#6 陽気なテレビショー

 11月4日付けの朝日新聞に、懐かしい顔が載っていました…
 ワイン片手に、フォークでアボガドなんぞを潰しながら、お客を「いじる」巧みな話術と(現在、日本ではいい加減うざった過ぎる、と言うか馴れ合い過ぎの)裏方(マネージャー)スタッフとの程よい楽屋落ちの絡みで、毎週楽しみに見ていた「世界の料理ショー」のグラハム・カー氏です。

 いやぁ、もうなんだって好きでした。70年代、日本の料理番組は「お台所」のお袋の味的なテイストで、どこぞの料理研究家なるご婦人か、「板さん」風な身なりで(や、土井まさるさんがいたかな…)良く切れそうな刺し身包丁で「割烹料理」風の粋な料理をつくる様な番組が主でした。とにかく、主役はあくまで「料理」であって、子供が見ていて、さして面白くなかった訳です。
 そこへアメリカから、のりの効いたピンストライプのワイシャツの袖を軽く折り返し、突然客席からスタジオのセットに客を冷やかしながら「キッチン」に飛び出して来ては、パターをたっぷり使ったソースや、原色こってりなデザートを陽気に作っていくその男の姿は、畳に座りながら観ていても「アメリカ〜ン」な世界でした。アボガドやアンティチョーク、グレービー・ソースやラズベリーソース…それらの「食べ方」を知ったのもグラハムさんのお蔭でした。

 その昔、私が子供の頃住んでいた近所に、東京で言う「紀伊国屋(マーケットの方)」の様な「ユニオン」という輸入食品を主に扱うスーパー・マーケットがありまして、存在は知っていても「食べ方」が分らないものがずらりと並んでいました。キャンベルやベストフードのマヨネーズ瓶…TVディナーやカラフルなシリアル。正にアンディ・ウォーホールが皮肉った「悪趣味な大衆文化(もちろん、アメリカ人から観た)」そのものです。

 グラハムさんは、そんなウォーホールの対極に当たる様な、正にアメリカ大衆(もっぱら奥様)のアイドル的な存在だったと思います。そのグラハムさんも、いまや68才!っと、記事を読んでビックリしましたが、いや、若い!っ言うか変わってない!!でした。とは言え、実は去年ケーブルTVで「新・世界の料理ショー」を見かけて狂喜していたのです。多分、数年前(いや、80年代かも)の物だと思われたのですが。始めは「ああ…すごい懐かし〜い!」と、思っていたら(その時点では単なる再放送と思っていたのですが)実は、70年代のリメイク版といいますか「ローファット、低カロリーヴァージョン」になっていたのです!!
 笑いました。チーズはカッテージやトウフに代えられ、バターはオリーブ・オイルやハイオレックひまわり油に変わっていたりして、御丁寧に70年代のオリジナルレシピとのカロリー比較も最後に表示する徹底ぶり。アメリカ人のパラノイックな近年の「健康思考」を垣間見、苦笑いしたものでした。

 …ですが、前述の記事を読んで「なるほど…」と、うなずいたのはグラハム氏の奥様が糖尿病を罹ってしまったのがきっかけで、昨今のレシピの見直しに立ち上がった様なのです。現在、新規の料理番組を製作中との事でしたが、決して「病人食でも味は陽気なアメリカ〜ン」なスタイルは崩しておらず、健在な御様子でホッとしました。

 相変わらず「アメリカで咳をすると…」ではないですが、昨今の日本のテレビ番組もやれ「ポリフェノール」だ、「リコピン」だと、そんなにこだわって食い物喰ってられるか!?な現状ですが(当の未来を担う若者(笑)は、味覚障害だったりするんですが…)、何か説教臭いというか、押し付けがましい感じがしています、私は(原因はみ○もんたのせいかも知れませんが…(笑))。
 同じスタンスをとっているのにグラハム氏を肯定してしまう理由は、多分「エンターテインメント」として番組の存在自体が「説教臭く」ないからなのでは…という気がします。そういう見せ方は、やっぱりアメリカにはかなわないなぁ…と、改めて感心してしまうのです。良くも悪くもやっぱり日本人て「勤勉家」なんだなぁ…と。

