日(土)
お休みしてしまいました

 冬期講座に入っても「ぽれぽれ日記」だけはゼッタイに毎日書こうって思ってたんですよ…。でもやっぱりダメでした。すみません。4日間ほどお休みしてしまいました。朝の9:00ぐらいから夜の10:00ぐらいまでずっと子どもたちに勉強を教え続けているわけですから、さすがに日記までは手がまわりませんでした。
 それにしてもホントウに子どもたちはよく勉強します。中3の受験生がするのはあたりまえだけど、中2も中1も小学生もみんなしっかりと気持ちをこめて勉強しています。彼らの気持ちがこちらにも伝わってくるから、ぽー先生もシアワセな思いで子どもたちに勉強を教えることができるんです。ちまたでは、このごろの子どもたちのこととか、勉強のこととか教育のこととか、受験のこととか塾のこととか、みんな言いたいホウダイに無責任なことばかり言ってますけど、こんなに純粋な気持ちでまじめに勉強している子どもたちがたくさんいるってことをぜひ知ってほしいですよね。
 さて、2006年も残すところあと2日…。リッパに年をとれるよう、今から大急ぎでぽー先生の気持ちも年末年始バージョンにきりかえていこうと思います。

2006年12月25日(月)
ちゃんとした反対
 「反対」っていうことはけっして悪いことだけじゃあないとぽー先生は考えています。−10と+10のふたつで20の財産になるんだということを前の日記に書きましたが、人間は反対のことがあってはじめて「−と+の両方がのっかっている土台」に気づくことになるからです。そうやって人間は歩を進めてきました。
 大切なのはその反対のしかたです。表面的なことばだけをとらえてなんでもかんでも反対するっていう「反対のための反対」がぽー先生にはどうも…。こういうのってみかけはとても正しいことを言ってるふうに見えても、よくよく考えてみればその人のエゴや感情がおもになっていることってけっこう多いからです。
 ことばをこえたもっと大きなところでものを考えたうえで、しかたなくほかの何かとぶつかってしまうことはもちろんあっていいんです。だからそういうときは「あなたのこっちのことについては反対だけど、そっちのことについては賛成です」っていうふうに、ちゃんとした反対のしかたができているもんじゃあないかなってぽー先生は思っています。
2006年12月23日(土)
こんなばかげたことやめちゃったら!

 学生運動っていっても、ぽー先生のしたことは火炎びんや鉄パイプじゃあありません。みんなが反対していることっていったいなんなのか…、ほんとうの中身をきちんと知りたかったもんですから、何人かの学生運動のリーダーたち、それに何人かの大学の先生たちに、そのことについての話を聞きにいったんです。そしてそこで聞いた話を1冊の冊子にまとめて印刷してみんなに配りました。
 親のすねをかじって勉強している身分だというのに、えらそうなことばかり言ってる学生たち…。しかもあろうことか先生たちにつめよって「キサマたちが…」みたいなことを言っている彼らを見て、ポー先生は同じ学生としてどうしてもナットクできなかったんです。じじつそれぞれの話を聞いてみれば、「こまったもんだ」と思いながらもあくまでも学生たちへの教育を考えて行動している先生たちに対し、自分たちのことしか見えていないくせにチョウシにのって行動している学生たちの姿が見えてくるばかりでした。
 学生運動のソウクツのような寮のなかで、「もうこんなばかげたことやめちゃったら!」などというオソロシイせりふをはいてしまったぽー先生。一年で寮をやめたから良かったけど、あのままいたら命がなくなっていたかもしれません。くわばらくわばら…。

2006年12月22日(金)
学生運動

 ぽー先生が大学生のころは学生運動が花ざかりでした。何も考えずにぼーっとしていると「あいつはノンポリだ。けしからん!」って言われるぐらい、みんなにマンエンしていました。しかもぽー先生は寮に入ってたからなおさらです。だってそのころの寮っていうのは、それこそ学生運動のたまり場だったからです。革マルだの中革だの民青だのと、10種類ぐらいあるハバツの、しかもリーダーみたいな人たちがすべてそろっているというオソロシイところでした。このオソロシイっていうのはけっして大げさな話じゃあないんです。じじつハバツどうしでの争いも多く、どこそこのアジトに火炎びんが投げこまれたとか、鉄パイプをもってシュウゲキされたとか、そんな事件がひんぱんにおこっていたほどです。
 安保反対、エンプラ反対、電水料反対…。とにかく学生運動っていうのはなんでも反対なんです。じつをいうとぽー先生がもっともキライな人はむかしから「反対しかできない人」だったんですが…。とにかくそんなぽー先生が、そんな寮に入ってしまったんだからタイヘンです。さてそこで…、ぽー先生も学生運動を始めることになりました。えっ、何に反対したのかって? それは「学生運動反対!」です…。

2006年12月21日(木)
千円の月謝

 来年は国立大学の授業料の基準額がとりあえずは値上げされないというニュースが流れていました。ぽー先生の2人の子どもたちもいま大学に通っているサイチュウなのでひとごとじゃあありません。
 それはそうと、ぽー先生が大学に行ってたころの国立大学の授業料っていくらだか知ってますか。なんと月に千円だったんです。一年分でも1万2千円。すごいですよね。もっともこれはぽー先生が現役で合格してたらのことなんですが…。現役では別の大学に行って、その後そこをやめて浪人してから入りなおしたため、その2年のブランクで3倍にも値上がりしてしまったんです。とほほ…。て言っても3千円ですけどね…。
 もうひとつビックリのおはなしですが、寮費はナント月に百円だったんです。食事代が別に6千円ぐらい。つまり月に9千円あればちゃんとくらしていけたんです。ちなみにそのころの奨学金が月に1万8千円だから、家に仕送りをしている友だちだっていたぐらいです。ホント学生さんには天国のような時代だったんですね。ちゃんと勉強しなきゃあバチがあたります。ぽー先生ですか。もちろんバチなんかあたりません。…のはずです。

2006年12月20日(水)
自由とはmayではなくcanである

 エンタの神様で「自由のブルース」を歌う芸人ぐらいしか、ここのところトンと「自由」ということばを耳にすることがなくなってきました。もちろんまったく聞かないということではなく、しっかりと存在感のある使われ方が少なくなってきているということです。
 ぽー先生が子どものころは、今よりももっと重い意味で「自由」ということばが使われていたように思います。いつごろからこうなったのかはわかりませんが、もう今ではわざわざそんなことを口にする必要がないくらい、世の中が自由になっているっていうことなんでしょう。むしろ「もう自由はけっこう!」ぐらいのところなのかもしれません。
 ぽー少年の中学1年のときの担任はアンジェロデポンパ先生でした。アンジェロとは天使の意味ですから「デポンパ天使」という名前の、オソロシイ顔をしたアメリカ人の男の先生です。顔はこわかったけどとてもやさしい先生でした。で、先生の言われたことで今でもしっかりとおぼえている名言をご紹介しましょう。それは「自由とはmayではなくcanである!」です。mayとは「〜をしてもいい」、canとは「〜をすることができる」。さすがに自由の本場アメリカの先生です。子ども心にほんとうになるほどなとカンシンさせられました。

2006年12月19日(火)
キビシクヤサシク

 子どもの教育はキビシクするべきかヤサシクするべきか…。っていうギロンがときどきあります。でも、こんなギロンなんかどっちだっていいんです。「ことばがのっかっている土台」がしっかりしていた時代には、たしかにそんなユウチョウなことを言っていられました。たとえどんなにキビシクしたって、その足りない分はちゃんと土台がおぎなってくれていたから…。
 いまは…キビシクもヤサシクもどっちだってできなきゃあいけないんです。キビシクするためにはほんとうのやさしさが自分のなかになくっちゃいけないし…。ヤサシクするためにはほんとうのきびしさが自分のなかになくっちゃいけないし…。むかしだったら社会のなかにあった土台だけど、いまは土台もいっしょに自分でもっとかなくっちゃいけない時代です…。そしてこの2つをいっしょにメッセージしなくちゃあいけない…。だから右か左かみたいなそんなことじゃなく、「なにを」「いつ」「どういうふうに」キビシクあるいはヤサシクするのか、そんなことをしっかりとみきわめることが大切なんだってぽー先生はつねづね考えています。

2006年12月18日(月)
ことばをこえたナニモノカ

 前の日記に書きましたが、毎日のぽー先生のしごとのなかで大きな割合をしめているのは、「いま子どもたちがどういう状況なのかをみきわめる」ってことです。啓明館での成績、学校での成績、教えた内容、会話したこと、その日のようす、入退室の時間…、いろんなことを記録しながら、子どもたちの前日の状況をひとりひとりについて考えていきます。
 そんなふうに考えていくと、その日その日によってちょこっとずつ変化している子どもたちのことが何となくわかる気がするんです。で、このぽー先生の見立てはけっこうあたっていることが多いと自分では思っています。
 そして次に、自分が考えたことを実際に「決断」や「行動」として子どもたちに指導していきたい…。もちろんそう思うのですが、よほどのことがないかぎりそういう気持ちはいったん心のなかにしまっておきます。たしかにイッショウケンメイ考えた結論ではあります。でもしょせんたかが自分が考えたことばなんです…。あとはまた子どもたちとの出会いのなかでイッシュンの判断として行動すればいいんじゃないか…。ミョウなシナリオを準備しなくってもいい。セイイッパイことばを使って考えて、あとはことばをこえたナニモノカにげたをあずけて行動すればいい。そう思うのです。

2006年12月16日(土)
クウチュウフユウ

 動物も植物も、自然のなかで生きるものはみな大地に根ざして生きています。もちろん人間だってそうです。でも「考える」という力を手にした人間は、足をバタバタさせているうちにだんだんクウチュウフユウする生きものになりました。ただ考えてるだけならまだしも、考えてたくさんの便利な道具をつくりだし、その道具が身のまわりにあふれて、あたかも大地のかわりであるかのようにぼくたちの生活を支えるほどになってきました。高山質店のコマーシャルのように「この差がウレシイ!」なんて言っていられないほど、けっこう高いところでフワフワしているのかもしれません。
 もちろん「考えることをやめる」ってことは得策じゃあありません。それどころか今まで以上にもっともっと考えなくっちゃあいけません。考えることの大切さをしっかりと認識し、こんどは「じょうずに考える」ってことを身につけていくべき時代なんだと思います。
 じょうずに考えるポイントはいくつかありますが、まず第一は「たかが人間の考えごときを大地だなどと思いちがいをしない」ってことでしょう。イジになって右とか左とか言わなくていい。右も左もあっていい。もっといえば右と左がいっしょにあっていい。なかなかできない芸当ですけどね…。(−1.01)…、うまいこと言ったもんです。

2006年12月15日(金)
ケンちゃんカレー事件

 校長のニコデモピサルスキー先生に「体操部をつくってください!」とジキソして一年、ぽー少年が中学2年生になったときついに正式な部活として認められることになりました。新しくもらった生徒手帳にはサンゼンと「体操部」の文字が輝いていました。そのときのカンゲキは今でも忘れられません。
 その年の夏、体操部の部員12人は、「夏の合宿」とショウして山中湖にキャンプに行くことになりました。「ケンちゃんカレー事件」はそのときおこったのです…。キャンプ2日目、みんなで昼ごはんのカレーをつくりグルリと輪になって食べようとしたそのとき、むこうのほうからおおぜいの子どもたちの声が聞こえてきました。どうやら幼稚園の遠足のようです。するとそのなかの1人の子がイチモクサンにこっちに向かってダッシュしてくるではありませんか。とちゅうにある小さないけがきをまわりこみ、こちらのエリアに入ってくるやいなや、ズボンとパンツをおろしカワイラシイおしりをぷりっとこちらにむけてしゃがみこみました。そうです。○○○です。小さな彼のアタマのなかには、仲間からかくれようというイシキはあっても、目の前で(いやおしりの前で)カレーを食べているオニイチャンたちのことはどうやら入ってなかったようです。その後「ケンちゃーん…」とさがしながらやってきた彼の仲間たち、おしりをだしたままのケンちゃん、カレースプーンをにぎったままのオニイチャンたち、静かな山中湖畔にさらなる静寂のときが流れたのでした。

