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ミステリー作家の小部屋

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   《孤独の章》

尾花瓢介の脳裡(のうり)にはどうしても忘れられない謎の仏像があり、あの学術論争から13年が経った今も、不可解でおぞましい石仏調査報告書に遺恨が残っていた。調査委員会のメンバーにもなれず、蚊帳の外にされ、社会的肩書も功績もない一介の名も無き在野の推理小説家の考察などには、誰も目もくれなかった。自分がこの石仏に関しては最も学術的に親密に研究し尽くしている自負があったが、地方での文化財調査委員会組織に必要とされているのは、見映えのいい権威ある肩書が必要なようで、地方特有の風習のような偏見が先にあるのだろう。大学教授という肩書だけで、盲目の尊敬を浴びて物事が進行してゆくようなのだ。尾花から言わせれば、都会の文化財調査委員会ほどには垢抜けていない。地方の田舎者の威勢のいい単なる見栄で、学術調査とは程遠いものだった。

日本中を歩きまわってコツコツと学問を積み、文学と歴史にさんざん没頭してきた尾花は、国内外の文化財に造詣と敬意を心から寄せているのに、地方には理解者や語り合える者は皆無といえた。歴史というものには学問的な考察だけでなく、当時の時代背景に伴う社会状況や権力者の思惑、そして何より民衆の心がいかなるものであったか、想像力や推理が反映されていなければ、本当の考証や解読には至らないと思われる。歴史は知識で検証するより、想像力が最も大事なのだ。人間心理や感情の起伏を読み解かなければ、謎は解けない気がしている。その意味では、胡散臭い小説家であっても、この石仏の謎解きには歴史小説や推理小説を手掛ける作家ほど適任者はいないと尾花は思っていた。歴史に精通していた文豪の井上靖や松本清張が今と同じ時代に共有して存命であったなら、どんなに謎解きが楽しく叶ったか、実に悔やまれて仕方がない。落ち武者のような地方在住の尾花自身が、ならば都会に住んで活動すればいいのかもしれないが、そうもゆかない事情がいろいろあって複雑でもあるのだ。片田舎の地方で暮らすのも、結構なかなかいいものではある。やっと故郷に戻ったありがたさもあるからだ。さて、それはそれとして話題を変えよう。

   《ルナの誓約》

朝霧ルナは「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトビギンズ」のフィギュアである。スターライトステージの高垣楓とアナスタシアとは親友でもある。尾花瓢介は高垣楓やアナスタシアのフィギュアも持っているが、夜な夜な瓢介の夢枕に登場して来るのは、きまって朝霧ルナだけだった。二百体以上のフィギュアを尾花は書斎に飾っているが、これらはすべてキャスティング撮影するためのものである。家具調の黒いショーケースに収納されたフィギュアの陳列棚を観ていると、心が癒されるのだ。病的なミステリー作家の側面ともいえる。たまに婚約者の愛里が書斎をノックして部屋に入って来ることがあるが、異様なフィギュアの陳列棚を覗いては、「また買ったのね。可愛いのがホント好きなんだから」と、よく言われる瓢介だった。

そんな日々を過ごしていたある日のこと、書斎で寝てしまうこともある瓢介が、眠くなってソファーに寝転ぶと、枕元で囁いて来るのが、あの朝霧ルナなのである。空想でもなく妄想でもない睡魔の世界で、それは突然おそってくるのだ。フィギュアのサイズは平均20センチくらいのものなのだが、そのサイズから朝霧ルナはいきなり人間のサイズに変わって現われる。もちろん瓢介の夢のなかの話で、まるで映画『アリス・イン・ワンダーランド』のアリスが突然大きくなったりする、あの場面と同じ感覚で登場して来るわけだから、何とも都合のいい瓢介の夢枕で、何とも幼稚であり、元来が子供っぽい性格の側面も合わせ持っているということでもあろう。

「あなたは私に従わなければならない誓約があります」と朝霧ルナは、夢枕の瓢介の耳元で(ささや)いた。爆睡している瓢介の脳にはもちろん届かない。第三者から俯瞰して見ていると、瓢介はルナに洗脳されて暗示をかけられているようにもみえる。うっすらと口を開けた瓢介の顔に墨筆でイタズラ描きしても、たぶん本人は気が付かないほど深い眠りに陥っている。
「誓約、その一」とルナは続けて、瓢介の寝顔をみつめながら囁いた。
「あなたから私に触ってはいけない。触ると、私は見えなくなります。ゴーストではないけれど、他の姿に変身してしまうの。例えば、あなたが履いてるスリッパにもなるし、パソコン机のプリンターにもなることだってあるわ。だから、けっしてあなたから私を触らないこと」と、ルナは言った。

「誓約、その二」とルナは澄んだ声で囁き続けた。
「あなたが唯一私に触れられるのは、私のほうからあなたに触れる時だけ。こうして私があなたの鼻先に人差し指を置いた時とか、あなたの髪に手のひらをあてた時とか、その時は眼を開けてもいいわ。あなたには私の姿が見えるはずよ」と言い続けた。瓢介は相変わらずぐっすりと眠ったままだった。

「誓約、その三」とルナは、瓢介の頬に顔を近付けて、
「婚約者のことは、今から忘れること。ううん、初めからいなかったのだから、あなたの記憶から彼女の存在は抹消するのよ。わかった?」と暗示をかけた。

