#10 #8の追記の様なもの

 #8や掲示板のところで、「漫画の学校」についての話が出たので、ここのところ少し考え込んでしまいました。
 まず個人的な事からで恐縮ですが、私はつい最近になるまで(妙な言い回しですが)肉眼で「漫画を描いている人、で、それを商売にしている人」と知り会えなかったという事が、「びっくり」発言に繋がったのです。

 さすがに漫画家になってからは、出版社が主催する「〜会」の様なパーティー会場で漫画家の方を「見た事」はあったのですが、ほとんど話をする様な状況でもなかったですし…(私は基本的にそういうのが苦手で、カタギの友人に付いて来てもらい、1、2度行ったくらいで…「あ、テレビで見る〜さんだ!」とか言って山盛りのロースト・ビーフの間から覗いてたんですが(笑))。

 振り返ってみれば学校に「まんがクラブ」なんて言うのもありましたし(帰属こそしていませんでしたが…)、友達間で鉛筆で自由帳に描いているのを、見せたり見たり…なんて子供の頃はしていたのですが、「投稿」なんて言葉が身近に思い付いたのが、前述の通り二十歳を過ぎてからだったので、それこそ商売にすると考えるのは「親が泣く(いや、本当に(笑))」と、思っていた位でしたから、持ち込みするまで、こっそり描いて引出しにしまっておいたものです。

 これは、多分世代的な問題や育った環境もあるのでしょう…私の親の世代では(いや、ここでは私の親と断言しておきます)漫画は「子供」の読むものと認識していたし、漫画ではなくても「自由業」と称するものに対しての寛容さは全く無かったと言う事です。多分、私の世代の親の殆どは、そういう認識だったと思います(掲示板で仰っていた方もいらしましたが)。

 それでも友人の親に、白土三平さんやつげさんを読んでいた方なんかもいたんです。感動しましたねぇ、子供ながらに…(何だか分らないけど「いいなぁ」と、思いました)。よくその子の家に行っては、それらの全集を読んでいました。その後、私が漫画家になってから「ウチにあっても何だから、トモちゃんにあげるよ」と、その全集を頂きました。漫画家になって嬉しかった事の1つです(ショボイなぁ…古本屋で見たら結構な値段になっていたので、つい「ウッ」とか思いましたけど(笑)、手放してはいません) F(旧姓)ちゃん、ありがとう…でした。

 またまた、話が逸れてしまいましたが、そういう環境で育ってきたので、現在でも「後ろめたさ」が、心のどこかにあるようで(第一、今でもウチの両親は私の漫画を読んで「訳分んない」…と、一蹴です(笑))、それを(やっと本題…)「学校」で教えてくれるってんですから、驚いちゃう訳ですよ。それも、専門に。

 ただ、よくよく冷静に考えれば、それこそ昔からUCLAの映像学科なんてものも(日本でももちろんありますが)ある位ですし、それ専門の学校があってもおかしくない程、大衆化したのはもう過去の話だとは思うのですが(もちろん、私の世代で漫画を読んだ事がない人間になんて会った事もないですし)…実際の所、私が驚いたと言うか、「うらやましい」と思うのは、そこに通う本人より、それを認めてくれる親の存在なんだと思いました。「そこまで来てるのか…」と、今更ながら。

 スピルバーグが、子供の頃、親に8ミリ映写機を買ってもらったのが事の始まり…と、聞いて「あ、そりゃそうだろうね…」と、素直に受け入れる。けど、ウチの父親もスピルバーグよりずっと年上だけれど、かなり若い頃から8ミリに手を出して編集機材や、映写幕もあったし…(よく、子供の頃、その切れっ端を繋いで、フィルムに針でイタズラ描きをして、パラパラまんがフィルムを作って遊んだものです…)でも、映画監督とは決して繋がらない(って言うか、スピルバーグとウチの父親を一緒にしたら失礼すぎるけど(笑))…っと言いますか、多分あの人(ウチの父)も、映像学科なんて「学問」として、存在してる事すら知らないと思います。

