| 臓器移植法改正 (読売新聞 2004年3月4日) |
| 「助かる命」今こそ救おう (国立循環器病センター名誉総長 川島 康生) |
| 先月、二例の心臓移植が国内で行われた。心臓移植手術はそれまで一年余の空白があった。 |
| 臓器提供がなかったことが原因である。自民党調査会が臓器移植法改正案をまとめた。 |
| 現在の臓器移植法に付記された見直しの時期からは既に三年余を経ているが、兎も角もそのような動きが見られ |
| ることは喜ばしい。 |
| 明らかにされた素案は、十五歳未満を含め脳死者本人が生前に拒否していない限り遺族の同意だけで臓器提供 |
| を可能としている。 |
| 国際的にみればごく普通の内容であり、これが現行法で認められていないことが我が国の臓器移植の進展を阻ん |
| でいたことからすれば当然と言えよう。 |
| 十二年前、十五人の学識経験者からなる脳死及び臓器移植に関する臨時調査会において得られた「脳死を死と |
| する」結論を、わずか二人の反対者がいた為そのまま立法化しなかったことに、今日の臓器移植の停滞の根源が |
| ある。即ち、その後制定された法律は、脳死を死と認めない人に配慮して、脳死を死と認める人及び意思を表示 |
| していない人に厳しい制約を設けている。 |
| それにより、今回の素案の如くであれば救われるべき約千人の心臓移植、脳死肝臓移植の適応患者が毎年亡く |
| ってきた。 |
| 素案は脳死を死と認めない人に意思表示を求めているが、脳死を死と認める人に書面による意思表示を求めてい |
| たのに比べ、家族にその意思をを漏らしておくだけで事足りる。 |
| 遺族が反対すれば臓器提供は行えないからである。 |
| これまで提起された疑問、即ち、脳死が医師の恣意によって決定されるのではないか、免疫抑制の技術はまだ |
| 不十分ではないか、手術が成功しても患者の生活の質は改善しないのではないか、といったことは、実績によって |
| ことごとく杞憂であったことが示された。 |
| 我が国の心臓移植は先日の二例を含めてもわずか十九例ではあるが、今日まで全例生存という世界に例を見ない |
| 好成績を得ている。 |
| この素晴らしい先進医療の恩恵を受ける権利を、国民自身が同胞の患者から奪っているとすれば由々しき問題で |
| ある。まさに法改正の機は熟している。 |
| この明らかな事実を前にして移植法の改正に反対するのであれば、単に反対と言うだけではなく、何らかの対案を |
| 用意すべきであろう。 |
| その案が無い訳ではない。脳死になった時の臓器提供の意思を全国民が登録する方法である。 |
| 膨大な費用を要するであろうが、実施している国もあると聞く。臓器提供という人類愛に基づく意思を尊重し、 |
| 何よりも尊い国民の命を救うためにはそれだけの国費を投じてもよいかもしれない。 |
| 脳死臓器移植が大きな国民的議論になった法律制定時と異なり、今この問題を国会に持ち出すには大きな |
| エネルギーを要するだろう。 |
| 大事なことは国民がこの問題に関心を持つことである。 |
| 技術的に救い得る人が死にゆくことに国民が何も感じない筈はない。現に心臓移植を受けるために、海外に渡る |
| 患者の為には億という義援金が集められている。 |
| 補助人工心臓をつけて生命を保ち、臓器提供者の現れるのを待ち続けている、明日をも知れぬ患者を救う為に |
| 我が国民は今こそ、その声を国会に託して臓器移植法の改正を図るべきではないか。 |
| 「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と述べられた宗教家の言葉を国民の一人一人が思い起こしてほしい。 |
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