2006年12月14日(木)
天使

 今日も宗教つながりのお話です。あんまり話したことはないけど、子どもたちに話してあげるととってもウケルお話があります。それは…「じつはぽー先生は天使だった!」っていうお話です。ほんとうなんです。
 小学5年生のころでした。学校からの帰り道、まだとってもカワイラシかったぽー少年は逗子駅にむかってひとりでトボトボと歩いていました。ところがふと足もとを見てみると、道路にうつった自分のカゲの頭の上にキラキラと輝く「天使の輪」があるではありませんか。びっくりしました。何か良くないものを見てしまったような、すごくこわい気持ちになり、イチモクサンに走り出しました。「走ったらきっとなくなるよ。なんか別のものがうつってるにちがいないんだから…」。でもいくら走ってもなくなりません。キラキラと輝いたままずっとついてくるんです。記憶はここまでしかありません。でもこのときのことは今でもはっきりとおぼえています。
 「先生、ただのハゲだったんじゃあないんですか!」。笑いころげながらこんなことを言います。ひどい子どもたちです。人のスウコウな経験をなんと思っているんでしょうか。もっとも「トド」とも呼ばれるこのカラダで「天使」ってのはちょっと…。でもほんとうなんです。

2006年12月13日(水)
(−1.01)

 お経とか教会とか、ぽー先生の日記にはときどき宗教の話が入っています。でも、ぽー先生はどの宗教もとくに「信じてる」っていう気持ちはありません。ただ考えるだけならいいんですけど…。
 そんなぽー先生ですが、高校生のときの日記にこんなことを書いていました。「神は(−1.01)なんだ!」です。まったくもって、高校生のときからこんなカワイゲのないことばかり考えてたのかと思うとちょっとなんですが…。でもこの言ってることって、高校生のニイチャンにしてみたら「けっこうやるじゃん!」ってほめてあげたい気もするんです。ちょっと説明すると、この n には、1から順に2,3,4,5,6、…と、無限に大きな数までものすごいスピードで入れていきます。だからその答えは0をはさんで右へ左へとすばやく行ったりきたりします。しかもだんだんその幅は大きくなっていくんです。そんな状態が神というものなんじゃあないかと、どうやらぽーニイチャンは考えていたようです。なんていうか…コイバナのひとつもないようなツマンナイ青春をおくっていたんでしょうねえ…。

2006年12月12日(火)
何とか言ったらどうなんだ!

 自分と相手の「ことばがのっかっている土台」が同じだと思えたときに、ことばはイキイキとしてカツヤクし始めます。また自分自身の「ことばがのっかっている土台」がしっかりしていると思えたときもそうです。
 だからことばの強さっていうのはひとつのバロメーターです。でもほんとうに大切なことはオモテムキの「ことば」じゃあなく、ことばにはできないような「土台」のほうなんだとぽー先生は思います。そうは思っていても、ついつい表面的なことばにふりまわされてしまうことも多いんですけど…。ことばだけを強くして強圧的になってみたり、ことばのテクニックばかりに走ってシラジラシくなってしまったり、逆にことばを失って何もできなくなってみたり…。いろいろです。
 「何とか言ったらどうなんだ!」、大人はときどきこんなことを子どもに言うけれど、子どもが何も言えなくなるっていうのは、子どもが悪いばかりじゃあなく、「この人とはおんなじ土台じゃあない」って感じてるってこともけっこうあるんじゃないかと思います。

2006年12月11日(月)
サレジオ中学

 ぽー先生の中学校は東京の目黒にありました。カトリックの中高一貫校でサレジオ中学っていいます。敷地内にはステンドグラスがとってもきれいな教会がありました。松田聖子などたくさんの有名人が結婚式をあげたほどきれいでした。たぶん東京のなかでも1・2をあらそうほどだったんではないでしょうか。
 そんな学校だから、ぽー先生はたくさんの外国人の先生から勉強を教わりました。ニコデモピサルスキー、ガエタノコンプリ、アンジェロデポンパ、リチャードスミス、ルイジダルフィオール、カルロスキエザ、ロロピアナ…、習った先生たちの名前です。
 ふだん先生たちは子どもたちと日本語で会話をします。もちろんじょうずに会話をすることができるんですけど、その話し方はどうしてもタドタドシイ感じをまわりに与えてしまい、まわりも何となくアドケナイようなカワイイような印象をもってしまうものでした。でもある日、ぽー先生はひとつの発見をしたのです。それは、先生どうしが英語やイタリア語で話をしているときの顔が、ふだん見せたことのないようなとてもリリシイ表情をしていることに気づいたんです。「ことば」と「ことばがのっかっている土台」のこと、子どもごころにそんなことを考えさせられたんじゃあないでしょうか。

2006年12月9日(土)
じんむすいぜいあんねい

 「じんむすいぜいあんねいいとくこうしょうこうあんこうれいこうげんかいかすじんすいにんけいこうせいむちゅうあい…」。これなんだかわかりますか。このままずっと続くと最後は「…めいじたいしょうしょうわ」で終わりです。そうです。歴代の天皇の名前…、全部で126人います。なにを考えてたのか知りませんけど、ある日とつぜん「天皇の名前を全部おぼえてやるぞ!」って思いつき、1週間ぐらいかけてすべて暗記しました。ぽー先生が中学生のときのオハナシです。どうやらむかしからけっこうなアホだったようです。
 でもこの1週間の努力のおかげで、この先ずいぶんと助けられることになりました。だって歴史の話がすごくわかりやすくなったんです。日本の歴史ってたいがい天皇がからむことが多いですよね。だからなにを勉強してもつながりがよくわかるからスーッと頭に入ってくるんです。
 「いくらでも情報が手に入る時代だから、アンキなんかするよりシラベカタのほうが大切だ」ってのが今の教科書なんでしょうけど、そんな時代だからこそ反対に「しっかりと頭のなかに入れておく」ってことが大切なんだと思います。

2006年12月8日(金)
いらんオセッカイ

 ゼノンおじさんの言い分はこうです。「飛んでるとちゅうを考えてみい。どこのイッシュンだって動いているイッシュンなんかがあるわけなかろうが。イッシュンはぜったいに止まってるにきまっとる。じゃから矢はいちども動いてはいない…。どうじゃまいったか。わっはっはっはっ…」。
 話はトツゼン変わりますが、テレビでどこかの学校の先生がこんなことを言ってました。「私たちのしごとっていうのは、20年・30年たったときにその子がどれだけすばらしい大人になっているかってことなんですよ!」。うーん…。そりゃあもちろんそうなんでしょうけど…。なんかいらんオセッカイなような…。
 考える・決断する・行動する・評価する、どれもそのベースにはことばがあります。でもそのことばは不完全なものです。だからことばにはことさらふりまわされないようにする。そのためには「今というイッシュン」こそ大切にする。イッシュンのつみ重ねがあってはじめて矢はマトにあたるんだって、ぽー先生はそんなふうに考えています。やっぱりゼノンおじさんと同じひねくれものなんでしょうか。

2006年12月7日(木)
こまりもののゼノンおじさん

 ずっとむかしのギリシャの時代に、ゼノンというひねくれもののおじさんがいました。この人はまわりの人たちにいつもヘンなことを問いかけてはこまらせるという、まるでぽー先生みたいな人だったんです。このおじさんには「4つの逆説」という有名なお話があります。ようするに「4つのヘンなこまらせバナシ」ってことです。
 1つは「アキレスとカメ」…。アキレスは足が速くカメは足が遅い。ある日アキレスが前のほうを歩いているカメを、「おーいカメくん、待ってくれよー!」と言いながら追いかけることになるんですが、このゼノンおじさんは「アキレスはカメには追いつけない!」なんてことを言いだしたんです。これにはさすがにまわりの人も「そんなバカな!」って言ったんですが、おじさんはこう言いました。「カメがもといたところにアキレスがついたときカメはもっと前に行ってるだろう。そして次にそこに行ったときはもっと前に行ってる。その次もその次もずっとちょこっとずつ前に行ってるんだから、追いつけるわけないんじゃよ。わっはっはっは!」って…。ヘンなおじさんです。
 もう1つご紹介しましょう。いまだれかが弓をひいて矢を飛ばしました。矢はものすごい勢いで飛んでいって、さきのほうにあるマトにどすんと当たりました。さてここで、「この矢はいちども動いてはないんじゃよ。わっはっはっは!」。…こまったおじさんです。

2006年12月6日(水)
アルバイト

 ぽー先生は子どものころとても貧しい生活をしていました(今も…でした)。のんだくれの父親が給料をまったくもってこないので、母が洋裁のウデひとつで家をささえていました。ある日そんな母が「いま子どもの教育をしっかりしないととんでもない子に育ってしまう」と思いたち、いきなり子どもを私立学校に転校させたのです。小学4年生のことでした。母はすごいですね。必死ではたらき、とうとう高校を卒業するまで私立に通わせてしまったんです。きっとダンガイゼッペキから飛び降りるような覚悟だったんじゃあないかと思います。
 中学に入学してすぐに、そんな我が家の状況をごぞんじだった先生が、ある日青木少年を呼び出しました。「青木君、今日から卒業するまでアルバイトをしてくれないか。毎日送ってくるこの『中学生新聞』を掲示板にはるしごとだ。たのんだぞ!」。ほんとうにありがたいことでした。そんなどうでもいいようなしごとをわざわざつくってくださったんですから。それで、夏休みの臨海学校の費用を出していただいたり、制服をちょうだいしたり…。でもぽー先生もがんばりました。ただでさえ片道2時間近くかかるというのに、だれよりも一番早く学校に行かなくちゃいけないから、毎朝5時45分に家を出るという生活が3年間つづきました。
 ほんとうに人間って、いろんな人からささえれれて生きているんだと思います。

2006年12月5日(火)
ことばがのっかっている土台

 前回のことば科は「ロボットのことば」でした。福岡大学の森元先生においでいただき、みんなで音声認識の実験をしました。どういう実験かというと…。先生がもってきた機械のマイクに向かって子どもたちがひとりひとり短い文を話します。それを機械が聞きとって画面に文字としてうつしだす。大きなスクリーンにすぐにうつされるので、みんなで一緒にそれを見て笑ったりカンシンしたり…っていうものです。たとえば「こんにちは、私は勉強の嫌いな小学生です」って言ったら、「をにじまばレジャー面でのに7重秀です」ってうつされるといったぐあいです。
 ぽー先生は「こんなにでたらめにしか聞きとれないんですか」って森元先生にたずねました。「そうですね。まだまだむずかしいです。でもこれが、たとえば『病院のなかでの話』のように場面をかぎってしまうと、けっこうきれいに聞きとれるようになるんですよ」とのことでした。なるほど、スーパーの場面にかぎってしまえば「ぼくは魚だ」の意味もなんとなくわかる。そういうことなんですよね。
 「ことばがのっかっている土台」と「ことばそのもの」とのこと…、まだいろいろと考えることがありそうです。

2006年12月4日(月)
能楽

 おととい啓明館では「ことば科」の授業がありました。今回のテーマは「能楽とことば」。あまり身近じゃないテーマだからどうなるのかなとちょっと心配だったけど、たくさんの子どもたちが参加してくれて、楽しく元気いっぱいのことば科になりました。
 それにしてもすばらしい授業でしたよ。能楽師の鷹尾維教さんにおいでいただき、みんなのすぐ目の前で演じていただいたり、わかりやすく教えていただいたり…。ぽー先生も最高にぜいたくな90分間をマンキツさせてもらいました。
 「みんな、右手の親指をこうやって内側にまげてごらん」…「そうそう。その右手だけを使って泣いているようすをやってみてごらん。ただし顔の表情は変えないように…」。みんながいろんなことをしてみたあと、鷹尾さんがお手本を見せてくれました。すごいですね。ほんとうに悲しそうなようすがみんなにも伝わってくるんです。また遠くのほうを見ているしぐさを演じれば、ほんとうに遠くの景色まで見えてくるような…。600年以上もの伝統に加え、なんどもなんども修行して身につけた「型」の重み…。たったひとつのしぐさが見ている人の心を無限に広げていくんですね。すごい!