 そうやって考えれば、コッポラやジャームッシュ、ソダーバーグ、ハル・ハートリー(最近、どうしてるのかなぁ?「トラスト・ミー」めちゃくちゃ良かったのに…)なんかを思い浮かべ、自主製作映画が「同人誌」あたりで、卒業製作のフィルムがデビュー作だったり…なんて、子供の頃よく映画雑誌で見ていた行程が、漫画という違う媒体で起こっているってだけの話で驚く事ではないのかもしれない…のですが、やっぱ驚くなぁ(どっちなんだよ?!)。だから、タランティーノみたいなのが出てきた時は、なんだか妙に嬉しかったです(笑)。独学で殴り込み…みたいな。その癖、ちゃんと「エンターテインメント」が分っているっていうのが凄いわ…って。

 巷に漫画を描く人は大勢いると分っているのに、私の身近にいない…っていうのが、なんだかとても不安だったのです。ただ、それを「知ろう」と思えば、漫画関係の書籍やなんやかやと、調べれば「ある所には存在する」と知り得る事も可能だったのでしょうが、それをしていなかった(知ってどうする?っていう思いもあったんですが)所に来て、ネットなどを見られる環境になり、いきなりそんな「情報」が簡単にドッと入って来て、とにかく「びっくり」としか言い様がない…っていうのが今の正直な感想です(要するに、遅蒔きながらのカルチャーショックって事です)。

 ですが、やっぱり「モニター」上では、何だかリアリティに欠けるので、同所に通う人や漫画を描くって言う人に会うと「どんな事を習うの?」「どうして描き始めたの?」と、質問攻めをしてしまうのです。
 だからって、「PC(って、結局そんなに見ちゃいないんですが)を捨て街に出よう」って性分じゃないし(苦笑)、とても、矛盾する感情なんですが、その世界の苦労話はしたいが、業界話みたいなものはしたくないし…という。とにかく、黙って「描け!」しかない…んですよね。

 …ああ、なんだか、相変わらずまとまりのない、妙な戯言の吐露ですいません。

(8. DEC 2002)


#11 見たくても見れないもの…

 ここの所、ある事を調べていて、いろいろ書籍などを読んだりネットなどで調べていたのですが、突然「あ!」と思い出し、別の物の「検索」をし始めてしまいました。

 それは「天国からの中継」という映画です。私のベスト何位か分らないけど、とにかくものすごく「わぁ、やられた!! めちゃくちゃ好きなタイプの物語だ」と、思っていたのですが、今に至まで殆ど「あれは、一体なんだったんだ…?」と、いう位情報も分らないまま、昨晩(もちろん、今日も、ですが…)まで至ったのですが。

 初めて目にしたのは、まだこの仕事に就く以前の話で、ちゃんと外にも出ていた(笑)頃の話です。バブルの頃(十数年前だと記憶しています)、地上波で深夜CMノーカット、字幕入りで古館さんが前説をやっていた「ミッドナイト・アートシアター」という映画枠での事でした。毎回、かなり濃いめの映画や、ビデオ全盛期でもビデオ化もされなかったり、劇場未公開の作品を次々流していた番組で大変楽しみに観ていた記憶があります。
 残念な事に、私はその日たまたま帰りが遅く、同番組が始まりボーッと見始めていたのですが、あまりの「面白さ」に紙と鉛筆を取り出し、面白いシーンをメモッたりしていました。悔やまれるのは、余りに突然の事だったのでビデオの用意も無かった上、途中からでも何か潰してでも録画していれば…という機転も利かなかった程、見入ってしまってという代物です。見終わってからも、そんな「ビデオ時代」でしたから、「すぐまた出会えるだろう」と、たかを括っていたのですが…

 さて、その「天国からの〜」という映画、結局結論から先に言うと、どうやら現在でもソフト化されておらず、「幻」になっている映画だったという事だけが分りました。ついでに検索して分ったのですが、皆も私と同じように同番組で観たきり「行方知れず」になっている…との事でした(高橋幸宏さんも同映画から影響を受け、ソロ・アルバムを作成したとの事です。検索結果より…うーん、ま、それはいいんだけど)。
 全く残念。結局、私の手元にはその時メモしたラフスケッチと、翌日新聞の映画欄(前日の)を切り抜いたものだけが、唯一の手がかりだけになってしまったのです…
 主演はキース・ゴードン(デ・パルマの「殺しのドレス」で、ナンシー・アレンと一緒に犯人探しをする少年役だった子です)、監督は今年(だったけな?)「ストーカー」というロビン・ウィリアムス主演の映画で監督をしたマーク・ロマネクの85年(私の「切り抜き」では86年となっていますが)のある種の「ファンタジー」映画です(音楽もイーノを使ったりしていました(泣))。この「ある種」が曲者(笑)。