 「スティーヴ(グラハムさんのマネージャー。まだ、やっいたのね(T_T))!、ホイッパーがぶっ壊れてるぞ。プロデューサーに何か文句でも付けたのか?謝っとけよ!」と、ローファットミルクをかき混ぜながらワイン片手に料理を作るグラハム氏の軽口を聞くと、「いいなぁ、こういうの…」と、フッと、思ってしまいます。サブ・カルチャーも悪くはないのですが、あくまでサブリミナルであって、大衆文化の良さを改めて見つめ直したい今日この頃です(深読みせずに…)。

(4.NOV 2002)

#7 奇遇だ

 昨夜、何本目かの「市民ケーン」を録画して(もう、なんかどこにビデオ行ったか分らないのでやる度に録画している)、何十回目ぶりにまた見ました。でも、何度見てもかっこ良過ぎ…です。いい加減、DVDがあるんだから買えばいいんだけど…

 ま、とにかく年に必ず何回かは見る映画なのだけれど、実はほんの少〜しだけど、私のコミックスに関わりがあるのです。
 本日(正確には昨日)たまたまTVで、海外のニュース(バラエイティなんだけど)ものをやっていたのをチラッと見ていた所、「オッ!」といったものをやっていました。世界の著名人の誘拐事件を取り上げた番組で、「リンドバーグ辺りをやるかなぁ…」と、思っていたら新聞王ハーストの孫娘の事件までやっていて、つい、見入ってしまいました。
 基本、「ストックホルム症候群」話(人質と犯人の間で、奇妙な連帯感ができる心理状況)が主だったので、映画「狼たちの午後(これも実際の事件から作られているのですが)」の実写フィルムでもでるかなぁ…と、期待して見ていたのですが、それは無しでした(途中から見たのでやったのかもしれませんが)。

 で、それと何の関係があるかって言うと、前述の通り私のベスト1映画は「市民ケーン」なんですが、それのモデルになった人物が、そのアメリカの新聞王ハースト氏なのです。で、で、それとコミックスがなんで?と、言いますと…(ちょい話しが長くなりますので御勘弁を…)そのハーストの孫娘、パトリシアが金目当てでテロ集団に誘拐されるという米国史上でもまれに見る、奇妙な大事件がありました。前述のリンドバーグ(翼よ、あれがパリの灯だ…のね)以来の大事件だった訳ですが、リンドバーグ事件はどちらかと言えば、例の「ジョンベネちゃん」事件に近い展開で、今尚謎のままになっているのです(これも、なかなか興味深い事件ではあります、個人的に)。

 このパトリシア嬢が誘拐された事自体、アメリカ史上驚くべき事件だったのですが、その顛末がまた驚くべき結末になったのです。長期に渡る軟禁生活の間に、パトリシアはそのテロ集団(と、言うか政治集団)に感化され、挙げ句行動を共にし銀行強盗までやらかしてしまうと言うとんでもない(まるで映画。もちろん映画にもなりました(笑))結末を迎えるのです。私は、映画こそ見なかったのですが、事件がとてつも無く興味深かったので、一時調べまくったものでした(なんせ、市民ケーン・フリークですから…(笑))。

 さて、そこでやっとコミックスに繋がるのですが、実はカバー・デザインをしていだいたK氏は、そんな私のケーン・フリークなど知るよしもなかったのですが、上がってきたRHINOのデザインロゴは、偶然にもそのテロ集団のトレード・マークのパロディだったのです。いや、驚いたと同時に私は大喜びです(笑)。
そんな事って、あるんだなぁ…というか、なんかこの仕事やっててホント良かったなぁ…と、つくづく思っちゃった訳です(単純)。

 漫画家(他の方は知りませんが)は、机にへばりついて目の下にクマ作っているか、昼間っからプラプラ本屋辺りをうろついてるか、な生活を送っているのですが、こう言うホンノちょっとした事が異常に嬉しい瞬間でもあるのです…地味な人生ですが(笑)。

(21.NOV 2002)

#8 横道行路?