2006年12月2日(土)
男はだまってサッポロビール

 「男はだまってサッポロビール!」、むかしこんなコマーシャルがありました。ビールはともかくとして…、男子たるものペラペラとおしゃべりなどせずに、ペラペラとこんな日記も書くことなく、だまってもくもくとただひたすら行動せよ!ってこと…。ちゃんとするべきことさえしていれば、いつかはきっとみんなもわかってくれるし、たとえみんながわかってくれなくたってオテントウサマがきっとわかってくれる、ってことです。
 むかしはこれでも良かったんです。でもいまはそういうわけにはいきません。だまってて誤解が生まれたらずっとそのままになってしまうし、自分はそれでもいいかもしれないけど、まわりの人にえらいメイワクをかけることになってしまうからです。
 大人たちが育った時代は、ことばがいらないほど世の中が安定していました。だからある意味で「決断する」こともまだしやすかったんです。いろんなことをキッパリと決断し、テキパキと行動していく…。そんな姿はだれが見てもかっこいい。それはいまの時代だってもちろんそうです。でもいまはもうひとつつけくわえてほしいとぽー先生は思っています。「キッパリと決断しない」っていうかっこよさを…。

2006年12月1日(金)
スペシウム光線

 テレビ「ウルトラマン」の実相寺監督がなくなりました。ウルトラマンのシリーズは1人じゃなくいろんな人たちが監督をしていたそうですが、この実相寺氏はそのなかの1人でした。実はこの方ちょっと変わっていたようです。たとえば…。隊員たちがみんなでカレーライスを食べていたときに、あわててウルトラマンに変身しなくちゃいけない場面では、変身用のライトのかわりにまちがってカレーのスプーンでしようとしてみたり…。いつも強いヒーローのはずのウルトラマンがときどきはちょっと弱気な面を見せてみたり…。
 ちょっとオチャメでかわりだねの監督のエピソードはたくさんあるようですが、なかでもぽー先生がいちばん心をひかれたこと、それは…。ウルトラマン最後の必殺技であるスペシウム光線を一度も使わなかったということです。すごいですね。これを聞いてあらためて実相寺監督のファンになってしまいました。
 もしかしたら話はだいぶちがっているかもしれませんが、きのうの日記で言った「決断力」…。実はぽー先生がいちばん大切だと思っていることは「決断をしないという決断力」なんです。

2006年11月30日(木)
決断力

 シアワセなことに、ぽー先生はいままでたくさんのオモシロイ人たちと知り合いになりました。やってることも考えてることもみなさまざまな人たちだったけど、自分がしていることに一生懸命な人は、みな共通して決断力にすぐれているってことを強く感じました。大きなことを決める決断もあれば、何げない会話のなかで見られるちょっとした場面での決断もあります。
 さて、明日からは12月。啓明館の中3の子どもたちにとっては入試がもうすぐそこまで近づいています。今まで15年の人生のなかでも小さな決断はたくさんあったと思いますが、たぶん多くの子どもたちにとって初めてとなる大きな決断のときを迎えています。
 ぽー先生はこの「入試」がけっこう好きです。だって子どもたちの決断の思いが伝わってくるからです。どこの高校に行くとかの結果のことじゃあなく、毎日の小さな場面ひとつひとつでの小さな決断力…。それこそ知りあってきたオモシロイ大人たちと同じようなニオイ、何かを背負って決断しようとしている人間のニオイが子どもたちから生まれてくるんです。これってとってもワクワクするようなシアワセなことなんです。

2006年11月29日(水)
考えることをじょうずにする

 原始人のむかしから、人間は考えて自分がすることを決めてきました。本能としてはおなかがすいてるはずなのに、「ここで食べてしまったら体重が…」って考えてあえて食べなかったり…。大むかしからずっとそうだけど、とくに今の時代は、考えなくっちゃならないことの「広さ」と「深さ」がどんどん大きくふくらんでいってます。だからなおさらのこと「考えることをじょうずにする」ってことが大切になります。実はこれって、今の時代の教育にとっても重大なキーワードなんです。
 手についた大腸キンぐらいなら、せっけんをつけてきれいに洗い流してしまえばいい。それがほかの人について迷惑をかけるかどうかまで心配しなくっていい。でももし鳥インフルエンザのキンだったら、勝手に洗い流してすませるわけにはいかず、しかるべきところに届け出て飼ってる鳥を殺さなくちゃならなかったりもします。いろんなことを区別して考えるための知識と気配りがいる。何をするにも考えることが必要な時代なんです。

2006年11月28日(火)
きれいはうすめてばらまく

 温泉に入って身体をきれいに洗い流したらとっても気持ちがいいですね。でもこの「きれいにする」ってのはどういう行為なんでしょうか。身体についたよごれやバイキンなんかを「とりあえず自分のまわりから追いはらう」、「もっと広い世界にうすめてばらまいてしまう」ってことなんですよね。こんなに言ってしまうとちょっとドキッとします。なんだかすごく身勝手で自分さえ良ければいいみたいなカンジです。
 まあそんなややこしいこと言わなくたって、手や身体を洗い流したらきれいさっぱり気持ちよくなるんだからそれでいいんじゃ…。流したあとのバイキンは、どうせ広い世界でうすまってしまうんだし、自分がバイキンをねだやしにすることまで考えなくたって、あとは自然の力がどうにかしてくれるだろうし、不幸にも次にそのバイキンを受け取ってしまった人がまた考えればいい…。あらがいがたい大きなものへの畏敬心、そんな考えがぼくたち日本人の奥のほうにはきっとあるんじゃないかと思います。良くも悪くも…。
 さて、きたないゴミを自分のまわりから追いはらって山奥に捨ててくる人、鳥インフルエンザのバイキンはうすめてばらまいてもいいんだろうか…、いろいろ考えることもありそうです…。

2006年11月27日(月)
プナオラ

 プナオラって知ってますか。えっ、ならべかえたら「オナラ・プ」って…。ちがいます! ホークスタウンにある温泉のこと、ちょうど1年ぐらい前にオープンした施設です。ぽー先生とそのオクさんご一行はきのうそこにはじめて行ってきました。実はこの2人、びっくりするぐらいのコウキシンマンタン夫婦でして、目の前をパトカーが通ればすぐに追いかける、なんかおもしろそうなものを見かけたらすぐにのぞきに行く、どこかに新しい道路ができたらわざわざ通りに行く、もちろん新しい施設のオープンにはすぐにかけつける、ってなぐあいで要するにオチョウシモノなんです。
 それがこのプナオラだけは、なんとなく高そうだし入りにくそうに思って一度も行くことなく、不覚にもオープン1年目にしてはじめてきのう行ってきたってなわけです。レストランでご飯を食べ、おフロには何回も入り、岩盤浴もし、あがったら自分専用のリクライニングシートに寝ころがってそれぞれ備えつけのテレビを見…。ゴロゴロしながらなんと7時間ものあいだ居座ってしまったんです。でもとっても極楽でした。ホントいいですよね、いまの時代って…。ささやかだけど、身のまわりに楽しいことやシアワセなことがたくさんころがってるんですからね…。えっ、九重の夢大つり橋ですか、もちろんもう行きましたよ。

2006年11月25日(土)
体操部

 ぽー先生が小学校6年生のときに東京オリンピックがありました。ちょうど家庭にはテレビが普及し始めたころで、それこそ日本中が選手たちの活躍にわきかえりました。なかでもぽー先生の場合は体操が好きでした。小野とか遠藤とか、たしか体操が一番たくさんメダルを取ったんじゃなかったかと思います。
 実は小学校3年生のときに、ぽー先生はとつぜん鉄棒にめざめました。それまではとても苦手だったのですが、ある日鉄棒の上で友だちにつき落とされてしかたなくクルッとまわってしまい、どうもそれからコツをつかんだらしく、その日いらい鉄棒が苦手から得意に変身してしまったのです。人間なにがあるかわからないものですね。
 東京オリンピックのコーフンそのままに、「ゼッタイに体操部に入るぞ!」という強い信念で中学校に入学したのですが、残念なことに体操部はありませんでした。が、そこで引き下がらないのがぽー先生。入学するとすぐに、校長のニコデモピサルスキー先生に「体操部をつくってください!」とジキソしに行ったのでした。なんともズーズーしいガキんちょですね…。

2006年11月24日(金)
さて、そして今…

 ぽー先生が子どものころぐらいまでは、まだ「でっちぼうこう」なんてことが普通に行われてました。「番頭はんと丁稚どん」なんていう人気テレビ番組があったぐらいですから…。どういうしごとの分野であっても、りくつで考えるよりもまずその社会の中に入って下働きから修行する。その社会のしきたりをことばではなく身をもって学んでいくっていうやり方です。これはしごとだけではなく、家庭でも地域社会でもすべて同じようなもので、「型」というか「ことばにできないそのもの」が重視されていた時代でした。「情景描写の般若心経」と通じるところかもしれません。
 その後、機械化・情報化が進むなかで、その型をことばで分析して「システム」や「マニュアル」をつくって大きくふくらませていく時代になりました。数学的なことば、「ものを写すことばの機能」が重視され、理系の学生がもてはやされました。見た目はたしかに成長したのですが、ふと立ち止まって考えてみると、骨組みばかりで中身はスカスカっていうむなしさもあったかもしれません。
 さて、そして今…。

2006年11月22日(水)
おやくそく

 「おやくそく」っていう言い方があります。みんながそうするんじゃないかなと思っていることを、まわりの期待どおりにするときなんかに使いますよね。実はぽー先生はこの言い方がなんとなく好きなんです。自分じゃああんまり使ったことはないけど、人が言うのを聞いてると「いいな」ってカンジです。若い人もけっこう使ってるようだけど、いったいいつごろから使われだしたんでしょうかね。たしかマンガ「タッチ」の中でいっぺん使われてたんじゃないかと記憶してるんですけどどうでしょう。
 すべてのことを考えなくちゃいけない時代になっています。昔のように「マニュアル」があったり、そのもう少し昔のように「型」があったりすることのない時代です。思いやりのような心の部分にだって考えが必要な時代なんです。そしていろんなことをたくさんたくさん考えたあげく、さも何も考えなかったような顔をして、みんなが期待しているとおりのことをごく自然に行動できる…。今の時代に必要な、日本人がもっている大切な遺伝子かなって思うんですけど、「おやくそく」からそこまで言うのはちょっと大げさすぎるでしょうか。 

2006年11月21日(火)
もうひとつの般若心経

 般若心経ってお経があるのを知ってますか。般若経っていうものすごく長いお経の一番大切なところだけをぬきだしたとっても短いお経です。有名な「色即是空」なんかもこの中に入っています。実はこれとは別に「もうひとつの般若心経」があるんです。チベットにサンスクリット語で伝わるもので、多分まだ日本語には翻訳されていないから誰も知らないと思います。いま翻訳されていないと言いましたが、実はぽー先生が大学時代に翻訳はしました。
 お経ってのはだいたいの場合、まず説法の行われる場面の描写があり、その中で説法が始まり、最後にそれを聞いていたみんなが「これはすばらしい!いいことを聞いた」と感嘆して幕をとじるというストーリーになっているのですが、みんなが知っている般若心経は「説法の中身の大切なところ」を、ぽー先生が翻訳した般若心経は「最初と最後の場面描写だけ」を、それぞれまとめたものなんです。
 おもしろいなと思いませんか。大切なところは何かと聞かれたときに、ある人は中身のエキスだけをとりだそうとし、またある人はその情景描写だけをとりだそうとするんですね。
 ちなみに…、お経の話をしてはいるけど、ぽー先生は仏教徒じゃあないし、ましてやお坊さんでもありません。ちょっとハゲてますけど…。

2006年11月20日(月)
力強い賢さ

 子どもたちにこんなことを聞いてみます。「車に乗っていて信号の渋滞にひっかかりました。もう30分もかかってやっと信号の手前まで進んできました。すると自分の前に横の細い道から1台の車が入ろうとしてきました。あなたなら入れてあげますか、入れてあげませんか」。「もちろん入れてあげますよ。ちゃんと人には親切にしてあげなきゃあ」。「わたしは入れないよ。だってずっと待ってたんだもん」。子どもたちの意見はいろいろです。
 情報化・機械化が進み、1人の人間がかかわる量の大きさがどんどん増えています。目の前の光景、バックミラーに写る光景、バックミラーにも写らないような光景…、さまざまなことを考えながら自分の行動を決めなくちゃいけません。この場合も何が正しいことなのかはわかりません。ただひとつはっきりしているのは「入れてあげない人のことを冷たい人だ!」ってきめつけちゃあいけないってことです。
 「頭を使って一生懸命に考えること」「考えた答えがまちがっているかもしれないといつも思っていること」、この2つがそろってこそ力強い賢さなんだってぽー先生は考えています。

