「…み…神子、苦しいです――」
「あっごめんなさいっ! ついっっ」
少し慌てながら、だけど満面の笑みを浮かべながら、神子は永泉を抱きしめていた腕を離した。
「まったく…神子殿は事あるごとに永泉様に抱きつかれて…、まぁ私としては羨ましい限りなのだが」
そう言って「私はいつでも構わないよ」と腕を広げる友雅に「結構です!」と神子は頭を振った。
――ここは神泉苑…
今日は友雅の提案により、居合わせた自分と永泉と藤姫という『雅』な面子で(神子が含まれるかは任意)
いわゆるピクニックのようなものに来ていた。
清らかな青空から降り注ぐ、柔らかな光を水面はキラキラと乱反射させ、
その様子に心地よさそうに微笑む永泉を、いつもどおり神子は「可愛い!」抱きしめたのだった。
そう、いつもどおり…――彼女は事あるごとに永泉に抱きついていた。
「神子様? なぜそのように永泉様に…その…抱きついていらっしゃるんですか?」
もう見慣れてはいるものの、藤姫は少し赤くなった頬に手をあてた。
「ん〜? なんでって…こう、可愛い! って思った瞬間に抱きしめちゃってるっていうか…。ないかな? そういうこと…」
少し眉を寄せながら答える神子に、藤姫は「どうでしょうか…」と首を傾けていた。
「ふふ、その気持ちは私もわかるよ。
例えばそうだ、先ほどまで頬を紅に染めていた姫君なんて、とても抱きしめたい衝動にかられたね」
そう友雅は藤姫にウィンクをした。
「と〜も〜ま〜さ〜殿!!」
平静に戻ったはずの藤姫の頬は、またもや赤くなった。
「そっか〜、友雅さんは衝動にかられても制御できるんですね」
神子はうんうんと納得したように頷く。
「まぁ例外もあるがね」
ふふふっと友雅はお得意の意味深な笑顔で答える。
「永泉さん、私に抱きつかれるのイヤですか?」
「え…!? あ、あの…」
神子の素っ頓狂な質問に、永泉は驚いて声を上ずらせる。
「〜〜〜〜ッ♪♪」
その愛らしい(神子ヴィジョン)姿を見た神子はいうまでもなく…
「やれやれ…」
仕方ない様子だが、慣れた手つきで今にも窒息死しそうな永泉を助け出すのだった。
・・・・・
――私が頼りないから、神子はあのような行動をされるのでしょう…
永泉は輝く水鏡を見つめながら、これまでの神子の行為を考えていた。
少し離れたところで、神子と友雅が楽しげに話しているのが見える。
――私もあのようにお話することができれば…
そこで永泉は首を振った。そして迷いを払うように、笛の吹き口に唇をつける。
「…おや、永泉様が笛を奏でていらっしゃるようですね」
風に乗って聞こえてきた笛の音は、神子の耳にも届く。
「本当だ…」
微かな音に耳を澄まし、友雅は少し笑った。
「…神子殿、私はこれから藤姫と所用があるので先に失礼してもいいかな?」
「…?」
その話に疑問の色を浮かべる藤姫に、友雅は今日2度目のウィンクを送る。
「そうなの? 藤姫」
自分の横にいた藤姫に、神子は視線をうつす。
「え…ええ、そうなんです、神子様。申し訳ありません」
「あっううんっいいのいいの。 それじゃ気をつけてね」
丁重に謝る藤姫に、神子は両手を振った。
「はい、神子様も…けしてお一人では行動されませんよう――」
「は〜〜い」
神子は間延びした返答をし二人を見送ると、永泉の元へ向かった。
・・・・・
水面にそっと、神子の姿が映る。
瞳を閉じ、笛を奏でる永泉の姿にそろりと近づいていく。
邪魔をしないよう近寄ったつもりだったが、笛の音はぴたりと止まり、永泉は顔をあげた。
「神子…」
「あっごめんなさい」
「いえ、気になさらないで下さい」
永泉がふわりと微笑む。
「・・・・・」
「…神子…?」
いつもなら、抱きつくなり話し出すなりする神子が黙りこくっている。
永泉はどこか調子でも悪くなったのかと思い、神子の顔を覗く。
「神子…? どうかされましたか…?」
「えっ!?」
永泉の顔に焦点が合った途端、神子はばっと身を退けた。
「神子…?」
「あっごめんなさいっ! その…」
神子が慌てる姿は、永泉にとって初々しいものがあった。
永泉は不思議な気分でつい見つめてしまう。
「・・・・・」
「あ、あのね、友雅さんと藤姫が用事があるからって、先に帰ったの」
「そうだったのですか。…それでは、私たちもそろそろ帰り――」
「いえっあの…続けてくれませんか?」
神子は永泉の言葉を最後まで聞かずに、その手にあるものを指す。
少し驚いた顔をしてから永泉は頷き、笛を奏で始めた。
・・・
――いつもの永泉さんじゃなかった…。
水辺で見つけた笛を奏でる姿を、神子は全く別人のように感じてしまった。
――いつもの…?
弱気で頼りなくて、母性本能をくすぐられる仕草。だけど…
――別人だと思ったあの姿こそが、本当の永泉さんなのかもしれない。
だって永泉さんの想いは、風を震わせて遠く、高く響いていた…
いつも、そういつも清らかなこの音色とともに―…
…―なのに、今まで気が付かなかったなんて…
「神子…!?」
吹き終え顔を上げた永泉に映った神子は、瞳を涙でにじませていた。
「どっどうかされましたか!?」
突然の光景に驚きながらも、永泉は神子の傍に寄っていく。
「ごめんなさい…ごめんなさい、永泉さん…」
ぽろりと涙流すと、神子はか細く言葉を発する。
「え…?」
叱咤される覚えはあっても、謝られる覚えはない… と、永泉は自分の耳を疑った。
「私…永泉さんのこと、ぜんぜん見てなかった…」
「わたくし…?」
「永泉さんは可愛くなんかないよ…。あれ? ううんっ可愛いところもあるけど!」
えへへっと涙をぬぐいながら神子は笑った。
その笑顔を愛おしそうな眼差しを向けられていたことに、神子は気が付かずに話し続けた。
「綺麗な音色のおかげで、私の視界もクリアになったのかも」
「くりあ…?」
たまに耳にする神子特有の言葉を、永泉は聞き返す。
「あ、えーとね、きれいになったって言うか…」
「…そうですか。神子のお役に立てるならば、それ以上の幸せはありません」
「永泉さん…」
神子の涙もいつの間にか消えて、二人は柔らかく笑いあっていた。
永泉は立ち上がり、神子に手を差し伸べながら、「ですが…」と言葉を紡ぐ。
「?」
永泉の手をとり、立ち上がりながら、神子は永泉の言葉に耳を傾ける。
「…貴女の心ほどではありません」
晴天の霹靂。
神子は思わず声を上ずらせる。
「え…ええ?」
永泉の瞳を見ると、迷いのない温かい眼差し。
友雅がよく口にする、からかうようなものとはまったく違う。
それがわかった瞬間、神子は自分の鼓動が高まるのを感じた。
「あ、あははっさぁ帰りましょうっ!」
誤魔化すように、神子は脚を大きく踏み出した。その様子を不思議そうに見ながら、永泉が尋ねる。
「神子? 館は北東、こちらですよ…?」
・・・・・・。
「あっあ〜そーですよねっ…」
かくして、神泉苑での1日が幕をとじた。
…その日以来、神子が永泉に抱きつく光景は見なくなったそうな…
[終]
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