がんに挑む (読売新聞 2004年7月31日)
  克服への道 2    追いつかぬ専門医養成
     その手術は患者本人の命を奪ったばかりではない。家族には二重の苦しみを与えた。
     2001年1月、千葉県の69歳の女性は、腹痛が続き、「胆のうがん」と診断された。
     「がんは進行している」と判断した医師は、胆のうと、隣接する肝臓の7割を切除する大手術を行った。
     だが、肝臓を大きく取り過ぎたため肝不全を起こし、約2ヶ月後に亡くなった。
     切除した臓器を調べても、がんは見つからない。
     最終的な診断は胆のう炎で、がんは誤診だった。不必要な手術で母を失った息子たちは病院を訴えた。
     がん医療の最前線では、切除した組織を手術中に顕微鏡で調べる「迅速病理診断」が広がっている。
     適切な切除範囲などを決めるため、診断の専門家である病理医が行う。
     だが女性が手術を受けた病院に病理医はおらず、手術中の診断もしていなかった。
     全国に9000余ある病院のうち、病理専門医が勤務しているのは550病院に過ぎない。
     しかも米国では判断ミスを防ぐため病理医は2人1組で診断するのが一般的なのに対し,国内の   
     多くの病院では1人勤務だ。
     がん医療に欠かせない専門医の不足は、放射線治療でも深刻だ。
     日本放射線腫瘍学会は、放射線治療を行うには、少なくとも治療専門医1人と放射線技師2人が

    必要としている。

    だが、約800の放射線治療施設のうち、専任の治療医がいるのはわずかに3割、専任技師が   
    いるのは半数だ。
    放射線装置のコンピューター化で精密な治療が可能になった一方で、数値の入力ミスなどによる
    過剰照射事故も相次いでいる。
    久留米大放射線科の早淵尚文教授は「治療の高度化に、専門技術を持った人員の配置が
    追いついていない」と指摘する。
    国立がんセンター中央病院では、15ある手術室のうち稼動しているのは10室に留まる。
    手術に必要な麻酔科医が9人しかいないためだ。
    地方のがんセンターでも、麻酔科医不足で手術を増やせない事情は変わらない。
    麻酔科医の数は人口10万人あたり4人で、欧米の1/3ほどだ。
    逆に外科医は相対的に過剰になっている。土屋了介・同病院副院長は「全国の肺がん手術は、
    現在の1/10の呼吸器外科医で実施できる」と言い切る。
    国内には4000人の呼吸器外科医がいて、年に3万件の肺がん手術が行われている。
    だが、1人の外科医が年100件実施すれば、医師は300人で足りる計算だ。
    土屋副院長が「年100件」を掲げるのは、手術の技術水準を高めるには、医師は多くの手術    
    をこなすことが重要と考えるからだ。
    米国の報告では、肺がん手術の5年後の生存率は、実施件数が年間67〜100件の病院で    
    44%だったのに対し8件以下の病院は33%と低かった。
    肺がん手術を行う医療機関は国内に約700箇所あるが、厚生労働省の施設基準を満たす病院    
    は約400に過ぎない。
    経験の不十分な外科医が各地の医療機関に散在し患者を奪い合う実態が透けて見える。
    質の高いがん治療を行うには、病理、麻酔医らの養成を急ぐと共に、手術はそうした専門医のいる
    病院に限定して実施するなど医師や技術者の適切な配置を進める必要がある。

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