2006年11月18日(土)
逆のメッセージ

 学校ではテストの順番をはっきりとは教えてくれません。中学校ではそれでも「50番から60番くらいかな?」ぐらいはわかるようになってるけれど、小学校なんかではさっぱりです。学期のさいごにもらう通知表ぐらいしか情報はないけど、あれじゃあなんにもわかりません。啓明館にはいろんな小学校の子どもたちがいるから、みんなの通知表を見せてもらってくらべてみても、こちらのテストの成績との関係はみなバラバラです。
 だからお母さんお父さんたちは本当にこまっています。成績がわからないから手のうちようがなく、「そんなに悪くなさそうだからまあいいか」って思って中学に行くと、思いもよらぬ成績がトツゼンにやってきて「ガーン!」とショックを受ける。こんなことってけっこう多いようです。
 「テストの成績だけがすべてじゃない!」「競争なんかしなさんな!」っていうおもわくなんでしょうけど、隠そうとすればするほど逆に「テストの成績や競争はすごくだいじなんだよ!」っていう強いメッセージを発してしまっていることに早く気づいてもらいたいですね。ことばってその内容以上にその考え方を伝えてしまうもんなんです。

2006年11月17日(金)
ひねくれすぎかな

 「ぼくは魚だ」ってことを前の日記に書きました。スーパーで晩ごはんの買い物をしている夫婦の会話です。その場面を説明されてないといったい何のことだかわかりませんよね。でもこれを逆に考えると、もしじょうずにことばを使うことができるなら、「ぼくは魚だ」っていうことからスーパーの情景を思い浮かべさせることだってできそうです。これは「古池やかわず飛び込む水の音」の世界ですね。
 数学のことばはダイレクトにその中身だけを伝えるものです。でもぼくたちが日ごろ使っている普通のことばは、ことばが伝える中身そのものだけでなく、そのときの情景やそのことばを発している人の考え方や立場なんかもいっしょに伝えることができるし、またいっしょに伝えてしまってもいる…。ってことなんです。
 ぽー先生もよく子どもたちに言うんですけど、「がんばれよ!」って…。「はぁい!あれっ、でもわたしってがんばってないのかな…?」。……これはちょっとひねくれすぎでしょうか。

2006年11月16日(木)
あばたはあばた

 恋と愛のちがいってなんでしょうね。イキナリですけど…。
 恋ってのは「あばたもえくぼ」です。好きあった2人ならば、たとえオナラの音だってここちよいクラリネットの音色に聞こえるもんです。いいですよね、そんなころって…。それじゃあ愛は…。それは「あばたはあばた」ってことです。いいんですよ、別に…。クラリネットに聞こえなくたって…。オナラはオナラでけっこう!。くさくったっていいんです。
 ぽー先生たちは、子どもたちに恋する必要はありません。でもいつも愛していようと思っています。子どもたちはいつもいつもかわいいばかりじゃないですよ。ときにはコンチクショーって思うことだってあるし、なんでこんなことをするんだろうと悩んでしまうことだっていっぱいある。きっとお互いにそうでしょうね。でもそれでいいんじゃないですか。いろんなマイナスをかかえていても今こうして一緒にいられるってことは、きっとそれをこえるような大きなプラスがあるってことの愛と信頼のあかしでもあるんですよ。

2006年11月15日(水)
先生のしごとば

 先生のしごとばっていうのは、自分自身を成長させようと思ったらけっこうむずかしいとこなんじゃないかと思います。大学でたてのほかほかのときからすでに「先生」などと呼ばれてちやほやされ、やってるしごとの中身は何がいいのか悪いのかよくわからないもんだからまわりからつっこまれることもあまりなく、ほかの誰かと争って食うか食われるかというようなキビシイ現実に向きあうこともなく、相手が子どもだから少々手ぬきしたってばれることもなく、毎年新しい子どもたちが入ってくるもんだからいつも同じことばっかりしてたってかまわないし、いったい自分が何をしたことで毎月給料をもらっているのかの実感ももってなかったり…。一歩まちがえるとまったく成長することなく年ばかりくっていく先生だって多いんじゃないでしょうか。
 だから自分勝手なシナリオをつくってついつい子どもたちに押しつけてしまったりもします。いつもがんばってつくり続けている新しいものならまだしも、それが何十年も前からの使いふるしのシナリオだったりしたら、子どもはたまったもんじゃあありません。

2006年11月14日(火)
さすが天下のNHK

 5年前のことになりますが、ある日NHKから電話がかかってきました。啓明館っておもしろそうだから夕方の「おっしょい福岡」っていう番組で特集を組んで放送させてほしいとのこと…。「いいですよ」って答えて、さっそく担当の方との打ち合わせが始まりました。
 で、これはさすがに天下のNHK…、その打ち合わせの中身のこさっていったらたいしたもんなんです。こちらのことを何から何までしっかり調べあげ、そのうえで番組のベストなシナリオを組み立てる。そしてこちらの発言のひとつひとつの意味まで徹底的に議論して、ナットクいくものができるまで修正して検討を重ねていく。また実際の取材も啓明館でしたり長崎まで同行してもらったり、何回も何回も行われました。「そうか、こうやってNHKのいい番組は生まれていくんだな…」って妙に感心させられたものでした。
 民間のFMラジオ放送と、天下のNHKの特集番組…。前もってスジガキをこしらえて準備しておくことって、はたしていいことなんでしょうか悪いことなんでしょうか。はてさて…。

2006年11月13日(月)
あとは野となれ山となれ

 ぽー先生はハナシベタです。だから毎週ラジオに出演していたことはけっこうつらいことでもありました。自分がヘタクソだってわかっているから、どうにかしなきゃいけないって思っていろいろと準備をする。こんなことを話そう、あんなことも話そう、相手がこういうふうに聞いてきたらこうやって答えよう、なんていうシナリオをあれこれと考えます。でも、こういう準備ってすればするほど、もっとドロヌマにはまりこんでいくもんなんですよね。ソツなくしゃべろうとすればするほど、そればかりに気をとられて相手の話も耳に入らなくなってしまう。で、けっきょく何だかすごくまとはずれでトンチンカンな話しの流れになってしまうんです。
 しばらくそんな失敗を重ねたあと、ぽー先生はあるひとつの結論にたどりつきました。それは「もう準備なんかやーめた!」ってことです。話したいポイントだけ決めておいたら、もうあとは野となれ山となれってつもりでスタジオに入る。とうぜん相手との打ち合わせもできてないんですから、曲がかかっているほんの少しの時間にカフをさげてちょこっとすりあわせる。ほとんどイイカゲンなやり方です。でも、これがやってみるとけっこういいカンジなんです。

2006年11月11日(土)
自然数

 「先生、自然数ってなんですか?」。「自然数ってのは、1・2・3・4・5…っていうふうな数のことだよ」。「ふーん。じゃあ、0は自然数には入らないんですか?」。自然数ってのはその名のとおり自然な数のことだからね。ほら、指折りかぞえられる数ってことなんだよ。たとえばさあ、原始人のおっちゃんでも使ってたかどうかって考えてみたらいいよ…。おっちゃんが狩りから帰ってきたとき「今日のえものは3匹だったよ」って言うのはわかるけど、「今日のえものは0匹だったぜ!」っていうのはなんかヘンだよね。
 数学の勉強は、身のまわりのごく自然なことから始まって、あんまり身のまわりにはなさそうなごく不自然なことに向かって進んでいくものです。だからそのステップが上がっていくたびに、そのとき使われる計算をしっかり練習して身につけていく。そして身につけたアイテムを窓口にして、そのオクソコにあるフシギでおもしろい世界をのぞきにいく。手塚治さんはそんな
世界をみんなに見せてくれたってことなんでしょうね。

2006年11月10日(金)
鉄腕アトム

 なかよくさせていただいているマンガ家の方のお話です。ずいぶん前の話ですが、あるイベント会場で、その人は手塚治さんといっしょにステージに立ったことがありました。たくさんのお客さんが見ているなかで、かべにはった大きな紙にマンガを描くというだしものがあり、その人と手塚さんはマジックをもって描き始めました。手塚さんは当然のように鉄腕アトムのイラストを描き始めたのですが、となりで描いていたその人がふと横を見ると、どうも手塚さんの足がふるえているらしいことに気づいたそうです。なんとなく気になりながら、イベント終了後の夜のウチアゲのときその人は手塚さんにそのことを聞いてみました。すると、たしかに足がふるえていたことを手塚さん本人がうちあけられたということでした。
 言われてみればそうですよね。手塚治なら鉄腕アトムはなんでも描けそうに思ってしまうけど、いつも描きなれているペンと原稿用紙じゃなく、かべにはった大きな紙にマジックで、しかもたくさんのお客さんの前でってのは、いくらなんでもそりゃあ全然ちがうシロモノだってことなんですよね。

2006年11月9日(木)
たかが計算されど…

 「うちの子は計算はまだいいんですけど、文章題がどうも苦手でこまっています」。お母さんの声です。ほんとうに文章題ってのはメンドクサイですよね。ぽー先生だってキライですよ。その点、計算ってのは気楽でいいもんです。いっぺんわかってしまえばそれほど頭を悩ませることもなくスラスラと解いていけますからね。たくさん○がつけば達成感もありますし…。
 数学ってのは語学のようなものです。ことばを知らなければどんなにむずかしい文章を書こうと思っても書けないように、計算ができなければどんなにむずかしい文章題だって解けっこないんです。5−2のことをたし算だって考えることのように、ちょっとした計算の中にも「理にかなった考え方」とか「すばやくやるやり方」とかおもしろいことがたくさんあるわけですから、たかが計算ってバカにすることなんかできません。
 ペラペラと自由にお話ができるようになるのと同じように、スラスラと問題が解けるようになるには、計算の練習をしっかりとすることがまずは大きな一歩なんじゃないでしょうか。その練習がけっこう不足しになりがちなのが、小学校と中学校のはざまにある分数なんです。

2006年11月8日(水)
5は3の何倍?

 ぽー先生がよく子どもたちに問いかけることのひとつに次のようなものがあります。「6は3の何倍だか知ってるかな?」。「2倍にきまってるじゃあないですか」。子どもはすかさず答えを言います。あきらかに「この人なにをくだらないこと聞いてんだ」って顔です。「じゃあ、5は3の何倍だか知ってるかい?」。こう聞かれたときに、あんがい予想以上にたくさんの子がすぐには答えられないんです。頭の中でがんばって筆算しているようです。「5÷3=1.6666…、えええっ、これってなんて答えるんだろう?」。「なにやってんの。答えは3分の5倍だろう」。ちょっとキョトンとして「ああ…、分数で答えてよかったんですか?」…。
 何倍をあらわす数のことを「割合」っていいます。小学校の5年生で習います。割合は数学ではとっても大切なことがらで、もちろん分数をつかって答えていいんです。でも分数の計算をすべて習うのは6年生の終わりごろですから、5年生で習うときはまだ分数ではやっていないんです。割合だけじゃなくいろんな単元で「分数をつかってもう一度しっかり復習する」ことを6年生の最後にやったかやらなかったか、これってけっこう中学での数学のできぐあいに関係しているようです。

2006年11月7日(火)
大手塾

 啓明館は、福岡市の早良区荒江というところにあるとてもちっぽけな塾です。平成5年からですから、設立して13年がたちました。それ以前の15年間、啓明館の先生たちは、今はもう存在していない別の大手塾にいました。九州はもちろん大阪以西の西日本では1位、全国でも20位以内に入るほどの大きな規模の塾でした。今から30年近く前、0からスタートしてみんなでそこまで大きく育てていった中心メンバーだったんです。オーナーのやり方にどうしてもついていけなかったこと、大きくなればなるほど中身がうすくなっていく先生たち…、ぎりぎりまでがんばったけどもうどうしようもできない状況でその塾を去り、啓明館を設立しました。そして次の年、その塾は別の大手塾に買収されて消滅しました。
 人間っていろんなことがあります。ぼくたち啓明館の氷山の下のほうには、そんな歴史もあるってことをお話しました。。いつまでたっても答えはわからないし、うまいやり方も見つからないけど、これからもずっと一生懸命になって子どもたちに勉強を教えていこうと思います。

2006年11月6日(月)
ぼくは魚だ

 前の日記で、ラジオにおいでいただいたゲストの方たちの「ことばの強さ」のことを言いました。それはもちろん「声が大きい」とかそんなことじゃあありません。「トークのテクニック」ってのも少しはありますがそればっかりでもないようです。ことばに強さを与えている一番の要素は、そのことばを生み出している「その人自身の生き方」なんじゃないでしょうか。
 「ぼくは魚だ」、これって何のことだかわかりますか。この前のことば科「ロボットのことば」に講師でおいでいただいた福岡大学の森元先生のお話です。晩ごはんの買い物をしにスーパーに来た夫婦の会話で…、「あなた、今日は何が食べたいですか」「ぼくは魚だ」。これならわかりますよね。
 バブル以前に生まれ育った大人たちは、みんな同じような風景や価値観の中で生きてきたから、「こんなことは言わなくたってわかっているだろう」というふうに、ことばというものに対してちょっとだけあぐらをかいているところがあるかもしれません。ことばっていうのはその下に深く大きくうずもれている氷山のほんの一角なんです。

