「生涯現役」の健康社会目指し (毎日新聞 2000年7月21日) |
栄養摂取のあり方、訴え続け − ポーリング博士 |
予防医学に尽力 |
「健康で平和な長寿社会の達成」こそ、WHOの究極の目標である。日本WHO協会副会長で、関西支部長の堀田進 |
さんは「『生涯現役』、『健やかな老い』の実現こそ WHO の21世紀の目標となるだろう」といい、そのことを早くから |
主張してきた先人として、米国の科学者で平和運動家の ライナス・カール・ポーリング博士(1901〜94)を挙げる。 |
世界の人々の健康長寿を推進していく為には予防医学が欠かせないこと、その中でも特に、栄養摂取のあり方が |
重要なことを、膨大な資料を付けてWHOに提案してきたのがポーリング博士である。 |
昨年4月、米国公益法人・健康科学研究協会(片岡美代子理事長)の仲介で、ポーリング博士の長男で、ライナス |
ポーリング科学医学研究所 (米カリフォルニア州)(注:当研究所は1996年にオレゴン州立大学に移転し、 |
「ライナス・ポーリング研究所」 に改名) とポーリング財団 (本部・米ハワイ州)の理事長の ライナス・ポーリング・ |
ジュニアさんと WHO健康開発総合研究センター(神戸センター)所長の川口雄次さんが、ポ−リング博士の考え方 |
と一致することを確認した。 |
博士が有名なのは何といっても、2度のノーベル賞に輝いたことだろう。一度目は1954年度の化学賞、2度目は |
62年度の平和賞である。 |
ノーベル賞の2度受賞は4人いるが、異なった分野で、しかも2度とも単独受賞は博士だけである。 |
米オレゴン州ポートアイランド生まれ。 |
オレゴン州立農業大、カリフォルニア工科大で学んだ後、グッゲンハイム奨学生としてヨーロッパに留学し、ボーア、 |
シュレーディンガー (いずれもノーベル物理学賞受賞者) らの指導で、量子力学を 学んだ。 |
31年にカリフォルニア工科大教授となり、分子構造を通じて化学物質の特性を究明する研究に取り組み、たんぱく |
質のらせん構造の解明など、さまざまな業績を上げた。 |
戦後はエバ・ヘレン夫人とともに、原爆禁止運動や平和運動を推進した。57年に核実験反対署名を世界の科学者 |
に訴え、59年に「ノー・モア・ウオー」を出版して平和研究所設立の必要を唱え、産軍共同体を非難した。 |
この間、パスポートの発行を拒否されたり、カリフォルニア工科大学を追われたりの迫害を受けるが、屈しなかった。 |
ビタミンなど適量超えた服用も必要 |
晩年は、分子生物学の世界に踏み込むとともに、健康長寿に関心を示し、ビタミンCの重要性を世に訴えたことは、 |
よく知られている。 |
生化学的な個性が個人の健康を左右し、それにはビタミン・ミネラルといった微量栄養を、ときには従来の適量を |
超えて服用することも必要になるというのが博士の立場だった。 |
この考えに当時の多くの医師や医師会には批判もあったが、平和運動がそうであったように、博士は信念を曲げる |
ことはなかった。 |
近年の米国政府の栄養補助食品(サプリメント)対応を見ていると、博士の主張が米国の医療の主流になりつつ |
あるようにも見えるのである。 |