高速伸縮運動で音の信号を増幅する「ダンス」細胞
     プールにもぐると、水上の音はほとんど聞こえなくなってしまう。これは空気の振動(音波)の大半が水の表面
     で反射されてしまうからだ。耳の中の内耳は水(リンパ液)で満たされており、そのままでは音波ははね返さ
     れてしまう。しかし、体内で最も小さな骨である三つの「耳小骨」(じしょうこつ)が、テコの働きで鼓膜から伝わ
     ってきた音波の振動を強め、音波の振動エネルギーの40%程度を内耳に伝えてくれる。
     内耳での音の振動を電気信号にかえるのは、“毛”をもつ内有毛細胞である。内耳の中が音波でゆれると
     リンパ液に流れが生じ、内有毛細胞の毛がその流れを感知し、神経へ信号を伝えると考えられている。
     もう一つの毛をもつ細胞、外有毛細胞は私たちの聴覚の感度を約1000倍も高めるという重要な役割をもつ。
     もし、外有毛細胞が損傷を受けると難聴になってしまう。外有毛細胞は、蓋膜(がいまく)という膜に毛を突き
     刺している。内耳に音の振動が伝わって外有毛細胞の周囲がゆれると、毛がそのゆれを感知し外有毛細胞
     に電気が流れる。すると、外有毛細胞は周囲のゆれを増幅する方向へ“ダンス”するように伸縮するのだ。
     驚くべきことに外有毛細胞は20kHz(キロヘルツ)もの高周波の音波に同調して伸縮できる。
     つまり、1秒間に2万回もの伸縮運動を行えるのだ。
     2000年になって、この外有毛細胞の伸縮をつかさどるモーター役のタンパク質「プレスチン」が同定された。
     プレスチンは、外有毛細胞側壁表面に存在していると考えられている。プレスチンは、電位を感じとって素早
     く長さを変えることができる高性能な一種の「分子モーター」といえる。
     内耳のメカニズムを研究している東北大学工学部の和田仁教授は「外有毛細胞の収縮運動の速さは、同じ
     ように収縮運動する心筋細胞とくらべても格段に速い。モータータンパク質のプレスチンの研究が進めば、
     将来はマイクロマシンの材料といった工学的な応用も可能かもしれない」と考えている。

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