2006年11月4日(土)
ストーカー

 「14時間っていったい何のしごとがあるんですか」…。夕方からの6時間は子どもたちがやってくる時間です。だからこの時間帯は子どもたちとふれあうことに集中します。雑用はしません。塾は学校とちがい子どもたちとふれあう時間がとても短いですから、少しでもこちらの心をとぎすまして子どもたちと接しないと…。
 それ以外の時間でいろんな雑用をします。みんなで分担してのしごとです。会社としての普通のしごともあれば、授業の準備、保護者との連絡、いろんな計画とその実行…、雑用って実にたくさんあるものです。
 その中で、先生によって大切にしているしごとの種類が多少ちがいますが、ぽー先生の場合は「子どもたちの今の状況をつかむ」ことが一番大切なことになります。100人ほどの生徒の一人ひとりを思いだしながら、きのう、「だれが勉強しに来たのか」「何を教えたのか」「何を話したのか」「成績はどうだったのか」「いつ来ていつ帰ったのか」…、そういうすべてをパソコンに入力して整理します。これって一歩まちがえればストーカーみたいなもんですが、こういうことを毎日していないと、日々変化している子どもたちをつかむことも、心ををとぎすまして接することもぽー先生はできないんです。

2006年11月2日(木)
14時間

 「先生、日記書いて遊んでばかりないで、ちゃんとしごとしなきゃ!」。啓明館の生徒は、先生のしごとにまで気をつかってくれるカワイイ子どもたちです。でも心配ごむよう!
 学校のことですが、「学校5日制」って「生徒のゆとり」のためというよりむしろ「先生のゆとり」のためからスタートしました。そのころ働きすぎの日本人に対して欧米からの批判が強くなり、それじゃあということで「みんなこれからは週に40時間しか働いちゃいけないよ!」っていう国からの指導が始まったからなんです。一日8時間で5日だから40時間っていう計算です。
 ところでぽー先生の一日の労働時間は…。ナント14時間です。そのあいだ休憩はほとんどなく集中しっぱなし。「塾5日制」なんてシャレたものはないから土曜日も同じ。夏冬春休みはなくむしろもっとハード。これはぽー先生だけじゃなく啓明館の先生はみんな同じです。つらいなんて思ったことはないですよ。たぶん家族もそう思っているはずです。でなけりゃこのペースで30年近くも続けることなんかできっこありません。子どもたちとふれあえるしごとを自由にすることができるなんてこんなにシアワセなことはないんです。

2006年11月1日(水)
わからない勇気

 だれだってみんな「わかった」と「わからない」のくり返しのなかで生きています。一人の人間としてもそうだし、人類全体の歴史としてもそうです。そしてこの「わかった」というのは、2つの機能のちがいはあるにせよ基本的には「ことばでわかった」ということです。悟りをひらいた宗教家のように、まれに「ことばをこえたところでわかる」人もいるにはいるんでしょうが、ぼくたち一般人にはとてもできない芸当です。
 団塊の世代の定年がいま話題です。この世代が支えてきたバブル以前の日本も「わかった」の時代でした。だからわかりやすい形で成長をとげました。ことばのウエイトが大きくなり、マニュアルやルールが世の中にはんらんしました。
 受験勉強もわかったの勉強です。部活もわかったの指導です。わかりやすいからこそちょっと見には説得力があり、みんなかんたんにそっちに向いてしまいます。それはそれでいいんです。でも「わからないことをわからないと言える勇気」をあわせて持ってこそはじめて、「ほんとうのわかった」になるんじゃないかなと、ぽー先生は考えています。

2006年10月31日(火)
楽じゃないですよ

 「さっそくももあげこぎ法をやってみたけど、ぜんぜん楽なんかじゃなかったですよ」。……そうですよね。だいたい自転車をこぐってのは、ペダルを下げるときに力が入るんであって、上にあげるときをいくらがんばったってねえ…。そんな意見だってもちろんありです。
 一人ひとりみんな筋肉のつきかたがちがうし、乗っている自転車がちがうし、通る道がちがいます。すべてに通用する法則なんてものはもともとありっこないんです。ぽー先生自身だって、いまはももあげこぎ法がいいと思っているけど、半年もすればもっといいやつを発見しているかもしれません。イチローだって松井だってどんなにいい成績を残した年でも、毎年少しずつバッティングフォームを変えてるんだし、お母さんたちだってときどきダイエット方法を変えてみたり…。何だかよくわからないなかで、「あっ!これだ!」って思えることを見つけだす。で、やってみて、またさらによいものをめざして進んでいく。人間ってこれでいいんですよね。

2006年10月30日(月)
ももあげこぎ法

 ぽー先生はこのごろ自転車で通勤しています。片道で15分ぐらいですから、若い人たちからすればチャンチャラおかしいキョリなんですが、すっかり車になれてしまっているこんなオジサンにはけっこうきついことではあるのです。でも、近ごろはやりのメタボ君にならないよう、しっかりがんばろうと思っているところです。いまのところ…。
 でもおかげで、いままで気づかなかったいろんなことを発見しています。たとえばペダルのこぎかた…。「どうやったら楽してこげるんだろう」とつねづね考えているぽー先生は、ついにひとつの法則を発見してしまったのです。じゃあああ-ん。それは「ももあげこぎ法」です。ふつう一生懸命にこごうとすると、どうしてもペダルを下げるときにふんばって力をいれがちです。だけどそうじゃなくて反対に、ペダルをあげるときに「ももを上げる」ということに意識をおいてみたんです。するとけっこう楽にこぐことができるんです。どうですか、みなさんも一度やってみませんか。

2006年10月28日(土)
ええええ…!

 いまから6年前のこと、当時、そのちょっと前までKBCの「ドォーモ」という番組のメーンパーソナリティーをしていた深町さんがとつぜん啓明館にやってこられて、「こんど百道浜に新しいFMラジオ局をつくるから、火曜日の教育コーナーの担当としてぜひ出演していただけないでしょうか」とのことでした。「ええええ…! こんなにハナシベタのぽー先生がジョウダンじゃあない!」って思いながら、「どなたかゲストを紹介することぐらいはできるかもしれないけど、自分がするってのはちょっと…」と言ってもじもじしていたのですが、けっきょくすることになってしまい、気がつくと6年間もやってしまったんです。
 でも本当にいろんなことが勉強になりました。毎週さまざまなゲストに出演依頼して、一緒にスタジオに行くというパターンで、ディレクターまがいのことまでやっていたんですが、どんな分野の方でも、その道のオーソリティーの人の「ことばの強さ」には感心させられっぱなしでした。そして何より、ことばだけで人に何かを伝えることのむずかしさを身をもって感じさせられた6年でした。

2006年10月27日(金)
はなしべた

 ことばだけで人に何かを伝えるってことは本当に大変なことです。ぽー先生は、このことがけっこう苦手でこまっています。数学のように「ものを写す」方はまだいいんですが、「こころを写す」機能になるとどうもうまくいきません。特にたくさんの人の前で話すなんてことになると、キンチョウしてしまってことばが見つからなくなってしまうんです。だからじょうずに話ができる人を見ると、つくづくうらやましいなあって思います。
 でもそんなぽー先生が、実はついこの前まで6年もの間、毎週ラジオのパーソナリティーをしていたなんてこと信じられますか。あとのほうではだんだん時間がけずられて30分になってしまったけど、はじめのほうはナント120分番組だったんですよ。いまKBCのアサデスという番組に出演されているトコさんと3年間ほどご一緒させていただき、そのあとはいろんな人と組んで合計300回以上も出演してしまったんです。こんなハナシベタのぽー先生がとんでもないことだと自分でもつくづく感心しています。人間ってやればできるんです。

2006年10月26日(木)
1枚のイラスト

 中学生になると算数から数学に変わります。数学になってはじめて図形を教えるとき、ぽー先生はよくこんな話を子どもたちにすることにしています。「いいかい。今から紙を配るから、その紙に先生が言うとおりのことを書いてごらん。ただし質問はいっさいしないこと。いいね!」。「はぁい!」。「じゃあいくよ。まず四角を書いてください」。「先生、どんな四角ですか?」。「質問はなし!」。「その四角の右上から左下に向かって線を1本書いてください。…。その線のさきに星をひとつ書いてください。…。次に四角の右下に家をひとつ書いて…その横に人をひとり書いてください。…。どうですか、できましたか」
 みんなは何のことやら首をかしげています。となりどうしの人とおたがいに見くらべてみても、それぞれが書いている絵はバラバラですから、さらに何のことやらサッパリわかりません。「先生、これ何ですか?」。「先生がみんなに書いてもらいたかったのはこの絵なんです」。そう言ってぽー先生は1枚の絵をみんなに見せます。その絵には、家の横に立って流れ星を見ている人のイラストが書かれています。
 そしてぽー先生は最後にこう言います。「今からみんなが勉強する数学の図形では、こういうことになってはいけません」。

2006年10月25日(水)
「わかった」&「わからない」

 ぽー先生が子どものころはまだテレビがありませんでした。だから小さいころからよくラジオを聞いていたものです。まだ小学校にあがるかあがらないかのころ、今でもよく覚えているのは「赤銅鈴之助」や「一丁目一番地」「名犬コロ」なんかです。こんなタイトルを言っても、もう知らない人の方が多いんでしょうけど…。50年前ですからね…。
 50年たった今、ちまたにはテレビをはじめ映像があふれています。たしかに映像はいいですよね。どんなに長ったらしい説明をするより「ひとめ」見ればすぐにわかるわけですから…。でも、わかりやすければわかりやすいほど、「わかったと思わない」ことです。ユリゲラーのように、映像の「編集」や「カメラアングル」までぼくたちがどうこうできるわけじゃあないですから。
 1枚の図形にひそむドラマを見つける数学。そんな「わかるためのあくなきチャレンジ」と「わかってなんかないんだの謙虚さ」。2つセットになってはじめて意味のある人間の智恵なんだと思います。

2006年10月24日(火)
図形のドラマ

 ひとつの図形の中にはドラマがあります。子どもたちにはここらへんのことをわかってほしいと思っています。だから、図形を書くときはただヤミクモに書くんじゃなく、まず図形の中にひそんでいるドラマのシナリオを見つけだすこと。そしてその流れにそってリズミカルに書いていくことなんです。
 はじめに与えられた条件からスタートしたら、そのことが次の線分の向きや角度を決め、さらにその長さが決まり、そしてそこに生まれる三角形の形や大きさを決めていく、ってなぐあいです。問題で問われている長さ・角・面積などには、それを決めている原因や流れが必ずあるはずだから、そこんところをしっかり見lきわめて、「このポイントさえなんとか料理してしまえばきっと解けるはずだ!」って思って問題を考えていくんです。そうすればきっと道が開けていきます。こういうことって、数学だけじゃなく、日ごろの生活の中でもよくあることだと思いませんか。

2006年10月23日(月)
いやな先生

 「先生、この問題を教えてください」、受験生である中3の子どもからの図形の質問です。「いいよ、どこ?」「これです」「ちゃんと問題は読んだの?」「はい読みました」。ここで、ぽー先生はトツゼンこんな行動に出ることにしています。子どもが持ってきたプリントをとりあげ、かわりにまっ白な紙を渡します。そして、「ここにその図形を書いてごらん」って…。いきなりの展開に子どもはオロオロします。いやな先生ですね。
 「ええー!先生、もう一度問題を見せてください。お願いします」「しょうがないなあ。1分だけだよ…」。そう言って1分だけ見せます。そしてまたとりあげて、図形を書かせます。そうするとこんどはちゃんと書くことができました。「なあんだ、ちゃんと書けたじゃないか。よしよし。じゃああとはその中に、わかっている長さや角度なんかを書いてったらいいよ」。子どもはていねいに書きこんでいきます。全部書きこみが終了すると、こんどは子どもがトツゼンこんなことを言うんです。「あっ、先生、わかりました!」おもしろいですね。