 最近、お手伝をしに来て頂く若い方に「漫画専門学校」に通っている…という方がよくいらっしゃいます。「へぇ…そういう学校があるんですか?」とか、「え、え、で、どんな事勉強するの?」と間抜けな質問攻めをしてしまったりしてます(そういうのって、もうポピュラーなんですか?)。
 私は、まともに絵の勉強も、ましてや専門学校…なんて縁のない人生を送って来た者ですから、迷惑を顧みず質問攻めをしてしまい、自分の漫画歴を振り返り不安で一杯になったりしてしまいます。

 私は、アシスタント経験がないのですが、よくアシスタントが一番勉強になる…と、その筋では聞いていたので「そうなのか…っといっても、私の様なのが行っても、足でまといになるだけだろう…」と思いつつ、逆にアシスタントに来ていただいた方に、道具の使い方や、用語を聞いたりして感心したりする始末です。

 実際、私は漫画家になろうと本気で考えたのは二十歳もとうに過ぎてからだったので、実の所、漫画家になってから(それも最近)、友人の漫画家さんの所に手伝いに行ったのが初めてのアシスタント経験でした。それでも「いや、もう役に立たないよ…私なんか」と、念は押していたのですが「もう、人がいて話してくれるだけで…」と言う言葉につられ…(いや、本当にその気持ちはメチャクチャ涙出る程分るのです(T_T))。それでも、気心知れた人だったので「まぁ、じゃあ、お邪魔させて頂きます」と、いった感じで行ったものでした。

 アシスタントのバイトをしながら、漫画を…が、現在主流の道(?)なのでしょうが、私はそんな漫画業界の右左も知らないで過して来ていましたので(おまけにそんな、体力もない)、漫画家になった時、周りの殆どの友人は「雨宮が漫画家ぁ?!」と、ぶっ飛ばれたものでした(サプラ〜イズ?って感じで…)。
 その代わり(?)、それまでは、もう自分の興味のある仕事は手当たり次第…って感じでした。それは本当に今、こうして漫画を描くにあたって「あ〜、やってて良かった…」と、つくづく思っています。
 基本、石橋を叩き壊すくらい根性無しの性格と、自分の器量などたかが知れていると分っていたので、とりあえず「外」を知らなければ「内」は無理…でも、潜在的に「もしかして、これっていつかネタに…」との、もくろみはありましたが(笑)。さて、そこで、ザッと職歴を列挙してみます。

 まずは、書店。渋谷の某大型書店(特にその頃は、マニアックな雑貨も取り扱っていた)に潜入。専門部所を面接時に聞かれたのですが「洋書、美術書」と偽りの報告、無事合格(笑)。特典は社内割り引き価格で手に入る事(でも、漫画を買った記憶がないんです…)。
 それと、これは時効ですよね(笑)…昼休みに書籍を借りて読む事が出来たのですが、興味のある項目はコピーしまくって(これは禁止行為です)ファイリング。現在も、資料として大切に保管してあります。

 お次はレコード屋(笑)。これもラッキーでした。新譜、中古を扱う(おまけにレンタルビデオ、中古ビデオも)チェーン店で、休日は3日間(中古に限り)持ち帰りOKという大特典。もう、端から借りまくりで、すぐ売れそうなレアものは店頭に出す前に押さえたり、不正しまくりでした(笑)。
新譜も試聴盤は当然、録音してお持ち帰り…(でも、レコード屋さんって、思ったよりキツイです。趣味じゃ無いものを8時間聞かされる…って日もあるのですから)。