 この、キース・ゴードン君、実はこの作品で脚本も手掛けていて、私はそれ以来、しばらくその動きをチェックし続けていたのですが、88年に「チョコレート・ウォー」(いや、これもいい映画でした)でとうとう監督デビューし、僅かにそのプロフィールから「天国からの中継」の原題がSTATICというのだ、というの所まで辿り着けました…が、それ以来、プッツリ。

 そんな具合で随分前まで、映画好きの人に会うと、事あるごとにその映画の事を尋ねていたのですが、誰も観ていなくて泣く泣く「心の映画」として仕舞っていたのです。

 問題の(?)内容ですが、所はアリゾナ辺りの砂漠地帯。デカイ建物といったら、火力発電所だけというパサパサな(まるで「火星年代記」のような景色)田舎町。交通事故で両親を亡くした発明好きの青年が、天国と交信出来る(と、思っている)機械を発明したという事から奇妙な事件へと発展して行きます。親しくしている隣家の家族も、明るいんだけど何か「ヘン」で(笑)常に細菌兵器に備えガス・マスクを着用していたり(子供も)、アマンダ・プラマー(往年の性格俳優の二代目女優、いい俳優さんです)扮するひょうひょうとした女友達やら…街の人達も「そうとう(笑)」なのですが(皆優しいのですが)、やはりその青年の言う「天国に交信できる」という機械の存在を、誰も認めてはくれないのです。そして、青年はひょんな事から暴走(といっても危険人物ではない)し、図らずもバス・ジャック犯になってしまいます…が、そこでやっと彼を信じてくれる人達に出逢うのですが…結末は、と、とんでもない方向に。

 「見たくても見れないもの」…と、題したのはこの映画の事でもあるのですが、私がとても好きなテーマで(別に超自然的な事柄ではなくてね)、某所で「ハーヴェイ」という古い映画を、主人公の好きな映画としてセリフの中で登場させたのですが、これも「見たくても見れない」がテーマの映画なのです。と、言うより「彼にしか見えない」という、ファンタジーの常套手段と言いますか…
 この「ハーヴェイ」も、ジェームズ・スチュアート扮する青年が、彼にしか見えない「大ウサギ」に翻弄される映画なのですが、かの「フィールド・オブ・ドリーム」の中でもTVで見ているシーンが出てきます。そういう映画です…前記の通り「ある種」というのは、そういう世界の事です。

 ある人から言わせれば「夢」とか「妄想」であるのだけれど、本人にとっては「現実」であり青臭い言い方をすれば「愛」だったりする訳で…私は、そういうテーマにめっぽう弱いのです。
 その癖、はなっからいわゆる「幽霊」だとかその手の類いは「出てこれるんなら、出てきて欲しい。お茶でも出して迎えるから…」位、どーでもいい…と思っている人間なのですが、そういう事を「想像(これは本人の問題ですが)」できる(いえ「創造」の方かな?)人への興味は尽きません。

 逆に、特撮などで「見える」演出をされてしまうと興醒めしてしまう方で、あくまで私たちには見えなくても「彼等」には見えているという事が、制作者の腕の見せ所…と、私は思っています。それが「思わせ振り」で終わった時はトホホ…ですが(これは自らへの戒めでもあるですが…)。

 ちなみに、「ハーヴェイ」「天国からの中継」、邦画では市川崑監督の「わたしは二歳」。この3作は私の中の「その手」の中でも上位ランキングです(いや、ベスト50位あるんですが…(;^_^A)。

 最近、何かと「ファンタジー」という言葉を目にしますが(好みの問題はおいといて…)、皆、現実のあまりの救いの無さにかなり「疲れている」からなのかなぁ…と、想像してしまいます。
 そんな自分もかなり「疲れている」のが、こんな話をタラタラ書きたくなった理由かも知れません(今年も残す所、後僅か…となりましたが、私事ではありますが、公私に渡って今年は余りにもいろいろあったもので…)。

 ま、来年(鬼が笑いますが)は、もう少しシャキっと行きたいなぁ…と、志しだけは、と思っております。

追記: この場を借りて書いておきますが、「天国からの中継」は今でも何とかしてでも、もう一度観たい!!…と、思っている作品です。もし何か御存じの方がいらしたら、是非、メールでも掲示板でも御一報下さいm(_ _)m。

(12.DEC 2002)