2006年10月21日(土)
ぽー

 今日は、ぽー先生の名前の由来をお話します。
 ぽー先生のほんとうの名前は青木博です。それがなんで「ぽー先生」なんでしょうか。実は以前、ぽー先生は、授業中によけいなことを言ってしまったんです。「先生の名前は青木博だけど、これを中国語で読んだらなんて読むか知ってるかい?」「知りません」。もちろん知ってるはずなどありません。そこで、調子にのって、「じゃあ教えてあげよう」、「青はチン」「木はムー」「博はポー」です。
 これがけっこう受けまして…。女子なんかは恥ずかしがって、みんなからシカトされるんじゃないかと思ってましたが、ところがドッコイ、楽しそうに大きな声をはりあげて、この3つの単語を続けて言うのです。いやはや…。
 続けて言われると、なかなか困ったことなんですが、最後の「ぽー」だけならカワイイかんじだし「まあいいか」ってなところです。

2006年10月20日(金)
超能力

 もう30年ぐらい前のこと、ユリゲラーという超能力者がいました。このごろのCMに登場して、スプーンをひょいと曲げてみせるあの人です。そんな彼が日本に来てテレビで言ったことは、「日本のミナサン、ワタシは今から一ヶ月後に、自分の国から日本のミナサンにパワーを送ります。そのパワーで、動かなくなったミナサンの時計を動かしてみせましょう。だからその日は、動かない時計を持って、テレビの前で待っていてください。オネガイシマス!」、そう言って母国に帰っていきました。そしていよいよ当日、テレビでは特番が組まれ、母国でパワーを送る彼の姿がうつし出されました。すると、どうでしょう。スタジオの50台ぐらいの電話がいっせいに鳴り始め、オペレーターのお姉さんたちはテンテコマイになってしまいました。「ぼくの時計が動いた!」という電話がたくさんかかってきたのです。
 さて、ここで計算です。日本中のテレビがかりに4000万台、視聴率が30%として1200万台、そのうち時計を持ってきた人が400万人。スタジオに電話をかけてきた人が200人とすると、はたしてその割合は…。そうです。なんと0.005%なんですよ。たったこれだけの割合だというのに、それがスタジオというひとつの場所に集められ、その光景をテレビの画面で見せつけられれば、だれだって「うわー!すげえなあ!」ってことになりますよね。

2006年10月19日(木)
マスコミ

 福岡の中学生の自殺事件のニュースが、このところ連日のようにマスコミに登場しています。自殺した本人も家族も、残されたクラスメートや先生たちも、みんなにとってつらい話ですね。
 話がずれるかもしれませんが、なんで日ごろから、先生たちがしている「いいこと」をマスコミはもっととりあげていなかったんでしょうか。それがとても残念です。マスコミがしていることはいつでも「文句ばっかり」です。「真実を報道しよう」とは思っているのでしょうが、「9:1の1ばかり」を報道することはけっして真実ではありません。プラス・マイナスの両方をほんとうの意味で財産にするてだてを真剣に考えてほしいですね。そうでなければ、今回のようなアヤマチが前向きな形で生かされてはいかないでしょう。先生たちだって生身の人間ですから、このままいくと教育現場はどんどんどんどん萎縮してしまい、ほんとうに悪い循環がたちきれなくなってしまいそうです。
 教育の荒廃をさけぶマスコミが、実は一番良くない「教育」をテレビを使って大量に流している、そんな気がします。で、ぽー先生のようなこんな意見は「ゼッタイにマスコミには登場しない」ってところが、これがまた歯がゆいところなんです。

2006年10月18日(水)
アとンはなかよし

 「(+10)たす(−10)は20です」。ぽー先生はときどきこんなことを言います。数学の先生にあるまじきオカシな計算です。でもいいんです。人間の目線から見て「いいこと」がプラスで「いやなこと」がマイナスだとしたとき、そのマイナスにどう立ち向かうのか。それってけっこう大切なことだと思いませんか。マイナスをやっきになって消そうとしてもしょせんゼロどまりです。でも「両方ともゲット!」って思えば、いっぺんに20の財産が生まれるわけです。
 「はじめのア」と「おわりのン」。ことばを分類整理し、そのはじめとおわりをならべることで分類したすべてを表す、これは洋の東西をとわず人間が考えてきたことです。でもそのあとさらに続けて、この「アウン」に「呼吸」をくっつけて「アウンの呼吸」などと言ってしまう。分類したまっさかさまのものをこんどは一転して「なかよし」にしてしまうんです。よくよく考えると、これはホントウに味わいのあるやり方です。こんなことばを生み出せる日本人ってステキな民族だと思いませんか。で、この手法は、実は今の時代の世界中の人たちにとってすごく大切なものなんじゃないかと、ぽー先生はにらんでいるところなんです。

2006年10月17日(火)
アーメンとオーン

 「アーメン」って知ってますよね。キリスト教の祈りのさいごに言うやつです。では「オーン」はどうですか。これは仏教のお経に出てくるジュモンのさいごに言うやつで、サンスクリット語です。どっちも何の意味だかよくわからないことばです。でも、きのう言ったように、サンスクリット語のオーという母音が強まるとアーウになることから、オーンはアーウンまたはアーウムンという音に分解されると考えられます。アーメンとアーウムン、なんだか似てるなって思いませんか。
 それから神社にあるこまいぬや仁王像、ひとつは口を大きく開いていて、もうひとつは口を閉じています。それぞれ「ア」と「ン」って言ってるんです。つまり2つそろってアウンです。2人の息がぴったりそろっていることを「アウンの呼吸」なんていいますよね。
 ことばの「はじめのア」と「おわりのン」。むかしから人間たちは、「ことば」の中に何かえたいのしれないものがひそんでいる、そんなことを思っていたのかもしれませんね。

2006年10月16日(月)
五十音表

 ぼくたちがいま使っている数字は、もともとインドからやってきたんだということを前の日記に書きました。でもそれだけじゃなく、ぼくたちが使っている日本語の五十音表も実はインドからのものなんですよ。しかも、インドのサンスクリット語ではさらに機能的に分類されているんです。
 サンスクリット語の母音は、ア・イ・ウ・エー・オーです。それを強めるとアー・イー・ウー・アーイ・アーウになります。また子音については、その子音が口の中のどの部分で発声されるかによってグループごとに分類されます。くちびるの音はパ・バ・マの行、歯の音はタ・ダ・ナの行、のどの音はカ・ガ・ンガの行、あごの音はチャ・ジャ・ニャの行、ってなぐあいです。
 考えてみれば、まだ歯もはえておらず、じょうずな発音ができない赤ちゃんなんかは、ママとかパパとかまんまとかブーブーとか、くちびるの音ばかりを使っているんですよね。なるほどって思いませんか。こんなことを何千年も前から分類整理しているなんて、ほんとうにインドってフシギな国です。

2006年10月14日(土)
盲腸

 今日も野球の話です。今日はみんながうらやましくなるような話をひとつします。実は、ぽー先生は王監督といっしょにお酒を飲んだことがあるんです。そうです。あの、王監督とですよ。
 知り合いといっしょに4人で、場所は西新のとある焼き鳥屋さん。ここは監督の行きつけのお店です。今から5年前ぐらいのちょうど今ごろのことです。監督が盲腸の手術を東京でして福岡に帰って来られたちょうどその日でした。かざらない監督の好みらしく、テーブル席がいくつかとカウンターしかないような、とってもせまい焼き鳥屋さんでした。そのひとつのテーブル席でぼくたちは飲んだのですが、カウンターにはとりまきの記者がずらりとついてきていたので、店はほとんど貸しきり状態でした。
 何を話したかは、キンチョウしていて何もおぼえていません。でもひとつだけ今でもくっきりと目に焼きついているシーンがあります。それは監督がトイレに行ってもどってきたとき、立ったままイキナリみんなの前でズボンをおろしたのです。そして続けてなんとパンツも…。「いいもの見せようか」そう言って、みんなに盲腸のキズアトを見せてくれたのでした。ほんとうにオチャメでヤンチャな王監督そのものという名シーンでした。

2006年10月13日(金)
ふざけんじゃあねえぞ!

 今年のプレーオフ、ソフトバンクもけっこうがんばりましたよね。西武との第2試合、それまで「短期決戦に弱い」というレッテルをはられていた松中がポカスカ打って試合後に涙を流し、いつも期待をウラギリ続けてきた寺原がすばらしいピッチングをし、2回とも負けはしたけれど斉藤が「これぞエース!」というみごとなピッチングを見せてくれました。ほかの人たちもふくめて、だからみんなよくやりました。
 ぽー先生はきのうの日記で「ひっこしの法則」を言いました。でもこれを見て「ふざけんじゃあねえぞ!野球ってのはスジガキのないドラマなんだ。かってに変な法則なんか作るんじゃあねえ!」って怒った人もいるかもしれません。実を言うと、ぼく自身も半分はそう思っているんです。斉藤・松中・寺原らのふんばり、もう一歩ちょっとだけでもちがっていれば流れはどっちに向かうかなんてわかりっこないんです。
 「人間の目線でのスリリングなドラマ」「大きな目線からの動かしがたい法則」、このどっちをも、しっかりとじょうずに受け止めながら生きていく、今の時代のひとたちに求められている大切なスタンスなのかもしれません。

2006年10月12日(木)
フランチャイズ

 きのうソフトバンクは日本ハムに負けてしまい、リーグ優勝に王手をかけられてしまいました。ところで最近20年ぐらいのパリーグには、ほぼまちがいのない法則があるってこと知ってますか。それは「球団がひっこししてしばらくすると必ず優勝する」ってことです。はじめは西武、福岡から埼玉にひっこしてから西武王国と言われるぐらいに強くなりました。次はご存知ソフトバンク、大阪から福岡に来て、いまや押しも押されもしない常勝軍団になりました。ロッテは千葉にひっこしてから昨年優勝し、そののち北海道にひっこした日本ハムが今年のこの勢いというわけです。で、このままこの法則が続けば、東北にひっこした楽天が、2年後ぐらいには優勝をあらそえるほどのチームになっている…。
 さてこの法則の一番の被害者はだれだかわかりますか。それは巨人です。かつては北海道から九州まで全国いたるところにいた巨人ファン。それがすべてパリーグのチームにくわれてしまい、いまでは東京だけのローカルチームになってしまいました。おっと、ヤクルトが「東京ローカル」をアピールし始めました。ウカウカしているとその席すらなくなってしまいそうです。

2006年10月11日(水)
国語と数学

 国語と数学というのはかかすことのできない大切な教科です。でも子どもたちを見ていると、どうもこの2つの教科の間には、おかしな法則があるんじゃないかと思われるんです。「こんなに国語がよくできるのになんで数学ができないんだろう?」という子。逆に「こんなに数学ができるのになんで国語ができないんだろう?」という子が必ずいるんです。しかもそのできなさぐあいはハンパじゃなく、どんなにがんばってもダメなんです。カメラの2つの機能のどっちかだけがよっぽど好きな子たちなんだろうと、ぽー先生はにらんでいるんですがどうでしょうか。
 「ものを写す」機能には「単純さ」が必要です。どんなに複雑な問題を解くときでも、ひとつずつのプロセスでは、そのプロセスのやりかたに「単純にゲタをあずける」という思い切りが必要になります。一方、「心を写す」機能には「複雑さ」が必要です。ことばの数はかりに少なくとも、ことばをこえた複雑な情景を思い描くことができ、そのなかでの「的確な判断」が求められることになります。

2006年10月10日(火)
2つのことば

 「古池やかわず飛び込む水の音」、これを英語に翻訳したらどうなるんでしょう。英語で言うのはむずかしいから日本語で言いますと、「ここに古い池があります。そこにかえるが飛び込んで、ポチャンっていう音がしました。」ってなところでしょうか。いやはや…。
 一方、「AB=6p、BC=8pである長方形ABCDがあります。BC上に中点Eをとり、2点A・Eを結んだ線分と対角線BDとの交点をFとするとき、△ABFの面積を求めなさい」ってのはどうでしょう。うーん、なんのことやら…。
 「ことば」っていうカメラを使っていろんなものを写すのが「勉強」だって言いました。どうやらこのカメラには、2つの大きな機能がついているようです。「ものを写す」と「心を写す」です。このどっちの機能をたくさん使っているかは、使う人によっても、使うときによってもちがってくるようです。さてそれでは今日はこのへんで…。