   《夢の続き》

5年前にミステリー文学賞の大賞候補作に選ばれていた尾花瓢介は当時まだ34歳だった。受賞落ちしてからも精力的に執筆活動をしていたのだが、収入を得るために、たまに倉本ハウジングの土木作業の手伝いもしていた。昼間の肉体労働がかさむと夜間の執筆にも影響が出るのか、突然の睡魔に襲われるのもしばしばだった。この日もそんな2週間の突貫工事をやっと終えたばかりの、ある夜の出来事だったのである。夢枕でうなされるような悪夢はこれまでほとんど無かったが、この日の夜、30分くらいうたた寝していたところで、ハッと目が覚めた。ソファーにもたれて青い絨毯(じゅうたん)に座って居眠りしていたのは、ルナではなくて愛里だった。
「あれ。いつ来てたの?」と目を覚ました瓢介は愛里に訊いた。
「あ、ゴメン。起こしちゃったね」と愛里が怪訝な顔つきで瓢介をみつめた。
「晩ごはん出来てるけど、食べる?」と愛里。
「忘れてた。オレ、まだメシ食ってねえ」と瓢介。
「三度のメシより小説なんだから、瓢ちゃん。今度こそ受賞するわよ」と愛里は慰めた。
「落選しても、ペンが止まらないのは、オレ、病気かなあ?」
「小説病、かも。次から次と、湧いて来るんでしょ?」
「止まんねえんだよなあ。原稿の締め切りみたいな(かせ)が無いだろ、無名作家ってさ。気楽っちゃ気楽なんだけど、書きたい時に書けるっていうのは、自由だしな」
「瓢ちゃんの頭ン中って、どうなってるのかしら」
「ぐちゃぐちゃだろうね、他人からすれば。オレ、一つの世界に絞って、極める人って、いるじゃん。撮り鉄とかさ、将棋とか、サッカー選手とか野球選手とか、マラソンランナーとかさ、苦手なんだよなあ、きめつけられるの。人間的にみんな視野が狭いじゃん。一つの道を極めるのはスゴイことなんだけど、そういう人って、SNSとかテレビ番組トーク聞いてたら、味気ない話をいつまでもしてるよねえ。構ってられない。〇〇バカって、その道ひとすじもいいんだけどさあ、他の世界となると、まったく話題はないし、つまんねぇ」
「じゃあ、瓢ちゃんはそうやって、一つでも極めた道を持ってたっけ。原稿の仕事は来ないし、流行作家にもなれてないし。だからバイトして少しでもおカネを稼いでるのよね。一つの道を極めた人の方が、立派だと思うけど」
「まあ、そうだけど。愛ちゃんにも世話になってるし。ごめん」
と瓢介はソファーに腰掛けたまま、うなだれて愛里に謝った。
「わたしはいいのよ。勝手に押しかけて、そんな瓢ちゃんのことが好きなんだから、わたしもパートに行ってるんだし、生活は地味だけど、二人とも暮らしには困らないでしょ」
「愛ちゃんのおカネは使いたくないんだ。と言いながら、食事代に結構まわってるよね。本当に申訳ない」
「いいんだってば。瓢ちゃんの小説、真っ先に読めるんだし」と愛里は笑った。
「売れない作家にもなっていないのにね。何かの新人賞に受賞さえすれば、作家への登竜門がひらかれると思うんだけど、いつになったら日の目を見られるやら。やっぱ並外れた才能が要るよなあ」
「瓢ちゃん、才能はあると思うな」
「どんな?」
「さっき、瓢ちゃん言ってたでしょ。視野が狭いのは嫌いだって。視野が広いほうがいいって。わたしは視野が広いほうが話のネタとしては面白くなると思うの。冒険ものとか、アドベンチャーとか、そういうワクワク感もするミステリー小説って、瓢ちゃんに期待しちゃうなあ」と愛里は媚びた眼差しで見詰めてきた。
「そこなんだよ。ドロドロした人間関係描くの、オレ、ダメだわ。殺人事件とかさ、そんなの日常からかけ離れてるじゃん。経験もないし、そんなん絶対あかんわ。オレのミステリー世界は、愛ちゃんが言うようなアドベンチャー的なスケール感のある小説が書きたいねん。三角関係とか不倫ものとか、金銭がらみとか、しょぼい学園ものとか、億単位の横領事件とか、オレの経験は一つもないし、経験したいとも思わへん。空想して書きたいとか、これっぽっちも無い。興味があるのんは、事実は小説よりも奇なりや。幽霊とかゾンビとかUFOとか、ちゃんちゃらおかしいもんな。怪獣とか、怪奇現象とか、非科学的や。霊界だの心霊写真だの、アホらし。オレの目指すんは・・・」
「目指すんは・・・」と愛里は瓢介の手を握り締めながら、
「何なに、なんやの、目指すんは・・・」と瓢介の顔を見上げた。
「鉛筆の芯や」と瓢介は言った。
「え、えんぴつの、芯・・・!」
愛里の眼が点になった。
「削られて、すり減って、そんでも最期まで、オレの夢を描いてくれんねん」
愛里は拍手しながら、
「立派や、立派やなあ、瓢ちゃん」と笑いながら言った。
「で、どんな夢なん?」と愛里は訊いた。
「完成したら、見せるよ」と瓢介は応えた。


   《夢の続きの始まりは本編へ》

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制作・著作 フルカワエレクトロン