#12 ライナスの毛布

 「枕が変わると眠れない」というのもありますが、私は寝る前に何でもいいから「活字」を見ないと眠れない…という、癖がもう何年と続いています。何でも、本当に何でもいいのです。薬の効能書きでも、チラシでも、電化製品の取り扱い説明書でも。そして、それが「記号」になって来た頃カチッ…と、ベッドの灯を消して眠りの体勢に入るのが常となっています(ですから、書籍はできるだけ、一気に読みたくなりそうな「物語」等は、できるだけ時間が出来た時の昼間に読む様にしています)。

 昔から宵っ張りで、よほど2晩徹夜でもしない限り起きようと思っていれば、いつまでも目が冴えている状態が続けられます。が、さすがにこれは年を追うごとに「体力」が着いて行かなくはなっていますが…「頭」の方は相変わらずで、1つ何か「思い」があると眠れなくなってしまいます。ことに、それが「良い事」であれ、「悪い事」であれ…

 最近、なにかのテレビで「涙」はある種のストレス物質を流し出す為の作用もあると、聞いて漠然と考えてしまいました…「そういえば、ここ何年とボロボロと泣いた事がない…」と。いや、単に図太くなっただけかもと、思ってはみたものの、哀しい事が山程あったにも関わらず(嬉し涙は多分成分が違うのでしょうが(笑)、どちらにせよ)、いわゆる「号泣」という事をしていない…と、ふと思ってしまったのです。その前に「ショック」というか、「血の気が引く」という事が、それ(泣く)にとって変わっている気がしています。

 本当に哀しいと涙なんて出ない…と、心に言い聞かせてはみてはみるものの、やっぱり端から見れば「冷たい」「情がない」と写っているのだろうなぁ…と、思ってしまうのですが。涙を流せたら、どんなにか楽になるだろうと思う事しばし…
 とにかく「衝撃」は受けているのに、何か代償行為に転化しなくなっている事は確かみたいです。あるがままに…という事が、非常に困難で「故意」にしなければ出来ない、という事がまた「ショック」に繋がって、ぐるぐるとループしている様な感じでもどかしいのです。

 癒されたい…とか、そういった気持ちではなく、言葉では言い表せないのですが…人なのか物なのか何なのか?

 もう、前世紀の話ですが、ある時、久々に友人と電話をした時の事。たわいもない話から、ふと(確かダイアナ妃が亡くなった頃だったかと思います、世間では毎日その事でテレビや何やらで大騒ぎをしていて)どちらともなく「マザー・テレサが死んじゃったねぇ…」と、言ってお互い驚いた事を思い出しました。
 もちろん私も相手もクリスチャンでも、何でもないのですが、21世紀を間近に控えていた…という気運もあったというか、何故か異常なショック(興奮)を覚えたのを記憶しています。この世界にまた「ああいう人」が、いなくなってしまった…と。
 別に、ある人の、ある「偉人(そう思わない方も、もちろんいる事でしょうけど)の死」と、言ってしまえばそれまでなのですが(その後、別に深刻になる訳でもなく「いやぁ〜、勝新も死んじゃったねぇ、とか言おうかと思ったんだけど(笑)」と、お互い流しましたが)、それこそ、何億光年離れている星が消えた位、全くその後の生活に影響もない事も分っている会話でしたが、多分、友人も漠然と「何かを失った」と、感じていたんだと思います。

 ただ、そう思う人が(まぁ、だから友人なんですが…)いた事に「安心」したのです。政治や、宗教、思想とか…取りあえず、こっちへおいといて…。

 前振りが異常に長くなりましたが、タイトルの「ライナスの毛布」とは、もちろん、あの有名な「ピーナッツ(スヌーピー)」の登場人物、凄まじく直情型の姉「ルーシー」の弟で、彼が常に頬を擦り寄せているフランネルの毛布の事です。そうする事で、彼は平衡を保っていられるという「安心」のシンボルです。
 子どもの頃、現実に私は「ルーシー」そのもので、弟に理不尽な意地悪をしつくしていた(笑)訳ですが、気が付いたら何時の間にか自分が「ライナス」になってしまっていた事に気が付きました。そして、今、その「ライナスの毛布」を必死に求めている事にも…

(2.MAR 2003)


#13 星条旗よ、永遠なの?