2006年10月7日(土)
スナップ写真

 勉強することの理由には、もうひとつ「いろんなことをわかりたいから」ってのがあります。ぽー先生も子どもたちに勉強を教えながら、しょっちゅう「わかりましたか?」って言います。だれだってわかるってことは楽しいことだし、わからないことがわかるようになると、なにかスッキリして目の前がパーっと明るくなるカンジがするものです。でも、この「わかる」ってこととは、うまくつきあっていかないと、人間はときどきおかしな方向へ進んで行ってしまいます。
 たとえて言えば、「わかる」ってことは「写真にとる」ようなことです。たとえば1枚の風景写真があります。それ自体はとてもきれいだし、好きなアングルで写せるし、いつでも見れて便利だし…、写真ってのはたしかにいいものです。でも写している「風景そのもの」とはやっぱりちがうのです。
 みんなが勉強しているなかみは、自然のことや人間がするいろんなことについてです。「ことば」というカメラを使って.写真にとります。でもその写真がどんなにわかりやすく思えても、しょせんそれは写真なのです。真実そのものではないし、真実そのものがわかることは本当はぼくたちにはムリな話なのです。ここをまちがえると大変なんだけど、人間はしょっちゅうまちがってしまうもののようです。

2006年10月6日(金)
ぽー先生の悩み

 ぽー先生はきのうの日記で、「いろんなことを学びながらより人間らしく成長する」って言いました。でも言ってる本人が言うのもなんだけど、これってちょっとおかしなところがあると思いませんか。だって、「学んで成長する」ってことは、ウラをかえせば「学ぶ前は成長してなかった」ってことですよね。また別の言い方をすれば、「学んだらホントウに人間らしく成長していく」のかなって…。はてさて…。
 たとえば「赤信号はわたっちゃいけない」ってルールがあります。もちろんみんな知ってます。でもかりにそれを知らない人がいて、車にぶつかって死んでしまったら、いったい誰が悪いんでしょうか。もちろん車の前方不注意はあると思いますが、何のためらいもなくいきなり目の前に飛び出されたとしたらまずお手上げです。むしろ、運転している人を殺人者にしてしまった、その「赤信号のルールを知らなかった人」に、けっこうな責任があることにもなります。
 こんなことを考えていると、つまるところ「無知は悪なんだ!」というオソロシイ法則が、世の中のオクソコに実はひそんでいるんじゃないかとも思えるのです。
 このへんをどう考えていったらいいのか、これって最近のぽー先生の大きな悩みのタネなんです。変な悩みですよね…。ぽー先生って、実はけっこうヒマ人なんでしょうか。

2006年10月5日(木)
なんで勉強するの

 人間はなんで勉強するんでしょうか。学校の勉強だけじゃあないですよ。生まれてこのかた、毎日いろいろと見聞きしてきたこと、全部ひっくるめての勉強です。
 むかし読んだ本の中に「人間はどこまで動物か」というのがありました。人間と同じ高等ホニュウ類のなかで、人間の赤ちゃんだけちょっとようすがちがって生まれてくるんだそうです。ほかの赤ちゃんはほぼ親と同じ形で生まれてくるのに、人間だけはずいぶんと未発達な状態で生まれてくる。それが生まれて3年たってやっと、ほかの赤ちゃんなみの体型になるというものでした。つまり人間は、身体の誕生の後の3年間で、親やまわりの人たちとのかかわりのなかで勉強してはじめて、精神・身体がそろったホントウの誕生をむかえるというものです。そういえばむかしから「三つ子のたましい百まで」なんてことわざもありますよね。
 一方インドでは、おおかみに育てられた子どもの例もあります。生まれたままの「人間の素」だけではなく、その後いろんなことを学びながらより人間らしく成長するために、勉強ってのはあるんでしょうね。

2006年10月4日(水)
クラス編成

 啓明館のクラスは成績順で決めています。良い順にABCというぐあいです。しかもテストのたびにクラスを変えるので、子どもたちは大変です。一年のうちに何回も、「上がった!」とか「落ちた!」とか、悲喜こもごものドラマが待っているからです。
 実は、ぼくたち先生も大変なんです。クラスを決めなくっちゃいけないからです。たとえば20人をABの2クラスに分けます。10人と10人の2クラスです。成績の順番が順当なら問題ありません。でも、10番の子がどうみても下のクラスの学力しかなく、11番の子がどうみても上のクラスの学力だった場合、こまりますよね。先生たちみんなで「クラス編成会議」を開いて、いろんなことを話し合います。一番の問題は「上がってしまった子がついていけるのか」ということ。ほかにもさまざまな視点からの話し合いを深めていきます。で、結局はいつも、成績順の通りに、10番の子はA、11番の子はBということになるんです。
 たくさんたくさん考えて、その結果、さも何も考えなかったような「成績順」という結果になる。これでいいと思いませんか。問題点があったって、それをバネにして「じゃあこうしよう!」って考えればいい。ぼくたちのヘタな考えがおよべないような「可能性」を信じて、「努力」で立ち向かえばいいことなんです。

2006年10月3日(火)
テスト対策期間

 いまそれぞれの中学校では中間テストのまっ最中です。啓明館ではこういうとき、テスト前10日間ぐらいを「テスト対策期間」としています。この間の授業はすべて中止して「個人指導」にきりかえるんです。
 決められた授業がなく、先生にいつでも質問ができるので、子どもたちは自分で計画を立て、来たい日・来たい時間に、好きな教科を勉強しにくることになります。来なくったってかまいません。
 でも、みんなすごいパワーなんですよ。きのうも早い子はすでに1時半ごろから来ていました。2時にはすでに10人ぐらいになり、けっきょく一日が終わってみれば、啓明館に通う70人の中学生のうち60人ほどが自主的に勉強しに来ていました。すごいですね。もちろん遊んでいる子なんか一人もいません。言われなくたってみんなしっかりやっています。
 けっきょく9時間もの間、まったく休みなく教え続けることになり、ぼくたちももうヘトヘトです。でもすごくしあわせです。ぼくたちの生徒たちは、一人残らず素敵な子どもたちばかりなんです。こうやって彼らに向き合っているとその息づかいが聞こえてくるようです。嬉しいですね。

2006年10月2日(月)
数学だけ

 数学って教科だけが、ほかの国語とか社会や理科や英語にくらべると、ちがう点があるんですけど、それって何だかわかりますか。それは、数学だけが「現実じゃない!」ってことなんです。いま流に言えば「ヴァーチャルな世界」ってことでしょう。「えっ! だって、100円持って買い物に行き30円のチョコを2つ買ったらおつりはいくら? ってのは現実じゃないんですか?」。「それは、正確に言えば、数学を使った応用であって、おおもとの数学そのものはあくまでもヴァーチャルなんですよ」。
 だいたい「0ミリの大きさの点」なんて言われたって、実際には書けないし、当然、線の太さも0ミリなんだから、「三角形を書きなさい」なんて言われても、真っ白なノートを先生に見せて「ここに書きました!」って、ホントウは言わなきゃいけないんですからね。
 現実じゃないからこそ、数学の世界には矛盾や例外がなく、○か×かがはっきりすることになるんです。数学は「理論からスタートして現実を考える」、ほかの教科は「現実からスタートして理論を考える」ってことです。

2006年9月30日(土)
インチキ

 「いちばん小さい図形ってなんですか?」。ぽー先生はときどきこんなことを聞いてみんなをこまらせています。「三角形です!」「正方形です!」、「あっ!わかった円!」。みんないろんな答えを言ってくれます。正解がなかなか出ないことをひとしきり楽しんだあと、ぽー先生はおもむろに正解を言います。「それは点です。」
 点が図形の最小単位です。点が集まって線ができ、さらに集まって面ができます。直線と直線の交わりが角になり、角が3つで三角形ってなぐあいです。
 「じゃあ第2問…、点の大きさは何ミリですか?」。とことんみんなをこまらせようとしています。えげつない先生ですね。これも正解がでないことを確認して、「点の大きさは0ミリです!」とくるわけです。「ええーっ! 先生、そんなのインチキです!」「はっ、はっ、はっ、はっ、なんとでも言ってくれ! とにかく0ミリ!」「ええええーっ!」
 0ミリの大きさのものが集まって線になるというわけですが、でもなんで実際、0ミリが集まって3センチとかの長さが生まれてくるんでしょうね。こいつあホントにインチキくさい話です。

2006年9月29日(金)
ウインカー無視

 今ごろの季節ってドライブが気持ちいいですね。特にいなかの方に行くと彼岸花がとってもきれいです。このわずかな時期にしか見れない花だと思うとなおさら美しく見えるからフシギですね。
 それはそうと、車を運転する人たちって、どうしてみんなウインカーを出さないんでしょうか。右や左に曲がるときに出す、あのチカチカってやつです。そういう人ってすごくたくさんいると思いませんか。なんででしょう。
 たとえば同じ交通ルールでも、「信号無視」をする人はほとんどいません。そんなことしたら、自分だって大変なことになってしまうからやるわけないんです。でも「ウインカー無視」したって、自分にはたいして災いはふりかからない、だからきっとするんでしょうね。
 人の行動を決める基準には「自分のつごう」と「まわりのつごう」があります。「量」がふえてる時代だからこそ、「自分のつごうへの自制心」と「まわりのつごうへの思いやり」という賢さがよけいに必要になるんですが…。「ウインカー無視」に出会うたびに、ちょっとさみしい気持ちになるぽー先生でした。

2006年9月28日(木)
バースデーパーティー

 もうすぐ花子さんの誕生日です。そこで彼女はバースデーパーティーを開こうと思いました。仲のいいお友だちを5人招待するつもりです。さっそく次の日、学校に行ってみんなに声をかけたら、みんなは「やろう!やろう!」と言ってくれました。話は成立です。
 さて、お母さんの由佳さんも、自分のバースデーパーティーを開こうと思いました。ところが由佳さんは、しごとや何かでつきあいが多いので、どうしても300人ほどの招待客になってしまいます。さあどうでしょう。300人のパーティーはどんなふうに開くのでしょう。
 少なくとも花子さんのように「ちょちょいのちょい!」ってなわけにはいきません。何ヶ月も前からの会場予約、パーティーの進行計画、お客さんのリストアップ、案内状の郵送、それから、料理、出し物、衣装、飾り付け、安全面や何かの気配り、いろんなことについてたくさんの人たちと打ち合わせをしながら、ひとつひとつことを進めていかなくてはなりません。
 5人と300人、ずいぶん違いますよね。前もって「きれいなスジガキ」と「スジガキどおりにいかないこと」を考えなくっちゃならないんです。

2006年9月27日(水)
身近な「量と質」

 「量の違いは質の違い」。たとえば、身近なことでこんな話はどうでしょうか。太郎君には10人の知り合いがいます。でも、そのうちの1人が太郎君に向かって冷たいことばを投げかけました。いやですね。太郎君は悲しくて泣いてしまいそうです。一方、次郎君には知り合いが1000人います。彼はよっぽど顔が広いんでしょう。そしてそのうちの100人が次郎君に向かって冷たいことばをなげかけました。なかには電話をかけてくる人もいて、一日中電話がなりっぱなしの状態です。だって100人もいるんですから。
 みなさんはどう思いますか。どちらも「9:1」ですから比率は同じです。でもその数が違います。だれだって100人からいやなことを言われたら、耐えられないほど気持ちが落ち込んでしまうことでしょうね。「比率が同じなんだから気にすんなよ」なんて言われても、何のフォローにもなっていません。
 ひとむかし前までは、ほんの一部のオエライさんしかそんなに知り合いはいなかったけど、機械化と情報化が進んだ今では、ごく普通の人でも、それぐらいの「量」をかかえることができてしまいます。「生身の人間の目線」と「人間をこえた目線」との折り合いをつけるのに工夫が必要な時代なんですね。

2006年9月26日(火)
量の違いは質の違い

 「6の約数はなんですか」。答えは「1・2・3・6」です。じゃあ、「1296の約数はなんですか」だったらどうでしょう。1から順にわりきれるかどうか考えていくとけっこう大変ですよね。でもだいじょうぶ。こんなやり方があります。1296を2×2×2×2×3×3×3×3と小さな数に分解してしまい、左半分の約数である「1・2・4・8・16」をたてに、右半分の約数である「1・3・9・27・81」をよこにして一覧表を作ってたてよこをかけていくと、約数すべてがこの一覧表の中にきれいに入ってしまうんです。どうですか。便利でしょう。
 じゃあ「1367の約数はなんですか」はどうでしょうか。これも別の意味で大変ですね。だって「2でわれないし、3でわれないし、5でわれないし…」、さてさてどこまでこれをやっていくんでしょうか。答えは「1・1367」です。そうです。わりきれる数はほかにはないんです。
 どっちの問題も、一生懸命に解こうと思えば、そのためにたくさんのことを考えなくてはいけないし、たくさんのおもしろい法則が発見できます。同じ問題だというのに、数字を6から1296や1367に変えるだけで、世界が広がっていったりするんですね。「量の違いは質の違い」なんです。ちなみに、いまの教科書って、こういうことをなるべくさせないようにしているんです。なんか病人の流動食みたいです。子どもはたくましくなれるんでしょうか。

