5月中旬のある日、カルトのもとへ一通のメールが届いた。差出人は「伊藤文学」とある。そう、かの『薔薇族』の編集発行人だ。その内容は、「男色指南」へ昨年アップした文章を、次号の編集長コラムで取り上げさせてほしい、というものだった。そして掲載されたのが下記のものである。伊藤氏のゲイマスコミに、そして出版に対する想いのたけが綴られているこれを読んで、果たして諸君はどのような感想を持たれるであろうか。
『伊藤文学のひとりごと』
text.伊藤文学氏(同誌編集長)
初出/第二書房「薔薇族」2004年8月号
時代遅れのカゴみたいでも
ゆっくりと歩いていきたい!
 ここ四、五年、急速に携帯電話や、インターネットが普及するにつれて、送られてくる手紙の数がへり、電話もかかってこなくなった。そして活字離れも進んでいる。
 そこで考えたのはインターネット上で『薔薇族』のすべてを見せてしまおうという挑戦。もちろん、インターネットなんていじったこともない、ぼくにはできない芸当だ。そこへぜひ、その役割をまかせてもらいたいという人たちが現われた。うまくいくか、いかないかはやってみないと分らない。ぼくはその話にのることにしたので、この夏頃から具体的になってくる。
 その人たちが、インターネット上にこんなことがのっていますよと、紙焼きにして見せてくれた。昨年の六月号の編集後記に書いたものを読んでの感想文だ。
 過去にぼくは何冊かの本を出した。どれも読者から寄せられた素晴らしい手紙がたくさんあったから書けたものだ。
 十年ぐらい前は洪水のように編集部に手紙が寄せられた。書かずにいられなかったのだろう。その手段は、手紙や電話から、インターネットにとって変わられた。
 本を出しても手紙で感想を寄せてくる人は少ない。ところがインターネット上には感想文が多数寄せられているのに驚いてしまった。ぼくはインターネットなんて見られないのだから知るよしもなかったが。これでは時代に取り残されてしまうのは当然のことかもしれない。
 一文字カルトさんという方が、「薔薇、このまま散らせますか?」という長い文章をインターネット上に寄せてくれていた。手紙かFAXなら、ぼくも知ることができたのに、一年も経ってから読んだなんて。
「カルトを含めて『薔薇族』二〇〇三年六月号の編集後記を目にした人間は、かなりぶったまげただろうね。そこには伊藤文学編集長自らによって、こう書かれていたのだ。“今月から『薔薇族』はページ数をへらしました。薄くなっても定価は同じです。そうしなければ雑誌を出し続けることができないからです”
 余談ではあるが、カルトは『たのしい幼稚園』を起点に、軽く数百種を講読してきた筋金入りの雑誌マニアである。だから愛読誌の休刊(実質的には廃刊ね)というケースにも数えきれないほど遭遇してきた。そうした経験をふまえて言うなら、“意味不明なリニューアル”“いきなりの紙質劣化”“唐突な店頭部数ダウン”これらはいずれも休刊の前兆である。こうした兆候を見せた雑誌は、ほぼ例外なく余命数ヵ月の運命をたどったのである。(中略)
 確かにね、『薔薇族』が売上的に窮地におちいっているという話は、あちこちから噂として聞こえてきてはいた。新興勢力の台頭というのも大きかろうが、やはり最大の要因は“電脳メディアの急速普及”であったと思う。インターネットは、やりたい盛りのゲイにとってはドラえもんにも匹敵する強い味方である。グラビアよりもはるかに過激な画像が、指一本動かすだけで取り出せてしまうし、それまでは“文通欄”に頼るしかなかった恋人(ヤリ友?)探しも、あっけないほど簡単にできてしまうのだ。
 てっとり早さという点において、出逢い系掲示板に勝るものはないだろう。ネットと雑誌では、オーバーではなく、新幹線とカゴくらいの違いがあるのだ。(中略)
 “文通利用者の減少”以外の衰退要因として考えられるのは、“若い読者層の離脱”である。これはよく言う“若者の活字離れ”とはニュアンスが異なる。リブ的な気運の高まりに逆行するような『薔薇族』のあり方に、十代、二十代が反発を覚えはじめたのである。ぶっちゃけた話、確かに『薔薇族』は、時代遅れかも知れない。クローゼットな生き方を肯定するようなムードがいまだに根強く感じられるし(偽装結婚コーナーの出逢いコーナーとかもあるし)ちょっとこのセンスはないんじゃないの、と思わされることもしばしばあったりもする。“晩節をこれ以上汚さぬ意味からも、伊藤氏にはできるだけ早急に業界から退かれることをお勧めいたします”みたいな遠回しのイヤミを以前、誰かがどこかに書いていたがカルトは全然そうは思わない。どんな業界であれ、志や見解を異にする勢力が複数乱立(与党と野党みたいに)している方が面白いし、なにより健康的だ。それに最初に道を切り拓いてくれた先達を“時代錯誤”の一言で切り捨てるような若僧どもは気にくわん。オシメを替えてもらった恩を忘れひとりで大きくなったような顔をするな!
 さて最後にもう一言。伊藤文学編集長はヘンタイという巨大なカオスの中から同性愛を分離させ、日本初の商業雑誌を誕生させた偉人である。ある意味、社会で最も忌むべき存在とされてきたものを取り上げたわけであるから、創刊時の苦労は想像に難くない。パイオニアに対しては、まず尊敬の念をはらうことを忘れてはならないのである。だから、できることならこの危機を克服し、生き残ってほしい。それには多くのみなさんの協力が必要なのだ。」
 電車の中で本を読んでいる人は、ほとんどいない。劇画の雑誌までも。みんな携帯電話を握りしめている。ぼくはそれでも雑誌の良さを信じて、時代に取り残されたカゴみたいかも知れないが、これからもゆっくり一歩一歩歩いていきます。