 始めに言っておきます。私は、御存じの通りアメリカという国は本来大好きです。かぶれてるだの、なんだのと言われようがあの国から出てくる「文化」なくして、今の私の人格形成は(と、言うと大袈裟ですが…)なかった…と、思っています。

 さて、本題。前回は比較的冷静に傍観できたのに(そう言うと無責任ですが)、今回は何故こんなに嫌悪感があるのか…
 本来、こういう内容は自分の「手段(漫画)」で言うべきなのだけれど、あまりに目に余るのでちょっと触れてみたいと思いました。それは、アメリカの今の状況。現在(2003年3/19)なんともごう慢な「最後通告」が宣言され、ファイナル・カウントダウンが始まっていますが…。前述の「前回」とはGULF WARの事。
 その前回は、クェートへの侵攻(その実「宝」の宝庫だったから)という大義名分があって、多国籍軍が(やはり主導権は星条旗)動いたのだけれど、今回に至っては根底に「個人的な(しかも、二代に渡っての)うらみ、あるいはプライド」の様なしがらみをどうしても感じてしまって、皆引いてしまっている感があるのかもしれません、私も含む。

 実際は(ニュースなどでの研究家だのの方々の聞きかじりではありますが)結局の所「宝」の利権故(戦争とは常にそれが元?)、世界を二分してしまっているのだそうですが…何ゆえ、他国の政治家が自国の「作法」を押し付けるのか?
 「粛正」と称して、反体制の自国民を殺す様なワカランチンのマリオ似の指導者が、長々国を掌握しているのは不愉快な事は確かで(過去に嫌と言う程、いわゆる「独裁者」と呼ばれる人は存在しましたが…ポルポトしかり、ムッソリーニ、言わずとしれたドイツの…もちろん、日本も)、誰かがそれを食い止めてあげなければ…と、思う気持ちも分るのですが、だったら、些末な例えで恐縮ですが「一夫多妻」制の下、女性が姦通罪で処罰される様な国を「それは良くないから、やっつけろ!」と、他国が乗り込んで制度をひっくり返すのと、どう違うの?と。
 …それは、自国になんのメリットがないからやらないだけで、今回の騒ぎは、それぞれの国の「下心」がありありとしているのが、私が「嫌悪感」に苛まれる原因の一つだと思うのです。しかも、ただ1国でそれだけの事をできる力(成功するかは定かではありませんが…)を持ってしまっている、現在のパワーバランスの無気味さや、名ばかりの「国連」の存在も…。今や争いを抑止する為の「国連」ではなく、争いを皆でするか一人に任せるかを決める場と化している様にしか見えないからです。
 「大東亜」と称した愚国の行為と、なんの変りもないし…21世紀に入っても、まだこんな馬鹿げた事をし続けるのかと思うと、憂鬱になってしまいます。

 「出る釘は打たれる」と言われても、今は「釘」が余りにもデカ過ぎて…ましてや本人が「打つ」側だと自負してしまっているから、もう始末におえません。

 もちろん今に始まった事ではないけれど、特にラムズフェルトと、かの悪名高き「赤狩り」のマッカーシーが重なり「嫌悪」を感じて仕方がありません。あそこまで酷くは無いにせよ、ベトナムや朝鮮での馬鹿馬鹿しさを、肝心の「親玉」及びブレーンが全く振り返ろうとしていないのは(の様に見えます、私には)、端から見ていてもどかしい限りです。唯一の砦がパウエルさんでしたが…(この人は常識人だと思ってたけどなぁ。今や本来「戦争屋」の軍人の方がまともなのは、全く皮肉な時代です)
 腰抜けと言われたクリントンも、学生時代懲兵を拒否し(要はヒッピー世代、下関係は笑えたけど。モニカ!)、仕事的にはまぁまぁなお人だったようですが、もし(歴史に「もし」は愚論だけれど)仮に任期が続いていれば、9/11もなかったかもしれないなぁ…と(しかし、お国柄と言いましょうか、ハト派の後はタカが出てくるのはどこの国でも似た様なものみたいですが)。

 結局「巨大化」し過ぎた事で、いつかは誰か(どこか)が「調子コクなよ!!」とガツンとやったのかもしれませんが、ブッシュ一族が再び出てきた時点で、正に「目には目を…」と、なってしまったのかもしれませんね。…こんな事は、今更私が言わなくてもどこかの評論家や、研究者がこうなる「シナリオ」をとっくに把握していたとは思いますけど。そういう事を、ただのルサンチマンと見下す傾向が、今のブッシュ政権にはある様に感じるし、その様子がまた反感を呼ぶ要因にもなっているのかもしれません…