2006年9月22日(金)
人間の目線
 「わたしこのごろ−3sやせちゃったの」みたいなカンジで、負の数は反対の性質を表すときに使います。それともうひとつ、どこに基準をおいたらいいのかわかんないときなんかにも使います。たとえば温度。どこを基準にしていいかわからないから、とりあえず「氷ができるとき」を0°にして、それより上ならプラス下ならマイナスっていうふうにしています。それから地面の高さなんかもそうですよね。海面を0mにして、上ならプラス下ならマイナスといったふうです。
 たとえば温度の表し方を変えてしまって、−1000°のところを0°とするようにしたらどうでしょう。+30°や−30°はそれぞれ1030°や970°ってことになり、ちょっと調子がくるってしまいます。
 +30°ならば「アツイ」、−30°ならば「サムイ」って感じるし、人間の目線からすればなんとなく反対のような気がするけれど、1030°と970°ってなると、そういった迫力はあまり感じられません。慣れてしまえばそうでもないのかもしれませんけど…。どうでしょうか。
 「地球にとっては痛くもかゆくもないけれど、人間にとって痛い」、地球の目線、人間の目線、いろいろと考えてみたいところです。
2006年9月21日(木)
負の数

 中学生になると、初めて、負の数を習います。子どもたちには「君に、−1000円あげよう。ありがたくもらってくれ!」なんて、わけのわからないことを言いながら教えることになるのですが、こんなへんてこな言い方も、数学の世界ではオオマジメな話なのです。「東に向かって−100mダッシュしようぜ!」とか「わたし−3sやせちゃったの!」とかです。
 中学に入学してすぐにこれを習って、このオカシナ世界に入ることをとまどってしまう純粋な子は、とたんに数学が不得意な子になってしまいます。ぽー先生はそんな子たちに、いつも次の質問をすることにしているんです。「5−2は何算か知ってる?」「ひき算です。」「そうだよ。でもたし算なんだよ。」「先生、熱でもあるんですか?」「だいじょうぶ。先生はいたって健康だから…。たすって書いちゃないけど、5と−2のたし算なんだよ。」「ふーん、そうなんだ。」
 「5から2をひく」んじゃなくて「5と−2をたす」。こんなことが平気な顔して言えるようになると、子どもたちも立派な数学人のスタートラインに立つことができたと言えるようです。

2006年9月20日(水)
森本おじさん

 森本おじさんは世界的な天文学者です。その偉大な業績ももちろんですが、みんなから「森本おじさん」として知られている、ユニークで愛すべき先生です。先生が福岡に来られるたびに、いつもいろんなところにご一緒させていただきました。初めて行くところだろうがなんだろうが、だれにでも気軽にじょうだんを言って笑わせるので、どこに行っても先生はすぐに人気者でした。
 その森本おじさんは、何を発明して世界的な天文学者になったのでしょうか。それは「地球より大きな望遠鏡」です。いったい何のことだかおわかりですか。世界中のいくつかの望遠鏡や人工衛星にのせた望遠鏡を、ネットワークで結んでひとつの星を見れば、すべての望遠鏡を結んだラインが、あたかも大きなレンズの形になるので、地球より大きな望遠鏡ができあがるという理論なのです。言われてみれば「なるほど」と思いますが、そんなこと普通の人はあまり思いつかないですよね。
森本おじさんのホームページです 森本おじさんのホームページ

2006年9月19日(火)
異常気象

 おとといは大型の台風が九州を直撃しました。いつもだと台風が来ても、ここ福岡市はあまり被害を受けないのですが、こんどの台風ばかりはけっこうたくさんの被害があったようです。ぽー先生の家のあたりでも夕方から6時間ぐらい停電していたりとか、木とか看板とかがいたるところで折れていたりとか、いろいろとあっていたようです。さっきから「…ようです」と、人ごとみたいに言ってるのは、実は、台風が来ていたときに家にいなかったからよく知らないのです。きのう家に帰ってきたら、まわりがけっこうメチャクチャで、「ああやっぱりすごかったんだ」と、あらためて実感がわいてきました。
 おとといの台風は、まだまだ「ごくありがちな日にやってきた台風」なんだそうですが、このところ、「気象庁始まって以来の…」とか、「30年に一度の…」とか、めったに起こらないような異常気象がよく起こりますね。このままだと地球は一体どうなっちゃうんでしょうか。
 そんなことを考えていたら、世界的天文学者である「森本おじさん」が言われていたことを思い出しました。「青木さん。そんなことは地球にとって痛くもかゆくもないんだよ。人間が痛いだけなんだよ。」って。なるほど。

2006年9月16日(土)
インド人ってびっくり

 数字の0を発見したのはインド人です。もう何千年も前の話になります。それから、1・2・3・4などの、ぼくたちがいま使っている数字ももとをただせばインドがルーツです。インド以外の古代文明でどんな数字を使っていたかを考えれば、このインドの数字の表し方がどれほどすぐれているものかがよくわかります。中国の一・二・三…、ギリシャ・ローマのT・U・V…など、こういうやり方では、ものすごく大きな数を表すことはできないし、+−×÷などのかんたんな筆算をしようとしても、とってもむずかしそうだということがわかりますよね。
 たくさんの記号を使うのではなく、0・1・2・3・4・5・6・7・8・9という、たった10種類の記号でどんな大きな数でも表してしまうこのやり方ができたのは、0という数字を発見できたからこそなのです。
 インドで生まれた仏教の基本の考え方のひとつに「色即是空」というのがあります。これは「物質はすべて実体のないものである」という意味なのですが、この「空」と「0」は、サンスクリット語では同じ「シュンニャ」という語になります。普通の人なら「ひとつもないよ」と言ってしまうところを、「ゼロ個あるぜ!」と言えてしまうインド人って、やっぱり、びっくりですよね。

2006年9月15日(金)
インドの数学の授業

 この前、テレビを見ていたら、「インドの学校での数学の教え方」というのをやっていました。それはなかなかすごいらしく、インドでは、小学校の低学年でもみんなスラスラと難しい計算問題なんかを解いてしまうそうです。だから他の国でもその教え方をとりいれているところも多いんだとか。たしかに、インドの人はコンピューター関係ですぐれた人が多く、世界中でたくさんの人がこの分野で活躍していることもよく聞きますよね。
 で、そのテレビの中でこんな場面がありました。それは、インドの小学校の授業風景なんですが、子どもたちがそれぞれ自分の大好きなおもちゃを家から持ってきて、クラスメートのみんなに向かってそのおもちゃについて説明をする、そしてみんなからの質問に対しても答えていくというものでした。それがどうして数学と関係あるのかって。「大アリ」です。無意識になんとなく好きなおもちゃのことを説明するのに、あえて意識して、考えて、適切な言葉をさがす。これはa−bc(円)という式を見つけ出すこととどこか似ていると思いませんか。
 ちなみに、この授業は何もインドじゃなくったって、この前の「ことば科」の授業で、まったく同じことを啓明館でもしていたんですよ。えっへん。

2006年9月14日(木)
数学じゃなくて社会

 ぽー先生は啓明館で数学を教えています。でも、大学で勉強していたのは実は数学じゃあなく社会だったんです。高校は理系でした。卒業してすぐ、東京理科大学の理学部の数学科に行ったのですが、うまくいかず途中でそこをやめ、その後、塾にも予備校にも行かず、1年間自宅浪人して、文系の教科を自分ひとりで勉強しました。高校は理系だったので、習っていない教科がいくつもあったからです。そして、佐賀大学に入りました。学部は教育学部の社会科、だから本当は社会の先生のはずだったんです。
 大学での研究テーマは「インド哲学」でした。昔のインドの言葉であるサンスクリット語を勉強しながら、インドの人たちのものの考え方を研究しました。このサンスクリット語というのは、ものすごい言葉なんですよ。名詞も動詞も、ひとつずつの語句が使い方によってさまざまに変化します。その数は名詞の場合、実に216通りにもなるんです。オソロシイ話でしょう。
 さてさて、ふと気づいたら、今日もまた佐賀の話になってしまいました。ぽー先生は、よっぽど佐賀が好きなんでしょうか。それでは、今日はこのへんで…。

2006年9月13日(水)

 「100円持って買い物に行って、30円のチョコを2個買ったらおつりはいくらですか?」。答えを出す式は100−30×2=40ですよね。で、式を聞かれたときにこれがとっさに出てこない子だって、答えの40円だけはすぐに出すことができる。
 誰だって「計算して」答えを出しているはずなんだけど、「自分はどんな式で答えを出せばいいんだろう?」なんて、シチメンドクサイことをいちいち考えてなんかない。これぐらいの身のまわりの計算は毎日のように慣れているから、ほとんど意識せずに答えを出せるんです。
 ところが、それが、難しい数字になったり文字になったりしたらそうはいかなくなる。トタンに「ぼくはどういう式で答えを出すんだろう?」ってことを、考えなくちゃいけなくなるんです。だから、同じことのようだけど、「40円」と「a−bc(円)」との間にはけっこう大きなへだだりがあるんです。
 ちょっとおおげさな言い方をすれば、自分がいつも無意識にしている行動について、その奥のほうに存在している「式」を、ちゃんと意識することができて、表現することができる、数学を勉強して育ってもらいたい力は、答えそのものよりもそっちのほうにあるのかもしれませんね。 

2006年9月12日(火)
数学がわかっていく素

 ぽー先生は数学を教えています。「佐賀のがばいばあちゃん」に描かれているような普通の生活からは、けっこう反対の方にある教科だと思われがちなことがちょっと残念です。
 「a円持って買い物に行きました。b円のものをc個買ったらおつりはいくらですか」なんてことばっかり聞かれるんだから、あんまり普通の感じはしないし、何だか理屈っぽいし、なんとなく血が通ってなさそうだし、いやだなって思うのも無理のないことかもしれませんね。
 でも、この問題がわからないという子に、「じゃあね。100円持って買い物に行って、30円のチョコを2個買ったらおつりはいくら?」って聞くと、すかさず「40円!」って答えるんです。
 100円は「日常」で、a円は「非日常」…。で、その子に、「じゃあさ、40円って答えを出した式はなに?」って聞くんです。すぐに答えが返ってくる子もいれば、ずっと答えられない子もいる。どうやらこのへんに「数学がわかっていく素」みたいなものがあるのかもしれませんね。

2006年9月11日(月)
佐賀のがばいばあちゃん
 夫婦のうち1人が50才以上だと、2人で半額の2000円で映画が見れるってこと知ってます? ちゃっかりもののぽー夫婦は、とうちゃんが50をこえたトタンに、2人でよく映画を見に行くようになりました。この前見たのは「佐賀のがばいばあちゃん」。
 「これ本当に見るの?」と、いまいち不安そうな奥さんを、「このタイトル見てん、ゼッタイにおもしろいけん!」と、ほとんど説得力のないことばでなだめすかし映画館へ。中に入る直前まで、「ねえ、私たち以外に何人いるかかけようか? ワタシは1人!」と、おちょくる奥さんに、「ぼ・ぼ・ぼくは…5人」と、ちょこっと気弱になったぽー先生。
 で、中に入りましたとさ。はてさて現実は…。おじいちゃんが1人、まんなかにポツンと座っていたのでした。(負けた…)。ところが!。ぼくたちが座席についたあと、次から次にお客さんが入ってくるではありませんか。途中で数えるのをやめたからよくわかりませんが、結局は全部で50人ぐらいにはなったんじゃないかと思います。
 映画の中身は良かったですよ。若い人がどう感じるか知らないけど…。不覚にも、最後に思わず泣いてしまったんですから…。ドラマチックに話が展開するわけでも何でもない、日常の普通のお話なんですが、それがまたとってもいいんですよ。で、最後には、ぽー先生の奥さんもすっかり気に入ってくれたのでした。良かった、良かった。
 話は変わって、昨日インターネットで「古湯映画祭」を調べていたら、3日間の初日(16日)に、「佐賀のがばいばあちゃん」が無料で見られるとのことです。今まで1回も行ったことがなくて今年も行けない映画祭だけど、興味がある方はいっぺんどうですか。
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