 異例は(いや、これも趣味かな?)、民間の医療関係の検査所…この頃は、前述の「若者」の多い職場な上、どっぷりそれだけの世界にいい加減嫌になっていて、若者のいなそうな所…という事で、時給こそ低いものの誰とも話さずに、のんびり試験管を塩酸で洗う仕事をしてました。これは、凄かったですよ、生肝臓の一部とか処理してたりしてましたから(笑)、手袋二重にして。
 ですが、まず一生その道の研究者にでもならない限り、お目にかからない様な遠心分離器や、機材をいじらせて貰ったり、いろんな医学用語を教えて貰ったりしてました(すごく、不思議がられましたけどね。いい年の若い女の子(?)が、黙々と血まみれの試験管洗ってたりして。おまけにおばさんと、研究員みたいな人しかいないから、殆ど素性も話さなかったし…)。

 昼休みにウォークマンと本を持って、屋上で弁当食べていたりするとパートのおばさんがお菓子持って来てくれたりして…「お国(故郷)はどこ?」とか、聞かれたりもしてました。
 なんだか、おばさん達の間では奇妙な「情(というか、物語)」を私に抱いていらっしゃったみたいでした。私も、それに応えるように勤めてシャイな人間になりきっていましたが(夢を壊してはいけない気がして…)、そのクセ、屋上で読んでいた本はトム・ウルフやギンズバーグだったりしてたんですが(あら、ヤバすぎ)。

 やがて、こりゃマズイなと思いはじめ(?)、友人の勧めで某建築(好きなんです、建物って)専門誌を出す出版社に履歴書も出さずに潜入、採用(笑)(まぁ、以前、バイトで某学習関係の編集部にいた事があったっていうのもありまして…。そこでは経費削減で文章、レイアウトは勿論、カット描きなんぞもしたりもしました。もちろんノーギャラ、キ〜!)。持つべきものは「友」です。

 常勤ではなかったので、同時期、近所の印刷屋さんも掛け持ちし、写植張ったりレイアウト組んだり…な仕事をし「印刷物」の工程を知りました。それ故、「〆きり」というものが、いかに大勢の人達の生活に迷惑をかけるか!と、いう事を思い知らされたのです(笑)。

 そして、「そろそろ漫画でも描けるかなぁ…」と、思いやっと紙とペンを持ってみた…となったのです。それに、一人で仕事出来るし…(って、思ったけど、そうでもないのは誤算でした)。

 長々、つまらない経歴を語ってしまいましたが、もしかして、こちらに間違って遊びに来て下さる「漫画家志望」の方がいらして、「やっぱり、学校とか行った方がいいのかなぁ…」と、迷われている方がいらしたとしたら、「いえ、そんな事、気にしなくても全然大丈夫ですよ…」と、老婆心ですが、私は思っています。
 とにかく、貪欲に興味のあるものを貪っていると、いつしか「何か」が貯まって、否応無しに吐き出したくなる時が来ます。尚、採算が合うか…の保証は、当局の関知する範囲では無い事を、予めおことわりしておきますm(_ _)m。(なんだか、説教臭い雑文でスイマセン)

(25. NOV 2002)

#9 サイトって?

 7月からこのサイトを始めて、約5ヶ月に入りました(林檎を買ったのが丁度一昨年の今時分。その割に、未だに四苦八苦しています)。附録のHPソフトで、人様のサイトの見よう見まねで「えいや!」と、サイトを立ち上げ、タイトルを付け、カウンターなるものや、掲示板などを借りて来て「それらしくなったかな?」と、一人悦にいっていましたが、思いのほか「更新」という暗黙の(?)プレッシャーがある事に気が付きました…(今更かよ…ですが)。

 お蔵の漫画と、好き勝手な描き下しを公開するお気楽サイトのつもりだったのですが…
初めの頃は、漫画を掲載するサイトさんを見に行っては(今だアナログ回線ですから)、ハラハラしながら「どーやって、知らせんのよ?存在を…」と、いろいろ回るうちに「ははぁ、漫画やそういうの専門の検索サイトに登録すればいいのね!」と、気付き(?)、やたらめったら登録しに行ってはみたものの、登録事項に分らない「符牒」の様な言葉が列挙され(いわゆるジャンルという奴ですね)、「な、なんだ、ウチは何に当たるんだ?」と、キーボードを打つ手が止まってしまう事が多々ありました。「ま、とりあえず18禁だけではなさそうだな…」というのは分りましたが。