 それにしてもアラハトさんとラビンさんの握手はなんだったんだ?!と、今更ながら情けなくなるって言いますか、早まってノーベル賞あげちゃったり…もう、世界中トホホ…な位混迷している事は確かなようで…(まぁ、それもアメリカが「全てを仕切っている」と演出したかったと、うがって見れば見えなくもないのですけど)。

 19世紀は大英帝国(ヴィクトリア女王)が世界を席巻し、世界の「首都」はロンドンにあったけれど、現在はその植民地だった「ワシントン(皮肉にも英国を倒した大統領の名前)」が首都に取って変わり、それ以来首都の移転は殆ど変わっていない…と、誰もが認めざるをえない状況になってしまっています。
 情けない事に、アメリカの大統領如何で世界が変わってしまう(いい方にも、悪い方にも…)構図が、まだまだ続きそうではありますが。とは言え、いくら国民が選んだとしても、私には一種の「世襲」だと写っています。その人物がイラクや「北」を悪の枢軸呼ばわりするのも笑い話にもなりません…
 正に「ボゥーリング・フォー・コロンバイン(『アホでまぬけなアメリカ白人』の原作者のドキュメンタリー映画)」。こういう事を言える人間が出てこられる国なのは、まだ救いです(しかし、最近はそれも少し危うくなってきているみたいですが…う〜む)。

 そもそも、私が「アメリカ」という国を認識し始めたのはニクソン政権時代です。毎日、超有能ブレーンで固めた大米帝国が、本格的に台頭してきた時代でもあったと思います(子供心にニクソンより、メガネのおじさん「キッシンジャー」の方が頭良さそうにお思えてました(笑)。その通りでしたが…)。もちろん、それ以前にケネディという男が地盤を固めてはいたのですが。

 話はそれますが、このケネディ…実際の所、私は今でも本当はアメリカ的にどういう存在だったの?と、はっきりとは捕らえていないのですが(記録の上でしか知らないので)、フルシチョフと会ったり、殺された地がテキサスだった事を考えれば(ベトナムの引き金を引いたのは汚点ですが)、ある程度は想像できます。もちろん(俗っぽい言い方ですが)まだ弱冠、左寄りである事が「カッコイイ」時代でもあった様ですし…ジャッキーのスノッブ加減も、いい味を出していたりして。

 ケネディと言えば、母が若い頃、仕事で東京に届けものをして(洋裁の仕事をしていました)帰りにお茶していこうとヒルトンに行った所、ホテルの旗が半旗になっていて休業していたと、怒って帰ったらケネディが暗殺された「その日」だった…という話を昔聞きました。
 また、いろいろな小説(ロバートの方が力はジョン程ないにせよ、支持れていたみたいですが)や、映画や歌などでその一端を知り(特に印象的なのはルー・リードの「The Day John Kennedy Died」と言う曲です)、ハトだったのか、タカだったのか…?ナゾは深まるばかりです。

 話は逸れましたが、望む所、ハトでもタカでもなく、抽象的ではありますがフクロウの様な政治家がこれからの時代、もちろん今直ぐにでも出てきて欲しい…と、思っています。「能あるタカは爪を隠す」ではないですけど、今のタカは隠す事を知らない気がします。だったら、同じ猛禽類でもフクロウの様な姿勢をとれる均整の取れた「指導者」を、誰もが願っていると思いたいのです。
非常に「理想論」ですけど…

 かの国の基本精神「正義は勝つ!」裏を返せば「弱肉強食」であって、常に「仮想敵」を作らなければまとまらない…しかし一方、他国の人間を比較的快く受け入れる(60年代以降位から)という矛盾を持った奇妙な国でもあり、そこから生まれてくる「文化」は私にとって非常に興味深いのです。

 モータウンレコードが出来たり、結果的には失落したけどウッドストックがあったり…イギリス人のジョン・レノンが住む事を望み、その上殺されたり…不謹慎な発言かもしれませんが「なんでもあり」な所がアメリカのいい所…でもあるのですが、それゆえ怖い所でもある「諸刃の国」なんでしょうね。

 長々、まとまりのない事を書きましたが、「本題」の結論は出ません。多分、一生…
 ですが、とにかくとても大好きな国が愚行を行う事を見るのは哀しい…という事を言いたかったのでした。

(19.MAR 2003)




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