中日新聞2008.6.24.夕刊 社会時評
この国の官僚たちは、優秀だとおだてられるうちに自分でもそう思い込み、優秀なのだから自分は特別だと思い込み、依って天下りも接待も当たり前と思い込むに至って、いまや政治も手をつけられない宿り木が、国の中央に繁茂しているのだが、彼らが破綻させたのは公務員倫理だけではない。宿り木が宿主を食う本末転倒は、一つ一つの制度の設計でも蔓延しているのであって、よくよく眺めてみれば明らかに時代に反していたり、整合性を欠いていたりする杜撰な制度案が、平気で国会に提示されてゆく。
◆◆ もちろん、そうして提示された制度を精査する能力もなく、宿り木と共生しなければ立ちゆかない政治家もまた半人前ではあるが、少なくとも政治家には選挙の審判があるのに比べて、官僚は一切責任を問われることがない。責任を問われない者が、国民生活を左右する裁量権をもち、それをチェックする国会は、機能していないのである。
かくして縦割りの砦のなかで、官僚たちの思考はきわめて自己満足的、形式的なものになり、数字のための数字が積み上げられて、きれいに予想グラフが描かれることになるのだが、しかし近年は、その基本的な数字の扱いさえ怪しいものになりつつある。
今国会会期末に野党が廃止法案を参院で可決させた後期高齢者医療制度などは、まさにその一例である。最近になって、厚労省は保険料負担の推移の事前予測が実態と異なることを認めたが、不都合な事実を隠すために数字を操作するのが官僚の通例なら、彼らの提示する制度を信頼しろと言うほうが無理である。
この例から分かるのは、何よりも老人医療費削減という絶対的な目標がまず初めにあったということであるが、官僚はたしかに、目標の数字に合わせて機械的に制度設計するのが仕事かもしれない。かくして、初めに療養型病床を減らしてみたが、それでも思うように老人医療費は減らず、今度は介護保険を医療保険から切り離してみたが、それでも高齢者は増え続けるので、いよいよ一番医療費のかかる後期高齢者をさらに切り離してみたのが本制度、というだけかもしれない。
しかし、そもそも医療費の増大が国を滅ぼすと政治家に吹き込み、先進各国が日本よりはるかに巨額の医療費を拠出している事実を棚上げにして、医療費削減の絵を描いてきたのは官僚だろう。言い出した以上、もう少しまともな制度を設計すべきである。
ちなみに、後期高齢者医療制度本体に目を移しても、二〇二五年にはいまより倍増すると言われる医療費の、世代間の負担割合の不均衡をわずかに是正する程度のものでしかない。また、とりあえず制度は始まったものの、医療費の具体的な削減につながる定額制の導入や、高齢者の病院通いを減らすための「かかりつけ医」制度などの本体については、現場に混乱もみられる。受けられる医療が確実に制限される定額制などは、まさに高齢者の権利を制限するものなので、さすがに急かしにくいのだろうが、こうして中身を置き去りにして保険料の徴収だけが始まり、国会ではその保険料の話だけが一人歩きしているのである。
◆◆ この現状に一息ついているのは当の官僚たちだろう。うまい具合に、政治家たちはよく理解できないと自分で公言しているのだから、制度の不備がこれ以上具体的に明るみに出る恐れは少ない。自治体に代わって保険料を決める広域連合のような特別地方公共団体がいつ、どういう理由で出来ていたのか、その不透明な内輪の秘密主義を追及される恐れもない。また、制度としての歪さが、やがて高齢者の悲惨として社会問題化するころには、官僚たちはもう天下りしているだろう。
そして今度は財務省が、だから消費税を上げて医療費を賄うのだと笑うだけのことであるが、彼らとて、あるべき税体系の構想より、政治に寄生して自らの権益を誇ることに慣れ、数字をいじる以上のものではないのである。
(たかむら・かおる=作家)