「オリジナル」や「イラスト」とかは、まだ良いのですが、それをまた細分化していく様なのですが、某所の登録では小一時間登録にかかってしまいました。よっぽど途中で「もう、知らんわ!」と放棄して来ようかと思ったのですが、ここまで来て引き返すのも癪に触ったので最後まで付き合わせていただきましたよ、はい。(悔しいので(?)、「うそつき!」みたいな事もしてきちゃっいましたけど(笑)。「PhotShop」とか「SF」とか…単に「使ってる」、「〜の様な物を描いている」なんですが。だって、分んないんだもの、自分描いてるもののジャンルなんて…って愚痴るなよ)。
 そんな時ふと思い出すのが、かつて、J.G.バラードが「全てが、恐ろしい程コ−ド化されている」…と、とあるところで批評をした時の言葉です。半世紀近く前の事ですが、正にその世界だなぁ、と。

 さて、その登録。自己申請の登録より、審査がある登録の方が「第三者の目」が入るので、申請されなければ「違うのね」と、分るのですが…それでも、自分で「?」と思っていた所に申請されると(申請しときながら)「そんなもんなのかなぁ…」と、いぶかしく思ってしまいます。

 その傾向は実生活でも同じで、仕上げた漫画は絶対に「第三者(要するにその道の人、早い話、編集さん)」に、見てもらわなければ落ち着かない質で、例えその担当さんの趣味的に合わなかったとしても、「見てもらう」という行為がある種の勘を鍛える(?)事になっていると、自分では思っています(ですから、サイトを作ろうかなぁ…と、思った時、一瞬「いや、それはマズイかなぁ…」と、考えたのですが、結局「面白く」なければ、誰も読まないだろうから、それなりに自分を見直す場所としていいかな…と、始めた訳です)。

 話が逸れましたが、確かに膨大なサイトの中から、お目当てのサイトを検索する程、気が遠くなる事はないのですがアナログ時代を人生の半分以上過してきた者にとって、「すごい親切っつうか、即物的過ぎ」な感じは否めませんでした。それでも、「やっとお目当てに辿り着く」というのが、この世界というのですから、いやはやです。

 無駄な時間を使いたくない…っという気持ちも分るし、それはそれでなんらか「得る」ものがあると思うのですが。そんな世間の反動からか「スローフード」なんて言葉も最近良く耳にしたりしますが、どこもかしこもそんなに急いでいるんでしょうかね(私がのんきなのかも知れませんが)。

 苦労の末に出逢った時の「僥倖」というのは、時間がかかればかかる程大きくて、それまでの道程が既に1つの物語になっていたりするのが、嬉しかったりするのです。私の場合はですが。

 その昔、「ジャケ買い」というレコードの買い方を懐かしく思い出します…そうやって8割失敗し、2割に人生を左右する物に出逢った時の嬉しかった事! そうやって、自分の「勘」や「好み」を掴んでいったものでした(それを逆手にとった、というか皮肉ったP.I.L(大昔、ピストルズというパンクバンドの親玉が作ったバンドですが)は、真っ白のジャケットに青い文字で、アナログ盤には「ALBUM」、CDには「CD」、ビデオには「VIDEO」とタイトルを付けて発表した事がありました。尤も、それ自体アメリカのあるビールのパッケージ「BEER」のパロディだったのですが…)。

 結局、なんだかんだ言いながらも、今、ネット上で「ジャケ買い」に近い事をしている自分に気が付きました。トップに来て「どうかなぁ…」と。検索で調べるより、やっぱりそっちの方が性にあっている気がします(笑)。検索サイトに登録しといてなんですが…

(5.DEC 2002)



OTHERS