キビタキ船長その後

あれは確か3年前の初夏だったと思います。のどかな田園地帯にポツンと建つ喫茶店。

爽やかな風が吹き抜けて、緑のじゅうたんが風に揺れています。

たまたま通りかかって、時間つぶしに入ったはじめての喫茶店。マンガを読んで時間をつぶし、トイレに立ちました。

なぜか換気扇のコンセントが抜かれています。

「なんだぁ(?_?)」

最初、コンセントが抜かれている意味が分からず、首を傾げながら用を足しておりました。

と、かすかな音が聞こえます。

チチ…

「ん?なんだぁ(?_?)」

チチチ…

どうやらその音は、換気扇の方から聞こえてくるようです。耳を澄まします。

チュンチュンチュン…

「ありゃ?鳥の鳴き声?こんなところから?」

 

帰りに外の駐車場側から確かめました。換気扇のフードの中へ、親スズメが出たり入ったり。

そうだったのです。換気扇のフードの中にはスズメの巣があって、子スズメが元気に育っていたのです。

喫茶店主のさりげない心遣いに触れて、その日一日、とても気分がよかったのは言うまでもありません。

 

「自然保護だ」「環境保護だ」「環境教育だ」なんていう大仰な言葉を振りかざさなくても、私たち一般人は、こういうさりげない気持ちで自然に接していれば、子ども達にいろいろと教えることができると思うのです。

 

そうそう、こういうお話も教えていただきました。(Nさん、ありがとうございました)

キビタキ船長のお話、その後です。

 

キビタキ船長が亡くなったあとも、津軽海峡の漁師さんたちにはキビタキ船長の心意気が受け継がれているそうです。嵐の時だけではないのです。

秋の渡りの季節になると、函館側から漁に出るイカ釣り船は出港直後から集魚灯を点けます。なぜそんなこをするのでしょう?燃料を余計に使ってしまうし、スピードだって落ちてしまいますよね。

集魚灯を点けてしばらくすると、津軽海峡を越える小鳥たちが集魚灯をたよりに次々に船に降りてくるのです。キビタキ、オオルリ、センダイムシクイ、おっとノゴマもいます。夏を北海道で過ごし、育て上げた子ども達を連れての南の国への遙かな旅路、少しでもエネルギーを温存したいのでしょう。彼らは漁場に向かうイカ釣り船に乗せてもらって、津軽海峡を南下していくのです。

漁場に着くと、今度は下北半島側へ帰るイカ釣り船の出番です。漁がすんでも集魚灯は消しません。煌々と集魚灯を点けたまま、イカ釣り船は下北半島を目指します。そうすると小鳥たちは、次々に乗り移ってくるのです。

さしずめ下北半島行きへの「乗り換え」ですね。にぎやかに鳴きながら、小鳥たちは次々と乗り換えを始めます。こうして、漁師さんたちの心遣いに支えられ、小鳥たちは今年も無事に津軽海峡を渡ります。さあ、ここから先は自力で飛んでいかなければなりません。子ども達には最初の、そして最大の試練が待ちかまえています。漁師さんたちは、彼らの試練を知っています。だからさりげないエールを送り続けるのです。

 

「そんなことは自然への干渉だ」「落鳥するままにしておくべきだ」---科学は、そうやって言うでしょう。ちょっと待って下さい。科学は万能なのですか?科学が法なのですか?科学は善悪を判断しないじゃありませんか。

私たち一般人は、さりげない気持ちで自然に接していれば、子ども達にいろいろと教えることができると思うのです。「環境教育」といいながら、成果の上がらない野鳥標識調査の存在意義を他に求めようとしているんじゃありませんか?

野鳥も人も、ともに地球上で一生懸命生きているのです。互いに尊重しあい、尊敬しあうことから生まれるものがあるはずです。喫茶店主の行いも漁師さんの行いも、私には「善」と感じられます。「環境教育」を謳うのであれば、もっと他にやり方があるでしょう。

 

皆さんはいかが思われますか?特にお母さん、あなたのお子さんが野鳥を虐待するのって嬉しいですか?